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2 序 言 今 次 釜 山 大 学 校 韓 国 民 族 文 化 研 究 所 との 学 術 交 流 の 一 環 として 第 2 回 共 同 学 術 会 議 都 市 移 住 民 と 空 間 変 形 を 212 年 2 月 9 日 釜 山 大 学 校 において 開 催 できました ことを 心 よりお 慶 び 申 し 上 げますとともに 釜 山 大 学 校 の 関 係 者 のみなさんに 改 めて 御 礼 申 し 上 げます 釜 山 大 学 校 韓 国 民 族 文 化 研 究 所 と 大 阪 市 立 大 学 都 市 文 化 研 究 センターとの 交 流 は 29 年 7 月 にはじまりました この 時 金 東 哲 所 長 以 下 の 調 査 団 が 大 阪 市 立 大 学 に 来 学 され 親 しく 懇 談 させていただきました 同 年 1 月 13 日 再 度 金 所 長 が 来 学 され 大 阪 市 立 大 学 都 市 文 化 研 究 センターと 釜 山 大 学 校 韓 国 民 族 文 化 研 究 所 との 間 の 学 術 交 流 に 関 する 協 定 書 を 締 結 するにいたります その 後 21 年 5 月 6 月 の 釜 山 での 講 演 会 シンポジウムへの 大 阪 市 立 大 学 関 係 者 の 参 加 を 経 て 211 年 2 月 9 日 第 1 回 合 同 シンポジウム( 共 同 学 術 会 議 )を 大 阪 市 立 大 学 で 開 催 することとなりました そして 偶 然 ちょうどその 一 年 後 の 同 じ 日 釜 山 で 第 2 回 のシンポジウムを 開 催 する にいたりました 今 回 のシンポジウムは 大 阪 市 立 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 が 採 択 されました 日 本 学 術 振 興 会 頭 脳 循 環 を 加 速 する 若 手 研 究 者 戦 略 的 海 外 派 遣 プログラム の 第 1 回 国 際 共 同 セミ ナーを 兼 ねるものでした 同 プログラムでは 212 年 度 以 降 大 阪 市 立 大 学 から 若 手 研 究 者 を 釜 山 大 学 校 に 長 期 派 遣 させていただく 予 定 です 今 回 のシンポジウムが 釜 山 大 学 校 韓 国 民 族 文 化 研 究 所 と 大 阪 市 立 大 学 都 市 文 化 研 究 セ ンター 相 互 をつなぐ 学 術 研 究 研 究 者 養 成 のための 着 実 な 一 歩 となるだろうことを 確 信 しております 今 後 とも よろしくお 願 いします 212 年 3 月 大 阪 市 立 大 学 都 市 文 化 研 究 センター 所 長 頭 脳 循 環 プログラム 主 担 当 研 究 者 大 阪 市 立 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 教 授 仁 木 宏

3 大 阪 市 立 大 学 都 市 文 化 センター 釜 山 大 学 校 韓 国 民 族 文 化 研 究 所 人 文 韓 国 (HK) 研 究 グループによる 第 2 回 共 同 シンポジウムの 開 催 にあたって 大 阪 市 立 大 学 都 市 文 化 センターと 釜 山 大 学 校 韓 国 民 族 文 化 研 究 所 人 文 韓 国 (HK) 研 究 グループは21 年 度 に 学 術 交 流 協 定 を 結 び 日 韓 両 国 において 毎 年 1 回 交 代 で 共 同 学 術 会 議 を 開 催 することが 決 定 しました 昨 年 の211 年 第 1 回 目 が 大 阪 市 立 大 学 都 市 文 化 センターで 盛 大 に 開 かれ それを 受 けて212 年 の 第 2 回 目 を 釜 山 大 学 校 韓 国 民 族 文 化 研 究 所 人 文 韓 国 (HK) 研 究 団 が 主 催 することになりました 大 阪 市 立 大 学 都 市 文 化 研 究 センターは 大 阪 市 立 大 学 におけるグローバル 都 市 研 究 の 創 造 拠 点 構 築 を 目 的 に 都 市 の 多 面 的 な 課 題 に 向 けた 先 端 的 研 究 に 取 組 む 代 表 的 な 研 究 所 といえます 都 市 研 究 の 蓄 積 を 基 礎 に 多 様 な 都 市 問 題 に 対 して 実 践 的 にアプローチ し 現 在 は 都 市 研 究 のメッカとして 評 価 されています 一 方 釜 山 大 学 校 韓 国 民 族 文 化 研 究 所 人 文 韓 国 (HK) 研 究 団 は 人 間 の 生 の 営 みにおける 根 源 的 かつ 具 体 的 な 空 間 場 所 であるローカルに 注 目 しています モダニティを 表 象 する 国 家 中 央 中 心 主 義 一 元 主 義 の 思 想 は 地 域 を 周 縁 的 かつ 副 次 的 なものと 看 做 すがゆえに ローカル そしてローカ ルにおける 人 々のいま ここへの 問 題 意 識 を 触 発 したのです 本 研 究 グループのローカ リティ 研 究 はそのような 根 源 的 かつ 統 合 的 なアプローチから 行 われています 今 日 世 界 は 急 激 に 変 化 しながらグローバル 時 代 を 迎 えました グローバル 時 代 に 入 って 都 市 ローカルの 独 自 性 やダイナミズムに 新 たな 注 目 が 集 まっています このよう な 世 界 の 変 化 に 合 わせて 大 阪 と 釜 山 を 地 域 基 盤 とする 両 大 学 の 研 究 所 が 現 在 までの 蓄 積 の 上 にさらなる 学 問 的 な 交 流 を 遂 げ 相 互 協 力 および 連 帯 を 維 持 することで その 社 会 的 影 響 力 は 倍 増 されるでしょう このような 期 待 から 本 シンポジウムが 都 市 ロ ーカルに 関 する 熟 考 と 情 熱 の 場 を 広 げ より 旺 盛 な 学 問 的 交 流 の 場 となることを 願 って やまみません 212 年 2 月 9 日 釜 山 大 学 校 韓 国 民 族 文 化 研 究 所 人 文 韓 国 (HK) 研 究 団 所 長 金 東 哲

4 活 動 報 告 212 年 2 月 8 日 釜 山 大 学 校 韓 国 民 族 文 化 研 究 所 表 敬 訪 問 釜 山 大 学 校 韓 国 民 族 文 化 研 究 所 の 金 東 哲 所 長 仁 木 宏 先 生 からのご 挨 拶 ( 左 から 3 人 目 )を 始 め 研 究 員 の 方 々 212 年 2 月 9 日 釜 山 大 学 校 人 文 館 51 号 進 行 : 車 胤 汀 ( 釜 山 大 学 校 ) 1:~1:1 開 会 挨 拶 金 東 哲 所 長 の ご 挨 拶 仁 木 宏 先 生 の ご 挨 拶 第 1 部 : 都 市 1:1~1:3 1:3~1:5 1:5~11:1 11:2~12:5 移 住 民 の 生 活 近 代 大 阪 の 都 市 下 層 社 会 複 合 する 諸 要 素 佐 賀 朝 ( 大 阪 市 立 大 学 ) 国 境 をまたぐ 生 活 圏 の 形 成 在 日 済 州 島 出 身 者 の 生 活 史 から 伊 地 知 紀 子 ( 大 阪 市 立 大 学 ) 釜 山 移 住 民 の 定 着 と 生 活 ネットワーク 湖 南 出 身 者 を 中 心 に 車 喆 旭 ( 釜 山 大 学 校 ) 第 1 部 討 論 司 会 : 文 載 媛 ( 釜 山 大 学 校 ) 討 論 : 辛 智 恩 ( 釜 山 大 学 校 ) 安 美 貞 ( 韓 国 海 洋 大 学 校 )

5 佐 賀 朝 先 生 伊 地 知 紀 子 先 生 車 喆 旭 先 生 第 1 部 討 論 第 2 部 : 都 市 14:2~14:4 14:4~15: 15:~15:2 15:2~15:4 15:5~17:5 空 間 の 再 編 植 民 都 市 釜 山 の 空 間 配 置 と 坂 上 の 村 の 時 空 間 性 呉 美 一 ( 釜 山 大 学 校 ) 貧 困 地 域 の 社 会 空 間 大 阪 市 の 都 市 貧 困 問 題 の 分 析 川 野 英 二 ( 大 阪 市 立 大 学 ) 都 市 疎 外 空 間 と 村 の 人 々の 経 験 釜 山 乭 山 町 ( 村 )を 中 心 に 孔 允 京 ( 釜 山 大 学 校 ) 戦 時 期 に 登 場 した 在 日 集 住 地 の 地 域 的 展 開 ウトロ 地 区 における 場 所 の 記 憶 全 ウンフィ( 大 阪 市 立 大 学 ) 第 2 部 討 論 司 会 : 李 尚 峰 ( 釜 山 大 学 校 ) 討 論 : 朴 奎 澤 ( 釜 山 大 学 校 ) 崔 永 鎬 ( 霊 山 大 学 校 )

6 呉 美 一 先 生 川 野 英 二 先 生 孔 允 京 先 生 全 ウンフィさん 第 2 部 討 論 記 念 写 真

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8 日 程 1: 1:1 開 会 辞 進 行 : 車 胤 汀 ( 釜 山 大 ) 1 部 : 都 市 移 住 民 의 生 活 1:1 1:3 近 代 大 阪 の 都 市 下 層 社 会 複 合 する 諸 要 素 佐 賀 朝 ( 大 阪 市 立 大 学 ) 1:3 1:5 国 境 をまたぐ 生 活 圏 の 形 成 在 日 済 州 島 出 身 者 の 生 活 史 から 伊 地 知 紀 子 ( 大 阪 市 立 大 学 ) 1:5 11:1 釜 山 移 住 民 の 定 着 と 生 活 ネットワークー 湖 南 出 身 者 を 中 心 に 車 喆 旭 ( 釜 山 大 ) 11:1 11:2 休 息 11:2 12:5 1 部 討 論 司 會 : 文 載 媛 ( 釜 山 大 ), 討 論 : 辛 智 恩 ( 釜 山 大 ), 安 美 貞 ( 韓 國 海 洋 大 ) 12:5 14:2 中 食 2 部 : 都 市 空 間 의 再 編 14:2 14:4 植 民 都 市 釜 山 の 空 間 配 置 と 坂 上 の 村 の 時 空 間 性 吳 美 一 ( 釜 山 大 ) 14:4 15: 貧 困 地 域 の 社 会 空 間 大 阪 市 の 都 市 貧 困 問 題 の 分 析 川 野 英 二 ( 大 阪 市 立 大 学 ) 15: 15:2 都 市 疎 外 空 間 と 村 の 人 々の 経 験 釜 山 乭 山 町 ( 村 )を 中 心 に 孔 允 京 ( 釜 山 大 ) 15:2 15:4 戦 時 期 に 登 場 した 在 日 集 住 地 の 地 域 的 展 開 ウトロ 地 区 における 場 所 の 記 憶 全 ウンフィ( 大 阪 市 立 大 学 ) 15:4 15:5 休 息 15:5 17:5 2 部 討 論 司 會 : 李 尙 峰 ( 釜 山 大 ), 討 論 : 朴 奎 澤 ( 釜 山 大 ), 崔 永 鎬 ( 靈 山 大 )

9 일 정 1: 1:1 개회사 진행 : 차윤정(부산대) 제1부 도시 이주민의 생활 1:1 1:3 근대 오사카의 도시하층사회 복합적 요소 사가 아시타(오사카시립대학) 1:3 1:5 국경선을 넘는 생활권 의 형성-재일 제주도 출신자의 생활사으로부터- 이지치 노리코(오사카시립대학) 1:5 11:1 부산이주민의 정착과 생활 네트워크-호남출신자를 중심으로- 차철욱(부산대) 11:1 11:2 휴식 11:2 12:5 1부 토론 사회 : 문재원(부산대), 토론: 신지은(부산대), 안미정(한국해양대) 12:5 14:2 점심 제2부 도시 공간의 재편 14:2 14:4 식민도시 부산의 공간 배치와 산동네의 시공간성 오미일(부산대) 14:4 15: 빈곤지역의 사회공간-오사카시의 도시빈곤문제의 분석- 카와노 에이지(오사카시립대학) 15: 15:2 도시 소외공간과 마을 사람들의 경험-부산 돌산마을을 중심으로- 공윤경(부산대) 15:2 15:4 전후 재일조선인 집주지의 지역적 전개 우토로 마을의 장소의 기억을 통해 전은휘(오사카시립대학) 15:4 15:5 휴식 15:5 17:5 2부 토론 사회 : 이상봉(부산대), 토론 : 박규택(부산대), 최영호(영산대)

10 目 次 1 部 : 都 市 移 住 民 의 生 活 近 代 大 阪 の 都 市 下 層 社 会 複 合 する 諸 要 素 3 佐 賀 朝 ( 大 阪 市 立 大 学 ) 国 境 をまたぐ 生 活 圏 の 形 成 在 日 済 州 島 出 身 者 の 生 活 史 から 15 伊 地 知 紀 子 ( 大 阪 市 立 大 学 ) 釜 山 移 住 民 の 定 着 と 生 活 ネットワークー 湖 南 出 身 者 を 中 心 に 31 車 喆 旭 ( 釜 山 大 ) 2 部 : 都 市 空 間 의 再 編 植 民 都 市 釜 山 の 空 間 配 置 と 坂 上 の 村 の 時 空 間 性 39 吳 美 一 ( 釜 山 大 ) 貧 困 地 域 の 社 会 空 間 大 阪 市 の 都 市 貧 困 問 題 の 分 析 45 川 野 英 二 ( 大 阪 市 立 大 学 ) 都 市 疎 外 空 間 と 村 の 人 々の 経 験 釜 山 乭 山 町 ( 村 )を 中 心 に 59 孔 允 京 ( 釜 山 大 ) 戦 時 期 に 登 場 した 在 日 集 住 地 の 地 域 的 展 開 ウトロ 地 区 における 場 所 の 記 憶 63 全 ウンフィ( 大 阪 市 立 大 学 )

11 목 차 제1부 도시 이주민의 생활 근대 오사카의 도시하층사회 복합적 요소 77 사가 아시타(오사카시립대학) 국경선을 넘는 생활권 의 형성 -재일 제주도 출신자의 생활사으로부터- 91 이지치 노리코(오사카시립대학) 부산이주민의 정착과 생활 네트워크-호남출신자를 중심으로- 15 차철욱(부산대) 제2부 도시 공간의 재편 식민도시 부산의 공간 배치와 산동네의 시공간성 121 오미일(부산대) 빈곤지역의 사회공간-오사카시의 도시빈곤문제의 분석- 147 카와노 에이지(오사카시립대학) 도시 소외공간과 마을 사람들의 경험-부산 돌산마을을 중심으로- 161 공윤경(부산대) 전후 재일조선인 집주지의 지역적 전개 우토로 마을의 장소의 기억을 통해 171 전은휘(오사카시립대학)

