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2 모시는 글 안녕하세요. 폭우와 늦더위가 지나간 자리에 청명한 가을 이 찾아왔습니다. 본 연구소에서는 <유구 오키나와학회>와 협력하여 동아 시아의 국경 문제와 주민들의 삶 이라는 제목으로 국제학 술회의를 개최하고자 합니다. 최근 들어 동아시아 각 지역 에서는 영토분쟁으로 인한 국가간의 민족주의적 갈등이 심 화되고 있습니다. 영토분쟁은 정치적 현안으로 곧바로 연 결되는 경우가 많아 그동안 학술적 논의는 매우 조심스럽 게 진행되어 왔던 것 같습니다. OKINAWA 국경에서의 각종 분쟁은 동아시아 특유의 문제라기보다는 전세계 곳곳에서 일어나고 있는 문제인 만큼 이에 대한 비 교문화론적 관점에서의 학술적 논의가 좀 더 진척되어야 할 시점에 와 있는 것으로 생각됩니다. 동아시아 국경 문제 에 대한 학술적 논의는 분쟁이나 교류의 양상에 대한 검토 를 통해 동아시아 지역체제의 구조와 역사성을 이해하는 데 도움이 될 것이며, 분쟁의 평화적 해결과 공생적 교류의 논리를 만드는 데에도 공헌하게 될 것입니다. 이번 학술회의는 국경지역 주민들의 삶과 문화로부터 동아 시아 국경 문제를 새롭게 조명하고자 하는 시도라고 할 수 있습니다. 국내외 연구자들의 다양한 연구 성과가 발표되 고, 활발한 토론과 교류가 이루어지는 자리가 될 것입니다. 관심 있으신 분들의 많은 참여를 기대하겠습니다 서울대학교 비교문화연구소장 황익주 본 행사는 한국어와 일본어 순차 통역으로 진행됩니다. 행사에 관련된 사항은 다음 연락처로 문의하시기 바랍니다. 서울대 비교문화연구소 ㆍTEL: , ㆍ

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4 国 境 の 民 はナショナリズムを 信 じない 岩 下 明 裕 ( 北 海 道 大 学 ) はじめに: 歴 史 の 議 論 しても 不 毛 である 国 境 問 題 を 議 論 すると とかく 主 張 は 内 向 き になり そのナショナリズムを 刺 激 す るだけでなく 外 に 向 かっては 独 りよがりの 言 説 を 放 つのみで 自 分 たちだけが 100% 正 しい と 声 高 に 繰 り 返 すことになりがちである もし あなたがアカデミックで 学 術 的 に 尊 敬 されたい 研 究 者 でありたいと 思 うのであれば 自 らの 社 会 や 自 国 のナショナリズム の 軛 からも 自 由 になろうと 努 力 すべきである その 自 らを 客 観 するために 有 益 な 方 法 が 政 治 地 理 学 的 なアプローチである 東 アジア が 古 い 中 国 文 明 の 影 響 を 大 きく 受 けているがゆえに 誰 もが 歴 史 を 語 ることを 好 むのだが 国 境 問 題 に 関 する 限 り 歴 史 的 な 論 争 は 不 毛 である どちらの 国 が 先 に 発 見 した どちら の 国 が 先 に 利 用 した あるいは 実 効 支 配 したという 主 張 は 19 世 紀 的 な 帝 国 主 義 的 植 民 地 主 義 的 な 国 際 法 理 であることは 言 うまでもないが たとえそれが 無 人 島 に 向 けられる 場 合 でも 国 家 を 中 心 に 考 え 国 家 の 目 線 で 土 地 の 線 引 きを 議 論 するにとどまるという 意 味 で 現 在 の 境 界 研 究 (ボーダースタディーズ)の 考 えとは 相 容 れない 報 告 者 が 専 門 とする 中 国 とロシアの 国 境 問 題 と 歴 史 論 争 の 関 係 をみても 不 毛 さは 明 らか だ 19 世 紀 後 半 の 愛 琿 北 京 条 約 によって 清 はロシア 帝 国 に 100 万 平 方 キロの 領 土 を 奪 われたとして この 不 平 等 条 約 を 中 国 は 長 年 徹 底 的 に 批 判 してきた これに 対 して ロシアは 長 年 この 条 約 は 不 平 等 ではなく 実 効 的 なものだと 反 論 してきた この 論 争 はい までも 続 いている そう 2004 年 に 中 国 とロシアの 国 境 問 題 がすべて 最 終 決 着 したのはよ く 知 られている にもかかわらず これらの 条 約 が 不 平 等 かどうか を 巡 って いまだ に 中 露 の 歴 史 家 は 論 争 を 続 けている( 報 告 者 = 岩 下 は 不 平 等 条 約 だ とロシア 語 の 本 で 書 いたので ロシア 人 から 批 判 されたことがあるのだが これを 見 た 中 国 人 が 岩 下 は 正 しい と 反 論 を 寄 せたこともあった) 問 題 が 解 決 したのに 歴 史 論 争 は 終 わっていないのだ このことは 何 を 意 味 するのか? 要 するに 歴 史 論 争 は 国 境 問 題 の 解 決 に 関 係 がないとい うことであり 歴 史 論 争 が 続 いていても 問 題 は 解 決 できるということだ みなさんは 歴 史 論 争 が 大 好 きなようだから いつまでも 続 けられたらいいだろう 私 はみなさんの 論 争 に あまり 関 心 がない みなさんが 論 争 を 続 けようが 続 けまいが 問 題 は 解 決 できるからだ 話 しを 元 に 戻 そう 歴 史 論 争 が 不 毛 なもう 一 つの 理 由 は それが 国 家 を 中 心 とした 目 線 や 歴 史 観 のバイアスで 事 実 や 出 来 事 を 自 由 に 解 釈 するからである ところが 現 在 のボー ダースタディーズの 世 界 的 標 準 は 国 家 や 権 力 に 対 してもクリティカルであると 同 時 に 国 境 地 域 (borderlands)に 暮 らす 人 々の 目 線 や 利 益 を 第 一 に 考 えようとする 試 みが 主 流 と なっている 普 段 や 中 央 や 都 市 で 暮 らしながら 国 境 地 域 のことなど 考 えもしないくせに 隣 国 との 紛 争 があるときだけ 島 を 守 れ 我 が 領 土 などと 拳 をつきあげる 運 動 の 再 生 産 はなにも 生 み 出 しはしない 本 報 告 は 世 界 の 国 境 地 域 ( 国 境 と 呼 べない 境 界 地 域 も 含 む) の 比 較 や 様 々なボーダースタディーズの 研 究 の 一 端 を 紹 介 することで 国 境 問 題 にかかわ - 1 -

5 る 歴 史 本 質 主 義 的 見 方 を 乗 り 越 える 視 座 を 提 示 してみたい 1 海 疆 ユーラシア: 紛 争 が 陸 域 から 海 域 へシフトする ボーダースタディーズを とくにユーラシア 大 陸 という 場 で 考 える 場 合 に その 関 心 の 多 くは ( 河 川 も 含 む) 陸 域 を 中 心 とした 国 境 地 域 やこれをめぐる 紛 争 に 焦 点 が 当 てられて きた なかでも ユーラシアの 中 域 帯 は いわば 紛 争 ベルトとでもいえる 地 域 を 構 成 して おり とりわけ 旧 ソ 連 と 中 国 にかかわるものが 南 アジアや 朝 鮮 半 島 の 係 争 にも 影 響 をあ たえ ユーラシアのあり 方 を 強 く 規 定 していた 1950 年 代 から 70 年 代 後 半 までは ユー ラシア 大 陸 のアジア 空 間 で 境 界 をめぐって 多 くの 軍 事 衝 突 が 引 き 起 こされた 1980 年 代 に 入 ると かかる 衝 突 は 鎮 静 化 する 兆 候 がみえはじめ 90 年 代 になると 一 挙 に 国 境 問 題 の 解 決 の 機 運 が 高 まる とくに 中 ソ 東 部 国 境 協 定 を 皮 切 りに 旧 ソ 連 空 間 と 中 国 の 国 境 の 安 定 化 は 劇 的 に 進 展 し これは 中 国 とベトナムの 陸 域 などにも 波 及 した 中 印 の 紛 争 でさえ いまだ 解 決 の 見 こみはないにもかかわらず 以 前 に 比 べれば はるかに manageable な 状 況 が 生 まれている この 現 象 を 一 言 で 整 理 すれば 多 様 な 民 族 文 化 言 語 宗 教 などが 散 在 するがゆえに 第 2 次 世 界 大 戦 終 了 後 の 新 たな 国 家 形 成 プロセスのな かで 衝 突 と 紛 争 が 絶 え 間 なかったユーラシアにおいて 人 間 の 生 存 にかかわる 様 々な 活 動 が 拡 大 深 化 することで 紛 争 のコストがはるかに 生 存 の 利 益 を 上 回 ったがゆえに 紛 争 回 避 や 妥 協 によって 問 題 を 解 決 しようとする 機 運 が 高 まり 平 和 と 安 定 のもとでの 利 益 の 享 受 が 指 向 されたのだと 整 理 できよう いずれにせよ ユーラシア 陸 域 の 境 界 をめぐる 紛 争 は 以 前 に 比 べて 格 段 に 平 穏 化 したことは 疑 いがない 他 方 で 陸 域 の 安 定 と 対 照 的 に 近 年 紛 争 の 複 雑 化 激 化 がみられるのが ユーラシ アをとりまく 海 域 である 南 シナ 海 をめぐる 中 国 と ASEAN 諸 国 の 紛 争 ( 南 沙 諸 島 ) 東 シ ナ 海 をめぐる 中 国 と 日 本 あるいは 韓 国 との 紛 争 ( 尖 閣 諸 島 / 釣 魚 島 離 於 島 / 蘇 岩 礁 ) 日 本 海 をめぐる 日 韓 の 紛 争 ( 竹 島 / 独 島 ) オホーツク 海 をめぐる 日 露 の 紛 争 ( 北 方 領 土 )な ど 一 連 の 状 況 が 悪 化 しているが 経 緯 はそれぞれ 歴 史 的 に 違 うにもかかわらず これらの 紛 争 の 激 化 はこれを 個 別 事 象 としてとらえるより 一 連 に 共 通 した 事 象 だと 理 解 すべきで ある これらの 海 を 地 理 的 に 考 えると ベーリング 海 峡 から 南 シナ 海 までは 一 連 のユー ラシア 大 陸 が 延 長 した 棚 にのった 内 海 といえる 報 告 者 はこれを 海 疆 ユーラシア と 整 理 するが いわば ユーラシアの 陸 域 から 海 域 へと 紛 争 がシフトしていることが 政 治 地 理 学 的 な 分 析 を 通 じてみてとれる 国 境 問 題 を 個 別 の 諸 国 間 の 歴 史 的 紛 争 として 自 ら の 正 しさ と 相 手 の 悪 を 本 質 的 なものとして 主 張 し 不 毛 で 非 生 産 的 な 議 論 を 積 み 重 ねる 中 央 の 論 壇 に 属 するものたちは 未 だこの 共 通 事 象 を 十 分 認 識 していないばかり か この 事 象 がもつ 意 味 とこれからのシナリオについては 考 え 始 めてもいない 2 海 域 のフィフティ フィフティを 求 めて ではどうして 今 ユーラシアの 海 に 紛 争 が 集 中 しはじめているのだろうか? 第 1 に 海 - 2 -

6 への 人 類 の 生 産 活 動 を 十 分 にまかなえる 技 術 と 資 金 が 蓄 積 されたからである 深 海 や 大 陸 棚 といった 旧 来 開 発 が 難 しかったエリアへの 活 動 がますます 活 発 になってきている と りわけ そのエリアにガスや 油 田 などエネルギーがあるとき これをめぐる 国 家 の 利 権 争 いはクリティカルになる 第 2 に 1970 年 代 からの 海 洋 法 制 の 変 化 がある 旧 来 領 海 3 海 里 それ 以 外 は 公 海 つ まり 誰 のものでもなく 誰 もが 使 える 自 由 な 海 というシンプルな 考 えが 海 の 秩 序 の 基 本 であった だが 領 海 の 12 海 里 への 拡 張 さらには 排 他 的 経 済 水 域 EEZ という 新 秩 序 の 登 場 が 海 のあり 方 を 激 変 させた 重 要 な 点 は EEZ が 単 なる 経 済 権 益 にとどまらず 軍 事 活 動 の 規 制 などそれを 沿 岸 国 からの 国 境 線 の 拡 大 とまでは 呼 べないにせよ 沿 岸 国 の 主 権 的 権 利 の 多 くが 認 められた 排 他 的 なゾーンの 拡 大 が 諸 国 の 間 の 海 への 支 配 を 正 統 化 した ことにある さらに 忘 れてならないのは EEZ が 他 方 では 200 海 里 としながら 大 陸 棚 が 続 くかぎりは 200 海 里 をこえて 延 長 を 認 めるという 柔 軟 な 考 え 方 も 併 存 している こ こから 中 国 は 棚 が 続 くかぎりは 中 国 のものと 主 張 し 200 海 里 をとりああって 重 なる 部 分 の 中 間 線 でラインを 引 こうとする 現 在 の 主 流 となりつつある 海 洋 法 の 考 え 方 に 挑 戦 する ( 東 シナ 海 の 日 中 ガス 田 問 題 及 び 蘇 岩 礁 に 関 する 中 国 の 主 張 ) ちなみに 海 の 棚 が 続 くかぎりは 自 国 領 とする 中 国 的 発 想 は 領 有 権 そのものを 争 う 南 沙 諸 島 や 釣 魚 島 の 議 論 の 根 幹 をもなしている しかしながら これらの 議 論 を 複 雑 にしている 理 由 のひとつ が 国 連 海 洋 法 条 約 (UNCLOS)がもつ 矛 盾 そのものに 由 来 することも 忘 れてはならない だろう しかしながら 陸 域 で 国 境 問 題 の 解 決 方 法 として 適 用 された フィフティ フィフティ ( 係 争 地 を 相 互 の 利 益 を 考 慮 して 分 け 合 って 解 決 する)は 海 域 でもその 適 用 が 可 能 か もしれない 中 国 がベトナムとの 間 で トンキン 湾 の 係 争 が 相 互 の 主 張 の 間 の 線 をとるか たちで 分 け 合 って 解 決 した 事 例 はよく 知 られている また 日 露 の 間 でも 係 争 地 となって いる 北 方 四 島 を 歴 史 や 法 的 な 議 論 にかかわらず 海 域 の 利 益 や 境 界 地 域 の 住 民 たちの 考 え 方 を 考 慮 して 分 け 合 って 解 決 しようという 主 張 も 力 を 得 つつある 日 中 中 韓 日 韓 などの 海 をめぐる 難 しい 問 題 も 解 決 できないとあきらめることなく 世 界 の 事 例 を 研 究 しながら 建 設 的 なかたちでおりあいをみつけようとする 姿 勢 を 真 摯 な 学 者 であれば 捨 ててはならない 3 国 境 問 題 のチャレンジ しかしながら 国 境 問 題 を 折 り 合 って 解 決 するという フィフティ フィフティ はと もすれば 国 賊 国 の 裏 切 り 者 という 批 判 を 受 ける 可 能 性 がある フィフティ フィ フティ が 係 争 をかかえる 両 国 の 利 益 にとって 資 することが 明 確 であれば ウィン ウィ ン の 主 張 と 共 にその 正 しさをアピールすることができる 一 方 で 国 内 のロマンチックで 冒 険 主 義 的 なナショナリズムに 翻 弄 されれば これは ルーズ ルーズ とみなされ 両 国 関 係 はより 悪 化 する 可 能 性 さえある - 3 -

