일본학 31집

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1 ISSN 第 33 輯

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3 第 33 輯 차 례 前 近 代 日 本 の 公 共 観 の 特 徴 : 前 近 代 韓 国 との 対 比 研 究 の 方 向 性 を 念 頭 に 置 いて 片 岡 龍 1 류큐( 琉 球 )왕국(오키나와)의 의사 결정체계에 관한 고찰 鄭 夏 美 21 도정( 道 程 ) 이후 시편 연구 金 文 鳳 37 日 本 語 における 談 話 標 識 ナンカ の 世 代 別 使 用 様 相 琴 鍾 愛 65 韓 ㆍ 日 漢 語 動 詞 의 諸 相 : 文 法 化 를 중심으로 金 庚 洙 81 韓 ㆍ 日 両 言 語 の 翻 訳 に 見 られる てしまう と 어 버리다 の 対 応 関 係 について 金 京 姙 107 否 定 疑 問 文 に 用 いられる よ : 非 難 表 明 を 中 心 に 金 玉 任 131 일본어역할어와 한국어역할어의 이미지 이이슬ㆍ이길용 147 배우자에 대한 언어행동의 한일 대조 연구: 양성불평등적인 입장에서 홍민표 167 日 本 の 派 遣 労 働 市 場 とリーマンㆍショック 李 昌 玟 ㆍ 丸 山 由 希 也 185 일본학국제비교연구소 회칙 205 연구윤리 규정 209 발행 규정 213 심사 규정 215 투고 지침 217

4 1 前 近 代 日 本 の 公 共 観 の 特 徴 - 前 近 代 韓 国 との 対 比 研 究 の 方 向 性 を 念 頭 に 置 いて - * 片 岡 龍 要 旨 日 本 では 国 家 の 範 囲 内 で 公 共 や 公 私 関 係 を 考 える 傾 向 が いまなお 根 強 い 本 稿 は 1その 歴 史 的 縁 由 を 前 近 代 日 本 の 公 共 観 の 特 徴 ( 私 が 公 に 回 収 されてしまう 公 / 私 構 造 )に 探 り 2 前 近 代 韓 国 の 公 共 観 の 特 徴 ( 参 加 共 働 性 )との 比 較 を 通 して 日 本 の 公 共 観 を 広 く 東 アジアの 文 脈 に 位 置 づけ 直 し 3それ によって 従 来 の 西 洋 中 心 の 公 共 観 に 対 する 新 たな 公 共 観 共 創 の 準 備 となること を 企 図 した キーワード : 朝 鮮 王 朝 実 録 旅 軒 張 顕 光 丸 山 眞 男 公 私 公 論 1) 1. はじめに 戦 後 の 日 本 で 公 共 をめぐる 議 論 の 高 まりが 見 られたのは まず 1960 年 代 すなわち 高 度 経 済 成 長 期 であった それは 国 家 の 公 共 事 業 や 企 業 の 利 潤 追 求 が 惹 き 起 こす 生 活 環 境 や 自 然 環 境 の 破 壊 に 対 して 住 民 運 動 や 階 級 運 動 などの 批 判 を 通 して 公 共 を 国 家 の 独 占 から 解 放 することを 求 める 試 み であった 60 年 代 の 公 共 をめぐる 議 論 は とりもなおさず 日 本 国 憲 法 に 規 定 され た 公 共 の 福 祉 ( 第 12 条 ㆍ 第 13 条 第 22 条 第 29 条 )の 概 念 を 中 核 と していたと 見 てよい すなわち それが 帝 国 憲 法 の 公 共 ノ 安 全 ( 第 8 条 ㆍ 第 70 条 ) 公 共 ノ 安 寧 秩 序 ( 第 9 条 )と 断 絶 のほとんど 認 められない 形 で 運 用 されていないかという 問 いかけであった 1) 70 年 代 になって 経 済 が 低 成 長 時 代 に 入 り 開 発 事 業 も 鎮 静 化 すると 公 共 に 対 する 人 々の 関 心 は 次 第 に 薄 れていった それがふたたび 活 性 化 * 東 北 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 1) 現 憲 法 には 公 共 ノ 安 全 公 共 ノ 安 寧 秩 序 といった 表 現 はないが 自 衛 隊 法 には 公 共 の 安 全 ( 第 106 条 第 107 条 第 115 条 ) 公 共 の 秩 序 ( 第 3 条 第 92 条 第 94 条 )と いう 語 がある

5 2 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6) するのは 90 年 代 の 半 ば 以 降 である 2) その 要 因 はさまざまに 考 えられるが いわゆる 冷 戦 体 制 が 終 わりを 告 げ 国 際 秩 序 の 行 方 が 不 明 確 になったことの 影 響 を 否 定 することはできないであろう つまり 60 年 代 までの 公 共 は その 主 体 をどこに 見 るかの 違 いはともか く 国 家 の 範 囲 内 のなかでの かつ 具 体 性 を 帯 びた 問 題 関 心 であった それ に 対 して 90 年 代 半 ば 以 降 の 公 共 は 国 家 を 越 えた あるいはそうした 枠 組 みではすくい 取 れない 個 々 人 にふりかかるリスクに 対 する 不 安 感 が 要 請 する もののように 思 われる しかし いずれにせよ 近 現 代 の 日 本 における 公 共 は 同 時 代 ㆍ 将 来 的 な 問 題 関 心 のもとに 議 論 されてきた にもかかわらず 本 発 表 で あえて 前 近 代 の 日 本 の 公 共 をとりあげる 意 義 はなにか 一 つは 今 後 の 方 案 を 探 る 前 提 としてである 前 近 代 日 本 においては 公 共 や 公 ( 論 ㆍ 議 ) に 対 する 自 覚 的 な 思 想 営 為 はほとんどなく あった としても それはわたしたちの 同 時 代 ㆍ 将 来 的 な 問 題 関 心 に 直 接 響 くようなもの ではなかったと 思 われる ところが 前 近 代 の 韓 国 では それらの 語 の 使 用 例 がきわめて 多 く 自 覚 的 な 思 想 営 為 まで 至 る 例 はやはり 少 ないとしても そこに は わたしたちの 問 題 関 心 に 直 接 響 く 内 容 が 含 まれている これは 中 国 と 比 べた 場 合 においても そう 言 える 3) 一 度 前 近 代 韓 国 との 比 較 の 眼 を 通 して 前 近 代 日 本 の 公 共 観 の 特 徴 につ いて 改 めて 見 直 すことで 同 時 代 ㆍ 将 来 的 な 課 題 に 今 後 わたしたちがどう 向 き 合 えばよいかの 心 構 えを 定 められるだろう すなわち 仮 に 過 去 の 日 本 に 現 代 的 な 課 題 に 直 接 資 するような 公 共 の 思 想 伝 統 が 少 なかったとして も それならそれで その 細 い 水 脈 を 日 本 以 外 の 伝 統 とつなげていくための 方 案 作 成 に 着 手 できよう また 公 共 や 公 / 私 といった 用 語 で 語 られ 2) 学 問 的 な 成 果 としては 東 大 出 版 会 の 公 共 哲 学 シリーズ 全 20 巻 がある 3) 朝 鮮 時 代 の 公 共 については 報 告 者 にはこれまで 1 朝 鮮 王 朝 実 録 に 見 える 公 共 の 用 例 の 検 討 ( 国 際 日 本 学 研 究 叢 書 18 相 互 探 求 としての 国 際 日 本 学 研 究 日 中 韓 文 化 関 係 の 諸 相 ( 法 政 大 学 国 際 日 本 学 研 究 センター )< 日 本 語 > 2 14 世 紀 末 から16 世 紀 半 ばにおける 公 共 の 用 例 の 検 討 朝 鮮 王 朝 実 録 と 韓 国 文 集 叢 刊 を 中 心 に ( 韓 国 学 中 央 研 究 院 主 催 公 共 意 識 国 際 学 術 会 議 韓 国 と 日 本 の 公 共 意 識 比 較 研 究 での 発 表 原 稿 )< 日 本 語 韓 国 語 > 3 退 渓 門 下 から 旅 軒 ㆍ 張 顕 光 にいたる 公 共 人 間 主 体 ㆍ 社 会 ㆍ 自 然 (2013 韓 中 日 公 共 意 識 比 較 研 究 国 際 学 術 会 議 朝 鮮 王 朝 の 公 共 性 韓 国 学 中 央 研 究 院 での 発 表 原 稿 )< 韓 国 語 > 4 朝 鮮 時 代 の 公 共 とソンビ (アサン 書 院 開 院 2 周 年 記 念 学 術 会 議 ソンビ 精 神 と 韓 国 社 会 アサン 政 策 研 究 院 での 発 表 原 稿 )< 日 本 語 韓 国 語 >の 論 稿 がある