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15 近 代 大 阪 の 都 市 下 層 社 会 複 合 する 諸 要 素 佐 賀 朝 ( 大 阪 市 立 大 学 ) [ 目 次 ] 1. 課 題 と 視 角 2. 明 治 期 の 都 市 下 層 社 会 1) 都 市 人 口 の 動 向 2) 近 世 都 市 下 層 社 会 の 解 体 変 容 3. 大 正 期 の 都 市 下 層 社 会 1) 都 市 発 展 と 社 会 的 矛 盾 2) 大 正 期 のスラム 多 様 な 要 素 の 複 合 4. 昭 和 戦 前 期 の 都 市 下 層 1) 巨 大 都 市 と 貧 困 問 題 2) 不 良 住 宅 地 区 の 実 態 5. 結 論 1. 課 題 と 視 角 本 報 告 は 近 世 以 来 の 展 開 をふまえて 近 代 大 阪 における 都 市 下 層 社 会 の 変 容 と 拡 大 の 動 向 とその 社 会 的 構 造 そこでの 人 々の 生 活 のありようについて 概 観 するものである 日 本 の 近 代 都 市 史 研 究 において 都 市 下 層 社 会 論 は 重 要 な 分 野 をなしてきた 特 に 欧 米 の ポストモダンの 理 論 による 影 響 を 強 くうけた199 年 代 以 降 の 研 究 では 都 市 下 層 民 を 排 除 する 近 代 社 会 の 犯 罪 的 性 格 が 強 調 された(*1) そこでは 都 市 下 層 社 会 が 近 代 のジャーナリズム によって 怠 惰 や 不 衛 生 無 秩 序 無 規 範 などを 特 徴 とする 特 異 な 社 会 として 描 かれたことを 強 調 し そのことから 逆 に 近 代 社 会 が 勤 勉 で 衛 生 的 で 秩 序 だった 規 範 ある 良 民 に よって 構 成 される 均 質 な 社 会 という 性 格 を 持 っていたことを 浮 かび 上 がらせたのである しかし 社 会 史 研 究 の 問 題 として 考 えた 場 合 このような 議 論 には 落 とし 穴 がある ここで は 下 層 社 会 と 一 般 社 会 という 対 比 を 前 提 に 下 層 社 会 を 孤 立 した 社 会 として 分 析 し その 特 異 性 を 強 調 し 近 代 社 会 の 陰 画 として 描 く 傾 向 が 強 い そのため 都 市 下 層 民 を 地 域 の 社 会 的 諸 関 係 の 中 に 位 置 づける 視 点 や 作 業 が 不 十 分 となるのである しかし 実 際 に は 都 市 下 層 民 が 集 住 する 地 域 は 近 代 都 市 大 阪 の 社 会 構 造 全 体 の 中 に 位 置 付 いていた した がって 都 市 下 層 を 一 つの 構 成 要 素 として 含 み 込 んだ 地 域 社 会 の 構 造 的 把 握 が 必 要 になる 本 報 告 では 近 世 ~ 近 代 の 都 市 社 会 において 多 くの 場 合 集 住 地 域 としての 特 徴 を 持 って 存 在 した 都 市 下 層 社 会 について 都 市 大 阪 全 体 の 展 開 も 視 野 に 入 れて 見 ていく 下 層 民 の 集 住 地 域 が 時 代 ごとにどのように 形 成 され 展 開 したか またその 特 徴 は 何 か などに 注 目 しながら 近 代 大 阪 の 都 市 下 層 社 会 を 概 観 したい - 3 -

16 2. 明 治 期 の 都 市 下 層 社 会 1) 都 市 人 口 の 動 向 はじめに 明 治 時 代 の 大 阪 市 街 地 の 人 口 動 向 について 見 よう(*2) 大 阪 市 街 地 の 人 口 は 18 世 紀 後 半 の 約 42 万 人 をピークに その 後 減 少 を 続 け 明 治 元 年 である1868 年 には 約 28 万 人 と なったとされる 187 年 代 にも 人 口 の 停 滞 が 続 いたが 松 方 デフレの 影 響 で 農 村 が 深 刻 な 不 況 にあえいだ188 年 代 はじめから 都 市 への 流 入 人 口 が 増 大 したことによって 大 阪 市 街 地 の 人 口 は 順 調 な 増 加 へと 転 じた その 後 大 阪 市 街 地 (1889 年 から 大 阪 市 に)の 人 口 は 1891 年 に48 万 人 に 達 したが その 後 の 増 加 はやや 鈍 り 1896 年 にようやく5 万 人 を 越 えた 189 年 代 に 入 ってからの 人 口 増 加 の 鈍 化 は 中 心 市 街 地 の 人 口 がすでに 飽 和 状 態 にあったことを 意 味 する 一 方 で 大 阪 市 を 取 り 巻 くように 存 在 していた 西 成 郡 東 成 郡 では 188~9 年 代 を 通 じ て ほぼ 一 貫 して 増 加 した これは 市 街 地 中 心 部 の 人 口 が 飽 和 したため 周 辺 部 への 人 口 流 入 が 増 加 したものと 見 られる 旧 来 の 市 街 地 の 外 縁 部 には188 年 代 以 降 工 業 化 の 進 展 にとも なって 新 しい 工 場 の 立 地 とそれに 伴 う 住 宅 ( 多 くは 長 屋 )の 建 設 も 進 んだため 市 街 地 の 外 延 的 拡 大 すなわちスプロール 化 が 始 まったのである 1897 年 大 阪 市 は 第 一 次 市 域 拡 張 を 実 施 した これは 旧 市 街 の 外 縁 部 に 会 社 工 場 が 立 地 し 人 口 が 流 入 したことや 築 港 事 業 をはじめとする 都 市 建 設 の 進 展 にともなって 市 街 地 が 拡 大 したのをうけたものであった 大 阪 市 は 行 政 区 域 を 越 えて 拡 張 していく 社 会 的 経 済 的 な 意 味 での 都 市 域 を 後 追 いするかのように その 範 囲 を 拡 大 し 都 市 自 治 体 としての 財 政 基 盤 の 強 化 を 目 ざした この 第 一 次 市 域 拡 張 の 結 果 大 阪 市 の 人 口 は75 万 人 に 達 し さらに 工 業 化 が 本 格 的 に 進 んだ2 世 紀 の 初 めには1 万 人 を 突 破 したのである こうして188~19 年 代 における 工 業 化 と 都 市 開 発 の 進 展 によって 大 阪 は 規 模 の 面 で も 構 造 の 面 でも 近 代 的 な 巨 大 都 市 に 成 長 したのである 2) 近 世 都 市 下 層 社 会 の 解 体 変 容 近 世 から 近 代 への 移 行 期 にあたる19 世 紀 の 後 半 期 において 大 阪 の 都 市 下 層 社 会 は どのよ うに 変 化 しただろうか この 時 期 は 近 世 以 来 の 下 層 民 集 住 地 の 典 型 であった 長 町 ( 名 護 町 と も 呼 ばれた)が 近 代 的 なスラムへと 変 容 を 遂 げる 一 方 で 市 街 地 の 外 縁 部 への 人 口 流 入 によっ て 無 秩 序 な 市 街 地 化 と 過 密 化 が 進 展 し 新 たなスラムも 形 成 されていった 長 町 とその 変 容 長 町 (ながまち 日 本 橋 筋 三 ~ 五 丁 目 )は 近 世 ~ 近 代 における 大 阪 最 大 の 貧 民 集 住 地 域 である この 地 域 は 近 世 から 木 賃 宿 ( 薪 代 ていどの 安 価 な 宿 賃 で 泊 まれる 宿 屋 )とそこに 宿 泊 ( 事 実 上 は 居 住 )する 膨 大 な 日 雇 層 の 集 まる 下 層 民 集 住 地 域 であったが 188 年 代 以 降 農 村 からの 激 しい 人 口 流 入 によって 膨 張 拡 大 していく(*3) そうした 膨 張 の 過 程 で 近 世 において 長 町 に 都 市 下 層 民 の 集 住 地 が 形 成 される 上 で 重 要 な 軸 となっていた 木 賃 宿 仲 間 の 特 権 ( 無 宿 空 人 別 の 人 々を 宿 泊 させ 彼 らに 日 雇 の 仕 事 を 斡 旋 する - 4 -

17 仕 事 を 独 占 的 に 行 う)が 解 体 した 点 が 注 目 される その 結 果 木 賃 宿 は 単 なる 日 払 いの 長 屋 へと 変 容 しながら 依 然 として 日 雇 層 を 中 核 とする 膨 大 な 都 市 下 層 民 の 集 住 地 として 膨 張 を 続 けたのである 1887 年 ごろに 鈴 木 梅 四 郎 という 新 聞 記 者 が 記 した 大 阪 名 護 町 貧 民 窟 視 察 記 (*4)による と 長 町 の 貧 民 ( 都 市 下 層 民 )の 職 業 は 以 下 のようなもので 構 成 されていた a. 傘 や 団 扇 の 製 造 などに 関 わる 職 人 たち( 多 くは 自 らの 店 舗 を 持 たない 通 勤 の 職 人 ) b. 車 夫 ( 人 力 車 や 荷 車 を 曳 く 人 夫 )をはじめとした 日 雇 の 力 役 仕 事 に 従 事 する 人 々 c. 屑 拾 い 乞 食 などの 最 底 辺 の 窮 民 的 職 種 ( 数 の 上 ではこれが 最 大 ) d. 門 付 芸 人 ( 町 家 の 門 前 で 芸 をして 賃 銭 を 稼 ぐ 人 々)を 中 心 とした 多 様 な 芸 能 者 e. 女 性 や 子 供 も 多 く 含 んだマッチ 工 場 など 近 代 産 業 の 労 働 者 f. 長 町 の 表 通 りに 開 かれた 露 店 も 含 めて 零 細 な 小 売 商 人 これらは 全 体 として (1) 成 年 男 子 を 主 な 担 い 手 とした 日 雇 いや 職 人 (2) 家 族 全 員 を 担 い 手 とする ほとんど 不 熟 練 の 窮 民 的 な 労 働 力 をその 構 成 要 素 としていたと 言 える これは 一 方 では 近 世 以 来 の 巨 大 都 市 に 普 遍 的 に 見 られた 裏 店 の 民 衆 世 界 (*5)と 共 通 の 性 格 を 持 つと 言 えるが 他 方 では 職 人 的 な 要 素 が 少 なく 最 底 辺 の 窮 民 に 偏 っている 点 には 長 町 固 有 の 特 徴 があったと 言 えよう また 189 年 前 後 は 大 阪 周 辺 部 を 中 心 とした 工 業 化 の 進 展 にともなっ て マッチ 製 造 のような 近 代 産 業 の 労 働 者 も 増 加 していた 点 が 注 目 される マッチや 傘 などの 製 品 は 日 本 中 国 東 南 アジアを 舞 台 とする アジア 間 貿 易 の 主 要 製 品 としての 性 格 も 持 っており 近 世 以 来 の 長 町 の 下 層 民 は こうしてアジア 規 模 の 経 済 変 動 にも 巻 き 込 まれつつ あったのである さらに 都 市 下 層 民 と 地 域 との 関 係 という 点 で 見 逃 せないのは 長 町 では 近 世 以 来 木 賃 宿 や 質 屋 金 貸 しなどを 通 じて 地 主 家 主 たちが 下 層 民 に 吸 着 していたという 事 実 である 彼 ら は その 日 その 日 を 生 きることで 精 一 杯 の 下 層 民 たちに 宿 を 提 供 し 仕 事 の 仲 介 も 行 う 一 方 で 月 払 いよりも 割 高 な 日 払 い 家 賃 を 下 層 民 から 搾 取 し きわめて 高 利 で 金 を 貸 し 布 団 や 蚊 帳 などのレンタルや 粗 末 な 食 事 物 品 などの 販 売 も 行 っていたのである しかし 先 述 のように 木 賃 宿 の 営 業 的 な 特 権 がなくなり 地 域 住 民 の 負 担 で 学 校 を 経 営 す る 学 区 制 度 の 導 入 に 伴 って 地 主 たちの 財 政 負 担 が 増 加 した 上 187 年 代 末 から188 年 代 にかけ てコレラの 流 行 がこの 地 域 を 襲 うなどの 問 題 が 生 じたために 膨 大 な 下 層 民 に 吸 着 することの 有 利 さは 次 第 に 失 われていった その 結 果 1886 年 以 降 には 大 阪 府 の 提 案 をきっかけに 長 町 貧 民 移 転 問 題 が 発 生 した これは 長 町 の 長 屋 を 撤 去 し 都 市 下 層 民 を 市 街 地 外 部 へ 移 転 あ るいは 拡 散 させるというものであり その 基 底 には この 地 域 を 長 年 にわたって 支 配 し 下 層 民 に 吸 着 してきた 地 主 家 主 たちの 利 害 の 変 容 が 存 在 したのである 結 局 1891 年 に 大 規 模 なスラムクリアランスが 行 われ(*6) 日 本 橋 筋 に 沿 って 立 ち 並 ぶ 木 賃 宿 を 中 核 にした 近 世 的 な 長 町 の 構 造 は 解 体 し この 地 を 追 われた 都 市 下 層 民 は 長 町 の 東 西 周 辺 地 域 や 南 西 部 にあたる 釜 ヶ 崎 地 域 へと 移 動 し 新 たな 流 入 人 口 がそれに 加 わる 形 で 近 代 的 なス ラムを 形 成 していくことになる - 5 -