7 だからこそ 中 国 とロシアの 指 導 部 は 2004 年 にその 最 大 の 係 争 地 であったヘイシャー ズ 島 を 分 け 合 って 解 決 したとき 直 前 まで 情 報 を 完 全 に 統 制 していた 1990 年 代 後 半 に フィフティ フィフティ による 中 国 との 係 争 問 題 の 解 決 を 試 みたクルグズスタンの 赤 エフ 大 統 領 は 反 対 派 に 激 しくつきあげられ これが 失 脚 の 遠 因 とさえなったが これを みたタジキスタンの 交 渉 当 事 者 は 一 切 詳 細 を 明 らかにすることなく 中 国 との 係 争 地 を 分 け 合 って 解 決 し すでに 国 境 画 定 の 議 定 書 が 批 准 された 今 なお どの 部 分 を 中 国 に 引 き 渡 したのか 一 切 公 開 していない 国 境 の 現 実 を 知 らない 夢 想 家 たちは いつでも 国 境 問 題 をナショナリズムの 道 具 として 使 おうとするからだ しかしながら 民 主 主 義 体 制 をとり 言 論 が 自 由 な 国 で 中 国 やロシアのような 秘 密 交 渉 は 難 しい ここでも 学 者 の 責 任 は 重 い もし 真 摯 な 国 境 学 者 であろうとするならば あなたは 右 翼 の 個 人 攻 撃 を 恐 れてはいけないし 無 責 任 なジャーナリストによるバッ シングも 受 けてたたねばならない その 覚 悟 がないのであれば 国 境 研 究 などやらない 方 が 無 難 だろう 学 者 ができることのひとつは 国 境 をめぐる 言 説 を 批 判 することである 東 アジアで 根 拠 の 乏 しい 歴 史 本 質 主 義 者 が 用 いる 言 い 回 しが 固 有 の 領 土 である 結 論 をいえば 固 有 の 領 土 という 主 張 は 世 界 水 準 では 通 用 しない そもそも 固 有 の 領 土 というのを 英 語 を 始 め 外 国 語 で 説 明 するのも 容 易 ではない 法 的 な 議 論 として これに 近 い 固 有 の 権 原 先 占 の 主 張 の 問 題 点 については 冒 頭 で 説 明 したとおりである いずれにせよ 固 有 の 領 土 なる 主 張 は 法 的 にはありえない より 重 要 なことは そもそも 土 地 や 海 に 固 有 など 存 在 しないことだろう すべては 人 間 が 頭 のなかで 観 念 として 投 影 したものである 例 えば 尖 閣 列 島 を 例 に 取 ろう これ が 日 本 の 固 有 の 領 土 でないのは 明 らかだ そもそも 独 自 の 王 朝 をもっていた 琉 球 の 存 在 を 考 慮 すれば ここは 固 有 の 日 本 ではない だが 島 は 沖 縄 の 固 有 の 領 土 でさえな い 石 垣 島 や 与 那 国 島 を 含 む 八 重 山 諸 島 もまた 当 時 は 琉 球 王 朝 の 版 図 ではなかったからだ これは 途 中 で 王 朝 に 征 服 され 併 合 されたにすぎない だが 島 は 八 重 山 の 固 有 の 領 土 でさえない 石 垣 島 の 当 時 の 首 長 が 島 を 領 有 していたわけでもないからだ もちろん 中 国 や 台 湾 の 固 有 の 領 土 であるはずもないこともここで 付 け 加 えておくべきだろう た だ 海 原 に 小 島 や 岩 があり 人 はそれを 横 目 でみていたに 過 ぎないのだ もうひとつの 言 説 は 戦 争 にかかわるものである 例 えば 北 方 領 土 問 題 における 日 本 の 主 張 の 要 諦 は ソ 連 が 1945 年 8 月 当 時 有 効 であった 日 ソ 中 立 条 約 を 破 って 参 戦 し 一 方 的 に 侵 略 をして 島 を 奪 ったということ 北 千 島 ( 占 守 島 ) 侵 攻 が(ポツダム 宣 言 受 諾 語 の 8 月 14 日 を 経 た)18 日 という 時 点 からなされ 日 本 が 降 伏 文 書 に 調 印 した 9 月 2 日 の 後 も 南 千 島 ( 国 後 色 丹 歯 舞 )の 占 領 活 動 を 続 けたという 歴 史 的 事 実 にある しかしながら 戦 争 をめぐる 議 論 を 繰 り 返 すことは 相 手 への 際 限 ないリベンジを 生 む だけである 島 は 固 有 の 領 土 だから 返 せというのであれば それが 北 千 島 や 樺 太 を 含 まない 理 由 にはなりにくいし 歴 史 的 に 日 本 がロシアに 行 ってきた 侵 略 行 為 もまた 俎 上 に - 4 -

8 あがるだろう 戦 争 は 主 観 的 に 自 分 たちだけが 被 害 者 であり すべてを 加 害 者 の 責 任 に 転 嫁 する 言 説 を 生 みやすい ロシアの 蛮 行 を 北 方 領 土 返 還 要 求 と 結 びつける 主 張 はいまだに 後 を 絶 たないが そのような 恨 の 心 で 相 手 をみるかぎり 未 来 はどこにも 生 まれない そうであるからこそ 報 告 者 は 国 境 問 題 を 議 論 するときに 歴 史 主 義 に 陥 らないこと を 強 く 提 案 したい 中 露 の 間 では いまだに 19 世 紀 の 愛 琿 北 京 条 約 を 不 平 等 で 強 い られたとする 中 国 の 学 者 たちの 見 解 をロシア 側 が 受 け 入 れず 激 しい 論 争 を 続 けている このことが 意 味 することは 国 境 問 題 が 解 決 した 後 も 歴 史 論 争 は 終 わらないということ だ 逆 に 歴 史 対 話 を 重 ねても 国 境 問 題 は 解 決 しない 日 中 や 日 露 の 歴 史 家 の 対 話 が 北 方 領 土 問 題 や 尖 閣 列 島 問 題 の 解 決 に 資 することはほとんどなかった むしろ 両 国 の 歴 史 認 識 の 違 いを 浮 き 彫 りにしただけで 終 わった 国 境 問 題 は 国 境 問 題 として 歴 史 と 切 り 離 して 解 決 しようとしてこそ 実 利 的 かつ 未 来 志 向 的 に 解 決 しうる それがユーラシアの 解 決 で 成 功 した 模 範 事 例 からの 教 訓 であり 報 告 者 が 北 方 領 土 問 題 で フィフティ フィフティ に よる 解 決 を 提 唱 するときに 依 拠 する 精 神 である どうして ユーラシアの 陸 域 でできるこ とが ユーラシアをとりまく 海 の 紛 争 ではできないと 言 えるのだろうか 未 来 は 必 ず 私 た ちとともにある おわりに: 世 界 の 文 脈 現 場 の 目 線 領 土 に 固 有 のものなし ただ 故 郷 があるのみ これが 様 々な 国 境 地 域 の 声 を 集 めた 私 の 結 論 である そして 国 境 地 域 に 暮 らす 人 々は ナショナリズムを 信 じない ( 管 理 線 の 向 こ うにいけない)カシミールの 人 も ( 北 方 領 土 に 自 由 に 行 けない) 根 室 の 人 も 自 由 な 往 来 を 求 めているだけである そして 係 争 地 から 離 れて 平 穏 に 暮 らし 思 い 出 したかのよう に 身 勝 手 なナショナルな 言 説 を 放 つ 遠 い 国 民 に 辟 易 しているのだ 国 境 地 域 の 声 をもとに 隣 国 同 士 の 利 益 を 大 きな 枠 組 のなかで 展 望 できるよう 当 事 者 たちで 折 り 合 う 解 決 策 の 模 索 がベストであるには 違 いない ただその 折 り 合 い 方 を 考 える ために 第 3 者 の 目 からみてどうみえるかという 文 脈 で 思 考 実 験 として 司 法 的 解 決 がな された 場 合 の 結 論 を 先 取 りしてみてはどうだろうか? かつてロシアで 北 方 領 土 の 法 的 解 決 をシミュレーションしたとき 歯 舞 色 丹 は 8 割 の 確 率 で 日 本 の 勝 ち 国 後 択 捉 の 8 割 でロシアの 勝 ちという 予 想 だったそうである このことの 含 意 は 折 り 合 って 解 決 する 線 が 二 島 返 還 プラスα であることの 妥 当 性 を 補 強 している 世 界 の 国 境 問 題 を 分 析 するダーラム 大 学 の IBRU(International Boundaries Research Unit)の 報 告 書 で 日 中 日 韓 の 国 境 問 題 を 法 的 解 決 の 観 点 から 分 析 した 論 文 がある この 論 文 は 尖 閣 については 日 本 が 有 利 とする 一 方 で( 中 国 が 係 争 にかんする 主 張 を 長 年 してこ なかったため) 竹 島 については 判 定 せず ただ 双 方 が 歩 み 寄 ることの 重 要 性 を 示 唆 するに とどめている(ちなみに 北 方 領 土 については 歯 舞 以 外 は 日 本 に 対 して 厳 しい) あまり 知 られていない 事 実 だが 日 本 は 強 制 的 管 轄 の 受 諾 をしており もし 中 国 あるい - 5 -

9 は 韓 国 が 同 様 の 受 諾 をすれば 国 際 司 法 裁 判 所 で 国 境 問 題 に 決 着 をつけることも 可 能 であ る 実 際 かつて 日 本 は 国 際 司 法 裁 判 所 への 付 託 を 提 案 したことがあり 韓 国 もロシアも これを 拒 否 した 経 緯 を 有 する 中 国 に 関 していえば 領 土 問 題 なし というのが 日 本 の 正 式 な 立 場 だが 万 が 一 中 国 が 一 般 的 な 強 制 的 管 轄 を 受 諾 して 1 年 を 経 過 すれば(1 年 とい うのは 日 本 の 受 諾 留 保 による) 司 法 的 判 断 は 可 能 となる いずれにせよ 日 本 はどの 事 例 でも 司 法 的 解 決 の 道 をオープンにしている ではなぜ 日 本 政 府 はそのことを 積 極 的 に 対 外 的 にアピールしないのだろうか それは 交 渉 で 解 決 した 方 がはるかに 利 にかなう 以 上 交 渉 を 阻 害 するようなアピールをやりたくないからだろう 欧 米 や 世 界 では 裁 判 を 通 じて 国 境 問 題 が 解 決 した 事 例 が 数 多 くある しかしながら 裁 判 は 勝 ち 負 けをはっきりさせ その 後 の 両 国 の 関 係 に 様 々な 禍 根 を 残 す 可 能 性 がある やはり 当 事 者 同 士 が 折 り 合 って 解 決 することができれば ベターである 実 際 ロシアが 国 際 司 法 裁 判 所 への 付 託 を 拒 否 したのは 解 決 は 自 らの 交 渉 で 果 たしたいという 気 持 ちか らであった とはいえ 紛 争 を 客 観 的 にみるという 意 味 で 法 的 解 決 のシミュレーションは 有 効 であろう その 上 で 相 互 の 利 益 を 十 分 に 考 慮 して ウィン ウィン の 関 係 を 目 指 す 努 力 を 積 み 重 ねるべきである 裁 判 に 頼 らず 折 り 合 って 解 決 する 東 アジア 的 な 海 域 紛 争 解 決 モデルをつくることができれば これは 世 界 にも 資 するものとなるに 違 いない - 6 -

10 국경의 주민은 내셔널리즘을 믿지 않는다 이와시타 아키히로( 岩 下 明 裕 ) 1) 서문: 역사는 논해도 쓸모가 없다 국경 문제를 논하는 경우, 결국 주장은 안으로 굽어 내셔널리즘을 자극할 뿐만 아니라 밖을 향해서는 독선의 담론을 내보내기만 할 뿐, 자신들만이 100% 옳다 고 큰 소리로 반 복하는 경향이 있다. 만약 당신이 학계에서 학술적으로 존경받는 연구자가 되고 싶다면, 자 신의 사회와 자국의 내셔널리즘의 멍에 로부터 자유로워지도록 노력해야한다. 스스로를 객관화하는 데에 유용한 방법이 정치지리학적 접근이다. 동아시아가 오래된 중 국 문명의 영향을 크게 받는 탓에, 누구라도 역사를 즐겨 말하지만 국경 문제에 관한 한 역 사적인 논쟁은 쓸모가 없다. 어느 나라가 먼저 발견했는가, 어느 나라가 먼저 이용했는가, 혹은 어느 나라가 실질적으로 지배했는가에 대한 주장은, 19세기의 제국주의적 식민주의적 국제법리에 지나지 않는다는 것은 논할 것도 없고, 그것이 무인도로 향해 있는데도 국가를 중심으로 생각하고 국가의 시선으로 토지의 선긋기를 논하는 것에 그친다면, 그런 의미에서 현재의 경계 연구(국경 스터디)의 생각과 양립될 수 없다. 본 연구자의 전문 분야인 중국과 러시아의 국경 문제와 역사논쟁의 관계를 보아도 그 무 익함을 알 수 있다. 19세기 후반의 아이훈 조약( 愛 琿 北 京 条 約 )에 따라 청나라는 러시아 제국에 100만 평방킬로미터의 영토를 빼앗겼고, 중국은 이 불평등조약 을 오랫동안 끈질 기게 비판해왔다. 이에 대해 러시아는 오랫동안 이 조약은 불평등하지 않으며 실질적인 것 이라고 반론해왔다. 이 논쟁은 지금도 계속되고 있다. 그렇다, 잘 알려진 바와 같이 2004년 중국과 러시아의 모든 국경 문제는 최종적으로 매듭을 지었다. 그럼에도 불구하고, 이 조약 의 불평등 여부 를 둘러싸고 여전히 중국과 러시아 양국의 사학자는 논쟁을 계속하고 있 다. (본 연구자가 불평등조약 이라고 러시아어 문헌에 썼을 때, 러시아 사람은 비판한 반 면, 이를 본 중국인이 "이와시타가 옳다"고 반론을 제기한 적도 있었다.) 문제가 해결됐는데 역사 논쟁은 끝나지 않는다. 이것은 무엇을 의미하는가? 요컨대, 역사 논쟁은 국경 문제 해 결과 무관하다는 것이며, 역사 논쟁이 멈추지 않는다 해도 문제는 해결될 수 있다는 것이 다. 모두가 역사 논쟁을 좋아하므로 언제까지나 계속된다면 좋은 것이다. 나는 모두의 논쟁 에 그다지 관심이 없다. 모두가 논쟁을 계속하든 그렇지 않든 문제는 해결될 수 있기 때문 이다. 다시 처음으로 돌아가자. 역사 논쟁이 쓸모없는 또 다른 이유는 그것이 국가를 중심에 두 는 시선과 역사관의 편향으로부터 사실과 사건을 자유롭게 해석하기 때문이다. 그런데 현재 의 국경 스터디의 세계적 표준에서는 국가와 권력에 대해서도 비판적인 동시에 국경지역 (borderlands)에 사는 사람들의 시선과 이익을 최우선으로 생각하려는 시도가 다수를 점하 고 있다. 평범하게 중앙 혹은 도시에 살면서 국경 지역에 관한 것들을 생각지도 않다가, 이 웃나라와의 분쟁이 발생할 때에만 섬을 지켜라 우리 영토 라고 주먹다짐하는 그런 운동 1) 홋카이도 대학 - 7 -