6 前 近 代 日 本 の 公 共 観 の 特 徴 ( 片 岡 龍 ) 3 ていなくても 現 代 的 な 課 題 に 資 するような 思 想 伝 統 が 新 たに 見 えてくるかも しれない(これまでも そうした 探 索 がなかったわけではないが 多 くは 西 洋 との 対 比 的 な 関 心 からであった) 前 近 代 日 本 の 公 共 観 をとりあげるもう 一 つの 意 義 は 90 年 代 半 ばから 20 年 を 経 た 現 在 においても なお 日 本 では 国 家 の 範 囲 内 で 公 共 や 公 私 関 係 を 考 える 傾 向 が 根 強 いからである( 市 民 的 公 共 性 の 場 合 も) その 歴 史 的 縁 由 を 一 度 はっきりと 確 認 しておく 必 要 がある 現 時 点 での 考 えでは 問 題 の 根 本 は 公 共 や 公 よりも むしろ 私 の 方 にある 私 が 一 人 称 の わたくし と 結 びつく( 室 町 時 代 頃 と 言 われる)という 日 本 特 殊 の 事 情 や それ がもたらした 自 己 や 他 者 の 捉 え 方 の 特 色 と その 問 題 点 などについても 考 察 し たい( 本 稿 では 十 分 に 果 たせなかった) ただ 基 本 的 に 本 発 表 は 従 来 の 研 究 の 整 理 にとどまる また 整 理 といっ ても 先 行 する 研 究 を 網 羅 的 に 押 さえる 点 でも 十 分 ではない あくまで 前 近 代 日 本 の 公 共 観 の 特 徴 に 関 する 大 ざっぱな 紹 介 と 発 表 者 自 身 の 思 考 整 理 と に 主 眼 があることを 諒 解 されたい 2. 前 近 代 韓 国 の 公 共 はじめに 前 近 代 韓 国 の 公 共 について 概 観 しておきたい 4) 東 アジアにおける 公 共 の 用 例 の 初 出 は 当 然 中 国 古 代 に 遡 るが( 史 記 張 釈 之 列 伝 ) 用 例 数 においては 朝 鮮 時 代 が 圧 倒 的 である すなわち 5) 総 字 数 5,400 万 字 の 朝 鮮 王 朝 実 録 における 公 共 の 用 例 は 623 件 に 及 ぶが 二 十 五 史 ( 約 3,990 万 字 )には 14 件 資 治 通 鑑 続 通 鑑 には 18 件 明 実 録 清 実 録 (ほぼ 朝 鮮 王 朝 の 期 間 と 重 なる)には 44 件 しか 用 例 がない これはたんに 量 的 な 違 いだけの 問 題 にとどまらない 中 国 における 公 共 とは 異 なる 意 味 合 いが 韓 国 の 公 共 には 見 られる ただし 当 然 ながら 4) なお 本 節 は 基 本 的 に 前 掲 拙 稿 朝 鮮 時 代 の 公 共 とソンビ 第 1 節 の 再 録 である 5) 光 海 君 日 記 定 草 本 ㆍ 宣 祖 修 正 実 録 ㆍ 景 宗 改 修 実 録 を 引 くと502 件 なお 朝 鮮 王 朝 実 録 の 件 数 を 言 う 場 合 は 便 宜 上 記 事 数 を 指 している 一 つの 記 事 に 複 数 の 公 共 の 用 例 が 含 まれている 場 合 があるので 実 際 の 用 例 数 はもっと 多 い

7 4 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6) 公 共 の 意 味 合 いは 朝 鮮 王 朝 500 年 の 歴 史 において 時 代 による 変 化 が ある 朝 鮮 王 朝 実 録 における 公 共 の 用 例 の 時 代 別 の 特 徴 を 用 例 数 ㆍ 発 話 主 体 という 点 から 区 分 すると 以 下 のようになる 王 代 年 数 発 話 主 体 用 例 数 ⅰ 第 1 代 太 祖 ~ 第 13 代 明 宗 (1392~1567) 約 180 年 間 言 官 10% ⅱ 第 14 代 宣 祖 ~ 第 20 代 景 宗 (1567~1724) 約 160 年 間 士 林 70% ⅲ 第 21 代 英 祖 ~ 第 27 代 純 宗 (1724~1926) 約 200 年 間 王 20% ⅰの 時 期 の 用 例 は ほぼ 史 記 の 法 者 天 子 所 與 天 下 公 共 也 ( 法 とは 天 子 が 天 下 とともに 公 共 するところに 成 り 立 つものです) を 踏 襲 したものである たとえば 次 のような 例 である 法 とは 天 下 古 今 が 公 共 するところに 成 り 立 つものであり 殿 下 の 私 物 化 できるもの ではありません 法 者 天 下 古 今 之 所 公 共 非 殿 下 所 得 而 私 也 < 世 宗 6(1424) 年 7 月 28 日 2> 発 話 主 体 はほぼ 司 憲 府 ㆍ 司 諫 院 の 臺 諫 ( 言 官 )に 限 られ 発 話 が 向 けられ た 対 象 は 王 である すなわち この 時 期 の 公 共 は 王 の 専 権 を 諫 めるための 語 であった ⅱの 時 期 になると 発 話 主 体 は 言 官 に 限 らず 進 士 成 均 館 生 員 館 学 儒 生 など 士 林 にまで 裾 野 を 拡 げるようになる ⅰの 時 期 のような 法 について 論 じる 例 は 消 え 公 共 之 論 という 用 例 が 圧 倒 的 多 数 を 占 め る この 時 期 の 特 徴 をよく 示 すのは 次 のような 例 である 公 論 が 沸 騰 してくると 一 人 の 臺 諫 がとどめられるものではありません 公 論 方 張 非 一 臺 諫 所 可 沮 遏 < 仁 祖 2(1624) 年 12 月 3 日 1> まさ 方 に 張 る という 時 間 の 経 過 とともに 膨 張 沸 騰 するといったニュアンスを もつこの 表 現 は 韓 国 的 な 公 共 の 性 格 ( 後 述 )をよく 表 している また 公 共 が 臺 諫 の 専 有 物 ではなくなったことがわかる したがって この 時 期 に

8 前 近 代 日 本 の 公 共 観 の 特 徴 ( 片 岡 龍 ) 5 は 士 林 に 限 らず 宗 室 敦 寧 府 ( 王 の 親 戚 ㆍ 外 戚 の 府 ) 府 院 君 ( 王 妃 の 父 または 正 一 品 の 功 臣 ) 二 品 以 上 など 王 の 身 近 な 高 位 者 も しばしば 公 共 の 語 を 用 いるようになる ⅲの 時 期 の 特 徴 は 王 が 主 体 的 に 公 共 の 語 を 用 いる 点 である たとえ ば 正 祖 の 次 のような 発 言 が その 代 表 的 なものである たいてい 義 理 というものは 天 下 の 公 共 の 物 事 である 今 の 時 代 また 後 の 時 代 に 口 をもち 目 をもつ 者 が 一 つの 異 論 も 抱 くことなく 意 見 がバラバラになること がないようであって はじめて 公 共 ということができる ( 余 の) 処 分 の 本 意 が 公 共 にあることを 知 らねばならない 大 抵 義 理 也 者 天 下 之 公 共 物 事 今 時 之 有 口 者 後 世 之 具 眼 者 無 一 携 貳 之 論 ㆍ 参 差 之 見 然 後 方 可 謂 公 共 須 知 処 分 之 本 意 在 於 公 共 < 正 祖 14(1790) 年 7 月 11 日 4> このように 異 論 や 不 一 致 を 許 す 余 地 のない 一 つの 義 理 を 公 共 と 呼 ぶような 用 例 は 従 来 はまったく 見 られなかったものであり むしろ 中 国 の 用 例 ( 資 治 通 鑑 や 朱 子 学 など)に 近 い 韓 国 的 な 公 共 の 特 色 は ⅱの 時 期 に 最 もよく 認 められる だろうか 上 に 述 べたように この 時 期 に 最 も 多 い 用 例 は 公 共 之 論 という 形 だが たと えば 次 のような 例 を 見 ると ここでの 公 共 はほぼ みな あまねく だ れでも ( 衆 ㆍ 普 ㆍ 開 )といった 意 味 に 近 いことがわかる(したがっ て その 反 対 概 念 は 独 ㆍ 偏 ㆍ 専 など) ( 弘 文 館 が 意 見 提 出 して 言 うには) 臺 官 が 殺 すべきだ と 言 い 卿 ㆍ 大 夫 ㆍ 国 人 がみな 殺 すべきだ と 言 っているのに ただ 大 臣 だからという 理 由 で あえて 公 議 にそむいて( 罰 を 軽 くするくのは 間 違 っています ) 王 が 答 えるには 余 はもちろん 諸 君 らの 意 見 が 公 共 の 論 であることを 知 っているが 臺 官 曰 可 殺 卿 ㆍ 大 夫 ㆍ 国 人 皆 曰 可 殺 而 徒 以 大 臣 之 故 強 拂 公 議 答 曰 予 豈 不 知 卿 等 之 箚 是 公 共 之 論 < 粛 宗 15(1689) 年 閏 3 月 22 日 1> 実 際 に 朝 鮮 王 朝 実 録 をとおして 公 共 の 語 は 天 下 公 共 挙 国 公 共 一 国 公 共 一 郷 公 共 多 士 公 共 公 共 之 衆 論 万 口 之 公 共 といった 形 で 用 いられることが ほとんどである このような 意 味 合 いは もちろんⅰⅲの 時 期 にも 貫 流 している したがって