18 近 代 的 スラムの 形 成 189 年 代 は 日 清 戦 争 を 経 て 日 本 の 資 本 主 義 が 大 きく 発 展 する 時 期 であり 市 街 地 周 辺 への 人 口 流 入 が 増 大 し 新 たなスラムの 形 成 が 進 んだ 先 に 見 た 長 町 の 周 辺 では 長 町 の 長 屋 街 の 解 体 後 日 本 橋 筋 の 東 西 周 辺 地 域 に 中 小 零 細 工 場 の 集 積 と 新 たな 長 屋 の 建 設 が 日 清 戦 後 に 進 み 住 工 混 在 の 街 が 形 成 された この 地 域 は 4 章 で 述 べる 八 十 軒 長 屋 もそうであるように 主 として 家 族 持 ちの 都 市 雑 業 層 が 居 住 する 地 域 に なっていく 一 方 長 町 の 南 西 方 向 にあたる 関 西 鉄 道 線 路 と 南 海 鉄 道 が 交 差 する 地 点 の 南 側 には 釜 ヶ 崎 と 呼 ばれるスラムが 形 成 された 1897 年 の 第 一 次 市 域 拡 張 後 関 西 鉄 道 の 南 側 が 今 宮 町 とされ たが ここには 新 たな 追 い 込 み 式 の 木 賃 宿 ( 二 階 建 ての 宿 のうち 多 くは 二 階 部 分 に 多 人 数 の 単 身 者 が ザコ 寝 する 大 部 屋 が 用 意 されたもの)が 群 をなして 建 設 された また 日 雇 労 働 者 が 集 まり 彼 らに 日 々の 仕 事 を 周 旋 する 寄 せ 場 と 呼 ばれる 空 間 も 形 成 された その ため この 釜 ヶ 崎 は 当 初 は 家 族 持 ちも 少 なくなかったが しだいに 単 身 の 日 雇 労 働 者 が 集 ま る 地 域 になる(*7) これは 第 二 次 世 界 大 戦 後 の 釜 ヶ 崎 問 題 の 起 源 をなす 西 浜 町 南 大 阪 には もう 一 つ 大 きな 都 市 下 層 民 の 集 住 地 が 存 在 した それが 西 浜 町 である(*8) 近 世 には 大 坂 三 郷 に 付 属 する えた 身 分 の 村 であった 渡 辺 村 は 1887 年 に 西 浜 町 と 改 称 した 近 畿 地 方 を 中 心 に 各 地 の 被 差 別 部 落 からの 流 入 者 がここに 集 中 したことによって 貧 困 層 が 集 住 する 地 域 として 周 辺 部 へ 膨 張 していった 西 浜 町 は 1897 年 の 第 一 次 市 域 拡 張 で 大 阪 市 に 編 入 されるが 人 口 増 加 は 続 き 191 年 代 に は 全 国 最 大 規 模 の 都 市 部 落 へと 膨 張 する(192 年 の 人 口 は16 人 にも 達 した) じつは 西 浜 の 中 心 部 には 近 世 以 来 皮 革 流 通 にたずさわり 大 きな 富 を 築 いた 皮 問 屋 の 系 譜 をひく 有 力 者 がいたが 部 落 の 周 辺 部 では 人 口 流 入 と 貧 困 層 の 増 加 によってスラム 化 が 進 展 し 社 会 問 題 化 した 191 年 前 後 には こうして 膨 張 した 周 辺 部 にあたる 木 津 北 島 町 の 児 童 たちが 一 般 地 区 の 小 学 校 で 差 別 を 受 け やむを 得 ず 部 落 内 の 学 校 に 越 境 入 学 し あるいは 不 就 学 を 余 儀 なくさ れるという 問 題 も 発 生 した この 時 期 被 差 別 部 落 では 警 察 や 部 落 の 支 配 層 が 主 導 する 形 で 自 主 的 改 善 を 目 ざす 部 落 改 善 運 動 が 進 められていたが 部 落 内 の 改 善 に 努 めても 外 部 からの 差 別 がなくならない 状 況 への 不 満 が 広 がった それに 連 動 して 西 浜 部 落 の 内 部 でも 191 年 代 には 貧 しい 借 家 人 層 と 地 域 支 配 層 である 地 主 家 主 との 間 で 借 家 紛 争 が 頻 発 し 階 級 的 な 対 立 も 強 まった こう した 矛 盾 の 深 まりは 192 年 代 の 水 平 運 動 を 準 備 していくことになる 3. 大 正 時 代 の 都 市 下 層 社 会 1) 都 市 発 展 と 社 会 的 矛 盾 都 市 人 口 の 増 大 と 住 宅 難 1914~19 年 の 第 一 次 世 界 大 戦 は 日 本 経 済 の 飛 躍 的 な 発 展 をもたらし 工 業 化 の 進 展 にとも - 6 -

19 なって 大 都 市 への 人 口 集 中 と 都 市 化 が 大 きく 進 んだ ここでも まず 大 阪 市 とその 周 辺 の 人 口 動 向 について 見 よう 191 年 代 には 大 阪 市 を 取 り 巻 く 東 成 郡 西 成 郡 において 人 口 が 急 増 し 1914~1919 年 の 人 口 増 加 率 は 東 成 郡 44% 西 成 郡 5%にも 上 った これは 大 阪 市 周 辺 部 への 工 場 建 設 と 労 働 力 人 口 の 流 入 によるもので 急 速 に 市 街 地 化 が 進 展 し 住 宅 難 が 深 刻 な 社 会 問 題 となった(*9) この 時 期 の 住 宅 問 題 は 二 つの 内 容 を 持 っていた 第 一 に 住 宅 の 絶 対 的 な 不 足 とそれに 伴 う 家 賃 の 高 騰 による 借 家 問 題 の 発 生 である 192 年 には 大 阪 市 内 で5 万 世 帯 分 の 住 宅 が 不 足 して いるとされ 1912~1921 年 に 大 阪 市 内 の 平 均 家 賃 は 約 2 倍 に 高 騰 した 住 宅 の 不 足 分 は 1 戸 に2 世 帯 以 上 が 同 居 する 間 貸 し 間 借 り によって 補 われた また 第 二 に 粗 造 長 屋 の 建 設 と 無 秩 序 な 市 街 地 化 の 進 行 によって 住 宅 環 境 悪 化 と 過 密 化 が 問 題 になったことである こうした 住 宅 環 境 の 劣 悪 な 地 域 は 不 良 住 宅 地 区 と 呼 ばれた 都 市 の 急 膨 張 による 都 市 住 民 の 生 活 困 難 という 社 会 的 矛 盾 が 深 刻 化 したのである 米 騒 動 の 勃 発 第 一 次 大 戦 にともなう 好 景 気 で 大 都 市 周 辺 部 への 人 口 集 中 とスラム 形 成 が 進 んだが 単 身 の 日 雇 層 が 集 まるスラムとなった 釜 ヶ 崎 はその 典 型 であった(*1) 釜 ヶ 崎 を 含 む 今 宮 町 では 1913 年 の 人 口 112 人 が1916 年 には235 人 に 倍 増 し 192 年 にはさらに49 人 に 倍 増 した ま た 大 戦 景 気 による 物 価 全 般 の 上 昇 にくわえ 都 市 への 急 速 な 人 口 集 中 によって 農 業 生 産 が 停 滞 したことを 背 景 に 米 価 は 上 昇 を 続 けていた 1918 年 8 月 政 府 がロシア 革 命 に 干 渉 するためのシベリア 出 兵 を 決 定 すると 米 の 思 惑 買 いや 売 り 惜 しみが 広 範 囲 で 発 生 し 米 価 は 未 曾 有 の 急 騰 を 示 した 大 阪 では 通 常 は1 升 2 銭 の 米 価 が 7 月 には3 銭 に 達 し 8 月 はじめには4 銭 へと 急 上 昇 し 8 月 12 日 には なんと56 銭 に 達 し た 富 山 県 の 漁 村 地 域 で 発 生 した 女 房 一 揆 が8 月 はじめに 県 外 で 報 道 されると 西 日 本 を 中 心 に 米 の 廉 売 ( 安 売 り)や 生 活 難 救 済 を 求 める 大 衆 行 動 が 全 国 に 広 がった 大 阪 では8 月 11 日 に 天 王 寺 公 園 周 辺 と 今 宮 町 で 群 衆 による 廉 売 要 求 の 騒 動 が 発 生 12 日 以 降 は 陸 軍 第 四 師 団 の 軍 隊 も 出 動 してその 鎮 静 化 にあたったが 騒 動 は16 日 まで 続 いた 後 述 する 八 十 軒 長 屋 など 日 本 橋 周 辺 の 住 民 も 廉 売 要 求 の 運 動 に 立 ち 上 がった 以 上 のように 米 騒 動 は 第 一 次 大 戦 期 に 蓄 積 された 都 市 の 社 会 的 な 矛 盾 が 暴 発 して 起 きた ものであり その 後 階 級 的 な 社 会 運 動 が 都 市 を 舞 台 にして 多 彩 に 展 開 される 口 火 ともなっ た 事 件 である 労 働 運 動 や 借 家 人 の 運 動 部 落 解 放 運 動 や 都 市 周 辺 農 村 における 小 作 人 の 運 動 などは いずれもこうした 都 市 的 な 社 会 矛 盾 の 蓄 積 を 不 可 欠 の 要 因 として 生 じたのである 大 阪 府 方 面 委 員 制 度 大 阪 府 は 米 騒 動 の 際 に 寄 せられた 寄 付 金 を 基 礎 に 1918 年 1 月 貧 困 者 に 対 する 監 視 と 救 済 のための 新 制 度 として 方 面 委 員 制 度 を 創 設 した(*11) その 内 容 は 次 のようなものであった おおむね 小 学 校 の 通 学 区 域 ( 学 区 )を 単 位 に 設 定 さ - 7 -

20 れた 方 面 と 呼 ばれるエリアごとに 数 人 の 委 員 を 任 命 し 彼 らが 貧 困 世 帯 の 調 査 を 実 施 し 方 面 カードに 登 録 した 上 で 公 的 救 助 の 斡 旋 や 職 業 紹 介 生 活 指 導 などを 行 い 貧 困 問 題 の 解 決 をめざした 方 面 委 員 制 度 が 現 在 の 民 生 委 員 制 度 の 前 身 になったことはよく 知 られて いる 方 面 委 員 制 度 は 地 域 の 世 話 役 的 な 有 力 者 を 組 織 的 に 動 員 して 貧 困 層 の 把 握 と 保 護 救 済 を 行 う 一 方 で 暴 発 の 要 因 となる 下 層 民 衆 を 日 常 的 に 監 視 する 役 割 をも 担 ったのであり 都 市 の 安 全 装 置 であった 2) 大 正 期 のスラム 多 様 な 要 素 の 複 合 大 都 市 への 流 入 者 は しばしば 先 に 流 入 した 同 郷 者 をたよって 集 住 し 同 郷 的 な 結 合 にもと づく 集 住 地 を 形 成 した 特 に192 年 代 以 降 の 大 阪 では 在 日 朝 鮮 人 や 沖 縄 県 出 身 者 の 集 住 地 が 注 目 される まず 朝 鮮 人 の 増 大 について 見 よう(*12) 191 年 の 韓 国 併 合 によって 日 本 の 植 民 地 となった 朝 鮮 半 島 から 大 阪 への 流 入 者 は 1923 年 に 済 州 島 大 阪 間 の 航 路 が 開 設 されたのをきっかけに 192 年 代 半 ば 以 降 急 速 に 増 加 した 当 初 は 単 身 男 性 の 出 稼 ぎのための 流 入 が 多 かったが しだいに 居 住 人 口 に 占 める 女 性 の 割 合 が 増 加 し 世 帯 形 成 や 定 着 が 進 んだと 思 われる 彼 ら は この 時 期 に 東 成 区 の 鶴 橋 木 野 町 猪 飼 野 町 東 小 橋 町 などに 集 住 地 を 形 成 し 大 阪 市 内 の 各 所 にも 小 規 模 な 集 住 をつくる 形 で 散 在 した 次 に 沖 縄 県 出 身 者 について 見 る(*13) 192 年 代 の 沖 縄 県 では 糖 価 の 暴 落 によって 主 要 産 業 であるサトウキビ 生 産 が 大 きな 打 撃 をうけたことをきっかけに ソテツ 地 獄 と 呼 ばれる 厳 し い 困 窮 が 生 じ 本 土 ( 本 州 地 域 )へ 労 働 力 の 激 しい 流 出 が 見 られた 大 阪 への 流 入 も 多 く 192 年 代 後 半 には 沖 縄 県 から 大 阪 府 への 出 稼 者 は 毎 年 5 人 ほどにのぼった 彼 らが 従 事 した 仕 事 は 男 性 は 日 雇 や 雑 工 業 の 中 小 工 場 の 労 働 者 が 多 く 女 性 では 紡 績 工 場 の 女 工 になるも のが 多 かった また 彼 らも 先 に 流 入 した 縁 故 者 や 同 郷 者 をたよって 集 住 するようになり 大 正 区 の 三 軒 家 小 林 恩 加 島 地 区 や 此 花 区 の 四 貫 島 港 区 の 市 岡 などに 集 住 地 を 形 成 した 彼 ら の 生 活 労 働 状 況 は おおむね 過 酷 であったが 193 年 代 になると 一 部 は 重 工 業 労 働 者 に 参 入 するものも 出 てきた 4. 昭 和 戦 前 期 の 都 市 下 層 1) 巨 大 都 市 と 貧 困 問 題 だいおおさか 大 大 阪 の 誕 生 大 阪 市 は 1925 年 第 二 次 市 域 拡 張 を 実 施 した(*14) これは 第 七 代 大 阪 市 長 関 一 (せき はじめ)が 主 導 する 形 で 進 めたものである 大 阪 市 域 外 縁 部 への 人 口 流 入 と 無 秩 序 な 市 街 地 化 に 伴 う 社 会 矛 盾 の 激 化 に 対 応 する 目 的 で 東 成 郡 西 成 郡 の44か 町 村 を 大 阪 市 域 に 編 入 した その 結 果 大 阪 市 の 人 口 は211 万 人 に 達 し その 時 点 で 東 京 を 抜 いて 全 国 最 大 の 都 市 となった 注 目 したいのは その 後 ( 年 )の 人 口 増 加 の 推 移 である - 8 -

21 旧 市 域 133 万 人 154 万 人 16% 増 新 市 域 78 万 人 17 万 人 12% 増 (2.2 倍 に 増 えた) 大 阪 市 211 万 人 325 万 人 54% 増 (1.5 倍 に 増 えた) 上 の 旧 市 域 新 市 域 それぞれの 人 口 推 移 を 見 ると 都 心 部 の 旧 市 域 における 人 口 の 停 滞 減 少 に 対 して 周 縁 部 の 新 市 域 では 人 口 増 加 が 続 く という 動 向 が 読 みとれる(ドーナツ 化 現 象 ) その 結 果 新 市 域 旧 市 域 の 比 重 はこの 間 に 逆 転 し 新 市 域 の 人 口 増 加 によって 引 き 起 こされる 問 題 は この 時 期 の 都 市 的 課 題 の 焦 点 となったのである 失 業 と 貧 困 の 深 刻 化 192 年 代 から193 年 代 の 初 頭 は 日 本 経 済 が 不 況 にあえいだ 時 期 である(*15) 特 に193 年 の 昭 和 恐 慌 の 影 響 が 大 きく 193 年 に 大 阪 の 失 業 率 は5.5%となり 失 業 者 数 では 東 京 を 抜 いて 全 国 一 の 失 業 都 市 とも 言 われた しかし この 間 も 都 市 への 流 入 人 口 は 減 るどころか む しろ 増 加 し 大 阪 は 膨 大 な 貧 困 人 口 を 旧 市 域 の 周 辺 ~ 外 縁 部 のエリアに 抱 え 込 むことに なったのである こうした 不 況 にともなう 貧 困 状 況 を 端 的 に 示 すのが 不 良 住 宅 地 区 の 増 大 と 在 日 朝 鮮 人 の 増 加 という 事 実 であった まず 不 良 住 宅 地 区 の 増 大 について 見 る 都 市 雑 業 に 従 事 する 下 層 住 民 が 粗 造 の 裏 長 屋 に 密 集 して 居 住 する 地 域 は 旧 市 域 と 新 市 域 の 境 目 から 外 側 にかけて 広 がった 1937 年 に 大 阪 市 が 実 施 した 調 査 によると 大 阪 市 内 の 不 良 住 宅 地 区 は333か 所 に 上 り 不 良 住 宅 は1 万 7896 戸 あったとされている こうした 裏 長 屋 に 居 住 する 人 々の 劣 悪 な 生 活 環 境 や 貧 困 が 問 題 化 し 続 けたのである 次 に 在 日 朝 鮮 人 の 増 大 について 大 阪 府 内 に 居 住 する 在 日 朝 鮮 人 の 人 口 は 1932 年 には1 万 人 を 突 破 した 彼 らの 労 働 と 生 活 の 状 況 を 見 ると 以 下 のような 点 が 指 摘 できる 第 一 に 高 い 失 業 率 と 低 賃 金 の 重 労 働 を 特 徴 とする 過 酷 な 労 働 環 境 である 昭 和 恐 慌 にあえいだ193 年 当 時 の 失 業 率 は 大 阪 市 全 体 で5.5%と 推 定 されているが 在 日 朝 鮮 人 は18%と 高 かった 彼 らが 働 く 職 場 は ガラス 工 場 やゴム 工 場 など 多 くは 雑 役 労 働 あるいは 日 雇 いや 土 方 仕 事 などが 中 心 で 賃 金 についても 民 族 差 別 によって 日 本 人 の 下 層 労 働 者 よりも 低 位 に 置 かれた 第 二 に 彼 らが 居 住 した 東 成 区 などの 集 住 地 はいずれも 不 良 住 宅 地 区 で 劣 悪 な 居 住 環 境 のもとに 置 かれたことである 単 身 者 は 大 人 数 が 飯 場 やバラック 小 屋 に 寝 泊 まりするよう な 場 合 が 少 なくなかった また 長 屋 などに 住 居 する 人 々も 含 めた 東 成 区 小 橋 町 (おばせちょ う)の 在 日 朝 鮮 人 の 場 合 1 人 当 たりの 畳 数 は.55 畳 であった 当 時 方 面 委 員 が 救 済 の 対 象 と した 要 保 護 世 帯 でも1 人 当 たり1.5 畳 であったから 彼 らは スラムの 最 底 辺 の 生 活 を 余 儀 なく されたのである 2) 不 良 住 宅 地 区 の 実 態 八 十 軒 長 屋 の 場 合 上 に 述 べた 不 良 住 宅 地 区 の 具 体 例 として 挙 げられるのが 日 本 橋 周 辺 の 裏 長 屋 群 である (*16) 中 でも189 年 代 に 建 設 された 八 十 軒 長 屋 と 呼 ばれた 長 屋 は 大 阪 府 大 阪 市 がそれ - 9 -