11 의 재생산은 아무것도 창출하지 않는다. 본 글은 세계의 국경 지역(국경이라 부를 수 없는 경계지역을 포함하여)의 비교 및 각종 국경 스터디의 연구의 일단을 소개함으로써 국경 문 제에 관해 역사 본질주의적 견해를 넘어서는 관점을 제시하고자 한다. 1. 영해 유라시아: 분쟁이 대륙에서 해역으로 이동하다 국경 스터디는 특히 유라시아 대륙이라는 장에서 생각하면, 그 관심의 대부분은 (하천을 포함하여) 육지를 중심으로 한 국경 지역과 이를 둘러싼 분쟁에 초점이 맞춰져왔다. 그 중 에서도 유라시아의 중심 지대는 이른바 분쟁 벨트라 할 수 있는 지역을 구성하고 있고, 무 엇보다 옛 소련과 중국에 걸쳐있는 것들이 동남아시아와 한반도의 분쟁에도 영향을 미치며 유라시아의 존재를 강하게 규정하였다. 1950년대부터 1970년대 후반까지 유라시아 대륙의 아시아 공간에서 경계를 둘러싸고 군사 충돌이 빈번히 발생했다. 1980년대에 들어서면서 그러한 충돌이 진정 조짐을 보이기 시작하여, 1990년대가 되면 일거에 국경 문제 해결의 기운이 높아진다. 특히 중국과 소련 동부의 국경 협정을 시작으로 구소련 공간과 중국 국경의 안정화는 극적으로 진전되고, 이것은 중국과 베트남의 육지 등 에도 파급되었다. 중국과 인도 간의 분쟁조차 아직은 해결될 전망이 아님에도 불구하고, 이 전에 비하면 훨씬 접근 가능한 상황으로 바뀌고 있다. 이 현상을 한마디로 정리하면, 다양 한 민족, 문화, 언어, 종교 등이 산재한 까닭에 제2차 세계 대전 이후 새로운 국가 형성 과 정에서 충돌과 분쟁이 끊이지 않았던 유라시아에서, 인간의 생존을 위협하는 각종 활동이 확대 심화된 결과 분쟁 비용이 생존의 이익을 훨씬 상회하였기 때문에, 분쟁 해결과 타협에 의해 문제를 해결하려는 기운이 높아지고, 평화와 안정 하에서 이익의 향유를 지향하게 되 었다는 것이다. 어쨌든, 유라시아 대륙의 경계를 둘러싼 분쟁은 이전에 비해 훨씬 평온하다 는 것에는 의심의 여지가 없다. 한편, 안정된 대륙과는 대조적으로 최근 분쟁이 복잡화, 격화되는 곳이 유라시아를 둘러 싼 해역이다. 남중국해를 둘러싼 중국과 ASEAN 국가 간의 분쟁 ( 南 沙 諸 島 ), 동중국해를 둘 러싼 중국과 일본 혹은 한국과의 분쟁 (센카쿠제도[ 尖 閣 諸 島 ]/댜오위다오[ 釣 魚 島 ], 이어도 [ 離 於 島 ]/쑤옌자오[ 蘇 岩 礁 ]), 동해[ 日 本 海 ]를 둘러싼 한일 분쟁 (독도/다케시마), 오호츠크해 를 둘러싼 러일 분쟁 (북방 영토) 등 일련의 상황이 악화되고 있는데, 경위는 각각 역사적 으로 다름에도 불구하고 이러한 분쟁의 격화는 각각을 개별적 사건으로 파악하기보다 일련 의 공통된 현상이라고 이해하게 한다. 이들의 바다를 지리적으로 생각하면, 베링 해협에서 남중국해까지 유라시아 대륙의 연장선상에서 내해( 内 海 ) 라고 볼 수 있다. 본 연구자는 이 것을 영해 유라시아 라고 정리하는데, 말하자면 유라시아 대륙에서 해역으로 분쟁이 이동 하고 있음을 정치지리학적 분석을 통해 간파할 수 있다는 것이다. 국경 문제를 개별 국가 간의 역사적 분쟁으로써 자신의 올바름 과 상대방의 악함 을 본질적인 것으로 주장하며 무익하고 비생산적인 논쟁을 이어가는 중앙 논단과 그에 준거하는 이들은 아직 이 공통된 현상을 충분히 인식하지 않을 뿐만 아니라, 이 현상이 갖는 의미와 앞으로의 시나리오에 대 해서 생각하려고도 않는다. 2. 해역의 피프티피프티를 찾아서 - 8 -

12 그런데 왜 지금, 유라시아의 바다에 분쟁이 집중되기 시작한 것일까? 첫째, 인류의 해양 생산 활동을 충분하게 지원할 수 있는 기술과 자금이 축적되었기 때문이다. 심해와 대륙붕 등 종래 개발이 어려웠던 지역에 활동이 더욱 활발해지고 있다. 특히, 그 지역에 가스와 유 전 등 에너지가 있을 때, 이를 둘러싼 국가의 이권 다툼은 매우 중요하다. 둘째, 1970년대부터 해양 법 제도가 변화했다. 과거 영해 3해리 이외는 공해, 즉 누구의 것도 아니며 누구나가 사용 가능한 자유로운 바다 라는 단순한 생각이 바다 질서의 기본이 었다. 하지만 영해가 12해리로 확장되고, 심지어 배타적 경제 수역 EEZ라는 새로운 질서의 등장이 바다의 모습을 격변시켰다. 중요한 점은 EEZ가 단지 경제 권익에 머무르지 않고, 군사 활동의 규제 등 (연안국 국경선의 확대라고까지는 할 수 없지만) 연안국의 주권적 권 리의 대부분을 인정해주는 배타적 영역이 확대되고 이것이 국가들 사이에 놓인 바다에 지배 를 정당화한다는 데 있다. 또한, 잊지 말아야 할 것은 EEZ가 한편으로는 200해리이면서, 대륙붕이 이어지면 200해리를 넘어 확대될 수 있는 유연한 사고도 병존하고 있다. 이로 부터 중국은 대륙붕이 이어지는 한 중국의 것이라고 주장하며, 200해리를 취하고 겹치는 부분은 중간에 선을 긋는 현재 해양법의 주된 사고방식에 도전한다(동중국해 일중 가스 문 제 및 "쑤옌자오"에 관한 중국의 주장). 덧붙여서 바다의 대륙붕이 계속되는 한 자국의 영 토이다 라는 중국의 발상은 영유권 자체를 다투는 남사제도( 南 沙 諸 島 )와 댜오위다오[ 釣 魚 島 ] 논쟁의 근간을 이루고 있다. 그러나 이러한 논의를 복잡하게 만드는 이유 중 하나가 유 엔 해양법 협약 (UNCLOS)이 가지는 모순 그 자체에서 유래한다는 것도 잊지 말아야 할 것 이다. 그러나 육지에서 국경 문제의 해결 방법으로 적용되는 피프티피프티 (분쟁 지역을 상호 의 이익을 고려하여 나눠 해결하는)는 해역에서도 그 적용이 가능할지도 모른다. 중국이 베 트남과의 통킹만(Gulf of Tonking) 분쟁에서, 서로의 주장 중간에 선을 긋는 형태로 나눠 가졌던 해결 사례는 잘 알려져 있다. 또한, 러일 간에도 분쟁지로 되어 있는 북방사도( 北 方 四 島 )를 역사 및 법적 논의와 상관없이 해역의 이익과 경계 지역 주민들의 생각을 고려하여 나눠 해결하자는 주장도 힘을 얻고 있다. 중일, 한중, 한일의 바다에서 생기는 어려운 문제 를 해결할 수 없다고 포기 않고 세계의 사례를 연구하면서 건설적인 형태로 타협을 찾으려 하는 자세는 진지한 학자로서 견지되어야 할 것이다. 3. 국경 문제 도전 그러나 국경 문제를 타협으로 해결한다는 피프티피프티 는 자칫 역적( 国 賊 ) 국가의 배신자 라는 비판을 받을 수 있다. 피프티피프티 가 분쟁을 지고 갈 양국의 이익에 이바지 하는 것이 명확하다면 윈윈 의 주장과 함께 그 올바름이 어필될 수 있는 반면, 국내의 낭 만주의 모험주의적 내셔널리즘에 농락된다면, 그것은 루즈루즈 로 간주되어 양국 관계를 더 악화시킬 가능성도 있다. 그래서 중국과 러시아의 지도부는 2004년에 가장 큰 분쟁지였던 헤이샤즈섬을 서로 나누 어 해결했을 때, 직전까지 정보를 완벽하게 통제하였다. 1990년대 후반 피프티피프티 로 중국과의 분쟁 문제 해결을 시도한 키르키즈스탄의 아카예프 대통령은 반대파로부터 격렬하 게 비판받아 결국 실각되었지만, 이를 지켜 본 타지키스탄 협상 당사자는 일절 상세하게 가 - 9 -

13 리지 않고 나눠 해결하여, 이미 국경 획정 의정서가 비준된 지금도 어떤 부분을 중국에 전달했는지, 일절 공개되지 않고 있다. 국경의 현실을 모르는 몽상가들은 언제든지 국경 문 제를 내셔널리즘의 도구로 사용하려고 하기 때문이다. 그러나 민주주의 체제의, 언론이 자유로운 국가에서 중국이나 러시아와 같은 비밀 협상은 어렵다. 여기에서도 학자의 책임은 무겁다. 만약 진지한 국경 연구자라고 한다면, 당신은 우익 의 인신공격을 두려워해서는 안되고, 무책임한 저널리스트의 비난도 감내해야 한다. 그런 각오가 없다면, 국경 연구 등을 하지 않는 것이 나을 것이다. 연구자가 할 수 있는 것 중의 하나는 국경을 둘러싼 담론을 비판하는 것이다. 동아시아에 서 근거가 부족한 역사 본질주의자가 잘 쓰는 표현이 고유의 영토 이다. 결론부터 말하면 고유의 영토 라는 주장은 세계 수준에서는 통용되지 않는다. 원래 고유의 영토 라는 것은 영어를 비롯하여 외국어로 설명하기는 쉽지 않다. 법적인 논의에서 이것과 가까운 고유 권 한 선점 의 주장이 가진 문제점에 대해서는 첫머리에서 설명한 대로이다. 어쨌든, "고유의 영토"라는 주장은 법적으로는 있을 수 없다. 보다 중요한 것은 원래 토지나 바다에 고유 라는 것은 존재하지 않는다는 것이다. 모든 것은 인간의 머리에서 관념으로 투영된 것이다. 예를 들어, 센카쿠 열도를 보자. 이것은 분 명히 일본 고유의 영토 가 아니다. 원래 독자적인 왕조를 갖고 있던 류큐의 존재를 고려하 면, 이것은 고유의 일본이 아니다. 게다가 섬은 오키나와의 고유의 영토 라고도 할 수 없 다. 이시가키 섬( 石 垣 島 )이나 요나구니 섬( 与 那 国 島 )을 포함한 야에야마 제도( 八 重 山 諸 島 ) 또 한 당시는 류큐 왕조의 영역이 아니었기 때문이다. 이것은 도중에 왕조에 정복되어 병합된 것에 불과하다. 그런데 섬은 야에야마의 고유의 영토 조차 될 수 없다. 이시가키섬의 당시 수장이 섬을 영유하지 않았기 때문이다. 물론 중국이나 대만의 고유의 영토 일 리도 만무 하다는 것을 덧붙여 두어야겠다. 단지 저 멀리 바다에 작은 섬이나 바위가 있어서, 사람들 이 그것을 가끔 쳐다보았던 것에 지나지 않는 것이다. 또 하나의 담론은 전쟁과 관련한 것이다. 예를 들어, 북방 영토 문제에서 일본 주장의 핵 심은 소련이 1945년 8월 당시 유효했던 일소 중립 조약을 깨고, 참전하여 일방적인 침략으 로 섬을 빼앗았다는 것, 북쿠릴( 北 千 島 )[슘슈섬( 占 守 島 )] 침공이 (포츠담선언 수락 이후 8월 14일을 거친) 18일이라는 시점인 데다가 일본이 항복 문서에 조인했던 9월 2일 이후에도 남쿠릴( 南 千 島 )(쿠나시리( 国 後 ), 시코탄( 色 丹 ), 하보마이( 歯 舞 ))에서 점령활동을 계속했다는 역 사적 사실이다. 그러나 전쟁을 둘러싼 논쟁을 반복하는 것은 상대에게 끝없는 복수를 낳는다. 섬은 고유 의 영토 이므로 돌려주어야 한다면, 그 속에 북쿠릴과 사할린이 포함되지 않는 이유를 설명 하기는 어렵다. 또 역사적으로 일본이 러시아에 가한 원정침략 행위도 도마에 오를 것이다. 전쟁은 주관적으로 자신들만이 "피해자"이며 모든 것을 "가해자"의 책임으로 전가하는 담론 을 낳기 쉽다. 러시아의 만행 을 북방 영토 반환 요구와 결부 짓는 주장은 여전히 끊이지 않는데, 그런 한( 恨 ) 의 심정으로 상대를 바라보는 한, 미래는 어디에도 없다. 그렇기 때문에 더더욱, 본 연구자는 국경 문제를 논할 때 역사주의에 빠지지 말 것을 당 부하고 싶다. 중국과 러시아 사이에서는 여전히 19세기의 아이훈 조약이 불평등 하게 강요 되었다고 하는 중국의 학자들의 견해를 러시아 측이 받아들이지 않고 격렬한 논쟁을 계속하 고 있다. 이것이 의미하는 것은 국경 문제가 해결된 후에도 역사 논쟁은 끝나지 않는다는 것이다. 반대로 역사적 대화를 거듭해도 국경 문제는 해결되지 않는다. 일본과 중국, 일본과 러시아의 사학자의 대화가 북방 영토 문제와 센카쿠 열도 문제 해결에 이바지한 것은 거의