9 6 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6) ⅰの 時 期 には 次 のような 用 例 もある 人 が 畏 れねばならないのは 公 論 である 公 論 はただ 朝 廷 にだけあるわけではな い 草 野 里 巷 において 一 介 の 貧 士 であっても 慷 慨 の 意 を 抱 いて 声 を 挙 げれ ば これも 公 論 である 夫 人 之 可 畏 者 公 論 公 論 不 但 在 於 朝 廷 草 野 里 巷 之 間 雖 一 介 寒 生 懷 慷 慨 發 言 是 亦 公 論 也 < 明 宗 7(1548) 年 4 月 19 日 5> また ⅲの 時 期 にも 次 のような 用 例 が 見 える 上 は 公 ㆍ 卿 ㆍ 大 夫 から 下 はもろもろの 奴 婢 たちにいたるまで 憤 り 口 惜 しがっ て 殺 すべきだ と 言 っています ここから 見 ると 挙 国 一 致 の 公 共 の 論 である ことがわかります 上 自 公 ㆍ 卿 ㆍ 大 夫 下 至 輿 儓 ㆍ 僕 隷 莫 不 憤 惋 曰 可 殺 由 此 観 之 可 知 挙 国 公 共 之 論 < 純 祖 7(1807) 年 8 月 22 日 2> そして これらの 用 例 に 見 られる 慷 慨 憤 惋 といった 言 い 方 からは 韓 国 的 な 公 共 には さらに< 不 正 に 対 する 義 憤 >の 意 が 加 わることが 推 測 される 実 際 に 公 共 之 ( 冤 ) 憤 という 用 例 もしばしば 見 られる なお この 場 合 の 不 正 とは やはり 独 ㆍ 偏 ㆍ 専 といった 内 容 が それに 相 当 するように 思 われる この 点 で ⅲの 時 期 に 王 が 異 論 や 不 一 致 を 許 す 余 地 のない 一 つの 公 共 を 独 占 化 しようとするような 例 は 韓 国 的 な 公 共 の 特 徴 とは 認 めがたい このように 韓 国 の 公 共 の 第 一 の 特 徴 は 衆 ㆍ 普 ㆍ 開 と いった 点 にあるが ただし それは 万 人 に 開 かれているという< 公 開 性 >より も 各 自 の 自 発 的 な 参 与 によって 共 通 の 関 心 を 顕 現 化 ㆍ 活 性 化 させるという < 参 加 共 働 性 >とでも 言 った 方 が より 適 切 であるように 思 われる このことを 張 顕 光 ( )の 用 例 によって 確 認 しておこう そもそも 公 共 というものは この 物 を 虚 しく 棄 てられた 地 に 置 くことを 言 うのではな い ただ 私 物 化 しないだけである 渓 山 はもちろん 公 共 の 物 である しかし わた しが 自 得 して わたしが 楽 しみ 他 人 が 自 得 して 他 人 が 楽 しみ 千 万 人 が 自 得 し て 千 万 人 がみな 楽 しみ それぞれ 自 分 の 得 るところにしたがって 楽 しめば どう して 公 共 であることを 妨 げようか 先 の 人 が 楽 しめば 後 の 人 も 楽 しみ こちらの 人

10 前 近 代 日 本 の 公 共 観 の 特 徴 ( 片 岡 龍 ) 7 が 楽 しめば あちらの 人 も 楽 しむ 互 いに 譲 り 合 わないでも みな 満 足 しているの だから どうして 問 題 があろうか このようにしてこそ 渓 山 水 石 は むなしく 棄 て られた 一 器 物 とならず その 美 を 発 揮 できるのである 夫 所 謂 公 共 者 非 曰 置 是 物 於 虚 棄 之 地 也 但 不 私 之 而 巳 渓 山 固 是 公 共 之 物 也 而 我 得 之 而 我 楽 之 人 得 之 而 人 楽 之 千 万 人 得 之 而 千 万 人 皆 楽 之 各 随 其 所 得 而 楽 之 何 害 其 為 公 共 也 前 人 楽 之 後 人 亦 楽 之 此 人 楽 之 彼 人 亦 楽 之 不 相 譲 而 皆 自 足 矣 何 嫌 乎 哉 然 後 渓 山 水 石 不 為 虚 棄 之 一 器 而 能 発 其 美 也 < 旅 軒 先 生 文 集 九 立 巌 記 > これは 自 然 に 仮 託 して 語 っているが 当 然 政 治 ㆍ 社 会 的 な 公 共 時 空 間 のあり 方 を 意 識 している 各 人 が 主 体 的 に 関 わり 活 性 化 させなければ その 時 空 間 は 消 滅 するというのである 義 理 の 公 は 人 々が 同 じく 得 ているものである きわめて 愚 かで 賤 しい 者 において も 一 筋 の 道 が 通 じていて そこに 取 るべきものがある 公 共 の 義 理 は それ ぞれ 自 得 したことを 発 揮 することが これもまた 分 内 のなすべきことである 義 理 之 公 人 所 同 得 雖 在 至 愚 極 陋 亦 或 有 一 條 路 通 得 則 當 在 所 取 焉 公 共 義 理 各 發 其 所 見 乃 亦 分 內 事 也 < 旅 軒 先 生 続 集 五 錄 疑 俟 質 > 宇 宙 の 万 物 間 には 一 理 感 通 之 妙 が 働 いている( 立 巌 記 ) したがっ て 公 共 時 空 間 への 参 与 は あらゆる 存 在 に 開 かれている 各 存 在 はそれぞ れの 立 場 に 応 じて その 分 を 尽 くさなければならない それによって 宇 宙 は 活 潑 潑 となる( 旅 軒 先 生 文 集 一 萬 活 堂 賦 幷 序 ) このような 公 共 時 空 間 の 活 性 化 を 張 顕 光 は 宇 宙 事 業 と 名 付 けている 3. 前 近 代 日 本 の 公 共 前 近 代 韓 国 における 公 共 の 語 の 用 例 は 14 世 紀 末 に 始 まり 16 世 紀 後 半 から 18 世 紀 前 半 をピークとし その 発 現 主 体 は 士 林 (ソンビ) その 内 容 は < 参 加 共 働 性 >を 特 徴 としていた 日 本 では 前 近 代 史 料 の DB 環 境 がまだ 整 っていないため 確 定 的 なこと は 言 えないが 公 共 の 語 が 比 較 的 目 につくようになるのは 17 世 紀 の 儒