22 図 1 八 十 軒 長 屋 平 面 図 備 考 : 大 阪 市 社 会 部 調 査 課 密 住 地 区 居 住 者 の 労 働 と 生 活 所 載 の 図 を 加 工 して 作 成 家 屋 番 号 は 大 阪 府 警 察 部 衛 生 課 大 阪 府 保 健 衛 生 調 査 報 告 第 三 編 のそれと 対 応 している なお 7~72 番 は69 番 の 北 側 にあるが 密 住 地 区 調 査 では 対 象 とされていないので 省 略 し 欠 番 としてある ぞれ 住 民 調 査 を 実 施 したことで 詳 しい 実 態 がわかる 貴 重 な 事 例 である( 図 1) 八 十 軒 長 屋 には 大 大 阪 誕 生 前 夜 の1924 年 時 点 で 79 戸 の 長 屋 住 居 に129 世 帯 54 人 の 住 民 がいた 129 世 帯 のうち5 世 帯 は 間 借 り 世 帯 で 二 階 建 てになっている 住 戸 の 一 階 部 分 と 二 階 部 分 をシェアする 形 で2 世 帯 ( 場 合 によっては3 世 帯 )が 同 居 する 場 合 が 少 なくなかった 長 屋 の 居 住 環 境 を 見 ると 室 数 では 全 体 の4% 近 くが1 室 しか 使 用 しておらず 2 室 以 下 を あわせると 全 体 の75%にも 及 んだ 畳 数 では 7.5 畳 以 下 が 全 体 の72%にのぼった(1 世 帯 当 た り7.2 畳 1 人 当 たり1.9 畳 ) 家 族 の 人 数 がほぼ4 人 であったことを 考 えると かなりの 高 密 度 で 居 住 していたと 言 えよう 生 活 設 備 を 見 ると 井 戸 と 上 水 道 は 同 じ 敷 地 内 に 住 んでいた 家 主 が 各 1つを 専 用 するほかは 長 屋 内 の 他 の128 世 帯 が 井 戸 3つと 水 道 栓 1つを 共 用 するという 状 態 であった またこの 時 期 普 及 が 進 んだ 電 灯 は 1 個 を 共 用 する 世 帯 が14%あるほか 1 個 専 用 58% 2 個 21% 3 個 以 上 7%となり 一 部 とはいえ 共 用 さえ 見 られた 便 所 は 新 しく 建 てられた24 戸 (46 世 帯 が 居 住 )には 各 1か 所 ずつあったが 家 主 の 住 居 を 除 けば 残 りは2か 所 の 共 同 便 所 を じつに82 世 帯 が 共 用 する 有 り 様 であった( 写 真 1) 八 十 軒 長 屋 の 土 地 家 屋 居 住 をめぐる 階 層 関 係 は 以 下 のように 整 理 できる( 図 2) じつ は 長 屋 が 建 つ 敷 地 は 大 阪 の 著 名 な 財 閥 企 業 の 経 営 者 である 住 友 吉 左 衛 門 の 所 有 地 であり 不 在 地 主 であるこの 住 友 家 を 頂 点 に その 住 友 から 土 地 を 借 り 地 代 を 納 めながら 借 家 経 営 を 行 い 現 地 に 居 住 している 家 主 家 主 から 住 戸 1 戸 を 借 りる 本 世 所 帯 その1 戸 のうち 二 階 な どの 部 分 を 間 借 りする 同 居 所 帯 これらが 長 屋 の 社 会 関 係 を 構 成 する 人 々である 現 地 に 居 住 する 家 主 は 1か 月 数 百 円 ( 借 家 人 の5 倍 以 上 )の 高 収 入 を 得 る 存 在 で 当 然 家 屋 も 広 々 - 1 -

23 としたものであった 裏 長 屋 に 住 む 借 家 人 たちとの 格 差 は 歴 然 であり こうして 裏 長 屋 の 世 界 には 地 主 家 主 借 家 人 の 間 の 階 層 関 係 が 存 在 したのである 長 屋 住 民 の 職 業 は 世 帯 主 については188 年 代 までの 長 町 と 同 様 屑 物 収 集 に 関 する 職 業 が 少 なくなかったが 世 帯 員 の 世 代 では 雑 貨 品 工 業 が 多 いものの 工 業 的 職 種 に 就 く 者 が 多 く 一 部 には 熟 練 度 の 高 い 工 場 労 働 者 もいた ここには 都 市 下 層 住 民 の 職 業 面 における 上 昇 傾 向 が 読 み 取 れるとともに スラムと 一 括 される 地 域 が 実 際 には 多 様 な 要 素 を 含 んで 成 り 立 っていたことが 示 されていると 言 えよう 大 阪 市 の 新 市 域 を 中 心 に 存 在 した 不 良 住 宅 地 区 は それぞれがこうした 生 活 諸 関 係 を 持 っており 集 住 地 を 単 に 外 部 から 見 て スラム と 一 括 するだけでは 一 面 的 であり その 地 域 の 特 性 を 職 業 居 住 消 費 などを 通 じた 社 会 的 関 係 の 中 で 捉 えていくことが 必 要 であろう 不 良 住 宅 地 区 改 良 事 業 と 都 市 下 層 民 1927 年 から この 八 十 軒 長 屋 を 含 めた 日 本 橋 周 辺 の 長 屋 群 に 対 して 大 阪 市 は 不 良 住 宅 地 区 改 良 事 業 を 進 めた(*17) 大 阪 市 は 同 年 3 月 の 不 良 住 宅 地 区 改 良 法 の 施 行 をうけ 全 国 で 最 も 早 く 事 業 に 着 手 翌 28 年 には 事 業 対 象 地 区 の 指 定 が 認 可 され 改 良 住 宅 の 建 設 が 始 まった 指 定 された 地 区 は 下 寺 町 三 四 丁 目 北 日 東 町 南 日 東 町 東 関 谷 町 一 二 丁 目 広 田 町 の 各 一 部 で 総 面 積 は1 万 8796 坪 戸 数 12にのぼり 6か 年 計 画 で 約 71 万 円 もの 予 算 が 計 上 さ れた 同 年 度 の 社 会 事 業 費 通 常 予 算 38 万 円 と 比 べれば いかに 大 規 模 な 事 業 であったかがわか る この 事 業 によって1943 年 までに 鉄 筋 コンクリート 建 ての3 棟 を 含 む 改 良 住 宅 が 建 設 された ( 写 真 2) しかし 地 区 指 定 と 事 業 構 想 の 発 表 から 間 もなく 裏 長 屋 の 住 民 たちは 事 業 実 施 に 抵 抗 する 運 動 を 開 始 した 住 民 らは 1 移 転 料 の 金 額 に 不 満 2 一 時 移 転 先 ( 今 宮 地 域 )に 不 満 3 事 業 によって 自 分 たちの 生 活 が 奪 われる などと 訴 えたのである 当 初 は 立 ち 退 きに 反 対 し の ちには より 有 利 な 条 件 での 立 ち 退 きを 求 める 運 動 に 変 化 したが 彼 らの 主 張 の 前 提 には 裏 長 屋 で 育 んできた 生 活 への 愛 着 があった この 紛 争 は 長 屋 をめぐる 重 層 的 な 居 住 関 係 を 反 映 して 複 雑 化 し 住 民 と 家 主 地 主 ( 住 友 家

24 写 真 2 市 営 下 寺 町 第 一 住 宅 (1931 年 の 竣 工 当 時 ) ら) 大 阪 市 の 間 で いくつもの 紛 争 が 発 生 した 国 粋 会 の 侠 客 の 仲 裁 もあったため 地 主 家 主 は 一 定 の 譲 歩 を 見 せ 大 阪 市 も 移 転 条 件 改 善 を 行 ったようである 結 局 移 転 条 件 の 改 善 をともなって 改 良 事 業 は 遅 延 縮 小 しながらも 実 施 されたのである 改 良 後 の 住 民 生 活 を 見 ると 居 住 条 件 ( 設 備 畳 数 家 賃 )の 大 幅 な 改 善 だけでなく 大 正 期 以 来 の 地 域 改 善 政 策 の 効 果 もあって 住 民 の 教 育 水 準 や 健 康 状 態 も 向 上 した また 社 会 関 係 の 面 では 間 貸 し 間 借 り 関 係 が 減 少 し 相 対 的 に 所 得 水 準 の 高 い 新 住 民 が 入 居 したほか 重 層 的 な 関 係 が 解 消 されて 大 阪 市 による 住 民 の 直 接 管 理 が 実 現 するなどの 変 化 があった 裏 長 屋 時 代 の 社 会 関 係 は 大 きく 再 編 されたのである じつは 改 良 事 業 の 対 象 としてこの 地 域 が 選 ばれた 背 景 には この 地 域 の 都 市 下 層 民 の 生 活 が 持 っていた 一 定 の 上 昇 可 能 性 が 存 在 した また 立 ち 退 きに 抵 抗 した 住 民 の 主 張 からは スラ ムとはいえ 大 都 市 大 阪 に 移 り 住 み まがりなりにも 世 帯 を 形 成 し 長 屋 内 で 共 同 性 を 育 みな がら 働 き 暮 らしてきた 都 市 下 層 住 民 の 自 負 を 読 み 取 ることもできるだろう 5. 結 論 本 報 告 で 述 べてきた 内 容 を 19 世 紀 から2 世 紀 の 都 市 下 層 社 会 の 変 容 という 点 に 即 して 整 理 すると 次 のような 点 が 指 摘 できる 第 一 に 大 阪 の 都 市 下 層 社 会 は 近 世 以 来 の 下 層 民 集 住 地 として 代 表 的 な 地 位 を 占 めた 長 町 の 変 容 解 体 を 軸 に 工 業 化 都 市 化 が 進 む 中 で 新 たなスラムを 形 成 していった そこには 釜 ヶ 崎 と 日 本 橋 周 辺 という 性 格 の 異 なる 下 層 民 集 住 地 が 生 まれた 2 世 紀 には さらに 拡 大 多 様 化 し 被 差 別 部 落 としての 性 格 を 持 つ 西 浜 町 が 膨 張 を 続 けただけでなく 在 日 朝 鮮 人 や 沖 縄 県 出 身 者 の 集 住 地 も 形 成 された こうして それぞれが 個 性 を 持 つ 下 層 社 会 を 一 つ 一 つてい ねいに 研 究 叙 述 することが さらに 進 められるべきであろう 第 二 に 19 世 紀 の 段 階 と2 世 紀 の 段 階 で 権 力 による 下 層 住 民 対 策 の 性 格 が 変 化 したことで ある つまり 貧 民 の 単 純 な 排 除 から 生 活 改 善 を 伴 った 介 入 と 秩 序 化 への 転 換 である こうした 変 化 は この 間 の 都 市 政 策 の 歴 史 的 変 化 を 反 映 している そこには 居 住 をめぐる 住 民 の 諸 権 利 を 不 十 分 ながらもその 前 提 に 組 み 込 む 形 での 住 宅 政 策 の 登 場 という 変 化 があった