14 없다. 오히려 양국의 역사 인식의 차이를 부각했을 뿐이다. 국경 문제는 국경 문제로써 역 사와 분리해야만 실리적이고 미래 지향적으로 해결될 수 있다. 이것은 유라시아의 성공적 모범 사례가 주는 교훈이며, 본 연구자가 북방 영토 문제를 피프티피프티 에 의해 해결하 자고 제창할 때 의거하는 정신이다. 왜 유라시아 대륙에서 할 수 있었던 일을 유라시아를 둘러싼 바다의 분쟁에서는 할 수 없다고 말하는 것인가. 미래는 반드시 우리와 함께 한다. 맺음말: 세계의 맥락 현장의 시선 영토에는 고유의 것이 아닌 단지 고향이 있을 뿐. 이것은 다양한 국경 지역의 목소리를 모아내는 나의 결론이다. 그리고 국경 지역에 사는 사람들은 내셔널리즘을 믿지 않는다. (관 리의 시선 저편으로 갈 수 없다.) 카슈미르 사람도 (북방 영토에 자유롭게 갈 수 없는) 네무 로( 根 室 : 홋카이도 북쪽 끝의 도시) 사람도 자유로운 왕래를 요구한다. 그리고 분쟁 지역에 서 저 멀리 평온하게 살면서 생각은 제멋대로로 내셔널 담론을 발하는 먼 국민 에게 질리 는 것이다. 국경 지역의 목소리를 바탕으로 이웃 나라의 이익을 큰 틀 속에서 전망 수 있도록, 당사 자들 사이에서 타협하는 해결책이 최선임은 틀림없다. 단지 그 타협 방법을 모색하기 위해, 제3자의 눈에서 어떻게 보일까 라는 맥락에서 실험적 사고로 사법적 해결을 이룬 경우의 결론을 선취해보면 어떨까? 일찍이 러시아가 북방 영토의 법적 해결을 시뮬레이션 했을 때, 하보마이( 歯 舞 ) 시코탄( 色 丹 )은 8할의 확률로 일본이 이기고 쿠나시리( 国 後 ) 에토로후( 択 捉 ) 는 8할로 러시아의 승리가 예상되었다고 한다. 이것이 함의하는 바는 타협하여 해결하는 선 이 두 섬 반환 플러스 알파 의 타당성을 강화한다는 것이다. 세계의 국경 문제를 분석하는 더럼 대학(Durham Univ.)의 IBRU(International Boundaries Research Unit)의 보고서 중에는 중일, 한일 국경 문제를 법적 해결의 관점에 서 분석한 논문이 있다. 이 논문은 센카쿠는 일본이 유리하다고 한 반면(중국이 분쟁에 관 한 주장을 오랜 기간 하지 않았기 때문에), 다케시마에 대해서는 판정하지 않고 단지 쌍방 간의 양보의 중요성을 시사하는 것에 그치고 있다. (덧붙이면, 북방 영토에 대해서는 하보 마이를 제외하고는 일본에 엄격하다.) 그다지 알려지지 않은 사실이지만, 일본은 강제적 관할을 수락하고 있어, 만약 중국 혹은 한국이 동일하게 수락한다면, 국제 사법 재판소에서 국경 문제를 회부하는 것도 가능하다. 실제로 일본은 한때 국제 사법 재판소에 회부를 제안한 적이 있고 한국이나 러시아가 이를 거부한 경위가 있다. 중국에 관해서 말하면, 영토 문제 없음 이라는 것이 일본의 공식 입 장이지만, 만일 중국이 일반적인 강제 관할권을 수락하고 일 년을 경과하면 (일 년이라는 것은 일본의 수락 유보에 의한다), 사법적 판단은 가능하다. 어쨌든 일본은 어떤 사례에서도 사법적 해결의 길을 개방하고 있다. 그럼 왜 일본 정부는 그것을 적극적으로 대외적으로 어 필하지 않는 것일까. 그것은 협상에서 해결하는 것이 훨씬 이익에 부합하는 이상 협상을 저 해하는 어필을 원치 않기 때문일 것이다. 서구 혹은 세계에서 재판을 통해 국경 문제가 해결된 사례는 많다. 그러나 재판은 승패를 명확히 지어 이후 양국 관계에 여러 화근을 남길 수 있다. 역시 당사자끼리 타협하여 해결 할 수 있다면 그 편이 낫다. 실제로 러시아가 국제 사법 재판소에 회부를 거부한 것은 해결 책을 스스로의 협상에서 완수하겠다는 뜻이었다. 그렇다 해도 분쟁을 객관적으로 본다는 의

15 미에서 법적 해결의 시뮬레이션은 유효할 것이다. 나아가 상호 이익을 충분히 고려하여 윈 윈 의 관계를 목표로, 재판에 의존하지 않고 타협하여 해결하려고 노력해야 한다. 동아시아 의 해역 분쟁 해결의 모델이 만들어진다면, 이는 분명 세계에 이바지하는 것이다

16 울릉도 독도 모자( 母 子 )관계의 섬-그 체험적 증거들 전충진 1) 2008년 9월부터 2009년 8월까지 1년 동안 독도에서 생활한 필자는 그 곳에서의 경험을 바탕으로 독도에 대한 객관화 된 자연, 인문환경적 체험들을 증언하고자 한다. 우선 이해를 돕기 위하여 울릉도와 독도의 거리감에 대해 말하는 것이 순서일 것이다. 예로부터 한반도에서는 독도와 가장 가까운 섬인 울릉도를 어머니의 섬 즉 모도( 母 島 ), 독도를 아들 섬 즉 자도( 子 島 )로 부르는 것을 당연시 해왔다. 독도는 울릉도에서 87.4km 떨어져 있는 반면 일본의 오키섬으로부터는 157.5km 떨어져 있다. 때문에 울릉도에서는 맑 은 날 독도가 보이지만 오키섬에서는 독도가 보이지 않는다. 1454년 조선시대 편찬된 세종실록지리지에 울진현조에는 (울릉도와 독도를 일컫는) 우산 무릉 두 섬은 현의 동쪽 바다에 있고 두 섬은 멀리 떨어져 있지 않아 바람이 불어 청명한 날에는 섬을 볼 수 있다 고 적고 있다. 물론 이 기록에 대해 일본 측 학자 가운데는 그 섬은 현재 죽도나 관음도를 지칭하는 것 이라고 주장하는데, 죽도나 관음도를 두고 날씨에 따라 보인다, 그렇지 않다 고 하는 것은 논란의 가치가 없다. 결론적으로 말하자면 짙은 해무가 끼는 몇 시간은 보이지 않을 수 있 지만 종일 보이지 않는 날은 하루도 없었다. 독도의 경우는 세종실록의 기록과 같이 맑은 날 현재 도동전망대나 천부면 석포리에서 육 안으로 독도를 명확하게 볼 수 있다. 석포리의 경우, 현재 독도교육관 건립이 진행되고 있 는 바닷가 절벽 위에 살고 있는 현지 주민 이덕형씨의 증언에 따르면, 청명한 가을 날 해가 뜰 때 자주 독도를 관찰할 수 있다고 했다. 마찬가지로 독도에서도 날씨가 맑은 날 쉽게 울릉도를 볼 수 있다. 여기서 쉽게 볼 수 있 다는 것은 독도에 비해 울릉도가 큰 섬이므로 마치 커다란 고래처럼 크고 뚜렷한 형체를 볼 수 있다는 의미이다. 필자의 경험에 의하면 2008년 10월 거의 3주일 간 맑은 날씨가 계속 되었는데 매일 같이 뚜렷이 독도에서 울릉도를 볼 수 있었다. 특히 울릉도 너머로 석양이 질 무렵이면 워낙 울릉도가 가까이 보여 24-70mm 니콘카메라 평렌즈로도 충분히 그 모습 을 촬영할 수가 있었다. 나이 든 울릉도 주민들의 따르면 독도에서 울릉도 관측에 관해서 다음과 같은 증언이 채 록되었다. 울릉도 어부들이 과거 목선을 타고 독도로 고기잡이 나서면 짧게는 2, 3일 길게는 1주 일씩 걸리는데 그 중간에 풍랑이라도 치면 가족들이 걱정하게 된다. 그래서 울릉도 사람들 은 독도에 머물며 고기잡이 하는 동안 서도 꼭대기 올라가 봉홧불과 같이 불을 크게 피우면 그 불빛을 보고 무사함을 알고 비로소 안도할 수 있었다 고 전했다. 이에 비해 필자가 독도에 있는 1년 동안 언제나 멀리 동남쪽 수평선을 살펴보아도 오키 섬이나 그 외의 어떤 섬의 흔적도 찾아볼 수 없었다. 이처럼 근접성에 있어 울릉도와 독도 는 모자관계의 섬임을 확인할 수 있었다. 다음으로 울릉도 독도의 모자관계 섬으로 규정짓는 자연환경 가운데는 해류의 흐름이 큰 1) 매일신문 前 독도상주기자. 1991년 매일신문 입사. 편집부, 사회부 주말 팀장 역임. 2008년 9월-2009년 8월 1년간 독도 상주 기자로서 독도에서 생활. 당시 기사를 모아서 여기는 독도 책 출간

17 영향을 미친 것으로 보인다. 이는 캄차카반도에서 북한 동해안을 거쳐 내려오는 동안한류의 해류를 타면, 과거 신라시대부터 무동력선이나 뗏목으로도 울릉도 독도로 쉽게 갈 수 있었 던 해로와 크게 다를 바 없다. 이와 관련하여 2008년 필자가 독도 있을 때 연구에 착수하여 2009년 복귀하는 시점에 연구를 마친 영남대학교 생물학과 박선주 교수는 식물상의 관점에서 울릉도-독도의 동질성 에 대해 고찰한 바 있다. 박 교수는 울릉도와 독도, 그리고 오키섬과 한국 본토 양양과 일 본 본토 시마네현과 오키섬 등 광범위한 지역에 자생하는 국화과 초본류인 해국의 유전자 DNA분석을 통하여 식물상의 근접성을 규명하고자 했다. 그 결과 독도의 해국은 강원도 양 양과 울릉도의 유전자와 일치하는 것으로 확인되었다. 또 하나 자연적 근접성으로 모자관계의 섬임을 보여주는 것은 괭이갈매기를 통해서일 것 이다. 독도는 문화재청이 지정한 천연기념물 336호인데, 이는 당초 괭이갈매기의 산란지 보 호를 위해 지정했다. 독도의 괭이갈매기는 대략 2만 마리 정도가 사는 것으로 학계에서 추 정하고 있다. 독도의 괭이갈매기들의 생태를 보면, 이들은 2월 초순경 독도에 서서히 무리 지어 모습을 드러내기 시작하여 2~3월 동안 체력보완과 선보기를 거쳐 4~5월에 산란, 부 화하여 7월 중순경이면 대부분의 괭이갈매기들이 서식처로 날아간다. 이 때 부화하여 날기 시작하는 유조와 성조 괭이갈매기 80%는 울릉도로 돌아가는 것으로 확인되고 있다.(경북대 박희천 교수 논문) 이는 울릉도, 독도가 생태적으로도 모자관계의 섬임을 알려주는 하나의 사례가 아닐까 한다. 다음은 필자가 사계절 동안 보고 들은 한 일 국경에 가장 근접해 사는 현지 주민, 즉 김 성도 독도이장 내외의 생활을 소개하고자 한다. 현재 독도 주민숙소에 거주하는 김성도(73) 이장은 울릉도에서 태어난 토박이로 군복무 때 월남전에 참전한 기간을 제외한 대부분을 울릉도에서 보냈다. 특히 김 이장은 군 제대 후 울릉도로 돌아와 독도 첫 주민인 최종덕 씨와 같이 뱃일을 하면서 20대부터 독도에서 많은 시간을 보냈다. 김 이장의 부인 김신열(74) 여사는 제주도 해녀로 역시 최종덕 씨가 채용하여 20대부터 독도를 드나들었다. 때문에 해방 이후 독도에서의 어업은 대부분 잠수부용 소형어선(머구리배)를 이용한 해녀 들의 어업이 주를 이루었다. 김신열 씨와 그 선배들의 증언에 따르면, 해방 이후 울릉도 업 자들이 봄철이 되면 제주에서 해녀들을 20~30명가량 초빙하여 선단을 이루어 독도로 건너 가 물골이란 민물이 나는 동굴에 생활하며 어로활동을 벌였다고 한다. 당시에는 주로 전복, 소라, 해삼을 채취하고 미역을 뜯었다고 한다. 전복, 소라나 미역은 운송이나 건조 상 어려움 때문에 반건조 상태로 울릉도로 반출하여 완전 건조했다. 당시 오 징어잡이 외에는 그물이나 낚시를 이용한 어로는 드물었으며 일부 통발을 이용한 문어잡이 가 있었다. 오늘날에도 독도 근해조업은 머구리배를 이용한 잠수어업이 주를 이룬다. 독도 어업권은 1944년 조선수산업회 로 시작되어, 1962년 개정된 수산업협동조합법 따라 울릉도 어촌계 에서 관할하고 있었는데 1960년대는 최종덕 씨가 어업권을 연간 150만원을 주고 임차하여 어업활동을 했으나 1984년 최 씨 사후 울릉도 도동어촌계로 회수되어 오늘날에 이르고 있 다. 도동어촌계의 머구리배는 주로 봄에서 가을까지 기상이 좋은 날 아침 일찍 울릉도를 출 발하여 오전 10시경부터 작업을 시작, 오후 3시까지 5시간 정도 전복, 소라 채취와 문어잡 이를 한다. 김성도 내외의 경우는 봄철에는 미역을 뜯어 말린다. 미역은 건조시설이 없고 건조시간이

18 오래 걸리기 때문에 생산량이 많지 않다. 김 이장이 봄부터 가을까지 주로 하는 일은 홍합 채취이다. 독도 근해 가제바위부근에는 양식 홍합의 두 배가 넘을 굵기의 자연산 홍합이 많 이 서식하고 있는데 잠수작업으로만 채취할 수 있다. 김 이장 내외는 오전에 홍합을 채취하 여 부피가 크고 쉽게 상하기 때문에 알맹이만 까서 냉동 포장하여 울릉도로 보낸다. 여름이 되면 독도 근해에는 회유성 어종인 방어류의 물고기가 많이 몰려들기 시작하는데, 김 이장은 모터보트를 타고 줄낚시를 이용하여 방어낚시를 한다. 그러나 방어는 가공처리가 불가능하기 때문에 취미생활 정도에 그친다. 그 외 개볼락 등 잡어낚시를 하는 경우도 있지 만 역시 취미 수준을 넘지 않는다. 가을에는 낚시나 통발로 문어를 잡는데 이들은 잡는 대로 울릉도로 내보내거나, 악천후로 배편이 끊길 경우에는 삶아서 냉동한 후 울릉도로 내보낸다. 김 이장의 증언에 따르면 5년 전에만 하더라도 하루 15kg 정도 잡았으나 최근에는 어획량이 3분지 1에도 미치지 않는다 고 했다. 그것은 독도 근해 대형 어선들이 설치한 각종 그물들이 많기 때문에 문어들이 섬 근처로 접근하지 못하기 때문인 것으로 추정하고 있다. 겨울로 접어들면 문어나 한치가 많이 잡히지만 거센 파도로 바다에 나갈 수 있는 날이 거 의 없기 때문에 어업활동은 상상할 수 없다. 이렇듯 울릉도에서의 어업생활은 울릉도의 그것과 상이하지 않으며, 모든 어구와 연료 장 비 등은 울릉도로부터 조달하고, 모든 어획물은 울릉도로 내보낸다. 울릉도에서의 생활 동안 접경지역으로서 일본과의 관계에 대해 이야기하고자 한다. 우선 필자가 1년간 독도에 있으면서 일본의 비행기나 배를 본 적은 한 번도 없다. 다만 2009년 1월 해양경찰 1800톤급 경비함을 승선한 적이 있는데, 그 때 조타실에서 블라디보 스토크로부터 시모노세키로 공해상을 항해하는 일본 선적 화물선이 레이더에 잡혀 호출, 검 문하는 것을 본 적이 있다. 당시 해경함대에 따르면 일본의 순시선이 5일에 한 번꼴로 독도 12해리 밖 공해상에 나 타나는데 해경함대가 출동하면 12해리 밖을 동심원 상으로 한 바퀴 돌아 일본 쪽으로 사라 진다고 했다. 필자가 독도 있는 동안 일본 사람을 본 것은 울릉군에서 개최한 울릉도-독도 철인3종 경 기 에 큐슈 출신의 30대 부부가 참가하여 독도에 와서 만난 것이 유일하다. 김성도 이장 내외한테 일본 사람을 만난 적이 있는지 물은 적이 있는데, 김신일 여사가 1960대 한 번 만난 적이 있다고 했다. 당시 봄철에 해녀들과 함께 독도로 와서 전복, 소라 를 따고 있는데 일본 모터보트가 한 척 독도로 왔다고 했다. 보트에는 일본인 어부가 있었 는데, 당시 최종덕 씨가 무슨 일로 왔느냐고 물으니까 근해에서 조업하고 있는 중에 스크루 에 밧줄이 걸려 돌아가지 못하고 있다며 도와달라는 것이었다. 최종덕 씨는 왜 남의 나라 근해 와서 고기잡이 하느냐고 호통을 쳐서 돌려보냈다고 한다. 이틀 후 파도가 거세지가 시 작하고 최종덕 씨가 울릉도로 나가고 없는 날, 다시 일본인 두 사람이 와서 꿇어앉아 빌면 서 제발 살려달라 고 애원했다는 것. 스크루에 밧줄이 걸리면 유일한 해결책은 잠수부가 물 속에 들어가 엉킨 밧줄을 잘라내는 것이 유일한 해결책인데, 배가 움직일 수 없는 상황에서 거센 파도가 몰아치면 선원 모두 생명이 위태로운 급박한 상황이었다. 이에 김신일 여사는 아무리 월경을 하여 조업을 했다하더라도 사람 목숨은 살리고 봐야하지 않겠느냐고 싶어 동 료 둘과 일본 어선으로 가서 스크루에 걸린 로프를 제거해준 적이 있다고 전했다. 그 이후 독도에서 일본 어선을 만난 적은 없다고 전했다. 그 외 독도에서 일본과 관련된 흔적을 만난 것은 비둘기 한 쌍이 독도 주민숙소에 와서