11 8 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6) 学 者 ( 山 崎 闇 斎 山 鹿 素 行 伊 藤 仁 斎 など)からであり 6) 自 覚 的 な 用 例 となる と 幕 末 ㆍ 維 新 期 から 明 治 時 代 (19 世 紀 後 半 から 20 世 紀 初 )を 待 たなければな らない( 横 井 小 楠 田 中 正 造 など) 自 覚 的 といっても これは 前 近 代 韓 国 の 場 合 も 含 めてだが 公 と 公 共 の 違 いに 対 する 明 確 な 自 覚 は きわめて 最 近 のことであり(いまなお 十 分 で はない) ここで 自 覚 的 と 言 うのは 従 来 の 上 下 秩 序 的 な 公 ( 共 ) を 水 平 的 な 関 係 に 捉 え 直 そうとしている という 意 味 である(この 意 味 では 伊 藤 仁 斎 も 含 めてもよい) なお 公 と 公 共 の 違 いの 自 覚 が いまなお 十 分 ではないのは 公 ( 共 ) と public の 対 比 に 足 をとられるからであろう( 前 者 は 官 に 後 者 は 民 に 相 当 するというような) しかし 公 ( 共 ) に 上 下 秩 序 的 な 官 の 意 味 合 いと 水 平 的 な 民 によるものの 両 面 があるのと 同 じく public も 民 に 関 わるだけでなく 官 に 近 い 意 味 もある 7) むしろ 公 ( 共 ) の 方 が 公 は 垂 直 的 公 共 は 水 平 的 というよう に 使 い 分 けられてきた 水 脈 が 明 確 な 自 覚 とまでは 言 えないものの 確 認 できる さらに 前 近 代 の 韓 国 では 公 ( 共 ) という 語 は 垂 直 的 よりも 水 平 的 な 意 味 合 いをもつことが 一 般 であった(その 発 現 主 体 は 士 林 だが 士 林 は 必 ずしも 官 に 就 いていることを 意 味 しない) したがって 現 代 的 ㆍ 将 来 的 な 観 点 から 公 と 公 共 の 区 別 をより 明 瞭 にするためには 前 近 代 韓 国 の 用 例 が 大 きな 意 味 をもつのである そこか ら 公 共 と public の 同 異 も 浮 かび 上 がってくる すなわち どちらも 現 在 の 市 民 的 公 共 性 と 親 和 的 でありながら public は< 公 開 性 >に 重 きがある のに 対 して 公 共 は< 参 加 共 働 性 >に 主 眼 があるといった 点 である 8) 以 上 をふまえて 前 近 代 日 本 の 公 共 性 の 特 徴 を 探 索 していこうとする 際 に まず 逢 着 する 困 難 は 残 されている 史 料 の 問 題 である 正 史 や 実 録 類 が 一 貫 した 形 で まとまって 記 録 されてこなかった 日 本 では 韓 国 や 中 国 のそれらに 6) ただし 公 共 の 語 は 義 堂 周 信 や 夢 巌 祖 応 など 五 山 禅 林 文 化 圏 (13 世 紀 後 半 ~16 世 紀 )に も 散 見 するが これも 儒 教 の 受 容 と 関 係 があることが 指 摘 されている( 東 島 誠 公 共 圏 の 歴 史 的 創 造 江 湖 の 思 想 へ 東 京 大 学 出 版 会 頁 ) 7) 佐 々 木 毅 ㆍ 金 泰 昌 編 公 共 哲 学 3 日 本 における 公 と 私 東 京 大 学 出 版 会 頁 8) public は 形 容 詞 ㆍ 名 詞 として 公 共 は 動 詞 ㆍ 形 容 詞 として 用 いられる 違 いがあるとも 言 え よう 公 と 公 共 の 違 いは 動 詞 化 できるか 否 かの 違 いとの 指 摘 もある( 佐 々 木 毅 ㆍ 金 泰 昌 編 公 共 哲 学 3 日 本 における 公 と 私 東 京 大 学 出 版 会 頁 )

12 前 近 代 日 本 の 公 共 観 の 特 徴 ( 片 岡 龍 ) 9 おける 公 共 の 用 例 と 対 比 することは そもそも 不 可 能 である とはいえ 残 されている 限 りでの 悉 皆 的 な 調 査 が まず 必 要 となろう 個 人 の 文 集 等 における 用 例 を 確 認 することも もちろん 大 切 だが なにより 国 家 的 公 共 性 と 市 民 的 公 共 性 を 弁 別 するには 正 史 や 実 録 などの 公 的 文 書 において 公 権 力 のあり 方 がどのようにチェックされているか あるいはいないかを 確 認 するこ とが 重 要 な 鍵 の 一 つとなるからである その 際 公 的 文 書 の 性 格 ということも 問 題 となろう 韓 国 や 中 国 のように 史 官 制 度 の 発 達 しなかった 日 本 において 歴 史 的 権 力 に 対 するチェックのあり 方 を 確 認 することが そもそも 公 的 文 書 自 体 を 通 して 果 たして 可 能 なのかという 点 である これに 対 しては 公 的 文 書 の 範 囲 を 正 史 や 実 録 に 限 らず 広 く 精 査 する ほかないとしか 今 のところ 言 えない 表 ㆍ 訴 状 ㆍ 陳 状 などの 上 申 文 書 や 裁 判 ㆍ 法 律 文 書 などとともに(これまでも 一 揆 の 契 状 などがとりあげられてきた) 徳 川 幕 府 の 実 録 や 藩 史 など さらには 本 朝 通 鑑 や 大 日 本 史 等 の 通 史 でさえ これまで 本 格 的 には 調 査 されていないのではなかろうか しかし これらはすべて 今 後 の 課 題 として 委 ねざるを 得 ず 今 のところ 前 近 代 日 本 の 公 的 文 書 類 には 市 民 的 公 共 性 に 親 和 的 な 公 共 の 用 語 例 は 確 認 されていないと 結 論 しておかざるを 得 ない 4. 前 近 代 日 本 の 公 / 私 したがって 従 来 は 日 本 の 歴 史 的 な 公 共 性 の 問 題 は 公 / 私 の 問 題 として 考 察 されることが 主 流 であった その 結 論 を 一 言 でいえば 私 が 公 に 回 収 されてしまう 日 本 的 な 公 / 私 構 造 という 理 解 である そうした 構 造 自 体 を 前 提 として (1) 日 本 の 公 ( 共 ) の 問 題 性 に 指 摘 に 重 きをおくか (2)それとは 異 なる 水 平 的 な 公 ( 共 ) の 水 脈 を 発 掘 しようする か という 二 つの 研 究 方 向 を 中 心 にして 議 論 がなされてきた (1) 日 本 の 公 ( 共 ) の 問 題 性 (1)の 早 い 例 としては 戦 時 中 に 書 かれ 丸 山 眞 男 日 本 政 治 思 想 史 研 究 (1952)の 第 一 論 文 として 収 められた 同 氏 の 近 世 儒 教 の 発 展 における 徂 徠

13 10 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6) 学 の 特 質 並 にその 国 学 との 関 連 (1940)を 挙 げることができよう その 結 論 をかんたんに 言 えば 荻 生 徂 徠 は 公 を 政 治 ㆍ 社 会 的 = 対 外 的 なもの 私 を 個 人 的 = 内 面 的 なものとして 両 者 を 分 離 させたが それ は 本 居 宣 長 の 国 学 に 換 骨 奪 胎 的 に 継 承 され 公 私 はいったん 分 離 し た 上 での 交 わりという 緊 張 関 係 を 構 築 することに 結 局 挫 折 したというものであ る これは 第 二 論 文 である 近 世 日 本 政 治 思 想 における 自 然 と 作 為 (1941)の 内 容 とも 密 接 に 関 係 している ここではわかりやすさのため に 後 年 の 日 本 の 思 想 (1957)によって 丸 山 の 基 本 的 な 問 題 関 心 と 併 せ て 見 ておこう そこでは まず 日 本 の 思 想 の 伝 統 が 無 構 造 の 伝 統 と 捉 えられ る それは 仏 教 的 なもの 儒 教 的 なもの シャーマニズム 的 なもの 西 欧 的 なもの- 要 するに 私 たちの 歴 史 にその 足 跡 を 印 したあらゆる 思 想 の 断 片 が 雑 居 するだけで 思 想 と 思 想 との 間 に 本 当 の 対 話 なり 対 決 が 行 われな い ような 精 神 状 態 を 指 す 近 代 日 本 は そうした 精 神 状 態 のまま 開 国 ( 自 己 を 国 際 社 会 に 開 くと 同 時 に 国 際 社 会 に 対 して 自 己 を 国 として 画 す)したために 伝 統 思 想 はますます 断 片 化 し 新 たに 流 入 した 諸 思 想 を 捉 えなおしたり 異 質 な 思 想 として 対 決 す る 原 理 となりえなかった そのため 日 本 の 近 代 化 は 不 十 分 であった という のが 丸 山 の 基 本 的 な 問 題 関 心 である すなわち 近 代 日 本 の 課 題 は 立 憲 制 の 機 軸 (ヨーロッパでは 宗 教 ) を 創 出 することであったが そのような 思 想 的 伝 統 がなかったため( 思 想 的 雑 居 性 ) 制 度 としての 国 体 ( 君 主 国 体 )が 同 時 に 精 神 としての 国 体 ( 万 世 一 系 の 天 皇 によって 統 治 される 優 秀 な 国 柄 )として 機 軸 ( 非 宗 教 的 宗 教 ) 化 さ れた その 結 果 個 人 の 内 面 の 問 題 ( 私 )に 国 家 権 力 ( 公 )が 無 制 限 に 浸 透 してくる 構 造 が 確 立 した と 言 うのである 丸 山 はそこに 憲 法 等 の 法 的 = 政 治 的 制 度 が 制 度 をつくる 主 体 の 問 題 か ら 切 り 離 されて 既 にできあがったものとされ( 制 度 の 物 神 化 ) 主 体 は 個 人 の 日 常 的 な 感 覚 世 界 と 自 然 に 対 する 直 観 に 局 限 されてしまう( 自 然 ㆍ 実 情 への 密 着 ) つまり フィクションとしての 制 度 と 生 の 現 実 ( 充 溢 )との 間 の 緊 張 が 構 築 されな いという 昔 ながらの 無 構 造 の 伝 統 が 原 型 ㆍ 古 層 ㆍ 執 拗 低 音 とし て 浮 上 する 様 子 を 見 て 取 ったのである