25 と 考 えられる 第 三 に 都 市 下 層 住 民 の 主 体 性 に 関 わる 問 題 である 彼 らは 単 に 近 代 的 市 民 の 陰 画 でも なければ 受 動 的 な 存 在 でもなかった 工 業 化 と 都 市 化 が 進 展 し 大 きく 社 会 が 変 動 する 中 に あって 近 代 の 都 市 下 層 民 は 流 入 者 が 結 婚 し 集 住 定 着 する 形 で 裏 長 屋 にその 生 活 世 界 を 構 築 していった 2 世 紀 段 階 の 都 市 政 策 の 影 響 も 受 けながら 昭 和 戦 前 期 には 都 市 下 層 住 民 の 結 集 運 動 や 権 利 自 覚 にもとづく 生 活 条 件 の 改 善 と 市 民 的 な 成 長 も 一 定 ていどもたらされ た 不 良 住 宅 地 区 改 良 事 業 をめぐる 立 ち 退 き 問 題 は そうした 変 化 を 象 徴 するものではないだ ろうか 以 上 のように 大 阪 の 都 市 下 層 社 会 は 近 世 以 来 の 構 造 を 変 容 させ 19 世 紀 末 以 来 新 たな 流 入 人 口 を 受 けとめながら 巨 大 都 市 大 阪 の 発 展 を 底 辺 で 支 える 重 要 な 役 割 を 果 たしつづけた のである [ 註 ] 1) 成 田 龍 一 近 代 都 市 と 民 衆 ( 同 編 近 代 日 本 の 軌 跡 9 都 市 と 民 衆 吉 川 弘 文 館 1993 年 同 著 近 代 都 市 空 間 の 文 化 経 験 岩 波 書 店 23 年 に 収 録 )など 2) 以 下 の 記 述 は 小 山 仁 示 芝 村 篤 樹 大 阪 府 の 百 年 ( 山 川 出 版 社 1991 年 ) 新 修 大 阪 市 史 編 纂 委 員 会 新 修 大 阪 市 史 第 五 巻 ~ 第 七 巻 ( 大 阪 市 1991~94 年 )を 参 照 した 部 分 も 多 い 特 に 注 記 しな い 限 り 統 計 データなどもそれらの 成 果 に 依 拠 している なお 本 報 告 全 体 に 関 わる 先 行 研 究 として 水 内 俊 雄 近 代 期 大 阪 の 空 間 構 造 と 居 住 分 化 ( 都 市 文 化 研 究 2 号 23 年 )がある 3) 以 下 長 町 については 拙 著 近 代 大 阪 の 都 市 社 会 構 造 ( 日 本 経 済 評 論 社 27 年 ) 第 二 ~ 四 章 を 参 照 4) 鈴 木 梅 四 郎 大 阪 名 護 町 貧 民 窟 視 察 記 (1888 年 西 田 長 寿 編 明 治 前 期 の 都 市 下 層 社 会 光 生 館 197 年 所 収 ) 5) 吉 田 伸 之 表 店 と 裏 店 商 人 の 社 会 民 衆 の 世 界 ( 日 本 の 近 世 9 都 市 の 時 代 中 央 公 論 社 1992 年 同 著 巨 大 城 下 町 江 戸 の 分 節 構 造 山 川 出 版 社 2 年 に 収 録 ) 6) 加 藤 政 洋 大 阪 のスラムと 盛 り 場 近 代 都 市 と 場 所 の 系 譜 学 ( 創 元 社 22 年 ) 7) 前 掲 加 藤 大 阪 のスラムと 盛 り 場 のほか 釜 ヶ 崎 資 料 センター 編 釜 ヶ 崎 歴 史 と 現 在 ( 三 一 書 房 1993 年 )などを 参 照 8) 福 原 宏 幸 都 市 部 落 住 民 の 労 働 = 生 活 過 程 西 浜 地 区 を 中 心 に ( 杉 原 薫 玉 井 金 五 編 大 正 / 大 阪 /スラム( 増 補 版 ) 新 評 論 1996 年 初 出 は1986 年 所 収 ) 9) 第 一 次 大 戦 期 ~192 年 代 の 住 宅 問 題 については 大 阪 都 市 住 宅 史 編 集 委 員 会 まちに 住 まう 大 阪 都 市 住 宅 史 ( 平 凡 社 1989 年 )を 参 照 1) 以 下 米 騒 動 に 関 する 記 述 は 小 山 仁 示 芝 村 篤 樹 大 阪 府 の 百 年 ( 山 川 出 版 社 1991 年 )などによ る 11) 大 森 実 都 市 社 会 事 業 成 立 期 における 中 間 層 と 民 本 主 義 大 阪 府 方 面 委 員 制 度 の 成 立 をめぐって ( ヒストリア 97 号 1982 年 ) 松 下 孝 昭 一 九 二 〇 年 代 の 借 家 争 議 調 停 と 都 市 地 域 社 会 大 阪 市 の 事 例 を 中 心 に ( 日 本 史 研 究 299 号 1987 年 )のほか 前 掲 拙 著 近 代 大 阪 の 社 会 構 造 第 七 章 を 参 照 されたい

26 12) 佐 々 木 信 彰 192 年 代 における 在 阪 朝 鮮 人 の 労 働 = 生 活 過 程 東 成 集 住 地 区 を 中 心 に ( 前 掲 大 正 / 大 阪 /スラム 所 収 ) 杉 原 達 越 境 する 民 近 代 大 阪 の 朝 鮮 人 史 研 究 ( 新 幹 社 1998 年 )などを 参 照 13) 冨 山 一 郎 近 代 日 本 社 会 と 沖 縄 人 ( 日 本 経 済 評 論 社 199 年 )などを 参 照 14) 第 二 次 市 域 拡 張 も 含 めた 戦 間 期 の 大 阪 市 における 都 市 政 策 の 展 開 とその 歴 史 的 特 質 については 芝 村 篤 樹 関 一 都 市 思 想 のパイオニア ( 松 籟 社 1989 年 ) 同 日 本 近 代 都 市 の 成 立 年 代 の 大 阪 ( 松 籟 社 1998 年 )を 参 照 15) 以 下 昭 和 恐 慌 期 の 社 会 問 題 については 前 掲 小 山 芝 村 大 阪 府 の 百 年 を 参 照 16) 前 掲 拙 著 近 代 大 阪 の 都 市 社 会 構 造 第 八 章 を 参 照 17) 前 掲 拙 著 近 代 大 阪 の 都 市 社 会 構 造 第 九 章 を 参 照

27 国 境 をまたぐ 生 活 圏 の 形 成 在 日 済 州 島 出 身 者 の 生 活 史 から 伊 地 知 紀 子 ( 大 阪 市 立 大 学 ) [ 目 次 ] 1. はじめに 2. 済 州 島 民 の 渡 日 (1) 植 民 地 期 の 渡 日 (2) 解 放 前 後 の 渡 日 (3) 密 航 による 渡 日 (4)88を 経 て 3.おわりに 1. はじめに 本 報 告 は 日 帝 時 代 から 現 在 までの 済 州 島 出 身 者 の 移 動 経 験 をとおして 日 本 と 韓 半 島 の 間 に 形 成 された 国 境 をまたぐ 生 活 圏 の 変 容 について 考 察 するものである ここで 済 州 島 出 身 者 に 着 目 する 理 由 は 大 きく2つある 第 一 に 在 日 コリアンの 歴 史 における 解 放 後 史 の 再 検 討 である 第 二 に 在 日 コリアンの 多 様 性 を 示 すためである 第 一 点 目 は 在 日 コリアン 史 の 記 述 に 関 する 問 題 である 従 来 の 研 究 では 在 日 コリアンと は 解 放 前 に 渡 日 した 後 継 続 して 日 本 に 在 住 している 人 々と 考 えられがちである そこには 解 放 前 にいったん 故 郷 を 離 れるとそのまま 戻 ることなく 日 本 に 滞 在 し 続 けているという 移 動 についての 一 方 向 的 な 視 点 がある しかし 実 際 は 故 郷 と 渡 航 先 である 日 本 の 間 を 往 来 する ケースはまれではない 本 報 告 の 対 象 である 在 日 済 州 島 出 身 者 の 軌 跡 をたどってみると 解 放 直 後 から196 年 代 まで 日 本 と 陸 地 部 あるいは 済 州 島 間 の 往 来 済 州 島 からの 再 渡 日 や 初 渡 日 は 頻 繁 に 見 られる さらにその 後 も 密 航 による 渡 日 は 継 続 し 88 年 以 降 は 飛 行 機 で 合 法 的 に 渡 日 する 人 びとが 増 える つまり 在 日 コリアンの 歴 史 は 1945 年 8 月 15 日 に 在 日 していた 人 びとだけで 構 成 されるのではないということだ 本 報 告 ではこうした 人 々の 双 方 向 的 な 移 動 の 軌 跡 と その 移 動 を 生 みだした 背 景 を 明 らかにす ることによって 国 境 をまたぐ 生 活 圏 ( 梶 村 1985)の 生 成 と 変 容 について 論 じる また こ うした 移 動 を 支 えている 構 造 には 家 族 と 労 働 にかかる 部 分 が 大 きく 関 わっている 調 査 対 象 者 の 移 動 にあたって 家 族 や 親 族 を 頼 りに 渡 日 するケースや 調 査 対 象 者 自 身 を 頼 りに 家 族 や 親 族 が 渡 日 するケースは 少 なくない さらに 渡 航 後 の 生 活 のためには 必 ずいずこかで 労 働 に 従 事 しなければならず 労 働 口 を 得 るためには 家 族 親 族 同 郷 といった 人 間 関 係 がベース となっている 本 研 究 では 特 にこうした 家 族 と 労 働 に 着 目 し 渡 日 にいたる 歴 史 渡 日 後 の

28 生 活 故 郷 との 紐 帯 帰 還 にいたる 経 緯 帰 還 後 の 生 活 などを 具 体 的 に 明 らかにする ただ ここで 注 意 しなければならないことは 当 事 者 にとっては 家 族 親 戚 との 関 係 や 就 業 関 係 での 連 続 的 な 移 動 であっても 法 制 度 上 では 解 放 前 における 帝 国 日 本 の 拡 張 期 での 移 動 と 解 放 後 における 帝 国 日 本 崩 壊 と 冷 戦 構 造 下 での 移 動 は 非 連 続 なものとして 処 遇 されたというこ とである そのため 解 放 後 の 在 日 コリアンの 間 では 世 代 区 分 だけでなく 在 留 資 格 の 合 法 / 非 合 法 も 入 ることとなった これに 加 えて 南 北 分 断 による 在 日 コリアン 内 部 の 分 裂 がある こ うした 解 放 後 の 在 日 コリアンの 歴 史 のなかで 韓 半 島 との 関 係 を 踏 まえた 移 動 史 の 研 究 蓄 積 は 薄 い 当 時 について 当 事 者 の 発 話 が 記 録 されることが 困 難 であること 官 憲 側 の 資 料 を 使 用 せ ざるをえなかった 限 界 があったためであろう さらに 本 報 告 の 対 象 である 済 州 島 から 日 本 へ の 移 動 の 背 景 には 済 州 4 3もまた 深 く 関 わっていた 韓 国 での 動 きが 示 すように 長 く4 3について 発 話 することはタブーであったために 従 来 の 在 日 コリアンに 関 する 研 究 では4 3 も 含 めた 密 航 経 験 に 関 する 詳 細 な 研 究 は 皆 無 であった この 点 については 現 在 報 告 者 を 含 めた 共 同 研 究 解 放 直 後 在 日 済 州 島 出 身 者 の 生 活 史 調 査 による 調 査 研 究 が 進 んでいる 第 二 点 目 は 日 本 における 在 日 コリアンの 学 説 史 についてである 戦 後 在 日 コリアンは 一 時 的 滞 在 者 として 政 治 問 題 扱 いをされ 197 年 代 から 定 住 をめぐる 社 会 問 題 が 論 じ られるようになる いずれも 在 日 朝 鮮 人 問 題 として 問 題 化 されてきたが 199 年 代 に 入 り 国 際 化 時 代 における 内 なる 他 者 として 学 問 の 領 域 でも エスニシティ 研 究 の 対 象 として 取 り 上 げられるようになった つまり 日 本 国 内 の 少 数 民 族 として 分 析 の 対 象 と なったのである こうした 研 究 傾 向 は 21 世 紀 前 後 から 在 日 コリアンの アイデンティティ の 多 様 化 をテーマとする 研 究 となって 現 れた 世 代 交 代 国 際 結 婚 の 増 加 ダブル などがタイトルとなり 民 族 的 アイデンティティの 行 方 が 論 じられている これらの 研 究 は 在 日 コリアンを 一 枚 岩 として 論 じてきた 既 存 研 究 の 視 点 を 検 証 するうえでは 意 味 がある 在 日 コリアンを 一 枚 岩 として 論 じるパターンは2つあり 在 日 コリアンを 差 別 や 排 除 の 対 象 である 受 動 的 存 在 ( 非 差 別 者 )として 記 述 するもの 差 別 や 排 除 と 闘 う 能 動 的 存 在 ( 運 動 体 )として 記 述 するもののどちらかに 集 約 されがちであった 在 日 コリアンの 多 様 性 を 論 じる 研 究 は こ うしたパターンへ 異 議 を 唱 えるものとして 評 価 できるが 限 界 もある それは 既 存 の 在 日 コ リアン 研 究 が 在 日 コリアンを 日 本 国 家 の 枠 内 にいる 存 在 として 捉 え 朝 鮮 半 島 との 関 係 を 論 外 に 置 いているということである 近 年 の 研 究 では 在 日 コリアンと 朝 鮮 半 島 との 関 係 を 視 野 に 入 れ かつ 先 述 した2つのパターンとは 異 なる 視 点 として 常 に 非 差 別 者 でもなく また 常 に 運 動 者 でもない( 時 にどちらでもある) 日 常 生 活 を 営 む 民 衆 の 姿 を 記 述 する 研 究 が 出 始 めてい る( 杉 原 1998; 高 鮮 徽 1998; 伊 地 知 2) 本 報 告 では こうした 日 常 生 活 を 営 む 民 衆 の 視 点 にたち 在 日 済 州 島 出 身 者 が 移 動 してきた 軌 跡 を 人 びとの 生 活 史 をとおして 辿 ることによって 在 日 コリアンを 一 つの 国 家 を 越 える 視 点 から 捉 える 必 要 性 を 論 じる それは 国 境 をまたぐ 生 活 圏 の 形 成 と 変 容 について 論 じて いくもう 一 つのポイントである ここで 済 州 島 出 身 者 の 移 動 と 生 活 史 に 焦 点 を 置 くのは そ の 特 殊 性 を 示 すためというよりも それが 朝 鮮 民 衆 全 体 の 経 験 の 一 環 であり 普 遍 的 な 現 象 や 問 題 が 集 中 したり 突 出 しているものであるがゆえに そこに 日 本 帝 国 主 義 と 朝 鮮 の 関 係 性 を 浮

29 き 彫 りにする 可 能 性 が 内 在 していると 考 えるためである ( 伊 地 知 村 上 28:88) 上 記 2 点 を 通 して 本 報 告 は 日 本 における 従 来 の 在 日 コリアン 研 究 に 欠 けていた 国 境 をま たぐ 視 点 = 韓 半 島 との 関 係 を 普 通 の 人 びと の 日 常 という 視 点 に 立 って 提 示 するものであ り それは 同 時 に 韓 半 島 の 歴 史 と 在 日 コリアンの 歴 史 との 関 係 性 を 考 える 材 料 となるものであ る 本 報 告 にあたっては 報 告 者 による1992 年 以 降 の 個 人 研 究 と1999 年 以 降 の 共 同 研 究 の 成 果 が ベースとなっている 個 人 研 究 としては 済 州 島 北 東 部 の 海 村 である 杏 源 里 が 報 告 者 の 主 たる フィールドあることから 杏 源 里 出 身 者 の 生 活 史 がデータの 主 軸 となり 他 の 村 出 身 者 について もとりあげていくスタイルを 採 用 する 2. 済 州 島 民 の 渡 日 (1) 植 民 地 期 の 渡 日 1 賃 労 働 植 民 地 期 に 済 州 島 から 賃 金 労 働 者 として 渡 日 した 人 びととしては 漁 民 と 工 場 労 働 者 があげ られる 漁 民 としてはチャムスをあげることができる( 注 1) チャムスたちは 陸 地 に 出 稼 ぎに 出 た 後 193 年 三 宅 島 への 出 漁 を 発 端 に 日 本 各 地 で 漁 をした( 資 料 1) 済 州 島 と 釜 山 を 結 ぶ 汽 船 運 航 に 乗 りだした 済 州 商 船 株 式 会 社 が1922 年 に 設 立 されるが その 動 きについて 朝 鮮 近 現 代 史 研 究 の 藤 永 壮 は 潜 嫂 ( 海 女 )たちが 釜 山 地 方 に 多 数 出 稼 ぎしていた 状 況 に 目 をつ け 済 州 釜 山 間 の 汽 船 運 航 に 乗 り 出 したのではないかとも 考 えられる と 論 じている( 藤 永 1999:75) そして 済 州 商 船 株 式 会 社 は 翌 年 済 州 島 と 大 阪 間 の 直 行 航 路 に 就 航 した 大 阪 にある 尼 崎 汽 船 部 と 業 務 提 携 をする この 定 期 航 路 は 済 州 島 から 大 阪 への 渡 航 者 を 数 多 く 運 んだ そのなかに 先 述 したチャムス もおり またチャムスの 次 に 工 場 労 働 者 として 渡 日 した 人 びともいた 日 本 の 近 代 化 のなか で 東 洋 のマンチェスター と 呼 ばれる 工 業 都 市 となる 大 阪 への 渡 航 は 1911 年 摂 津 紡 績 木 津 川 工 場 からの 職 工 募 集 からスタートする 土 地 調 査 事 業 による 土 地 の 剥 奪 に 押 される 形 で 191 年 代 済 州 島 からの 渡 日 者 数 は 増 加 の 一 途 をたどる これを 後 押 ししたのが 先 述 した 済 州 島 大 阪 間 の 定 期 航 路 であった 地 理 学 者 である 桝 田 一 二 も 1934 年 大 阪 築 港 から 君 が 代 丸 で 済 州 島 に 向 かった この 船 の 船 客 規 定 定 員 は365 名 であるが 出 稼 ぎ 船 客 定 員 として685 名 までは 許 されていた 桝 田 一 二 が 乗 った 際 の 船 客 563 名 のうち 561 名 が 済 州 島 の 人 であったという 船 内 には 若 者 が 多 く 17 8 歳 から3 歳 前 後 の 者 が 大 部 分 である 中 には まげを 結 って 馬 の 尾 で 編 んだ 冠 をつけ あご ひげをのばした 者 や 老 婆 もいる また 体 つきなどから 出 稼 ぎ 海 女 や 一 家 総 出 の 出 稼 ぎらしい 人 顔 の 青 白 い 女 工 らしい 娘 なども 乗 っていたという 報 告 者 が 杏 源 里 で 話 を 聞 くと 海 女 として 出 稼 ぎのために 渡 日 した 人 のなかには 大 阪 で 洋 服 の まとめ (( 洋 服 のボタン 付 けや 袖 付 け 脇 の 縫 い 合 わせなど)という 下 請 けの 内 職 をしてから 帰 郷 した 人 も いた 人 々は 現 金 を 得 るべく 多 様 な 労 働 に 就 いたのである 直 行 航 路 によって 結 びつけられ た 済 州 島 と 大 阪 の 繋 がりのなかで 往 来 する 人 々 その 姿 を 桝 田 は 本 船 は 済 州 島 の 一 部 が 切