19 맴돌았는데 나중에 비둘기 집을 만들어주니까 그곳에서 생활했다. 그 때 비둘기 다리에 붙 은 조류조사 인식표를 보니까 일본의 대학에서 붙여 날려 보낸 것이었다. 물론 새들 가운데 는 러시아의 인식표를 단 새들이 훨씬 많았다. 이와 관련하여 바다쓰레기에서 해류의 흐름에 관한 심증을 굳힐 수 있었다. 2009년 7월 말 하루 독도 해변에 비치볼이 한 떠내려 왔는데, 비치볼은 바람이 팽팽하게 들어 하이트 맥주 란 글씨가 선명했다. 추측하건대 육지의 해수욕장에서 떠내려 온 것임을 쉽게 집작할 수 있었다. 이처럼 독도에는 많은 바다 쓰레기들이 떠내려 오는데, 특히 큰 풍랑이 지나가 고 나면 거대한 쓰레기들이 해변으로 밀려온다. 쓰레기들은 나무토막, 어구, 생활쓰레기, 플 래스틱병 등인데 이들 대부분이 우리나라 것들임을 확인할 수 있었다. 큰 파도가 지나간 후 한번은 해변의 쓰레기 가운데 일본술을 담았던 나무상자와 플라스틱 음료수병을 본 적이 있 는데 특별한 기억으로 남아있다. 현재 독도에서 생활하는 주민 김성도 이장 내외, 독도경비대원 43명, 등대원 3명, 독도관 리사무소원 2명 등 총 50명은 울릉도를 어머니의 섬으로 의식주를 의존하고 있는 만큼, 모 든 면에서 울릉도와 생활상의 상이점을 찾기는 쉽지 않다. 다만 1년간의 경험으로 국경지대 란 의미는 오히려 그곳에 있는 사람들의 마음속에 그어진 막연한 경계선일 뿐이란 것을 확 인할 수 있었다. 독도생활 1년을 마친 2009년 9월 3일, 독도를 떠나는 날, 비록 헬기를 타고 나왔지만 필 자는 어머니의 섬, 울릉도를 거치고서야 비로소 육지로 나올 수 있었다

20 鬱 陵 島 独 島, 母 子 関 係 の 島 その 体 験 的 証 拠 2008 年 9 月 から2009 年 8 月 まで1 年 間, 独 島 で 生 活 をした 筆 者 は,そこでの 経 験 を 元 に 独 島 に 対 する 自 然, 人 文 環 境 的 な 経 験 を 証 言 したいと 思 う 個 別 の 体 験 は 互 いに 関 連 性 を 持 たないことを 明 らかにしておく まず, 理 解 を 助 けるために 鬱 陵 島 と 独 島 の 距 離 感 について 話 そう 昔 から 韓 半 島 では 独 島 に 最 も 近 い 島 である 鬱 陵 島 を 母 の 島,つまり 母 島, 独 島 を 息 子 の 島, つまり 子 島 と 呼 ぶことを 当 然 のものと 考 えてきた 独 島 は 鬱 陵 島 から87.4km 離 れている 反 面, 日 本 の 隠 岐 からは157.5km 離 れている そのため, 鬱 陵 島 からは 晴 れた 日 に 独 島 が 見 えるが, 隠 岐 からは 独 島 は 見 えない 1454 年, 朝 鮮 時 代 に 編 纂 された 世 宗 実 録 地 理 誌 の 蔚 珍 縣 條 には( 鬱 陵 島 と 独 島 を 指 す) 于 山 武 陵 の 二 つの 島 は 縣 の 東 側 にあり, 二 つの 島 は 遠 く 離 れては おらず, 風 が 吹 き 清 明 な 日 には 島 を 見 ることができる と 書 かれている もちろんこの 記 録 に 対 し, 日 本 側 の 学 者 の 中 には,その 島 は 現 在 の 竹 嶼 島 や 観 音 島 を 指 すと 主 張 する 者 がいるが,それは 議 論 する 価 値 がない 断 定 的 に 言 え ば, 鬱 陵 島 で 気 象 観 測 を 始 めて 以 来, 濃 い 海 霧 がかかる 数 時 間 は 見 えないこと もあるが, 一 日 中 見 えないという 日 は 一 日 もなかった 独 島 の 場 合, 世 宗 実 録 の 記 録 のように, 晴 れた 日, 道 洞 展 望 台 や 北 面 石 圃 里 か ら 肉 眼 で 独 島 をはっきりと 見 ることができる 石 浦 里 の 場 合, 現 在, 独 島 教 育 館 の 建 設 が 進 んでいる 海 辺 の 絶 壁 の 上 に 住 む 現 地 住 民,イ ドクヒョン 氏 の 証 言 によれば, 天 気 のよい 秋 の 日 には 日 の 出 の 時 によく 独 島 が 見 えるという 同 様 に 独 島 でも 天 気 がよい 日 は 簡 単 に 鬱 陵 島 を 見 ることができる ここで 簡 単 に 見 ることができる ということは, 独 島 に 比 べて 鬱 陵 島 が 大 きな 島 である ため,あたかも 大 きな 鯨 のように 大 きくはっきりとした 姿 を 見 ることができる という 意 味 である 筆 者 の 経 験 によれば,2008 年 10 月,3 週 間 近 く 晴 れた 日 が 続 いたのだが, 毎 日 のように 独 島 から 鬱 陵 島 を 見 ることができた 特 に 鬱 陵 島 の 向 こうから 夕 日 が 沈 む 頃 には 鬱 陵 島 がとても 近 く 見 え,24-70mmのニコンの 非 球 面 レンズでも 十 分 にその 姿 を 撮 影 できた 独 島 での 鬱 陵 島 の 観 測 に 関 しては, 年 を 取 った 鬱 陵 島 住 民 の 次 のような 証 言 が 得 られた 鬱 陵 島 の 漁 民 がかつて 木 の 船 に 乗 って 独 島 に 漁 に 出 ると, 短 くても2,3 日, 長 ければ1 週 間 がかかるのだが,その 途 中 で 風 浪 が 立 つと 家 族 はとても 心 配 した

21 そのため, 鬱 陵 島 の 人 々は 独 島 に 留 まって 漁 をする 間, 西 島 の 頂 上 に 上 がって 烽 火 のように 火 を 大 きく 焚 き, 家 族 はその 光 を 見 て 無 事 だということを 見 て 心 配 しなかった と 語 った これとは 異 なり, 筆 者 が 独 島 にいた1 年 の 間,はるか 東 南 の 水 平 線 を 眺 めてみて も 隠 岐 やその 他 のいかなる 島 の 痕 跡 を 探 せたことはなかった なによりもこの ような 距 離 上 の 近 接 性 において, 鬱 陵 島 と 独 島 は 母 子 関 係 の 島 だということを 確 認 できた 次 に, 鬱 陵 島 独 島 を 母 子 関 係 の 島 であると 規 定 した 自 然 環 境 として, 植 物 上 の 近 接 性 が 挙 げられる 嶺 南 大 学 生 物 学 科 のパク ソンジュ 教 授 の 論 文 を 引 用 し, 植 物 上 の 観 点 から 考 察 したことがある パク 教 授 は 鬱 陵 島 と 独 島 と 隠 岐, 韓 国 本 土 の 襄 陽 と 日 本 本 土 の 島 根 県 など, 広 い 範 囲 の 地 域 に 自 生 する 菊 や 草 本 類 であるダルマギクの 遺 伝 子 のDNA 分 析 を 通 じて 植 物 上 の 近 接 性 を 究 明 しよう とした パク 教 授 は2008 年, 筆 者 が 独 島 にいた 時 に 研 究 に 着 手 し,2009 年 に 復 帰 した 時 には 研 究 を 終 えたのだが,その 結 果, 独 島 のダルマギクは 江 原 道 襄 陽 や 鬱 陵 島 の 遺 伝 子 と 一 致 することを 確 認 した もちろん, 独 島 のダルマギクが 江 原 道 などの 東 海 岸 から 伝 来 した 可 能 性 を 排 除 することはできないが, 最 小 限, 鬱 陵 島 のものと 遺 伝 しが 一 致 したという 点 で, 植 物 上 の 近 接 性 を 推 論 できる また 他 の 自 然 的 近 接 性 として 母 子 関 係 の 島 を 見 せてくれるものはウミネコを 通 じてである 独 島 は 文 化 財 庁 が 指 定 した 天 然 記 念 物 336 号 だが,これは 当 初,ウ ミネコの 産 卵 地 を 保 護 するための 指 定 であった 独 島 にはウミネコが 約 2 万 羽 棲 息 しているものと 学 者 らは 推 定 している 独 島 のウミネコの 生 態 を 見 ると,2 月 中 旬 頃 に 独 島 に 少 しずつ 群 れを 作 って 姿 を 見 せ 始 め,2 月 から3 月 の 間 の 体 力 補 充 と 交 尾 を 行 い,4 月 から5 月 に 産 卵, 孵 化 し,7 月 中 旬 頃 になると 大 部 分 のウミ ネコは 棲 息 地 に 飛 んでゆく この 時, 孵 化 して 飛 び 始 めた 幼 鳥 と 成 鳥 の80%は 鬱 陵 島 に 帰 ることが 確 認 されている( 慶 北 大 学 パク ヒチョン 教 授 ) これ は 鬱 陵 島 と 独 島 が 生 態 的 にも 母 子 関 係 の 島 であることを 教 えてくれるひとつの 事 例 ではないかと 思 われる 次 は 筆 者 が1 年 間 見 たり 聞 いたりした 韓 日 国 境 の 最 も 近 くに 住 む 現 地 住 民,すな わちキム ソンド 独 島 里 長 夫 妻 の 生 活 像 を 紹 介 したいと 思 う

22 現 在, 独 島 住 民 宿 所 に 居 住 するキム ソンド 里 長 (73 歳 )は 鬱 陵 島 で 生 まれた 地 元 住 民 として 軍 服 務 時 にベトナム 戦 争 に 参 戦 した 期 間 を 除 けば, 大 部 分 を 鬱 陵 島 で 過 ごした 特 にキム 里 長 は 除 隊 後, 鬱 陵 島 に 戻 って 独 島 最 初 の 住 民 であ るチェ チョンドク 氏 と 共 に 船 の 仕 事 をしながら20 代 から 独 島 で 日 々を 過 ごし た キム 里 長 の 婦 人 であるキム シニョル 女 史 (74 歳 )は 済 州 島 の 海 女 として やはりチェ チョンドク 氏 が 採 用 し 始 めて20 代 から 独 島 に 出 入 りした 解 放 以 降, 独 島 での 漁 業 は 大 部 分 潜 水 夫 用 の 小 型 漁 船 を 利 用 して 海 女 によって 行 われた キム シニョル 氏 とその 先 輩 たちの 証 言 によれば, 解 放 以 降, 鬱 陵 島 の 業 者 らが 春 になると 済 州 島 から 海 女 を20~30 人 ほど 招 聘 して 船 団 を 成 し, 独 島 に 渡 ってアワビ,サザエ,ナマコを 獲 ったりワカメを 採 った アワビ,サ ザエやワカメは 運 送 や 乾 燥 が 難 しいため, 半 分 乾 燥 した 状 態 で 鬱 陵 島 に 運 び 出 し, 完 全 に 乾 燥 させた 当 時,イカ 漁 以 外 には 網 や 釣 り 竿 を 利 用 した 漁 労 は 珍 しく, 一 部 仕 掛 けを 使 ったタコ 漁 があった 今 日 でも 独 島 沿 岸 漁 業 は 小 型 漁 船 を 利 用 した 潜 水 漁 業 が 主 である 独 島 漁 業 権 は1944 年 朝 鮮 水 産 業 会 として 始 まり,1962 年 に 改 訂 された 水 産 業 協 同 組 合 法 に 従 って 鬱 陵 島 の 漁 村 契 で 管 轄 した 1960 年 代 はチェ チョンドク 氏 が 漁 業 権 を 年 間 150 万 ウォンを 支 払 って 借 り 受 け 漁 業 活 動 を 行 ったが,1984 年 にチェ 氏 が 亡 くなった 後 は 鬱 陵 島 道 洞 漁 村 契 によって 回 収 され, 今 日 に 至 っている 道 洞 漁 村 契 の 小 型 漁 船 は 主 に 春 から 秋 までの 天 候 のよい 日, 朝 早 くに 鬱 陵 島 を 出 発 し, 午 前 10 時 頃 から 作 業 を 始 め, 午 後 3 時 まで5 時 間 ほどアワビ,サザエ,ナ マコを 獲 ったりタコ 漁 を 行 っている キム サンド 夫 妻 の 場 合 は 春 にはワカメを 採 って 乾 燥 させる ワカメは 乾 燥 施 設 がなく, 長 い 乾 燥 時 間 がかかるため 生 産 量 は 多 くない キム 里 長 が 春 から 秋 まで 主 にする 仕 事 はイガイの 採 取 である 独 島 近 海 のカジェ(アシカの 意 ) 岩 付 近 では 養 殖 イガイの2 倍 を 超 える 大 きさの 天 然 イガイが 多 く 棲 息 しており, 潜 水 作 業 のみで 採 取 できる キム 里 長 夫 妻 は 主 に 午 前 にイガイを 採 取 するのだが, かさばってすぐに 傷 むため, 中 身 だけを 剥 いて 冷 凍 包 装 し, 鬱 陵 島 に 送 る 夏 になると 独 島 近 海 では 回 遊 性 の 魚 であるブリの 仲 間 が 多 く 集 まり 始 める キ ム 里 長 は 時 折 モーターボートに 乗 って 一 本 釣 りを 利 用 し,ブリ 釣 りをするのだ が, 釣 ったブリは 加 工 処 理 ができないため,その 場 で 刺 身 を 作 って 食 べるくら いの 趣 味 に 留 まる その 他,ムラソイなど 雑 魚 釣 りをすることもあるが,やは り 趣 味 の 範 囲 の 域 を 出 ない