14 前 近 代 日 本 の 公 共 観 の 特 徴 ( 片 岡 龍 ) 11 このような 丸 山 の 研 究 方 向 が 戦 後 日 本 の 公 / 私 関 係 の 探 求 に それ に 対 する 賛 否 に 関 わらず 大 きな 影 響 を 与 えたことは 否 定 できない ここに は 依 然 として われわれがその 主 張 を 精 確 に 受 けとめるべき 点 や さらに 考 察 を 深 めるべき 有 意 義 な 課 題 の 示 唆 がある たとえば 同 じく 無 構 造 の 伝 統 といっても 戦 前 では 国 体 が < 権 力 の 核 心 / 精 神 の 機 軸 >として 仮 にも 諸 思 想 をつないでいたが 戦 後 は それもなくなった とされている 点 である したがってまた 戦 前 日 本 の 近 代 は 流 産 したが 機 軸 を 作 為 しようとする 意 識 の 稀 薄 な 前 近 代 とは や はり 基 本 的 に 異 なるのである 後 に 原 型 (1963)や 古 層 (1972)や 執 拗 低 音 (1975) 等 の 語 によっ て あたかも 古 代 から 国 家 権 力 ( 公 )が 個 人 の 内 面 ( 私 )に 無 制 限 に 浸 透 してくる 構 造 が 成 立 していたかのごとく 主 張 されているように 見 えるが 丸 山 が それらの 語 で 呼 んでいるのは 思 想 的 雑 居 性 一 般 なのであって 公 / 私 関 係 の 構 造 が 古 代 からそうであったと 特 定 的 に 論 じているのではない 公 / 私 関 係 は 漢 語 的 文 脈 を 離 れれば 基 本 的 には public と private との 関 係 が 密 接 なものとして 強 く 意 識 されるようになる 近 代 の 問 題 な のであって 前 近 代 日 本 で その 結 びつきがいつから 始 まるかは 慎 重 に 検 討 されなければならない 問 題 であろう( 従 来 公 (オホヤケ) に 比 べて 私 (ワ タクシ) の 方 の 考 察 がなかなか 進 んでいないのは オホヤケ ワタクシ の 結 びつきの 例 が そうかんたんに 古 い 時 代 から 見 いだしにくい という 事 情 に もよろう) 古 代 においては オホヤケ( 大 屋 処 )はヲヤケ( 小 屋 処 )に 対 する 相 対 的 な 語 で あって 在 地 首 長 的 なオホヤケと 重 層 して 様 々なレベルのオオヤケがあり それ が 中 近 世 社 会 における 公 の 重 層 構 造 の 淵 源 となっていること またそのよう な 地 域 共 同 体 的 なオホヤケ( 大 屋 処 )が 朝 廷 と 結 びついていたミヤケ( 御 屋 処 ㆍ 宮 処 ㆍ 都 )の 語 に 代 わり 天 皇 ヒエラルキーの 場 の 内 に その 共 同 体 構 造 を 包 摂 する 国 家 的 なオホヤケ( 公 )として 拡 大 されたというように 指 摘 されるが 9) このオ ホヤケ( 公 )も ワタクシ( 私 )の 対 概 念 ではないのである したがって いくら 重 層 構 造 といっても 必 ずしもそれが すぐに 公 / 私 の 入 れ 子 構 造 に 伴 う 無 構 造 にはつながらないのである このように 古 代 においては ただちに 個 人 の 内 面 ( 私 )と 国 家 権 力 ( 9) 吉 田 孝 律 令 国 家 と 古 代 の 社 会 岩 波 書 店 頁

15 12 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6) 公 )の 関 係 を 考 察 することは 難 しいにせよ 丸 山 の 制 度 の 物 神 化 という 観 点 は 今 後 まだ 考 察 を 深 める 余 地 があると 思 われる この 点 に 関 して 興 味 深 い 指 摘 を 残 しているのは 石 母 田 正 である 初 期 の 支 配 形 態 は 大 づかみには 二 つの 類 型 に 分 類 される 共 同 体 の 共 同 性 が 首 長 によって 代 表 される 型 と 成 員 相 互 の 関 係 として すなわちなんら かの 民 会 によって 代 表 される 型 である 後 者 には 古 典 古 代 的 ゲルマン 的 類 型 が 属 し 前 者 にはいわゆる 共 同 体 の アジア 的 形 態 が 対 応 し そこでは 王 = 首 長 は 多 かれ 少 なかれデスポティックな 性 格 をもつ その 特 徴 は 対 外 的 な 側 面 においてもっとも 明 確 にあらわれるのであって 共 同 体 の 成 員 による 民 会 が 発 達 し て 内 部 的 事 項 を 把 握 し 首 長 の 権 力 が 名 目 的 な 地 位 にまで 低 下 した 場 合 でさえ も たとえば 外 来 の 客 人 の 接 待 贈 答 の 形 における 外 部 との 物 資 の 交 換 他 の 共 同 体 との 同 盟 関 係 または 戦 争 の 指 揮 の 権 能 等 は 首 長 の 特 別 の 機 能 として 維 持 さ れるのである したがってその 内 部 構 造 がいかに 未 開 的 で 呪 術 からの 解 放 が 未 発 達 であっても 首 長 層 は 対 外 的 な 面 においては 開 明 的 であり 得 るの であって ことに 高 度 に 発 達 した 国 との 対 外 関 係 をもつにいたると 後 者 の 側 面 は 後 進 的 な 内 部 構 造 と 対 比 した 場 合 不 均 等 に 発 達 するのである したがってア ジア 的 社 会 のもとでは 他 民 族 との 交 通 が 重 要 になればなるほど その 機 能 を 独 占 する 首 長 制 = 王 権 は 開 明 的 となり 内 部 的 地 位 はそれによって 強 化 されるとい う 傾 向 をもつのである 10) ここには 丸 山 のいう 開 国 ( 自 己 を 国 際 社 会 に 開 くと 同 時 に 国 際 社 会 に 対 して 自 己 を 国 として 画 す)と 同 じような 問 題 関 心 がある 共 同 性 が 水 平 対 話 的 な 民 会 によってではなく 分 配 統 制 的 な 首 長 制 によって 担 われ る 場 合 には 対 外 的 には 文 明 の 顔 をもつ 機 能 が 対 内 的 には 呪 術 的 権 威 とし て 働 くと 言 うのである ここで 当 然 古 代 日 本 における 律 令 の 編 纂 が 思 いあわされる 中 国 の 周 辺 諸 国 においては 後 世 のベトナムを 除 くと 新 羅 など 朝 鮮 諸 国 の 場 合 と 比 べても 日 本 ほど 体 系 的 に 律 令 法 典 の 編 纂 に 取 り 組 んだ 国 はないと 言 われ る そして その 理 由 として 天 武 ㆍ 持 統 朝 のナショナリズムが 挙 げられている チベットや 朝 鮮 では 日 本 と 同 じく 中 国 の 統 治 技 術 を 継 承 しながら 日 本 よりは るかに 民 族 的 な 固 有 の 制 度 の 色 彩 が 濃 厚 であるのに 対 し 日 本 の 律 令 制 は 10) 石 母 田 正 日 本 の 古 代 国 家 岩 波 書 店 頁