30 り 離 されて 海 上 を 不 動 しているようなものである と 述 べている( 桝 田 1976:27-28)( 注 2) また 内 鮮 協 和 会 の 廣 瀬 勝 は 1926 年 在 阪 朝 鮮 人 と 済 州 島 と 題 する 文 章 のなかで 済 州 島 に 流 入 する 物 資 について 時 代 の 波 は 此 所 にも 打 寄 せ 自 動 車 の 疾 驅 するあり トランクの 見 ゆるあり 汽 車 電 燈 こそ 無 けれ 日 に 月 に 一 通 りの 流 行 品 の 入 り 来 る 有 様 と 記 した( 廣 瀬 1926:65) 済 州 島 の 北 西 部 涯 月 邑 郭 支 里 から 渡 阪 した 林 汝 玉 さん(1921 年 生 )は 14 歳 のとき 父 親 に 無 理 やり 頼 んで 渡 航 証 明 書 を 取 り 同 じ 村 の 人 が 取 締 役 をしていた 尼 崎 の 紡 績 工 場 に 入 った 渡 阪 の 理 由 として 林 汝 玉 さんは 済 州 島 と 日 本 を 行 ったり 来 たりする 人 のなかで 紡 績 工 場 に 勤 めている 人 が 持 ち 帰 る 日 本 のミカンがあまりに 甘 かったので 皮 まで 残 せへん と 食 べ 日 本 から 帰 る 人 は ちょっと 色 が 白 い きれいねん それを 見 たらね また 服 でも な ボロ 服 でもきれいに 見 えまんがな な そおようなんとか みんな 憧 れるしね と 語 っ た 日 本 から 帰 った 人 の 色 が 白 い のは 悪 臭 と 騒 音 呼 吸 も 満 足 にできない 紡 績 工 場 で 働 いた 翰 林 邑 出 身 の 女 性 のライフヒストリー( 成 1994:49)から 伺 えるように 過 酷 な 労 働 の ためであろう( 注 3) 廣 瀬 の 記 述 からは 帰 郷 する 人 が 身 に 付 けたり 持 ち 帰 った 洋 服 和 服 が 古 着 屋 に 品 物 として 売 られた 様 子 も 見 て 取 れる( 廣 瀬 1926b:68) 先 にふれたように 済 州 島 からの 渡 航 者 の 数 は 直 行 航 路 の 開 設 により 増 加 した 当 初 は 男 性 の 単 身 出 稼 ぎであったが 1924 年 には 定 期 航 路 体 制 が 確 立 し 渡 航 者 数 が22 年 の3 倍 に 上 り 女 性 の 渡 航 者 数 もこの 頃 から 増 え 始 める 日 本 からの 送 金 は 済 州 島 にいる 人 々の 生 計 を 大 き く 助 けることになった 実 際 済 州 島 から 大 阪 や 下 関 に 向 けて 移 出 されたのものは 鮮 魚 や 鮮 貝 カジメといった 海 産 物 がほとんどであり 反 対 に 済 州 島 へ 移 入 されるものは 砂 糖 綿 織 物 米 などの 生 活 用 品 であった( 善 生 1929:88) またこの 航 路 は 単 に 人 や 物 を 運 ぶだけでは なく 日 本 にまつわる 様 々な 情 報 やイメージを 島 にもたらした 杏 源 里 の 渡 阪 出 稼 ぎは192 年 代 にはじまる いい 畑 を 買 う 金 を 稼 ぐ ためだったと 村 で は 語 られる 今 でも 畑 にまつわる 出 稼 ぎ 話 が 語 り 継 がれている 杏 源 里 から 大 阪 に 行 った 金 春 緑 さん(1915 年 生 )は 1931 年 から5 年 間 大 阪 にいた( 注 4) 金 春 緑 さんは 15 歳 の 時 に 北 海 道 の 炭 坑 労 働 者 への 募 集 が 来 たので 自 分 が 連 れていかれるかもしれないと 思 い 山 に 隠 れた 経 験 を 持 っていた 杏 源 里 からは 北 海 道 に3 人 送 られた その 後 193 年 代 に 樺 太 の 木 材 伐 採 に 徴 用 されていった 人 もいる 金 春 緑 さんは 再 びどこかに 連 れて 行 かれることを 懸 念 し また 学 校 に 行 きたいという 思 いが 強 く 日 本 に 行 けば 可 能 になると 考 えた 金 春 緑 さんが 渡 日 した 当 時 は 渡 航 許 可 証 が 必 要 であり 金 寧 派 出 所 で 申 請 した 12 人 の 警 官 のなかで 朝 鮮 人 は1 人 日 本 語 ができない 人 がそこにいくと くさい 汚 い とバカにされたり 殴 られ た 証 明 を 出 してもらうための 費 用 は2 円 だったが 賄 賂 として 警 官 に5 円 から1 円 出 してい た( 注 5) それでも 申 請 後 は 身 辺 を 調 査 された 善 良 で 健 康 な 成 人 男 性 が 労 働 の 基 準 だったのである また 金 春 緑 さんのように 渡 航 許 可 証 を 取 得 できなかった 人 びとは 密 航 に よって 渡 日 していた

31 2 同 郷 性 と 就 業 定 期 航 路 開 設 により 日 本 居 住 者 は1934 年 末 には 済 州 島 民 の5 分 の1に 達 した 大 阪 では メリヤスの 月 汀 印 刷 の 杏 源 という 言 葉 ができるほど 村 と 日 本 の 近 代 工 場 との 経 路 は 確 実 となっていった 当 時 日 本 は 第 一 次 世 界 大 戦 後 の 好 況 により 大 企 業 による 設 備 投 資 や 中 小 零 細 企 業 が 増 加 していた 当 時 大 阪 は 経 済 の 急 激 な 伸 張 に 必 要 な 労 働 力 を 朝 鮮 半 島 や 沖 縄 からの 渡 航 者 で 補 充 する 国 際 都 市 であった 植 民 地 体 制 がしかれていくなかで 生 きる 術 を 求 めて 渡 航 する 人 々の 多 くが 土 木 建 築 貨 物 運 搬 衛 生 掃 除 などの 長 時 間 過 酷 不 快 低 賃 金 の 現 在 3K といわれるような 下 層 労 働 についていた そのなかで 阪 神 地 域 から 職 工 募 集 があったということが 191 年 代 からの 済 州 島 からの 渡 日 者 の 増 加 の 背 景 にあっ た 大 阪 市 のなかで 現 在 の 生 野 区 を 含 む 当 時 の 東 成 区 は 都 市 計 画 事 業 の 本 格 的 な 発 展 のなか で 市 街 化 が 進 んだ 東 成 には 中 小 工 場 が 集 中 し 当 時 綿 織 物 工 場 石 鹸 工 場 は 工 場 数 生 産 額 とも 大 阪 市 の 第 一 位 を 占 め ゴム 工 場 の 工 場 数 は 大 阪 市 の 第 一 位 生 産 額 は 第 二 位 を 占 めてい た また ろうそく 工 場 セルロイド 工 場 金 属 品 工 場 ホーロー 工 場 ガラス 工 場 洋 傘 工 場 などの 零 細 工 場 も 多 く いずれも 職 工 が 不 足 していた そこでこの 不 足 労 働 力 を 埋 めるべ く 済 州 島 人 は 大 阪 へと 動 員 されることになった( 資 料 2) 192 年 代 出 稼 ぎ 当 初 に 杏 源 里 から 渡 阪 した 人 で うまくいった 人 は 康 チバンに1 人 い た その 人 は 金 春 緑 さんの 父 方 の 叔 母 の 夫 になる 金 春 緑 さんのコモブは 初 め 印 刷 工 場 に 入 り うまく 働 いた ので 金 儲 けをして 食 堂 兼 下 宿 を 始 めた そこで 世 話 になって 仕 事 を 紹 介 してもらった 杏 源 の 人 は 1 人 はいるさ と 金 春 緑 さんはいう 村 から 大 阪 に 行 く 人 たちは 互 いの 渡 阪 をすべて 知 っていたのではなかった ただ 村 では 谷 町 空 堀 町 といった 地 名 だけは 杏 源 里 の 人 が 多 くいる 場 所 として 耳 に 馴 染 んでいた 杏 源 里 の 人 々が 特 に 集 って 住 んでいた 谷 町 4 丁 目 には 康 チップトンネ( 康 家 洞 内 ) と 呼 ぶ 筋 があったと 金 春 緑 さんは 語 った( 注 6) ここを 探 し 当 てるには 万 貫 堂 という 店 が 目 印 だった 杏 源 里 出 身 者 が 集 う 康 チップトンネ のように 同 郷 者 同 士 で 集 住 していた 地 域 は 現 在 の 生 野 区 および 東 成 区 にまたがる 猪 飼 野 と 呼 ばれた 済 州 島 出 身 者 が 集 住 している 地 域 だけで なかった 1931 年 18 歳 のとき 当 時 城 内 と 呼 ばれた 済 州 市 から 子 供 を 一 人 連 れて 夫 のいる 大 阪 に 来 た 高 緑 山 さんは 夫 の 親 戚 や 自 分 の 弟 のいる 森 町 ( 現 在 の 森 之 宮 付 近 )に 向 かった 最 初 は そこから 南 西 に 離 れた 本 庄 ( 現 在 の 東 今 里 付 近 )で 朝 鮮 の 人 ( 同 郷 者 でも 済 州 島 の 人 でもないときの 表 現 )から 又 貸 しで3 畳 1 部 屋 を 一 ヶ 月 5 円 で 借 り1 年 住 んだ 博 打 をして なかなか 給 料 を 持 って 帰 らない 夫 に 困 っていたところ 近 所 の 朝 鮮 の 人 が 傘 の 糊 付 けの 内 職 を 取 ってきて 教 えてくれた 稼 いだ 金 はその 朝 鮮 の 人 が 親 になり 頼 母 子 をしてくれ 森 町 で 家 を 借 りる 資 金 にした ところが 空 いている 家 はたくさんあるにもかかわらず 日 本 人 家 主 は 全 く 貸 してくれな かった そこで 昔 のやくざ 気 のある 日 本 人 に 頼 んで 何 とか 見 つけた しかし 事 はすん なり 運 んだわけではなかった まず 家 賃 は 高 緑 山 さんが1 年 分 払 うことにして 先 に 沖 縄 出

32 身 者 に 借 りてもらった 次 に その 家 の 二 階 を 間 貸 しする 貼 り 紙 を 借 り 主 となった 沖 縄 出 身 者 にはってもらい 高 緑 山 さんが 借 りた そして1 年 後 沖 縄 出 身 者 が 大 家 に 自 分 が 沖 縄 に 帰 っている 間 の 家 賃 はすべて( 一 階 分 と 二 階 分 合 わせて) 高 緑 山 さんが 支 払 うと 告 げて 出 て いった こうした 手 順 を 踏 んで やっと 高 緑 山 さんは 一 軒 の 借 家 を 使 用 できるようになったの である 当 時 の 家 賃 は 一 ヶ 月 2 円 ガラス 工 の 夫 の 月 収 は35 円 だった 高 緑 山 さんの 内 職 でも 補 いきれない そこで 高 額 な 家 賃 のやりくりを 高 緑 山 さんは 二 階 の6 畳 を 二 つに 分 けて5 円 ずつで 朝 鮮 の 人 に 又 貸 しすることで 賄 った こうして 済 州 島 をはじめとする 朝 鮮 から 来 た 人 々は 集 住 することになる その 状 態 を 指 して 大 阪 市 社 会 部 調 査 課 (193)は 報 告 書 で 日 本 人 家 主 は 朝 鮮 人 が 一 戸 に 群 居 するから 貸 さない という 拒 否 理 由 を 挙 げているが 問 題 は 逆 である 日 本 人 の 拒 否 があるがゆえに 人 々は 集 住 せざるをえなかった しかし 高 緑 山 さんのように 間 に 沖 縄 出 身 者 を 介 する 工 夫 や 様 々な 同 郷 ネットワーク 済 州 島 / 陸 地 といった 地 域 別 を 越 えた 朝 鮮 人 ネットワークなども 形 成 活 用 しながら 人 々は 固 有 の 生 活 空 間 を 形 成 してきた 集 住 地 域 には 人 々とともに 生 活 必 需 品 も 集 まる そうして 人 々はそれぞれ 金 や 物 や 力 を 持 ち 寄 り 杏 源 里 出 身 の 人 々のように 親 睦 会 を 結 成 し 冠 婚 葬 祭 を 執 り 行 った それは 都 市 の 居 住 空 間 に 生 活 世 界 としての 村 を 再 現 しようと する 出 稼 ぎ 民 の 実 践 ( 松 田 1996:141)として 生 成 応 用 されたものであった (2) 解 放 前 後 の 渡 日 第 二 次 世 界 大 戦 に 突 入 し 戦 況 が 悪 化 するなか 都 市 にいた 済 州 島 出 身 者 にとって 田 舎 で ある 済 州 島 が 疎 開 先 となる 1945 年 に 解 放 を 迎 えると 済 州 島 への 移 動 は 引 揚 げ となり 44 年 から46 年 の 間 に 人 口 は 約 5 万 3 人 増 加 した( 済 民 日 報 4 3 取 材 班 1994:39) 解 放 によって 済 州 島 の 生 活 は いきなり 植 民 地 経 済 構 造 から 放 り 出 されてしまう 植 民 地 期 済 州 島 の 生 活 必 需 品 は 日 本 からの 送 金 および 輸 入 によって 賄 われていた( 伊 地 知 2:86-93) その 流 れが 解 放 によって 突 然 断 たれることになる さらに 帰 郷 には 千 円 という 財 産 持 帰 り 制 限 が 課 せられる そのため 人 や 物 品 を 搬 入 するために 貨 物 船 や 小 型 漁 船 が 玄 界 灘 を 往 来 していた( 済 民 日 報 四 三 取 材 班 前 掲 書 :19) 梁 愛 正 さん(1937 年 生 )は 母 と 弟 二 人 とともに 45 年 疎 開 で 本 籍 地 である 済 州 島 下 貴 里 に 初 めて 住 むことになる 父 と 姉 は46 年 に 引 揚 げてきたが そのとき 品 物 を 仕 入 れて 済 州 島 で 売 りさばいたという( 藤 永 他 2) 李 健 三 さんは 1937 年 大 阪 で 生 まれ1946 年 家 族 で 済 州 島 新 村 里 に 帰 郷 した 李 健 三 さ んの 母 は 4 3の 前 年 に 不 穏 な 空 気 を 村 内 で 感 じ 済 州 市 への 引 越 しを 決 意 した そこで 日 本 に 残 ってゴム 長 靴 工 場 を 営 む 長 女 から 引 越 し 資 金 を 調 達 するために 母 は 再 渡 日 し 済 州 島 に 戻 ってきた 李 健 三 さんが 当 時 の 行 き 来 は 自 由 やったから と 語 るように 解 放 によって 突 然 国 境 線 が 引 かれても 人 びとの 生 活 感 覚 にすぐさま 国 境 線 が 持 ち 込 まれるわけではない( 藤 永 他 27) しかし 実 際 は 国 境 線 が 成 立 しているのであり GHQ 当 局 の 許 可 無 しでの 外 国 人 の 日 本 への 出 入 国 は 禁 止 されていた さらに 日 本 からの 物 資 の 持 ち 込 みは 密 輸 と 看 做 された 当 時 米 軍 政 の 警 察 服 に 着 替 えた 日 帝 の 巡 査 たち が 密 輸 品 を 取 り 締 まる という 大 義 名 分 の - 2 -