23 秋 には 釣 りや 仕 掛 けを 使 ったタコ 漁 を 行 う タコは 捕 らえた 当 日, 生 きたまま 鬱 陵 島 に 送 ったり, 悪 天 候 で 船 の 便 が 途 切 れた 場 合 は 茹 でて 冷 凍 した 後 で 鬱 陵 島 に 送 る キム 里 長 によれば,わずか5 年 前 には 一 日 15kgほど 捕 らえたが, 最 近 は 漁 獲 量 がその3 分 の1にも 満 たないとのことだった それは 独 島 近 海 の 大 型 漁 船 が 設 置 した 各 種 の 網 と, 波 にさらわれて 捨 てられた 網 が 多 く,タコが 島 の 近 くに 接 近 できないためだと 推 定 している 冬 に 入 るとタコやヤリイカが 多 く 捕 まるが, 激 しい 波 で 海 に 出 られる 日 がほとんどないため, 漁 業 生 活 は 想 像 でき ない このように 独 島 での 漁 業 生 活 は 鬱 陵 島 でのそれと 変 わらず,すべての 漁 具 や 燃 料, 装 備 などは 鬱 陵 島 から 調 達 し,すべての 漁 獲 物 は 鬱 陵 島 に 送 る 独 島 での 生 活 の 間, 国 境 に 接 した 地 域 としての 日 本 との 関 係 について 話 したい と 思 う まず, 筆 者 が1 年 間 独 島 にいる 間, 日 本 の 飛 行 機 や 船 を 見 たことは 一 度 もない しかし,2009 年 1 月 に 海 洋 警 察 の1,800トン 級 の 警 備 艦 に 乗 船 したこと があるのだが,この 時,ウラジオストクから 下 関 に 向 かって 公 海 上 を 公 開 して いた 日 本 船 籍 の 貨 物 船 が 操 舵 室 のレーダーに 捉 えられ, 呼 び 出 して 検 問 してい る 様 子 を 見 たことがある 当 時 の 海 洋 警 察 によれば, 日 本 の 巡 視 船 が5 日 に 一 度 の 割 合 で 独 島 から12 海 里 の 外 の 公 海 上 に 現 れるが, 海 洋 警 察 が 出 動 すると12 海 里 の 外 を 同 心 円 状 に 一 周 回 って 日 本 側 に 消 えるとのことだった 筆 者 が 独 島 にいる 間, 日 本 人 を 見 たのは 鬱 陵 島 で 開 催 された 鬱 陵 島 - 独 島 トラ イアスロン 競 技 に 九 州 出 身 の30 代 の 夫 婦 が 参 加 し, 独 島 にやって 来 て 会 った のが 唯 一 である キム サンド 里 長 夫 婦 に 日 本 人 に 会 ったことがあるかどうか 尋 ねると,キム シニョル 女 史 が1960 年 代 に 一 度 会 ったことがあると 答 えた 当 時, 春 に 海 女 と 一 緒 に 独 島 に 来 て 生 活 してしていたところ, 日 本 のモーターボートが 一 隻 独 島 にやって 来 た ボートには 日 本 人 の 漁 夫 が 乗 っていたのだが, 当 時 チェ チョ ンドク 氏 が 何 のために 来 たのかと 尋 ねたところ, 近 海 で 操 業 している 途 中,ス クリューにローブが 絡 んで 帰 れずにいるので 助 けて 欲 しいとのことだった チ ョ チョンドク 氏 は,なぜ 余 所 の 国 の 近 海 に 来 て 魚 を 獲 っているのだと 怒 鳴 り つけて 送 り 返 した 2 日 後, 波 が 荒 くなってチェ チョンドク 氏 が 鬱 陵 島 に 出 て 行 けない 日,また 日 本 人 2 人 が 来 て 跪 いて どうか 助 けてくれ と 哀 願 したとの ことだ スクリューにロープが 絡 むと, 唯 一 の 解 決 策 は 潜 水 夫 が 水 中 に 潜 って 絡 んだロープを 切 ることなのだが, 船 が 動 けない 状 況 で 荒 波 が 押 し 寄 せれば 船 員 全 員 の 生 命 が 危 うい 緊 迫 した 状 況 だった これにキム シニョル 女 史 は, 越

24 境 をして 操 業 をしたとはいえ, 人 命 を 救 わなければならないのではないかと 思 い, 同 僚 2 人 と 日 本 の 漁 船 に 行 ってスクリューに 絡 んだロープを 取 り 除 いてあげ たことがあった それ 以 降, 独 島 で 日 本 の 漁 船 に 会 ったことはないとのことだ った その 他, 筆 者 が 独 島 で 日 本 と 関 連 した 痕 跡 を 見 たのは,ハトのつがいが 独 島 住 民 宿 所 に 来 てその 場 でぐるぐる 回 っていたのだが, 後 にハト 小 屋 を 作 って 餌 を やったところそこに 住 み 着 いた その 時,ハトの 足 に 付 いていた 鳥 類 調 査 認 識 票 を 見 たところ, 日 本 の 大 学 で 付 けて 放 ったものだった もちろん 渡 り 鳥 の 中 にはロシアの 認 識 票 を 付 けたものも 多 く 目 に 付 いた 独 島 で 日 本 と 関 連 した 筆 者 の 経 験 では, 学 術 的 価 値 を 論 じることができないか も 知 れないが, 海 の 浮 遊 物 において 確 認 できた 独 島 には 多 くの 浮 遊 物 が 流 れ 着 くのだが, 時 に 大 きな 風 浪 が 過 ぎると 巨 大 なゴミが 海 辺 に 流 れ 着 く ゴムは 木 のかけら, 漁 具, 生 活 ゴミ,プラスチックボトルなどなのだが,これらの 大 部 分 はわが 国 のものであることを 確 認 できた 2007 年 7 月 末, 独 島 の 海 辺 にビー チボールがひとつ 流 れ 着 いたのだが, 新 しいビーチボールには 空 気 が 一 杯 に 入 っており, ハイトビール という 文 字 がはっきりと 見 えた 推 測 だが,わが 国 の 東 海 岸 の 海 水 浴 場 から 流 されてきたものだと 十 分 に 見 当 がついた 大 きな 波 が 過 ぎた 後,ある 時 は 海 辺 のゴミの 中 に 日 本 酒 を 入 れていた 木 箱 やプラスチ ックのジュースボトルを 見 たこともあるが,それらは 特 別 な 記 憶 として 残 って いる 今 まで 鬱 陵 島 と 独 島 の 近 接 性 を 中 心 にした 自 然 環 境 と, 国 境 地 帯 としての 独 島 住 民 の 生 活 を 中 心 にした 人 文 環 境 など,いくつかの 事 例 と 通 じて 独 島 の 位 置 を 見 てきた 結 論 として, 少 なくとも 筆 者 の 経 験 からは, 鬱 陵 島 と 隠 岐 を 等 しい 距 離 において 比 較 する 根 拠 はそれほど 多 くないことを 明 らかにしたい 現 在, 独 島 には 住 民 としてキム サンド 里 長 夫 妻, 独 島 警 備 隊 員 43 名, 灯 台 守 3 名, 独 島 管 理 事 務 所 員 2 名 など, 合 計 50 名 ほどが 生 活 している この 人 たちは 韓 国 の 最 東 端, 日 本 と 国 境 を 接 する 地 帯 に 住 んでいる しかし,この 人 たちの 中 に 国 境 地 帯 として 韓 日 相 互 の 影 響 力 を 確 認 できる 可 能 性 は 全 くない 衣 食 住 すべての 基 盤 を 鬱 陵 島 に 置 いているように,すべての 面 において 鬱 陵 島 と 生 活 上 の 違 いを 見 出 すのは 容 易 ではない ただ,1 年 間 の 経 験 で, 国 境 地 帯 という 言 葉 の 意 味 は,そこに 住 む 人 々の 心 の 中 に 漠 然 と 引 かれた 境 界 線 に 過 ぎないこ とを 確 認 できた

25 全 忠 瑨 (チョン チュンジン, 毎 日 新 聞 元 独 島 常 駐 記 者, ここは 独 島 著 者 ) 略 歴 1991 年 毎 日 新 聞 社 入 社 編 集 部, 社 会 部, 週 末 チーム 長 を 歴 任 2008 年 9 月 よ り 2009 年 8 月 まで 1 年 間 独 島 常 駐 記 者 として 独 島 で 生 活 当 時 の 記 事 を 集 めて ここは 独 島 を 出 版

26 台 湾 の 立 場 から 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 の 問 題 を 見 る The Diaoyutai /Senkaku Islands Dispute: From Taiwan Stance 台 湾 日 本 綜 合 研 究 所 所 長 許 介 鱗 (Hsu Chieh-lin) 1 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 は 不 定 時 爆 弾 か?--1 2 侵 略 戦 争 と 東 アジアの 国 境 問 題 4 3 戦 後 米 軍 の 沖 縄 占 領 と 釣 魚 台 問 題 中 国 籍 留 学 生 による 保 釣 運 動 台 湾 の 立 場 について 11 1 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 は 不 定 時 爆 弾 か? 釣 魚 台 と 台 湾 の 聯 合 号 海 釣 船 事 件 2008 年 6 月 10 日 早 朝 台 湾 台 北 県 を 母 港 とする 海 釣 船 聯 合 号 には16 人 が 乗 船 していて 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 海 域 付 近 で 海 釣 活 動 をしようとしていた だ が 釣 魚 台 東 南 8 海 里 区 域 に 近 づいた 時 海 上 警 備 中 の 日 本 海 上 保 安 庁 巡 視 艦 こ しき は 領 海 侵 犯 容 疑 としてただちに 追 跡 を 始 め 続 いて 台 湾 の 聯 合 号 を 追 突 して 沈 没 させた 船 上 の16 人 船 長 1 人 船 員 2 人 魚 釣 客 13 人 全 員 が 海 に 落 ちて1 時 間 の 漂 流 の 後 巡 視 艦 こしき に 救 助 された 聯 合 号 の 16 人 は 石 垣 市 に 連 行 されて 審 問 を 受 け 船 長 何 鴻 義 は 拘 留 された 聯 合 号 は 自 動 操 船 であり 携 帯 電 話 で 撮 影 した 画 面 は6 月 12 日 台 湾 の 報 道 機 関 に 公 開 され た 追 突 の 際 に 聯 合 号 の 乗 員 のうち2 人 が 負 傷 していた 台 湾 当 局 の 対 応 は 総 統 府 が6 月 12 日 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 は 中 国 固 有 の 領 土 であ り 日 本 の 艦 船 が 台 湾 の 領 海 内 で 台 湾 の 船 を 沈 没 させた 上 に 船 長 を 不 法 に 拘 留 しているとして 船 長 の 早 期 釈 放 と 沈 没 被 害 に 対 する 賠 償 請 求 を 行 うことの 声 明 を 出 した 6 月 14 日 になって, 乗 船 していた16 名 の 中 の 魚 釣 客 13 名 は 釈 放 され, 台 灣 の 海 巡 署 のパトロール 船 台 中 艦 が 基 隆 東 北 140 海 里 まで 迎 に 行 って 台 湾 へ 帰 還 したが 船 長 ら3 人 は 日 本 当 局 の 取 調 べの 後 船 員 2 名 は6 月 12 日 那 覇 空 港 か ら 中 華 航 空 で 帰 台,6 月 13 日 夜 には 船 長 も 釋 放 されて 帰 台 した 日 本 では これまで 台 湾 は 親 日 であるとの 認 識 で 台 湾 の 釣 魚 台 領 有 の 主 張 を 無 視 していたので この 事 件 は 双 方 の 不 注 意 による 海 難 事 故 と 見 做 して 台 湾 当 局 が 公 式 に 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 の 領 有 権 を 主 張 していることに 気 がついた 台 湾 の 民 間 では 日 本 の 事 実 上 の 在 台 大 使 館 である 財 団 法 人 交 流 協 会 に 対 し て 沈 没 事 故 を 抗 議 するデモが 行 われ 北 京 政 府 も 抗 議 声 明 を 出 して 北 京 と 台 北 の 見 解 が 一 致 してしまった 台 灣 民 間 の 保 釣 人 士 12 人 は 主 權 を 宣 示 するため 6 月 15 日 全 家 福 六 號 という 私 人 船 隻 に 搭 乘 して 早 朝 3 時 30 分 ごろ 釣 魚 台 24 海 哩 近 くに 到 達 した

27 また 台 湾 当 局 は 意 外 に 事 故 原 因 を 調 査 する などとして 行 政 院 海 岸 巡 防 署 所 属 の 和 星 艦 連 江 艦 を 含 む6 隻 の 艦 船 を 派 遣 して 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 海 域 に 入 り 距 離 をおいて 護 衛 した 日 本 側 も5 隻 の 艦 艇 派 遣 して 水 柱 を 発 射 して 全 家 福 六 號 を 阻 止 した 全 家 福 六 號 が 釣 魚 台 0.4マイルにまで 近 づく と, 日 本 の 艦 艇 は9 隻 に 增 加 して 水 柱 の 射 撃 や 大 波 を 作 って 釣 魚 台 に 接 近 する のを 阻 害 した それでも 全 家 福 六 號 は 最 後 には 首 尾 よく 釣 魚 台 を 一 周 回 っ て 帰 った 台 湾 の 外 交 部 は 駐 日 代 表 許 世 楷 を 召 還 させる 強 硬 措 置 をとった 行 政 院 長 劉 兆 玄 も 立 法 院 の 答 弁 で 立 法 委 員 の 追 及 に 応 える 形 で 最 終 手 段 としての 軍 艦 の 派 遣 も 排 除 できない との 見 解 を 示 し 軍 事 的 手 段 の 行 使 も 有 り 得 ること を 示 した これまで 台 湾 を 弱 腰 と 見 くびっていた 日 本 は 今 次 の 追 突 事 件 で 同 じ 強 硬 手 段 を 取 ると 親 日 の 台 湾 を 中 国 側 に 追 い 込 むことを 憂 慮 して やっとこの 事 態 に 対 して 事 故 は 偶 発 的 なもの であり 海 上 保 安 庁 側 にも 事 故 過 失 を 認 めた 上 6 月 20 日 に 事 故 被 害 に 対 する 賠 償 を 行 うことを 約 束 して 事 態 を 収 拾 した そして 損 害 賠 償 として 3000 万 円 相 当 を 支 払 うことで 和 解 が 成 立 した これは 台 湾 漁 船 が 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 問 題 で 初 めて 日 本 の 海 上 保 安 庁 の 巡 視 艦 の 暴 行 に 抗 議 して 勝 ち 取 った 事 件 であった 釣 魚 台 と 中 国 漁 船 追 突 事 件 2010 年 9 月 7 日 午 前 中 国 の15 人 乗 員 のトロール 漁 船 1 隻 が 釣 魚 島 付 近 で 操 業 中 日 本 海 上 保 安 庁 の 巡 視 船 艦 1 隻 が 現 場 にやって 来 て 漁 船 に 衝 突 した 日 本 側 はその 後 さらに 巡 視 船 艦 2 隻 を 派 遣 し 漁 船 を 追 跡 した 午 後 1 時 頃 巡 視 船 艦 の 海 上 保 安 官 22 人 が 航 行 中 の 漁 船 に 乗 り 込 み 停 船 を 命 じた 上 日 本 の 漁 業 法 に 違 反 しているといって 漁 船 の 検 査 を 行 った 海 上 保 安 庁 は 同 漁 船 の 船 長 を 公 務 執 行 妨 害 で 逮 捕 石 垣 島 へ 連 行 し 船 長 を 除 く 船 員 も 同 漁 船 にて 石 垣 港 へ 回 航 し 連 行 されて 審 問 を 受 けた そして9 月 9 日 に 船 長 は 那 覇 地 方 検 察 庁 石 垣 支 部 に 送 検 された 中 国 政 府 は 尖 閣 諸 島 は 中 国 固 有 の 領 土 という 主 張 を 根 拠 に 北 京 駐 在 の 丹 羽 宇 一 郎 大 使 を 呼 び 出 し 日 本 側 の 措 置 に 強 烈 に 抗 議 し 船 長 船 員 の 即 時 釈 放 を 要 求 した 日 本 政 府 は 仕 方 なしに 9 月 13 日 船 長 以 外 の 船 員 を 中 国 に 帰 国 させ 中 国 漁 船 も 中 国 側 に 返 還 したが 船 長 は 勾 留 延 長 にした 中 国 側 はこ れに 強 く 反 発 し 即 座 に 日 本 に 対 して 様 々な 報 復 措 置 を 実 施 した 9 月 24 日 那 覇 地 方 検 察 庁 鈴 木 亨 次 席 検 事 が 中 国 人 船 長 を 処 分 保 留 で 釈 放 すると 突 如 発 表 官 房 長 官 仙 谷 由 人 も 容 認 した 9 月 25 日 未 明 中 国 側 が 用 意 したチャーター 機 で 中 国 人 船 長 は 石 垣 空 港 から 中 国 へ 帰 った 2010 年 10 月 北 京 政 府 は 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 のある 東 シナ 海 を 国 家 領 土 保 全 上 核 心 的 利 益 に 属 する 地 域 とする 方 針 を 新 たに 定 めた