16 前 近 代 日 本 の 公 共 観 の 特 徴 ( 片 岡 龍 ) 13 ある 種 の 軍 国 体 制 の 構 築 を 目 的 に 隋 唐 の 律 令 制 のなかから 特 定 の 要 素 を 意 図 的 に 抽 出 してつくられ また 中 国 的 自 然 法 との 緊 張 関 係 のなかで 機 能 してい た 中 国 律 令 を そこから 切 り 離 して 継 受 したことが 推 測 されている 11) このような 継 受 の 仕 方 は 制 度 の 物 神 化 をもたらしやすいものとなろう それは 律 令 に 限 った 問 題 だけでなく 近 代 の 立 憲 制 の 導 入 に 際 しても あ るいは 中 近 世 の 唐 物 や 朝 鮮 半 島 からの 陶 磁 器 や 医 薬 技 術 ㆍ 知 識 など さらには 縄 文 から 弥 生 への 移 行 期 における 金 属 製 品 や 古 墳 時 代 の 文 字 など も 同 様 の 役 割 を 果 たしたと 思 われる 安 永 寿 延 による 次 の 指 摘 も オホヤケの 大 のもともとの 意 味 については 修 正 を 要 するかもしれないが 基 本 的 にオホヤケ( 公 )のもつ 物 神 性 呪 術 = 宗 教 性 に 重 点 をおく 理 解 である 古 事 記 にはオオヤケという 言 葉 は 登 場 しないが その 語 源 は 明 らかである それは おほやけ まず 大 屋 処 つまり 大 いなる 屋 のある 所 の 意 味 である 大 は 量 的 な 大 きさを 意 味 しない それは 美 称 であり 偉 大 尊 貴 第 一 などを 表 す 屋 は 神 々の 聖 なる 住 居 である 人 間 の 住 む 俗 なる 住 居 としての 家 とは 本 質 的 に 異 なる 屋 は 天 石 屋 戸 とあるように なによりもまず 天 つ 神 の 住 居 であった その 天 つ 神 が 地 上 に 降 臨 した 際 に 住 む 一 時 的 な 仮 の 宿 が 屋 の 代 りという 意 味 のヤ シロ( 屋 代 = 社 )である 縄 文 時 代 の 遺 跡 のなかには 集 落 の 中 央 に 民 家 より 一 際 大 きな 建 物 の 痕 跡 があり そこで 特 別 な 催 しが 行 なわれたであろうことを 暗 示 し ている おそらくこの 建 物 こそが 屋 の 原 型 であったにちがいない そこに 共 同 体 の おおきみ 首 長 のちには 大 王 = 第 一 の 人 が 住 み 屋 に 神 を 招 き 寄 せて まつりを 主 催 した のであろう 彼 はまつりに 先 だって 厳 格 な 物 忌 みを 行 ない 神 々の 意 志 さらには 世 界 の 意 味 を 解 読 する これがまつりの 原 意 の 一 つである さらに 彼 は 御 言 して 解 読 された 神 々のメッセージを 人 びとに 伝 え それを 執 行 する これがまつり みこと も 持 ちと 11) 吉 田 孝 律 令 国 家 と 古 代 の 社 会 岩 波 書 店 頁 これは 日 本 の 場 合 民 族 的 な 習 俗 が 自 然 法 や 制 度 に 発 達 する 以 前 に すなわち 未 開 の 裸 の 身 体 に 文 明 の 冠 を 装 ったとも 言 えよう あるいは そもそもの 民 族 的 な 習 俗 や 集 合 が 戦 闘 的 ㆍ 軍 団 的 なも のであったとも 言 える が この そもそも を 縄 文 からそうであったのか 弥 生 からか つまり いつから 始 まるかという 問 題 が 残 る 石 母 田 は 律 令 制 においては 郡 司 階 層 が 軍 団 または 軍 制 の 指 導 的 役 割 を 果 たしているが これは 旧 国 造 軍 の 形 態 が 継 承 されたものと 見 る( 石 母 田 正 著 作 集 第 8 巻 岩 波 書 店 頁 初 出 古 代 法 岩 波 講 座 日 本 歴 史 四 1962 のち 日 本 古 代 国 家 論 官 僚 制 と 法 の 問 題 第 一 部 岩 波 書 店 1973に 収 録 )

17 14 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6) ごとの 原 意 である 要 するに 第 一 の 人 が 聖 なる 屋 に 神 々を 招 いてまつりとまつ りごとをとり 行 なう 場 がオオヤケの 原 義 である オオヤケは それを 通 じて 人 びとが 世 界 の 意 味 をとらえる 窓 口 であった ここではまだオオヤケはワタクシの 対 立 概 念 で はなく 共 同 体 の 成 員 (ヤカラ)とヤシロとの 媒 介 概 念 である ヤカラは 血 族 集 団 とし てのウカラとちがい 血 縁 のいかんにかかわらず 同 一 の 屋 つまりは 同 一 の 神 な いしシンボルのもとに 結 集 する 集 団 のことである なおヤッコ( 屋 っ 子 )も 本 来 は 屋 においてまつりを 行 なう 首 長 を 補 佐 しつつ 神 に 仕 える 存 在 のことである(そこからの ちにアルジに 仕 える 存 在 としての 奴 に 転 化 する) だが 古 代 では オオヤケはヤカラ ( 同 族 )を 統 率 する 族 長 に 代 表 される 場 合 と この 族 長 に 従 う 人 びとの 間 の 共 同 性 を 意 味 する 場 合 とに 微 妙 に 分 岐 する 例 えば 族 長 の 発 する 言 葉 や 彼 が 触 れ る 物 や 人 要 するに 彼 となんらかのかかわりのあるものは いずれもオオヤケ 性 を おびるようになる 12) (2) 水 平 的 な 公 ( 共 ) の 水 脈 二 つ 目 の 水 平 的 な 公 ( 共 ) の 水 脈 を 発 掘 しようする 研 究 方 向 は 今 見 た 日 本 の 公 ( 共 ) オホヤケ の 問 題 性 を 摘 出 しようとする 研 究 方 向 と 必 ずしも 対 立 するものではない 安 永 は 上 の 文 章 に 続 けて だが オオヤケの 概 念 は 族 長 へと 一 方 的 に 収 斂 するだけでなく まつりの 場 合 には それは 一 挙 に 共 同 性 へと 還 元 される と 言 っている もちろん 古 代 天 皇 制 の 成 立 にともな い 共 同 性 としてのオオヤケももっぱら 天 皇 に 従 属 するが とはいえ 民 衆 の 間 には 共 同 性 のコンテクストのなかに 位 置 づけられ しかも 権 力 者 に 収 斂 する ことのない 独 自 なオオヤケの 概 念 がけっして 消 滅 することなく 脈 々と 生 きつ づける と 言 うのである このような 水 脈 は これまで 主 に 中 世 ㆍ 近 代 を 中 心 として 探 求 されてきた 13) くがい たとえば 中 世 の 公 界 は 網 野 善 彦 の 有 名 な 書 名 中 の 語 として 一 躍 12) 安 永 寿 延 日 本 における 公 と 私 日 本 経 済 新 聞 社 頁 13) 90 年 代 以 降 は 古 代 ( 都 市 がもつ 公 共 性 や 合 議 制 など)や 近 世 後 期 ( 民 衆 の 紛 争 処 理 や 世 論 ㆍ 公 論 など)の 研 究 も 目 につくようになった その 前 提 としては 高 度 成 長 期 の 経 済 発 展 を 経 て 日 本 的 な 経 営 や 組 織 のあり 方 が 肯 定 的 に 捉 え 直 されるようになった いわば 公 ( 共 ) の 復 権 とでもいうべき70 80 年 代 の 状 況 があるだろう 90 年 代 半 ば 以 降 は そうした 状 況 も 揺 らぎ 始 めたが 現 在 もなお 公 共 が 国 家 の 範 囲 内 の 議 論 にとどまりやすいのは この 前 提 が 伏 線 となっていよう