33 もとに 活 動 した しかし 物 資 搬 入 を 処 分 するよりも 裏 取 引 で 私 腹 を 肥 やしたものが 多 く 後 に このような 謗 利 行 為 に 米 軍 政 官 吏 や 警 察 高 位 幹 部 西 北 青 年 会 などの 施 設 団 体 が 加 わり 数 々の 暴 利 事 件 に 繋 がったのである( 済 民 日 報 四 三 取 材 班 1994:45) 解 放 後 も 在 日 する 人 びとが 済 州 島 にいる 人 びとの 生 活 を 支 える 姿 そして 日 本 と 朝 鮮 半 島 双 方 の 占 領 軍 が 往 来 を 取 り 締 まる 様 子 は 解 放 とは 何 であったのかを 問 うものといえよう これら 経 済 的 要 因 に 加 えて46 年 コレラが 発 生 し 生 活 疲 弊 に 追 い 打 ちをかけるように 凶 作 が 続 く こうした 状 況 の なか 渡 日 再 渡 日 する 人 びとは 続 き 46 年 不 法 入 国 で 検 挙 された 人 数 は1 万 7 千 人 を 越 えた ( 法 務 省 入 国 管 理 局 1959:14) そして 人 びとを 日 本 へ 向 かわせる 要 因 には 48 年 に 起 き た 済 州 4 3もまた 深 く 関 わっていたのである (3) 密 航 による 渡 日 解 放 直 後 の 渡 航 は 1945 年 1 月 から 始 まり 1946 年 は2 万 人 を 越 えた これらはすべて 密 航 = 事 前 許 可 なし 渡 航 であった こうした 動 きに 対 して 米 軍 政 長 官 からGHQへ 要 請 があり 1946 年 3 月 本 国 に 帰 還 した 非 日 本 人 は 連 合 国 最 高 司 令 官 によって 認 可 された 場 合 を 除 いて 通 商 上 の 交 通 機 関 が 利 用 できるまで 日 本 に 戻 ることは 許 されない という 項 目 が 盛 り 込 まれた (SCAPIN822)( 伊 地 知 村 上 28:98-99) 1947 年 以 降 の 密 航 には 後 の 済 州 4 3に 繋 がる 動 きがある 1947 年 3 月 1 日 の3 1 独 立 運 動 28 周 年 記 念 集 会 の 後 警 察 の 無 差 別 発 砲 によって 子 供 を 含 めた6 人 の 住 民 が 犠 牲 になる 事 件 が 起 き た( 注 7) 島 民 は 官 民 総 ストライキを 全 島 で 展 開 し 警 察 へ 抗 議 した この 動 きを 米 軍 政 は 北 朝 鮮 と 共 謀 したものと 見 なし 陸 地 部 から 警 察 を 動 員 し ストライキ 関 連 者 の 検 挙 が 始 まっ た 弾 圧 を 避 けるための 渡 航 先 の 一 つが 日 本 であった 全 体 像 は 不 明 であるが 1947 年 5 月 12 月 九 州 地 方 への 密 航 船 15 隻 で 479 人 が 到 着 した( 伊 地 知 村 上 28:15-16) これら の 人 びとを 待 ち 受 けていたのは 1947 年 5 月 に 公 布 施 行 された 勅 令 27 号 外 国 人 登 録 令 ( 注 8)であり GHQによる 許 可 のない 不 法 入 国 者 としての 処 遇 であった ここでのGHQの 視 角 は 占 領 の 目 的 に 有 害 な 活 動 を 行 う 人 物 の 流 れという 観 点 から 治 安 の 点 でも 極 めて 重 要 である [RG331,GHQ/SCAP Recors.]というものであった( 伊 地 知 村 上 28:18-19) この 時 期 を 中 心 として 報 告 者 を 含 めた 解 放 直 後 の 在 日 済 州 島 出 身 者 の 生 活 史 調 査 チー ムでは 1999 年 から 現 在 までに35 名 にインタビュー 調 査 を 行 ってきた そのうち 28 年 まで のデータである 資 料 3の 人 びとのうち 金 好 珍 さんと 孫 裕 炯 さんを 除 いた 全 員 が 密 航 による 渡 日 であり 高 太 成 さんを 除 いた 全 員 が 家 族 親 族 を 頼 っての 渡 日 であった 梁 寿 玉 さん 李 性 好 さん 高 蘭 姫 さん 姜 京 子 さんは 自 身 があるいは 家 族 が 武 装 隊 ( 注 9)に 入 ったため 渡 日 したケース 高 奉 淀 さんは 韓 国 海 軍 として4 3 鎮 圧 のために 済 州 島 での 海 上 警 備 に 派 遣 され 水 葬 ( 注 1)を 目 撃 し 陸 地 部 へ 戻 った 後 で 左 翼 思 想 の 著 書 を 読 むようになり 軍 を 追 わ れ 渡 日 したケース 梁 愛 正 さんは 父 が3 1 集 会 後 に 検 挙 を 恐 れ 渡 日 し その 父 を 頼 りに 進 学 のために 渡 日 したケース 李 健 三 さんも 進 学 のために 渡 日 したケース こうした 事 情 のほ かに 経 済 的 理 由 もある 済 州 4 3 朝 鮮 戦 争 という 激 変 の 最 中 であった5 年 代 は ポリッ コゲ( 麦 峠 ) という 言 葉 で 象 徴 される 飢 餓 の 時 代 であった 57 年 には4 年 ぶりといわれる

34 大 凶 作 となる こうした 状 況 のなか 58 年 12 月 17 日 の 夜 に 朝 天 面 新 村 浦 口 から 日 本 に 密 航 し ようとした9 名 を 検 挙 という 記 事 が 出 ている( 済 民 日 報 ) 先 述 した 以 外 の 人 び との 渡 日 背 景 には こうした 生 活 難 もある また 解 放 前 後 で 離 散 した 家 族 の 結 合 という 事 情 もある 1968 年 8 月 21 日 付 の 済 州 新 聞 に は 日 本 特 別 滞 在 申 請 という 記 事 がある 内 容 は 次 のようなものだ 金 良 淑 さん( 当 時 13 歳 )は 1 歳 の 彼 女 を 済 州 島 に 置 いて 渡 日 した 母 のもとへ 行 くため 密 航 し 上 陸 するや 出 入 国 管 理 収 容 所 に 収 監 されたため 済 州 島 内 の 各 界 で 一 万 名 署 名 運 動 が 起 こり 人 道 主 義 の 観 点 から 金 良 淑 さんが 在 日 できるよう 在 日 韓 国 大 使 館 が 日 本 政 府 と 交 渉 し 特 別 在 留 許 可 を 得 た この 記 事 は 在 留 許 可 を 得 るまで3 度 にわたって 掲 載 されている こうした 家 族 結 合 のための 渡 日 は 先 述 した< 資 料 >では 玄 ジョンミンさんのケースである ただ 注 意 しなければならない ことは ここで 取 り 上 げた 渡 日 要 因 は 直 接 的 であるが 背 景 には 帝 国 日 本 の 拡 張 と 崩 壊 という 歴 史 的 変 化 があるということだ 密 航 者 数 そのものは 1965 年 日 韓 条 約 を 基 準 に 摘 発 件 数 が 急 減 する( 玄 武 岩 27:17) しかし 日 韓 国 交 正 常 化 による 正 規 ルートの 入 国 が 可 能 となった 後 も そのルートで 渡 日 する には 手 続 きが 煩 雑 であり 198 年 代 まで 密 航 が 絶 えることはなかった こうした 解 放 後 の 密 航 による 移 動 は 日 本 からはもちろん 韓 国 からも 不 法 行 為 とされる 非 連 続 的 な 処 遇 を 受 ける ものとなった その 一 方 で 解 放 前 から 形 成 されてきた 生 活 圏 のなかで 済 州 島 民 にとっては 連 続 的 なものであった 先 述 した 金 良 淑 さんのように 家 族 の 結 合 も 含 め 渡 日 はさまざまな 事 情 によるものであるが 何 より 生 活 に 余 裕 が 出 てきた と 実 感 できる8 年 代 ( 伊 地 知 2:13-14)まで 人 びとにとって 密 航 とは その 不 法 性 を 問 う 以 前 に 経 済 的 社 会 的 に 選 ばざるをえなかった 移 動 手 段 だったのである (4)88を 経 て 88 年 ソウル オリンピックを 経 て89 年 海 外 渡 航 自 由 化 前 後 から 人 びとは 飛 行 機 に 乗 って 済 州 島 から 日 本 に 来 るようになる 3ヶ 月 の 親 族 訪 問 ビザ 15 日 の 観 光 ビザを 使 ってひと 仕 事 して は 済 州 島 に 帰 り また 渡 日 するという 短 期 滞 在 型 の 移 動 形 態 が 生 まれた ただ 当 初 から ひ と 仕 事 目 的 で 来 日 するとは 限 らない 私 が 杏 源 里 でこの 時 期 以 降 の 渡 日 理 由 を 尋 ねた 際 日 本 で 弟 がしている 母 の 祭 祀 に 一 度 顔 を 出 したいから 甥 の 結 婚 式 のため 兄 の 小 祥 ( 一 周 忌 )に 息 子 と 村 の 畑 管 理 で 相 談 するため など 出 稼 ぎ 以 外 のさまざまな 答 えが 返 ってきた そこで 家 族 や 親 戚 の 手 伝 いから 近 所 の 工 場 へという 流 れもできる もちろん なかにはビザの 期 間 が 切 れてもそのまま 不 法 滞 在 する 人 びとはいる 私 が94 年 に 杏 源 里 を 初 めて 訪 れたとき 俺 が 関 空 を 作 ったんだ 鶴 橋 に 鶴 一 って 焼 き 肉 屋 があるだろ 私 はあ そこにいたんだ と 気 軽 に 声 をかけられた( 資 料 4) そのうちの 一 人 9 年 3 歳 のときに 大 阪 の 親 戚 を 頼 って 従 兄 とともに 渡 日 したヒジニアバン は その 後 3 年 間 不 法 滞 在 していた ヒジニアバンは 当 初 親 戚 が 借 りてくれた 大 阪 市 生 野 区 のアパートに 入 ったが 仕 事 探 しは 自 分 でした 鶴 橋 には 彼 と 同 じく 不 法 滞 在 する 人 同 士 で 情 報 交 換 し 生 活 用 品 を 販 売 する 場 所 がある そこで ヒジニアバンのような 不 法 滞

35 在 者 を 雇 ってくれる 砂 利 採 集 業 者 や 電 気 工 事 会 社 などの 仕 事 情 報 を 得 て 働 いてきた 彼 のよ うな 人 びとにとって 住 居 の 確 保 も 一 苦 労 である 1989 年 以 降 飛 行 機 で 人 びとがやって 来 る 以 前 から 間 貸 し があった 生 野 区 でインタビューした 女 性 もまた 知 り 合 いから 紹 介 された 不 法 滞 在 の 人 に2 階 を 貸 していた 92 年 当 時 66 歳 以 上 の 韓 国 籍 朝 鮮 籍 の 人 びとは 国 民 年 金 制 度 から 排 除 されており 間 貸 しによる 現 金 収 入 は 生 計 の 支 えとなった 実 は こうした 間 貸 し は 解 放 前 からすでに 実 践 されていたのである( 伊 地 知 25:89-9) 3.おわりに 在 日 する 人 びとの 生 活 は 在 住 する 日 本 と 朝 鮮 半 島 それぞれの 社 会 的 政 治 的 状 況 の 変 化 によ る 影 響 を 受 けざるをえない こうした 生 活 のありようそのものを 梶 村 秀 樹 は 国 境 をまた ぐ 生 活 圏 ひいては 定 住 外 国 人 として 故 国 との 紐 帯 は 観 念 意 識 のあり 方 以 前 に まず 生 活 の 実 態 としてあるものである それは 歴 史 が 形 成 させたものであり 本 人 に 責 任 如 何 という 筋 合 のことではない と 主 張 している( 梶 村 1985 :27) 済 州 島 出 身 者 の 解 放 後 史 から 見 れば 国 境 をまたぐ 生 活 圏 は まさに 生 活 の 必 要 から 維 持 されてきたのである 国 境 をまたぐ 生 活 圏 での 人 びとの 移 動 には 経 済 的 理 由 進 学 家 族 との 再 会 財 産 や 祭 祀 の 管 理 など 生 活 に 関 わるさまざまな 事 情 が 伴 っている 近 年 短 期 滞 在 型 の 渡 日 者 も 増 え ているが 済 州 島 の 経 験 から 見 ればその 人 びとをただ 滞 在 期 間 でもって 分 類 するだけでは 不 十 分 といえよう もちろん 杉 原 が 指 摘 するように 日 々の 現 実 のなかでは 様 々な 在 日 歴 がぶつ かり 例 えば 合 法 / 非 合 法 の 分 節 によって 排 他 的 関 係 の 再 生 産 も 見 られる( 杉 原 1998:31 伊 地 知 25: ) こうした 関 係 のありようは 済 州 島 においてはその 裏 返 しのように 表 れることがある 日 本 で 生 まれ 育 ち 朝 鮮 語 ができない 親 戚 が 村 を 訪 れ 帰 った 後 に その 人 びと のふるまいかたについて 村 では 日 本 人 と 呼 び そこには 彼 我 の 境 界 が 引 かれてしまうか らだ こうした 差 異 化 / 差 別 化 の 作 用 もまた 国 境 をまたぐ 生 活 圏 が 維 持 されるなかで 歴 史 的 に 形 成 されたものである < 謝 辞 > 本 研 究 は 平 成 21 年 度 科 学 研 究 費 補 助 金 ( 基 盤 研 究 (B)) 在 日 コリアンの 労 働 世 界 に 関 する 実 証 的 研 究 国 境 をまたぐ 生 活 圏 の 形 成 と 変 容 ( 課 題 番 号 : 代 表 : 伊 地 知 紀 子 )および( 基 盤 研 究 (A) 新 自 由 主 義 の 時 代 における 生 活 世 界 が 生 成 する 新 た な 共 同 性 に 関 する 生 活 人 類 学 的 研 究 ( 課 題 番 号 : 代 表 : 松 田 素 二 ) ( 基 盤 研 究 (C)) 第 2 次 大 戦 直 後 大 阪 在 住 朝 鮮 人 の 生 活 状 況 に 関 する 歴 史 的 研 究 ( 課 題 番 号 : 代 表 : 藤 永 壮 )の 助 成 をうけた 成 果 の 一 部 でもある