28 ロシアの 爆 撃 機 2 機 が 日 本 を 一 周 2011 年 9 月 8 日 午 前 6 時 ごろロシア 軍 の 長 距 離 爆 撃 機 TU-952 機 が 長 崎 県 対 馬 海 峡 の 東 側 から 九 州 西 部 沖 縄 本 島 南 を 太 平 洋 に 抜 けて 日 本 周 辺 空 域 を 一 周 した 特 に 野 田 首 相 が 東 京 電 力 の 福 島 第 1 原 発 を 視 察 する 時 間 に 合 わせ て 福 島 県 上 空 を 飛 行 した 日 ロ 間 の 領 土 紛 争 地 域 であるクリル 列 島 ( 北 方 領 土 ) 付 近 上 空 では 空 中 給 油 機 IL78と 合 流 し 空 中 給 油 を 受 けた TU-95は 北 方 4 島 のうちクナシル 島 ( 国 後 島 ) 付 近 の 上 空 から 対 馬 まで 南 下 し またク ナシル 島 まで 北 上 する 飛 行 訓 練 を 終 えて 午 後 8 時 ごろ ロシアに 戻 った ロ シア 軍 爆 撃 機 が 日 本 列 島 周 辺 上 空 を 完 全 に 一 周 したのは 今 回 が 初 めてである このことに 対 して 日 本 は 強 く 抗 議 したが ロシア 軍 と 政 府 ともに 強 硬 な 態 度 を 示 している ロシアは9 月 9 日 10 日 に 戦 艦 と 軍 用 機 が 日 本 周 辺 で 活 動 したほ か ロシア 国 家 安 全 保 障 会 議 のパトルシェフ 書 記 がクリル 諸 島 ( 日 本 は 北 方 領 土 という)を 訪 問 した 日 本 のメディアは 前 代 未 聞 の 挑 発 と 報 じ ロシア は 国 際 法 に 違 反 していない の 一 言 で 日 本 の 非 難 を 相 手 にしなかった ロ シア 紙 は9 月 13 日 熊 を 脅 さないで というタイトルの 文 章 を 発 表 した ロ シアの 強 硬 な 態 度 に 対 し 日 本 は 保 守 勢 力 が 叫 び 声 を 上 げるだけで 日 本 の 無 策 を 露 呈 した 朝 日 新 聞 は 8 日 ロシア 軍 爆 撃 機 2 機 が14 時 間 にわたり 日 本 列 島 を1 周 し 同 時 に 中 国 軍 情 報 収 集 機 は 東 中 国 海 ( 東 シナ 海 )の 日 中 間 境 界 線 を 侵 犯 した と 伝 えた ロシア 軍 が 列 島 周 辺 を 飛 行 訓 練 した 日 中 国 軍 Y8 情 報 収 集 機 1 機 も 東 中 国 海 に 沿 って 南 下 し 日 中 間 の 境 界 線 を 越 えた 中 国 のY8 機 は 領 有 権 紛 争 地 域 である 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 の 北 側 キロ まで 接 近 した 日 本 の 領 空 には 侵 犯 しなかったが 自 衛 隊 戦 闘 機 が 緊 急 発 進 し て 対 応 した 野 田 首 相 が 引 き 継 いだ 日 本 を 西 側 メディアは 収 拾 がつかない 状 況 と 形 容 している 米 ウォールストリート ジャーナル 紙 は 日 本 の 政 治 システムは すでにマヒしており 経 済 的 にも 今 年 は 地 震 津 波 福 島 原 発 事 故 といった 三 重 の 打 撃 を 受 けたことで 国 全 体 が 衰 退 して 競 争 力 を 失 い 社 会 には 倦 怠 感 が 充 満 していると 伝 えた 中 国 軍 機 が 尖 閣 諸 島 に 接 近 日 本 の 防 衛 省 統 合 幕 僚 監 部 によると 2011 年 3 月 2 日 中 国 の 飛 行 機 2 機 は 沖 縄 県 尖 閣 諸 島 領 空 に 約 50キロまで 接 近 した 防 衛 省 はこの2 機 の 中 国 軍 機 は 哨 戒 機 と 情 報 収 集 機 であると 発 表 した 中 国 の 戦 闘 機 が 海 上 自 衛 隊 機 を 追 尾 するのが 確 認 されたのは8 月 17 日 頃 東 シナ 海 の 日 中 の 中 間 線 付 近 の 上 空 を 南 下 していた 海 上 自 衛 隊 の 電 子 偵 察 機 EP3と 画 像 データ 収 集 機 OP3をマ ークしてきた 続 いて8 月 24 日 には 中 国 海 軍 の 監 視 船 2 隻 が 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 の 領 海 に 侵 入 し 姿 を 隠 していた 軍 機 が 空 からの 侵 入 予 行 演 習 だ

29 昨 年 1910 年 9 月 の 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 に 中 国 漁 船 衝 突 事 件 以 降 日 本 領 空 に 接 近 する 中 国 機 は 急 増 しており 日 本 は 第 1 列 島 線 ( 九 州 - 台 湾 -フィリピン) の 制 海 制 空 権 確 保 に 向 け 空 軍 の 戦 闘 力 強 化 も 本 格 化 させている 中 国 の 戦 闘 機 が 南 下 を 続 ければ 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 に 近 づく 恐 れもあり 日 本 の 航 空 自 衛 隊 が 那 覇 基 地 のF15 戦 闘 機 を 緊 急 発 進 させると 中 国 機 は 中 国 方 面 に 戻 っていく 中 国 の 戦 闘 機 は Su27かSu30という 日 本 の 防 衛 省 に よると 昨 年 4~9 月 に 中 国 機 が 日 本 領 空 に 接 近 したのは24 回 だったが 漁 船 衝 突 事 件 後 の10 月 ~ 今 年 3 月 の 半 年 間 は72 件 と3 倍 に 急 増 している 4~ 6 月 の3カ 月 間 も27 件 で 前 年 同 期 の9 件 の3 倍 というハイペースである 中 国 側 の 各 種 戦 闘 機 が 頻 繁 に 東 中 国 海 上 空 に 出 没 するようになると 那 覇 基 地 のF-15 戦 闘 機 も 緊 急 離 陸 の 回 数 が 増 え 疲 労 が 重 なっている 2010 年 12 月 東 京 は 那 覇 基 地 にF-15 戦 闘 機 12 機 を 追 加 するなど 西 南 部 の 沖 縄 諸 島 の 軍 事 力 を 強 化 する 一 連 の 計 画 を 発 表 した この 措 置 は 日 本 が 防 衛 体 勢 を 南 部 に 移 し 中 国 に 対 抗 する 全 体 計 画 の 一 部 だと 捉 えられている 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 とクリル 列 島 日 本 が 二 つの 領 土 戦 争 に 面 している 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 の 領 有 権 をめぐり 中 国 と 衝 突 したのに 続 き 今 度 はクリル( 千 島 ) 列 島 問 題 でロシアと 対 立 してい る 中 国 とロシアが 領 土 問 題 で 日 本 をはさみ 撃 ちしている 形 である クリル( 千 島 ) 列 島 を 実 効 支 配 しているロシアとしては 日 本 に 部 分 返 還 に 応 じる 理 由 が ない 釣 魚 島 - 尖 閣 諸 島 は 無 人 島 であり 日 本 が 実 効 支 配 をしているというが 距 離 上 では 日 本 沖 縄 よりも 台 湾 に 近 い また 実 効 支 配 をしている 日 本 は 紛 争 自 体 が 存 在 しない というが 他 方 中 国 は1992 年 に 領 海 法 を 制 定 して 自 国 の 領 土 と 明 文 化 し 2010 年 9 月 には 中 国 漁 船 と 日 本 巡 視 船 の 衝 突 で 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 紛 争 は 最 高 潮 に 達 した ロシアは 北 方 領 土 を 視 野 に 南 下 政 策 を 取 って 拡 張 してくる 中 国 は 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 を 視 野 に 日 本 を 突 破 しようとしている 韓 国 については 独 島 ( 竹 島 ) を 占 領 している 2011 年 3 月 11 日 東 日 本 大 震 災 の 間 隙 を 突 いて 日 本 の 民 主 党 政 権 は 確 実 に 弱 体 化 している 野 田 佳 彦 首 相 が 就 任 して1 週 間 も 経 たないうち に ロシア 爆 撃 機 と 中 国 軍 用 機 が 同 じ 日 に 日 本 列 島 周 辺 を 飛 行 した 2 侵 略 戦 争 と 東 アジアの 国 境 問 題 日 本 の 四 つの 国 境 問 題 日 本 は 島 国 で 東 アジアにおいて 大 きく 言 って 四 つの 島 の 主 権 問 題 が 存 在 する 中 国 との 間 の 釣 魚 台 諸 島 ( 尖 閣 諸 島 ) 韓 国 との 独 島 ( 竹 島 ) ロシア( 旧 ソ 連 )との 間 の 北 方 四 島 いずれも 領 有 権 をめぐる 対 立 が 存 在 する 領 有 権 の 問 題 ではないが 実 際 には 日 本 の 主 権 に 関 わる 問 題 でもあ

30 るのだが いまだに 沖 縄 には 米 軍 基 地 が 存 在 する この 他 に 沖 ノ 鳥 島 ( 台 湾 では 沖 之 鳥 礁 )という 問 題 もある 尖 閣 竹 島 北 方 四 島 沖 縄 いず れも 戦 争 と 関 連 してた 領 土 問 題 が 発 生 している 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 が 日 本 領 に 編 入 されたのは 1895 年 1 月 14 日 であった 日 本 は 日 清 戦 争 の 最 中, 清 国 の 敗 色 が 濃 い1895 年 1 月 13 日 大 本 営 は 威 海 衛 攻 略 後 に 澎 湖 島 占 領 作 戦 を 行 うことを 決 定 し その 翌 日 である1 月 14 日 に 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 を 沖 縄 県 に 編 入 した 当 時 は 日 清 戦 争 において 日 本 の 勝 利 は 確 定 的 となった 時 点 で 日 本 はその 機 会 に できるだけ 戦 果 を 多 く 獲 得 できるように 工 夫 していた その 手 始 めが 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 であった 日 本 政 府 は 編 入 当 時 中 国 が 歴 史 的 に 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 の 権 利 を 主 張 して いることを 十 分 知 っていて その 後 の10 年 間 に 明 治 政 府 は 必 要 の 実 地 調 査 をして 無 主 地 であることを 確 定 しなければならなかった 明 治 政 府 は 中 国 からの 疑 いを 避 けるため その 諸 島 占 領 の 意 図 を 隠 し 続 けてきた 日 本 政 府 の 対 外 的 に 公 式 に 宣 言 することなく 国 内 での 意 思 表 示 によった ので 対 外 的 に 効 力 を 持 たず もちろん 国 際 法 の 先 占 の 要 件 をもに 満 たしてはいなかった 釣 魚 台 諸 島 は 強 奪 でなく 窃 取 したのである 1895 年 5 月 8 日 日 清 講 和 条 約 が 芝 罘 ( 煙 台 )で 批 准 書 交 換 されて 下 関 条 約 第 二 条 により 日 本 は 公 然 と 台 湾 と 澎 湖 島 を 強 奪 したのであるが 釣 魚 台 諸 島 はいかなる 条 約 にもよらず 対 清 戦 勝 に 乗 じて 中 国 および 列 国 の 目 をかすめて 窃 取 したと 言 えよう 当 時 日 本 には 尖 閣 諸 島 というような 名 称 はなかった 下 関 条 約 で 遼 東 半 島 と 台 湾 澎 湖 島 を 清 国 から 割 譲 したが 遼 東 半 島 はロシアなどの 三 国 干 渉 のため 放 棄 せざるをえず 10 年 の 臥 薪 嘗 胆 次 の 機 会 日 露 戦 争 まで 待 つことにした それから10 年 日 本 は 日 英 同 盟 を 頼 りに 朝 鮮 中 国 東 北 部 の 支 配 権 を めぐってロシアに 戦 争 をしかけた そのさなかの1905 年 1 月 に 独 島 ( 竹 島 )を 島 根 県 に 編 入 した アメリカの 仲 介 で 実 現 したポーツマス 条 約 で 日 本 は 朝 鮮 および 中 国 東 北 ( 満 州 )における 権 益 とともに カラフトの 南 半 分 を 手 に 入 れた いずれも 日 本 の 対 外 膨 張 過 程 における 領 有 である 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 独 島 ( 竹 島 )ともに 人 間 の 住 み 難 い 小 さな 島 に 過 ぎず 日 本 の 真 の 狙 いは 台 湾 朝 鮮 さらには 中 国 全 土 にあった 列 強 の 主 戦 場 がヨーロッパとなった 第 一 次 世 界 大 戦 以 降 日 本 のアジア 支 配 の 野 望 はま すます 強 まり 軍 国 主 義 の 道 にひたすら 突 進 した その 結 果 として 中 国 をはじめとするアジア 諸 国 に 多 大 な 災 難 をもたら したが 日 本 自 身 も 多 くの 犠 牲 を 出 し 敗 戦 という 結 果 を 迎 えた ドイツ の 敗 北 後 アメリカとソ 連 は 戦 後 世 界 の 支 配 権 争 いで 優 位 に 立 とうとし