18 前 近 代 日 本 の 公 共 観 の 特 徴 ( 片 岡 龍 ) 15 一 般 の 認 知 度 を 高 めたが それに 対 する 注 目 は すでに 60 年 代 後 半 から 始 まっていた 14) すなわち 戦 国 時 代 の 九 州 の 大 名 である 相 良 氏 の 分 国 法 相 良 氏 法 度 第 18 条 にみえる 公 界 論 定 公 界 の 批 判 の 用 例 であるが この 公 界 とは 所 衆 談 合 のことであり 相 良 氏 の 公 権 力 がその 裁 定 権 を 法 的 に 承 認 し かつそれに 介 入 しない 自 律 的 なもう 一 つの 公 的 権 力 ( 合 議 体 )の 存 在 が 指 摘 されたのである もちろん 歴 史 の 大 きな 流 れは 結 局 は この 公 界 が 上 位 の 公 権 力 ( 公 儀 )に 組 み 込 まれ 自 律 性 を 失 い その 内 部 への 介 入 を 許 すことに 帰 着 する しかし このような 所 衆 談 合 的 な もう 一 つの 公 ( 共 ) が 中 世 に 存 在 したことの 記 憶 は 幕 藩 体 制 における 公 儀 の 中 にも 老 中 ( 中 は 複 数 の 意 )や 家 老 による 合 議 制 として 種 を 遺 し 幕 末 期 の 公 議 輿 論 として 甦 るという 点 で きわめて 貴 重 である 15) しかし それがかつての 公 界 の 変 質 であることも 確 かであり そうした 近 むえん くがい 世 ㆍ 近 代 にいたる 公 界 の 没 落 史 を 描 いたのが 網 野 善 彦 無 縁 ㆍ 公 界 ㆍ らく 楽 日 本 中 世 の 自 由 と 平 和 ( 平 凡 社 1978)であった ちょう 公 界 や 町 共 同 体 に 公 権 力 に 対 する 自 治 の 伝 統 を 見 出 そうとする 方 向 性 は それが 共 同 体 という 閉 じた 集 団 の 枠 内 でのみ 発 想 される 場 合 必 ずより 上 位 の 共 同 体 に 従 属 する 結 果 となる 中 世 の 共 同 体 自 治 が 輝 いて 見 えるのは 基 本 的 に 自 力 救 済 の 世 界 であって より 上 位 の 共 同 体 すなわち 国 家 による 裁 判 機 能 や 暴 力 の 独 占 が まだ 十 分 になされていないからである したがって 網 野 が 公 界 に 並 べて 無 縁 ( 無 縁 所 )や 楽 ( 楽 市 場 )を 取 り 上 げたのは 共 同 体 の 自 治 としてではなく アジール 的 な 場 としてで あった しかし 西 洋 でもアジールは 13 世 紀 頃 から 規 制 されはじめ 16 世 紀 から 18 世 紀 の 間 に 各 国 で 廃 止 されていったように 共 同 体 でないにせよ 空 間 的 ㆍ 領 域 的 に それが 捉 えられる 限 り いずれ 領 域 国 家 の 国 家 領 土 の 中 に それ が 組 み 込 まれることは 必 然 的 とも 言 える また 網 野 は 無 縁 や 公 界 や 楽 に 日 本 的 な 自 由 や 平 14) 勝 俣 鎮 夫 相 良 氏 法 度 についての 一 考 察 (1967 のち 同 戦 国 法 成 立 史 論 東 京 大 学 出 版 会 1979 所 収 ) 15) 尾 藤 正 英 明 治 維 新 と 武 士 ( 同 江 戸 時 代 とはなにか 岩 波 書 店 2006)

19 16 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6) 和 の 意 を 読 み 込 むが それがアジール 的 な 場 と 捉 えられてしまうと 自 由 はいわゆる ~への 自 由 よりも ~からの 自 由 という 消 極 的 自 由 とし て 限 定 され 16) 平 和 も 外 交 的 ㆍ 対 話 的 に 積 極 的 に 構 築 ㆍ 維 持 していくもの よりも 逃 避 的 ㆍ 内 向 的 な 心 の 平 安 に 類 するものとなってしまう しかし 興 味 深 く 思 われるのは 網 野 の 私 秘 的 な 自 由 や 心 の 平 安 的 な 平 和 理 解 が 丸 山 が 指 摘 した 荻 生 徂 徠 の 個 人 的 ㆍ 内 面 的 な 私 理 解 に 近 づいているという 点 である また 水 平 的 な 公 ( 共 ) の 水 脈 として 探 られていた 無 縁 や 公 界 や 楽 が 徂 徠 では 私 に 位 置 づけられているものの その 私 が 政 治 ㆍ 社 会 的 ㆍ 対 外 的 な 公 と 分 離 し て 交 渉 がないという 点 も 網 野 のアジール 的 場 が 公 権 力 の 中 に 開 いた 穴 とし て その 間 の 交 通 があまり 考 えられていないことと 相 似 する つまり 網 野 によれば 徂 徠 的 な 公 / 私 の 分 離 は アジール 的 場 をむ しろ 私 と 位 置 づけてだが すでに 中 世 に 胚 胎 しているということになる ここに 思 いあわされるのは 一 人 称 である わたくし が 同 時 に 私 的 領 わたくし 域 を 意 味 する 私 とまったく 同 じ 言 葉 で 表 現 されるということは 世 界 にその 例 を 見 ない と 言 われている わたくし と 私 の 結 びつきが 17) 遅 くとも 室 町 時 代 末 には 始 まっていたとされる 点 である 18) アジール 的 逃 避 領 域 が わ たくし という 個 人 の 心 の 内 部 にも 発 見 される 可 能 性 が 中 世 後 期 にあったとい うことになる( 心 隠 陸 沈 ) なぜ 私 的 領 域 が 一 人 称 と 結 びつくのかは 今 後 の 課 題 とせざるを 得 ないが 論 理 的 な 発 展 段 階 としては まず 公 と 私 が 漢 語 においては 対 概 念 であ るところから ついで 両 者 が 領 域 化 され さらに 公 の 人 格 化 に 応 じて 私 もしだいに 人 格 化 人 称 化 されるという 流 れを 想 定 できる 16) 網 野 は 無 縁 を 積 極 的 に 縁 を 切 った 自 由 な 境 地 と 見 るが( 平 凡 社 世 界 大 百 科 事 典 自 由 の 網 野 執 筆 部 分 ) その 積 極 性 は 縁 の 強 固 さに 対 するものであり 縁 を 切 った 後 の ~ への 自 由 という 点 での 積 極 性 ではない また 網 野 は 平 民 ( 公 民 )ㆍ 百 姓 の 租 庸 調 ㆍ 年 貢 な どの 負 担 は 共 同 体 の 成 員 になるために 自 発 的 に 担 われたとし 無 縁 ㆍ 公 界 ㆍ 楽 の 共 同 体 か らの 自 由 と 対 比 させるが このような ~への 自 由 よりも ~からの 自 由 をむしろ 重 視 する ような 捉 え 方 は 一 定 の 意 味 は 認 められるものの 結 局 自 由 からの 自 由 に 陥 る 危 険 性 を 避 けにくいだろう 17) 安 永 寿 延 日 本 における 公 と 私 日 本 経 済 新 聞 社 頁 18) 室 町 末 に 成 立 した 御 伽 草 子 などに 登 場 ( 水 林 彪 わが 国 における 公 私 概 念 の 歴 史 的 展 開 歴 史 と 方 法 編 集 委 員 会 編 日 本 史 における 公 と 私 青 木 書 店 頁 ) 同 様 に 公 も 集 団 を 指 すだけでなく 集 団 の 代 表 者 の 個 人 を 指 す 場 合 もある( 有 賀 喜 左 衛 門 著 作 集 Ⅳ 封 建 遺 制 と 近 代 化 未 来 社 頁 )