36 資 料 1 済 州 島 チャムスの 出 稼 ぎ 先 地 図 (1932 年 ) 出 典 : 桝 田 1976:

37 資 料 2 済 州 島 人 の 日 本 への 出 稼 ぎ 者 職 業 別 人 口 (1934)

38 資 料 3 解 放 直 後 の 在 日 済 州 島 出 身 者 の 生 活 史 調 査 による 移 動 歴 梁 寿 玉 さん:1917 年 済 州 島 生 1925 年 京 都 1929 年 済 州 島 1934 年 大 阪 1936 年 東 京 1937 年 天 津 1946 年 47 年 仁 川 木 浦 済 州 島 大 阪 李 性 好 さん:192 年 済 州 島 生 1935 年 和 歌 山 尼 崎 1938 年 済 州 島 1942 年 尼 崎 1944 年 済 州 島 1948 年 大 阪 済 州 島 1949 年 大 阪 金 好 珍 さん:192 年 済 州 島 生 1941 年 大 阪 金 玉 煥 さん:1921 年 吹 田 生 193 年 済 州 島 196 年 大 阪 金 春 海 さん:1922 年 済 州 島 生 1928 年 大 阪 1946 年 済 州 島 1957 年 大 阪 高 奉 淀 さん:1925 年 済 州 島 生 光 州 1949 年 済 州 島 195 年 羅 州 大 阪 玄 ジョンミンさん:1928 年 済 州 島 生 1942 年 大 阪 1944 年 九 州 1945 年 大 阪 1947 年 済 州 島 1949 年 大 阪 孫 裕 炯 さん:1929 年 済 州 島 生 1943 年 大 阪 高 蘭 姫 さん:193 年 西 宮 生 1946 年 済 州 島 1948 年 大 阪 朴 仁 仲 さん:1933 年 済 州 島 生 朝 鮮 戦 争 後 に 議 政 府 1964 年 大 阪 金 徳 仁 さん:1936 年 大 阪 生 解 放 前 に 済 州 島 朝 鮮 戦 争 後 に 議 政 府 1964 年 大 阪 梁 愛 正 さん:1937 年 大 阪 生 1945 年 済 州 島 1953 年 釜 山 済 州 島 1955 年 釜 山 大 阪 姜 京 子 さん:1937 年 大 阪 生 解 放 直 前 に 済 州 島 年 大 阪 李 健 三 さん:1937 年 大 阪 生 1946 年 済 州 島 1957 年 加 古 川 大 阪 高 太 成 さん:1937 年 済 州 島 生 1957 年 大 阪 斜 め 太 文 字 は1945 年 8 月 15 日 後 の 移 動

39 資 料 4 済 州 島 杏 源 里 サントンの 渡 日 経 験 出 典 : 伊 地 知 2:

40 [ 注 ] 注 1 チャムスとは 済 州 島 の 言 葉 で 海 女 を 意 味 する チャムスの 引 率 者 や 漁 船 の 乗 組 員 もいるが どの 程 度 どのような 形 態 で 雇 用 されていたかは 今 後 の 課 題 であるため 今 回 はとりあげない 注 2 廣 瀬 勝 は 島 を 出 づる 船 は 白 衣 の 人 を 積 み 島 に 入 る 船 は 洋 服 或 いは 和 服 の 黒 き 姿 を 乗 せて 歸 る 船 員 等 は 恰 も 色 揚 げの 送 迎 なりと 自 ら 愚 笑 せり 事 實 一 度 島 を 出 でし 者 にして 傳 統 の 白 衣 を 着 し 又 島 に 歸 る 者 は 絶 無 なり 何 れも 多 少 の 手 荷 物 の 中 には 眞 新 らしきトランクを 携 へ 意 氣 揚 々 紳 士 然 として 歸 島 す ( 廣 瀬 1926b:67)とあり 帰 島 者 がいかにも 朝 鮮 の 伝 統 を 捨 て 日 本 の 文 明 に 着 替 えているかのようである しかし 桝 田 の 文 章 では まげを 結 って 馬 の 尾 で 編 んだ 冠 をつけ あごひげをのばした 者 も 登 場 しており 記 述 された 時 期 の 相 違 も 関 連 するであ ろうが 見 る 者 のまなざしを 映 し 出 す 文 章 とも 捉 えられるのではないだろうか 注 3 済 州 島 から 渡 阪 した 女 性 たちが 多 く 携 わった 紡 績 工 場 では 労 働 環 境 労 働 条 件 が 劣 悪 であった これに 対 して193 年 岸 和 田 紡 績 堺 分 工 場 で 日 本 人 労 働 者 と 朝 鮮 人 労 働 者 が 共 闘 して 立 ち 上 がっ た 詳 しくは 金 賛 汀 (1982)を 参 照 のこと 注 4 当 時 日 本 で 稼 いだ 金 を 父 母 に 送 金 する 人 は えらい と 評 判 になった 注 年 当 時 の 朝 鮮 での 農 作 夫 の 日 給 92 銭 (1 銭 =1 円 )である( 河 明 生 1997:3) 注 6 康 チップトンネ とは 康 という 姓 の 人 びとが 集 住 した 界 隈 という 意 味 である 注 年 3 月 1 日 済 州 市 で 開 催 された3 1 節 28 周 年 記 念 大 会 終 了 後 街 頭 デモに 繰 り 出 した 群 衆 に 対 して 警 察 が 観 徳 亭 広 場 で 発 砲 し 6 名 が 死 亡 また 負 傷 者 の 運 ばれた 道 立 病 院 でも 理 性 を 失 った 警 察 官 が 無 差 別 乱 射 し 一 般 市 民 が 重 傷 を 負 う 事 件 が 起 こった 米 軍 政 と 済 州 島 民 衆 運 動 勢 力 の 対 立 を 深 刻 化 させたこの 事 件 は 4 3 事 件 勃 発 への 導 火 線 の 役 割 を 果 たすことになった 注 8 天 皇 の 大 権 によって 制 定 公 布 された 命 令 注 9 現 在 一 般 的 に1948 年 4 月 3 日 に 蜂 起 した 遊 撃 隊 を 武 装 隊 討 伐 鎮 圧 作 戦 に 参 加 した 軍 警 察 右 翼 青 年 団 らを 討 伐 隊 と 呼 ぶ 注 1 討 伐 隊 が 検 挙 した 武 装 隊 を 船 に 乗 せ 足 に 錘 をつけて 生 きたまま 海 に 投 げ 入 れることを 水 葬 という [ 参 考 文 献 ] 済 民 日 報 4 3 取 材 班 =1994 文 京 洙 金 重 明 済 州 島 四 三 事 件 第 一 巻 新 幹 社 24 金 蒼 生 訳 済 州 島 四 三 事 件 第 六 巻 新 幹 社 藤 永 壮 1999 植 民 地 期 済 州 島 の 実 力 養 成 運 動 団 体 とその 人 員 構 成 192 年 代 を 中 心 に ( 大 阪 産 業 大 学 大 阪 産 業 大 学 論 集 社 会 科 学 編 113 号 pp67-9 藤 永 壮 高 正 子 伊 地 知 紀 子 鄭 雅 英 皇 甫 佳 英 張 叶 実 2 解 放 直 後 在 日 済 州 島 出 身 者 の 生 活 史 調 査 (1 上 ) 梁 愛 正 さんへのインタビュー 記 録 大 阪 産 業 大 学 論 集 人 文 科 学 編 12 号 pp 藤 永 壮 高 正 子 伊 地 知 紀 子 鄭 雅 英 皇 甫 佳 英 高 村 竜 平 村 上 尚 子 福 本 拓 塚 原 理 夢 李 陽 子 27 解 放 直 後 在 日 済 州 島 出 身 者 の 生 活 史 調 査 (4 上 ) 李 健 三 さんへのインタビュー 記 録 大 阪 産 業 大 学 論 集 人 文 科 学 編 122 号 pp 廣 瀬 勝 1926a 在 阪 朝 鮮 人 と 済 州 島 ( 一 ) ( 大 阪 府 社 会 課 社 会 事 業 連 盟 社 会 事 業 研 究 第 14 巻 第 5 号

41 1926b 在 阪 朝 鮮 人 と 済 州 島 ( 二 ) ( 大 阪 府 社 会 課 社 会 事 業 連 盟 社 会 事 業 研 究 第 14 巻 第 6 号 法 務 省 入 国 管 理 局 1959 出 入 国 管 理 とその 実 態 昭 和 34 年 度 版 玄 武 岩 27 密 航 大 村 収 容 所 済 州 島 大 阪 と 済 州 島 をむすぶ 密 航 のネットワー ク 現 代 思 想 第 35 巻 第 7 号 pp 伊 地 知 紀 子 2 生 活 世 界 の 創 造 と 実 践 韓 国 済 州 島 の 生 活 誌 から 御 茶 の 水 書 房 25 営 まれる 日 常 縒 りあう 力 語 りからの 多 様 な 在 日 像 藤 原 書 店 編 集 部 編 歴 史 のなかの 在 日 pp 藤 原 書 店 伊 地 知 紀 子 村 上 尚 子 28 解 放 直 後 済 州 島 の 人 びとの 移 動 と 生 活 史 - 在 日 済 州 島 出 身 者 の 語 りから 蘭 信 三 編 日 本 帝 国 をめぐる 人 口 移 動 の 国 際 社 会 学 不 二 出 版 pp ( 村 上 担 当 分 は 第 1 節 から5 節 伊 地 知 分 担 分 は4 節 から6 節 ) 梶 村 秀 樹 1985 定 住 外 国 人 としての 在 日 朝 鮮 人 思 想 732 号 岩 波 書 店 河 明 生 1997 韓 人 日 本 移 民 社 会 経 済 史 明 石 書 店 金 賛 汀 1982 朝 鮮 人 女 工 のうた 193 年 岸 和 田 紡 績 争 議 岩 波 書 店 高 鮮 徽 世 紀 の 滞 日 済 州 島 人 その 生 活 過 程 と 意 識 明 石 書 店 大 阪 市 社 会 部 調 査 課 193 本 市 に 於 ける 朝 鮮 人 住 宅 問 題 桝 田 一 二 1976 桝 田 一 二 地 理 学 論 文 集 弘 詢 社 松 田 素 二 1996 都 市 を 飼 い 慣 らす アフリカの 都 市 人 類 学 河 出 書 房 文 京 洙 25 済 州 島 現 代 史 公 共 圏 の 死 滅 と 再 生 新 幹 社 成 律 子 1994 オモニの 海 峡 彩 流 社 杉 原 達 1998 越 境 する 民 近 代 大 阪 の 朝 鮮 人 史 研 究 新 幹 社 在 日 本 朝 鮮 人 人 権 協 会 24 在 日 コリアン 暮 らしの 法 律 Q&A 日 本 加 除 出 版 株 式 会 社 善 生 永 助 1929 生 活 状 態 調 査 ( 其 二 ) 済 州 道 朝 鮮 総 督 府 済 州 新 聞 1968 年 8 月 21 日 付 済 州 新 報 1958 年 4 月 6 日 付 1958 年 12 月 2 日 付

42

43 釜山移住民の定着と生活ネットワークー -湖南出身者を中心に 車喆旭(釜山大) [目 次] はじめに 4. 影島と湖南の人々 1. 湖南の人の釜山への移住と地域感情 5. 定着と鄕友会の役割 2. 湖南-釜山の交流と海域圈 3. 船員の移住と生活ネットワーク おわりに はじめに 釜山の人は大きく避難民 湖南の人 釜山近隣の慶尙道の人で構成されている 釜山の構成 員が様々であるという点は釜山のローカリティーを規定するにあったて重要な変数になると思 う 移住民の釜山移住と定着に関心を持つことはローカリティー研究において意味深い作業と 言える この中で湖南の人の移住は植民地時代から確認されている 196年代 197年代の韓 国の政治的理由によって始まった地域主義は湖南の人の釜山定着にもう一つの要素として作用 された可能性がある 湖南の人々の移住は大きくソウルと釜山に進められたという 特に釜山に移住した湖南の人 は全羅南道の海岸に居住しながら船員を職業に選んだ人が多かったという 船員のおおかたは ヨンド 影島に定着した 影島には開港以降に人が住み始めた 濟州島と全羅道の出身者が多く生活し ていたという 影島には海辺の人々が主に移住して生活したと思われる 全羅道と影島が海の 道で結ばれていた このような海域圏が陸地の地理的な区分による政治的 経済的区画に対応 してどのような意味として作用するか調べてみる必要がある 海域圏を基礎にした湖南の人の移動と定着過程で形成された生活ネットワークは影島の特性 を規定する重要な要素である 生計型ネットワーク 響友会 その他の様々なネットワークを 確認する作業は影島で生活する湖南の人が影島に定着する(させる)方式を理解できるようにす る 今回の発表では全ての湖南の人を対象にはできず 全羅南道高興郡羅老島の出身者を中心に して莞島郡の出身者を補充した 31

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<3130BAB9BDC428BCF6C1A4292E687770> 檀 國 大 學 校 第 二 十 八 回 학 술 발 표 第 二 十 九 回 특 별 전 경기도 파주 出 土 성주이씨( 星 州 李 氏 ) 형보( 衡 輔 )의 부인 해평윤씨( 海 平 尹 氏 1660~1701) 服 飾 학술발표:2010. 11. 5(금) 13:00 ~ 17:30 단국대학교 인문관 소극장(210호) 특 별 전:2010. 11. 5(금) ~ 2010. 11.

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