31 て 日 本 の 戦 後 支 配 を 目 指 して 激 しい 競 争 を 展 開 した 南 方 から 進 攻 した アメリカは 沖 縄 を 北 方 からのソ 連 は 千 島 列 島 を それぞれ 支 配 下 に 置 い た そして 日 本 の 植 民 地 支 配 から 解 放 されたはずの 朝 鮮 まで 巻 き 添 えにし て 南 北 分 断 の 悲 劇 をもたらすことになった 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 は 現 在 沖 縄 県 石 垣 市 に 編 入 されている 日 本 政 府 は いずれの 国 にも 属 していないことを 確 認 したうえで 尖 閣 諸 島 を 沖 縄 県 に 編 入 した との 見 解 を 主 張 している これは 全 く 歴 史 を 歪 曲 した 言 い 方 である 3 戦 後 米 軍 の 沖 縄 占 領 と 釣 魚 台 問 題 戦 後 米 国 による 沖 縄 統 治 時 代 第 二 次 世 界 大 戦 後 日 本 は 一 時 期 連 合 国 ( 実 質 的 にはアメリカ)の 管 理 下 に 置 かれた 連 合 国 の 一 員 であった 中 華 民 国 は1945 年 10 月 25 日 に 台 湾 総 督 府 が 統 治 していた 台 湾 と 澎 湖 諸 島 を 接 収 し 日 本 もサンフランシスコ 平 和 条 約 で 最 終 的 に 台 湾 を 放 棄 したが 台 湾 を 中 国 に 返 還 すると 明 記 する ことを 避 けた 台 湾 は1945 年 以 降 に 中 華 民 国 台 湾 省 となり 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 は 当 然 台 湾 省 の 付 属 島 嶼 であるとした だが 沖 縄 周 辺 の 海 域 を 支 配 しているのは 米 軍 である 米 軍 は1945 年 4 月 1 日 沖 縄 本 島 に 上 陸 日 本 投 降 後 の1945 年 11 月 26 日 米 国 海 軍 軍 政 府 布 告 第 1-A 号 によって 沖 縄 はアメリカ 軍 の 軍 政 下 に 入 り その 後 琉 球 列 島 ア メリカ 民 政 府 および 琉 球 政 府 が 管 轄 する 地 域 に 編 入 された 戦 後 米 軍 の 日 本 支 配 は 日 本 政 府 を 通 じての 間 接 支 配 である 1950 年 8 月 4 日 米 国 民 政 府 沖 縄 群 島 組 織 法 を 公 布 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 を 八 重 島 群 島 の 一 部 にした またアメリカ 空 軍 が 設 定 していた 防 空 識 別 圏 も 尖 閣 諸 島 上 空 に 設 定 された 1951 年 9 月 8 日 サンフランシスコ 対 日 講 和 条 約 と 米 日 安 全 保 障 条 約 が 締 結 された 時 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 の 所 属 は 不 問 にされた 日 本 は1952 年 に 台 湾 の 中 国 国 民 党 政 府 との 間 で その 支 配 下 にある 台 湾 を 適 用 範 囲 とする 日 華 平 和 条 約 を 締 結 し その 第 二 条 で 台 湾 における 日 本 の 領 土 権 の 放 棄 を 規 定 している だがここでは 尖 閣 諸 島 は 台 湾 に 属 するとは 明 確 な 解 釈 がなされていない 釣 魚 台 諸 島 近 海 は 台 湾 漁 民 にとっては 好 い 漁 場 であるため 台 湾 漁 民 に よる 捕 魚 操 業 が 常 時 行 われており 当 時 日 本 国 内 では 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 に おける 台 湾 魚 船 の 入 域 は 殆 ど 重 要 視 されることはなかった その 後 も 台 湾 漁 民 による 釣 魚 台 ( 尖 閣 ) 諸 島 入 域 は 続 いたが 当 時 の 琉 球 政 府 も 尖 閣 諸 島 が 石 垣 市 に 属 することを 前 提 に 警 察 本 部 の 救 難 艇 による 警 備 を 実 施 し ていた

32 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 紛 争 の 火 種 は 日 本 が 先 につけた 1960 年 代 末 から1972 年 まで 釣 魚 台 ( 尖 閣 ) 諸 島 には 紛 争 の 様 子 が 見 ら れなかった1 紛 争 のきっかけは 1968 年 10 月 12 日 から11 月 29 日 にかけて 日 本 台 湾 韓 国 とアメリカ4 方 の 海 洋 専 門 家 12 人 が 中 心 となり 国 連 の アジア 極 東 経 済 委 員 会 (ECAFE)の 協 力 のもとに 東 シナ 海 一 帯 にわたって 海 底 の 学 術 調 査 を 行 ったことにある 翌 1969 年 5 月 東 シナ 海 の 大 陸 棚 に は 石 油 資 源 が 埋 蔵 されている 可 能 性 があることが 指 摘 された 国 連 ECAFE が 行 った 海 洋 調 査 では 推 定 1,095 億 バレルという イラクの 埋 蔵 量 に 匹 敵 する 大 量 の 石 油 埋 蔵 量 の 可 能 性 があると 調 査 報 告 に 出 た 釣 魚 台 ( 尖 閣 ) 諸 島 の 周 辺 海 域 に 豊 富 な 天 然 資 源 があることがほぼ 確 実 であると 判 明 す ると 日 本 が 真 先 に 主 権 を 主 張 し 始 めた 日 本 政 府 は 先 ず1969 年 5 月 沖 縄 県 石 垣 市 に 命 じて 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 の 行 政 管 轄 のために 標 識 を 設 置 した 続 いて 総 理 府 は 第 一 次 調 査 団 ( 団 長 新 野 弘 )を 派 遣 し 5 月 30 日 から7 月 18 日 にかけて 釣 魚 台 - 尖 閣 海 域 の 海 底 地 質 調 査 をした そこで 台 湾 当 局 は 台 湾 海 岸 に 隣 接 する 大 陸 棚 に 存 在 する 天 然 資 源 に 対 する 主 権 を 行 使 すると 声 明 した 8 月 29 日 日 本 の 防 衛 庁 は 防 空 常 識 別 圏 ADIZの 飛 行 要 領 を 設 定 した そのとき 沖 縄 列 島 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 地 域 はまだ 米 軍 の 管 轄 下 にあった 1970 年 日 本 の 総 理 府 は 第 二 次 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 周 辺 海 底 地 質 調 査 団 ( 団 長 星 野 通 平 )を 派 遣 して 5 月 25 日 から6 月 27 日 まで 調 査 した その 間 琉 球 政 府 は 久 場 島 に 対 する 巡 検 を 実 施 し 入 域 者 に 退 去 命 令 を 出 した そし て 琉 球 アメリカ 民 政 府 も 1970 年 7 月 以 降 入 域 者 に 対 する 処 罰 警 告 板 を 設 置 した 以 後 琉 球 政 府 はアメリカ 民 政 府 の 虎 の 威 を 借 りて 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 で 作 業 している 台 湾 籍 漁 船 と 漁 民 に 退 去 命 令 を 執 行 した そこで 台 湾 当 局 はアメリカのガルフ 社 に 周 辺 海 域 の 石 油 探 査 権 を 与 え ガルフ 社 も 8 月 7 日 に 地 質 調 査 の 開 始 を 声 明 した 9 月 2 日 台 湾 の 水 産 試 験 所 の 海 憲 丸 が 釣 魚 島 に 上 陸 し 台 湾 の 国 旗 であ る 青 天 白 日 旗 を 掲 揚 した 翌 3 日 台 湾 当 局 は 東 シナ 海 海 底 資 源 に 関 する 問 題 で 日 本 と 協 議 に 入 ることについて 原 則 的 同 意 を 示 した ところが9 月 10 日 米 国 務 省 スポークスマンであるマクロスキーが 尖 閣 諸 島 は 琉 球 の 一 部 と 表 明 して 日 本 に 加 担 した 続 いて 日 本 の 外 相 愛 知 揆 一 は 衆 議 院 外 務 委 員 会 で 尖 閣 諸 島 は 日 本 領 土 と 宣 言 し また9 月 18 日 那 覇 市 に 尖 閣 列 島 石 油 開 発 促 進 協 議 会 を 発 足 させた 一 方 台 湾 漁 業 協 同 組 合 は 9 月 21 日 に 日 本 の 海 上 自 衛 隊 が 台 湾 漁 船 団 の 操 業 を 妨 害 していると 抗 議 した それに 続 いて9 月 28 日 台 湾 省 宜 蘭 県 基 隆 市 の 漁 業 界 は 台 湾 政 府 にたいし 釣 魚 台 諸 島 海 域 に 出 魚 する 漁 船 の 保 護 を 要 請 した そして 台 湾 省 議 会 は9 月 30 日 に 釣 魚 台 諸 島 はわが 国 固 1 張 鈞 凱 馬 英 九 與 保 釣 動 ( 台 北 : 文 英 堂,2010 年 ), 頁

33 有 の 領 土 という 主 張 の 決 議 を 採 択 した 台 湾 国 営 の 中 国 石 油 公 司 も10 月 15 日 釣 魚 台 周 辺 の 石 油 探 査 を 決 定 したので 翌 16 日 台 湾 当 局 も 釣 魚 台 諸 島 の 大 陸 棚 の 資 源 を 領 有 すると 声 明 した これらが 契 機 となって 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 の 領 有 がにわかに 台 湾 中 国 大 陸 及 び 日 との 国 境 紛 争 の 火 種 となり この 小 さな 諸 島 の 領 有 権 問 題 が 浮 上 してきた 台 灣 の 中 華 民 国 政 府 は1971 年 6 月 に 北 京 の 中 国 政 府 は 同 年 12 月 に 尖 閣 諸 島 の 領 有 権 を 公 式 に 主 張 した 1972 年 5 月 15 日 アメリカは 中 国 と 台 湾 政 府 の 反 対 にも 拘 わらず 琉 球 列 島 を 日 本 に 交 付 するとともに 釣 魚 台 諸 島 の 施 政 権 をも 日 本 に 与 え たという 米 軍 は 戦 後 連 合 国 の 名 で 日 本 と 沖 縄 を 占 領 支 配 したが アメリ カには 領 有 権 がない 琉 球 列 島 の 主 権 を 日 本 に 返 還 したとしても 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 の 領 有 権 までを 日 本 に 譲 渡 する 権 利 はなかろう 1972 年 沖 縄 の 日 本 復 帰 と 釣 魚 台 諸 島 の 問 題 沖 縄 は1972 年 5 月 に 日 本 に 復 帰 することになるが 首 相 佐 藤 栄 作 は アメリカの 核 兵 器 の 日 本 持 ち 込 みを 黙 認 する 密 約 を 結 んで 沖 縄 復 帰 を 獲 得 した2 そしていまだに 日 米 同 盟 の 形 で 巨 大 な 米 軍 基 地 を 抱 え 込 み 沖 縄 戦 の 傷 痕 が 癒 されない そしてアメリカの 世 界 戦 略 に 関 わる 基 地 としての 負 担 を 強 いられている 普 天 間 基 地 の 移 転 問 題 も 14 年 経 って もまだ 解 決 の 目 途 が 立 たない またソ 連 の 北 方 四 島 支 配 とともに そこに 暮 らしていたアイヌは 追 い 出 され ロシア 人 が 定 住 するようになって す でに60 年 以 上 の 歳 月 が 経 過 した 日 本 政 府 は 北 方 四 島 が 固 有 の 領 土 である 根 拠 として そこは 一 度 もロシ アに 属 したことがないことを 挙 げている もちろん 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 独 島 ( 竹 島 )も 含 め 海 洋 海 底 資 源 の 問 題 が 存 在 するが そのような 問 題 は 関 係 諸 国 や 地 域 が 理 性 的 合 理 的 互 恵 的 精 神 で 協 議 すれば 解 決 可 能 の 問 題 であろう 日 本 の 新 鷹 派 民 主 党 の 野 田 内 閣 は 普 天 間 問 題 でぐらついた 日 米 同 盟 関 係 を 修 復 し 日 米 共 同 して 沖 縄 の 基 地 機 能 を 強 化 しようとしている 民 主 党 が 政 権 をとった 初 期 に 提 唱 した 東 アジア 共 同 体 論 はまた 反 古 にな った 釣 魚 台 諸 島 の 問 題 棚 上 げ 論 破 綻 1972 年 の 中 日 国 交 正 常 化 1978 年 の 中 日 平 和 友 好 条 約 締 結 を 背 景 とし て 中 日 双 方 は 両 国 関 係 の 大 局 にかんがみ 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 問 題 を 棚 上 げ する 道 を 選 んだ 台 湾 においても 釣 魚 台 諸 島 の 主 権 棚 上 げ 論 に 2 若 泉 敬 他 策 ナカリシヲ 信 ぜムト 欲 ス ( 東 京 : 文 藝 春 秋,1994 年 ), 頁 年 沖 縄 返 還 時 核 密 約 示 す 米 公 文 書 読 売 新 聞 2007 年 10 月 7 日

34 は 両 手 をあげて 賛 成 する 台 湾 の 漁 船 漁 民 は 釣 魚 台 諸 島 の 地 域 に 近 づく と 日 本 の 巡 防 艦 に 駆 逐 され 拘 留 され 罰 金 されて 操 業 ができなかった とくに 冷 戦 結 後 日 本 は 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 問 題 における 態 度 を 一 転 して なお 更 強 硬 な 姿 勢 を 示 し 出 した 1996 年 8 月 当 時 の 池 田 行 彦 外 相 は 中 国 との 間 に 領 有 権 問 題 は 存 在 しない とさえ 主 張 し 釣 魚 台 諸 島 を 日 本 固 有 の 領 土 とする 立 場 を 強 調 した 21 世 紀 に 入 り 米 ブッシュ 政 権 の 発 足 後 アーミテージ 米 副 国 務 長 官 は イラク 戦 争 などで 日 本 の 支 持 を 獲 得 するため 尖 閣 諸 島 は 沖 縄 返 還 以 来 日 本 政 府 の 施 政 下 にある 米 日 安 保 条 約 は 日 本 の 施 政 下 にある 領 域 に 適 用 される との 見 解 を 表 明 した 米 国 のお 墨 付 きを 得 たことで 勢 いづいた 当 時 の 小 泉 政 権 は 釣 魚 台 - 尖 閣 諸 島 への 管 理 を 本 格 化 させていった 4 中 国 籍 留 学 生 による 保 釣 運 動 釣 魚 台 保 衛 行 動 委 員 会 を 結 成 アメリカ 政 府 の 対 日 肩 入 れに 触 発 されて 在 米 中 国 籍 留 学 生 は1970 年 10 月 に 日 本 の 釣 魚 台 諸 島 領 有 権 の 主 張 とこれへの 米 国 の 同 調 に 抗 議 して 釣 魚 台 保 衛 行 動 委 員 会 を 結 成 した 1971 年 1 月 29 日 から30 日 にかけて アメリカに 留 学 中 の 中 国 籍 留 学 生 らによる 釣 魚 台 諸 島 は 中 国 固 有 の 領 土 だ と 主 張 して 反 日 デモを ワシントンの 在 米 日 本 大 使 館 ニューヨーク ロスアンゼルス サンフランシスコ 各 地 の 日 本 総 領 事 館 に 対 し 展 開 した そして2 月 18 日 から20 日 にかけて 在 香 港 日 本 総 領 事 館 文 化 センターに 対 しても 中 国 籍 学 生 青 年 デモ 抗 議 文 提 出 などが 行 われた 台 湾 当 局 の 外 交 部 長 魏 道 明 が2 月 23 日 立 法 院 で 釣 魚 台 群 島 は 歴 史 地 理 使 用 実 態 から 中 華 民 国 の 領 土 である と 表 明 した 保 釣 運 動 は 中 国 固 有 の 領 土 である 釣 魚 台 ( 尖 閣 ) 諸 島 を 守 れ とい う 華 人 社 会 で 湧 き 起 こった 運 動 であるが 1996 年 以 降 になると 保 釣 運 動 の 中 心 は 香 港 ( 中 国 )や 台 湾 の 活 動 家 に 移 り 1997 年 の 香 港 中 国 返 還 を 目 前 にして 盛 り 上 がった 民 族 主 義 的 な 動 きとも 関 連 している 日 本 が 釣 魚 台 ( 尖 閣 ) 諸 島 を 実 効 的 支 配 しているので 諸 島 の 領 海 を 占 有 しているばかりでなく 広 大 な 専 属 経 済 区 (EEG)と 大 陸 棚 の 一 部 をも 占 有 すると 拡 大 主 張 している そのため 釣 魚 台 ( 尖 閣 ) 諸 島 の 主 権 問 題 東 シナ 海 の 領 海 問 題 では 公 平 な 線 引 きに 阻 害 が 生 じている アメリカの 態 度 1972 年 5 月 に 米 ニクソン 政 権 でキッシンジャー 大 統 領 補 佐 官 の 指 導 の 下 ホワイトハウス 国 家 安 全 保 障 会 議 において 釣 魚 諸 島 に 関 しては( 日 中 などの) 大 衆 の 注 目 が 集 まらないようにすることが 最 も 賢 明 とする 機 密 文 書 をまとめた 同 年 2 月 に 訪 中 に 踏 み 切 ったニクソン 政 権 にとって

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