20 前 近 代 日 本 の 公 共 観 の 特 徴 ( 片 岡 龍 ) 17 対 概 念 としての 公 / 私 の 早 い 例 は 6 世 紀 の 百 済 王 上 表 文 中 の 公 私 往 還 (アラハにシノビニかよふ) 7 世 紀 とされる 十 七 条 憲 法 第 15 条 の 背 私 向 公 是 臣 之 道 矣 凡 人 有 私 必 有 恨 有 恨 必 非 同 非 同 則 以 私 妨 公 などであり(ともに 日 本 書 紀 ) 領 域 概 念 としての 公 / 私 は 8 世 紀 の 養 老 令 における 公 田 私 田 が 早 かろう 19) 公 の 人 格 化 の 始 まりは 9~10 世 紀 の 交 となる 20) そこから 中 世 末 の 私 の 人 称 化 までは ずいぶん 間 隔 があるが その 前 提 となる 私 の 人 格 化 は 中 世 の 長 い 時 間 をかけて しだいに 進 行 していっ たのだろう 鎌 倉 新 仏 教 や 隠 者 ㆍ 遁 世 文 学 などに 現 れた 思 索 をとおして そ れを 確 認 していくことは 今 後 の 課 題 である その 際 オホヤケ( 公 )のもつ 物 神 性 呪 術 = 宗 教 性 を 指 摘 した 安 永 が それと 対 応 して ワタクシ( 私 )をオホヤケ( 公 )の 聖 性 (タブーや 規 範 )からの 解 放 と 位 置 づけていたことが 注 目 される 21) それは 逆 に 言 えば オホヤケ( 公 )に よる 聖 性 の 独 占 とも 言 えよう すなわち 中 世 における 私 の 人 格 化 は 公 に 回 収 された 聖 性 を 個 人 に 奪 還 しようとする 試 みとも 見 られるのである 22) 勝 俣 鎮 夫 が 一 揆 の 一 味 神 水 ( 一 味 同 心 という 一 致 団 結 した 状 態 の 集 団 を 結 成 する 際 に 行 われた 集 団 誓 約 の 儀 式 作 法 これによって 神 と 人 人 と 人 との 間 を 一 つの 同 じ 心 にすることを 目 的 とする)を 強 調 したように 中 世 に 水 平 的 な 公 ( 共 ) の 水 脈 を 探 る 研 究 方 向 は その 聖 性 について 併 せ 論 じられるこ とが 多 い( 無 縁 所 も 本 来 は 寺 院 である) しかし 注 意 しなければならなのは その 聖 性 が 共 同 体 やアジール 的 場 のように 一 定 の 区 画 をもった 領 域 として 捉 えられると それが 結 局 公 儀 の 中 に 回 収 されていく 姿 は ちょうど 古 代 の 地 域 共 同 体 的 なオホヤケが 国 家 的 なオホヤケの 中 に 自 発 的 に 組 み 込 まれていった 過 程 と なんら 変 わりが 19) 前 掲 水 林 論 文 頁 20) 公 が 天 皇 を 指 すのは 平 安 前 期 の 竹 取 物 語 公 方 の 人 格 的 実 体 化 は13 世 紀 末 以 降 ( 前 掲 水 林 論 文 92 頁 ) 21) 安 永 寿 延 日 本 における 公 と 私 日 本 経 済 新 聞 社 頁 22) なお privateはラテン 語 のprivatio,privare( 奪 う 奪 われた)に 由 来 すると 言 われるが( 三 戸 公 公 と 私 未 来 社 頁 ) アンリㆍルフェーブルは 本 来 共 同 生 活 から わた プリヴエ し によって 奪 われた ものであるにもかかわらず その 私 的 生 活 が ふたたび 国 家 ないしは 体 制 という 擬 制 の 共 同 性 のなかに 回 収 され 奪 われる 過 程 をre privatisation( 再 私 的 化 = 再 剥 奪 化 )という 造 語 でよんでいると 言 う( 安 永 寿 延 日 常 性 の 弁 証 法 筑 摩 書 房 頁 )

21 18 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6) ないことになる 喧 嘩 両 成 敗 ( 喧 嘩 をした 者 は 双 方 とも 理 非 を 問 わず 同 等 の 処 罰 をうける) や 折 中 の 法 ( 係 争 対 象 の 利 権 を 当 事 者 間 で 籤 引 きㆍ 神 判 によって 形 式 的 に 折 半 する)といった 中 世 の 紛 争 解 決 法 も 領 域 的 問 題 として 捉 えられると 必 ずその 上 位 になんらかの 神 格 的 な 公 権 力 の 存 在 を 想 定 せざるを 得 ない そもそも 領 域 化 が 人 格 化 に 転 じたということは 日 本 語 の 人 格 概 念 に 領 域 的 な 要 素 があることを 示 唆 していよう すなわち 領 域 と 人 格 の 区 別 が 曖 昧 で あると 言 ってもよい 人 格 が 領 域 の 中 に 絡 め 取 られてしまえば 私 と 公 の 交 通 は いつまでたっても 始 まらない( 一 味 同 心 も 公 のために 私 を 抑 えることが 要 求 される あるいは 公 にかなわない 私 は 集 団 から 排 除 される 23) ) 中 世 の 公 ( 共 ) の 水 脈 は むしろ 私 の 人 格 化 の 中 に その 基 盤 を 探 っていく 必 要 がある この 点 で 東 島 誠 が 公 共 の 脱 領 域 化 を 試 みるため 石 母 田 を 参 照 しな がら 交 通 に 着 目 することは 注 目 される そこから 他 者 との 交 通 を 回 復 させる 可 能 態 (デュナミス) 的 用 語 としての 江 湖 などが 自 在 に 取 り 上 げら れる したがって 公 共 圏 の 歴 史 的 創 造 江 湖 の 思 想 へ という 書 題 に 現 れた 公 共 圏 とは かつて 存 在 した 実 体 的 な 概 念 ではなく むしろその 不 在 ゆえに 歴 史 的 に 創 造 されるべきものという 立 場 なのだが しかし それが やはり 空 間 的 な 概 念 として 受 けとめられやすいという 点 では 問 題 が 残 る また 一 挙 に 歴 史 的 創 造 のための 可 能 態 的 用 語 に 飛 ぶ 前 に それが 現 実 態 (エネルゲイア) 現 在 の 現 実 態 はやはり 公 共 となろう にどのように 移 行 していったのか その 運 動 (キネシス)を 歴 史 的 に 確 認 しなければ 可 能 態 は いつも 可 能 態 のまま 終 わることにもなりかねない また 交 通 するためには 交 通 する 主 体 ( 私 )の 問 題 が 欠 かせない そ 23) この 点 については 石 母 田 が 次 のように 述 べていることが 参 考 になろう 一 揆 という 在 地 領 主 の 形 成 する 連 合 体 は 法 制 定 の 主 体 であるとともに 一 つの 権 力 の 主 体 であった その 権 力 は 一 揆 がその 構 成 員 にたいしてもつ 独 自 の 命 令 権 または 沙 汰 権 であり この 集 団 はたんなる 一 味 同 心 や 水 魚 の 思 という 理 念 だけによって 結 合 しているのではない(な おこれらの 理 念 はいわゆる 惣 領 制 的 結 合 にも 存 在 する )この 命 令 権 による 強 制 力 なしには い かなる 一 揆 契 約 も 有 効 とならず 集 団 として 共 通 の 行 動 もあり 得 ないだろう この 命 令 権 をささえ ているのは 集 団 がもつ 制 裁 権 または 刑 罰 権 であり 衆 中 成 敗 権 がそれにあたる それは 擯 出 または 衆 中 を 放 つ という 共 同 体 からの 排 除 または 追 放 を 基 本 とし 事 情 によって は 死 罪 以 下 の 重 罪 をも 科 し 得 るし また 神 宝 を 振 る という 特 殊 な 形 もあり 得 る ( 石 母 田 正 著 作 集 第 8 巻 岩 波 書 店 頁 初 出 は 中 世 政 治 社 会 思 想 上 解 説 日 本 思 想 大 系 21 岩 波 書 店 1972)

22 前 近 代 日 本 の 公 共 観 の 特 徴 ( 片 岡 龍 ) 19 の 主 体 が 果 たして 交 通 を 可 能 とする 主 体 ( 領 域 画 定 的 主 体 ではなく 対 話 共 働 的 主 体 )になり 得 ているかを まずは 中 世 における 私 の 人 格 化 の 過 程 の 中 に 探 る 必 要 がある こうした 点 で 韓 国 の 参 加 共 働 的 ㆍ 対 話 的 な 公 共 の 展 開 過 程 や その 24) 歴 史 的 背 景 をいっそう 明 らかにし それと 呼 応 する 日 本 の 所 衆 談 合 公 議 輿 論 等 が 25) 現 在 の 現 実 態 としての 公 共 にどうつながるかを 改 めて 検 討 し 直 し それと 同 時 に 対 話 共 働 的 な 主 体 を 日 本 の 私 の 伝 統 に 探 り それをまた 韓 国 の 場 合 とも 対 照 してみることが 今 後 の 課 題 の 方 向 性 となろ う なぜなら 前 近 代 日 本 の 公 共 観 の 特 徴 は (1) 私 の 人 格 化 (2)それ が 公 と 交 通 しないところにあるが (1)を 活 かしながら(2)を 克 服 してい くためには 日 本 の 枠 内 だけでこの 問 題 を 考 えることは もはや 許 されないから である 논문투고일 : 논문심사일 : 심사확정일 : 인적 사항 성명 : (한글) 가타오카 류, (한자) 片 岡 龍, (영어) Kataoka Ryu 소속 : 東 北 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 논문영문제목 : The Characteristics of the Public and Private Idea in Premodern Japan 주소 : 宮 城 県 仙 台 市 青 葉 区 川 内 27 1 東 北 大 学 文 学 研 究 科 E mail : bee1443@nifty.com 24) 新 羅 の 麻 立 干 を 中 心 とした 合 議 制 (5 世 紀 以 前 ) それをうけた 統 一 新 羅 の 和 白 高 麗 の 都 評 議 使 司 (1279) それを 承 けた 朝 鮮 王 朝 の 議 政 府 (1400)の 伝 統 などが 考 えられ る 25) 早 くは 憲 法 十 七 条 第 17 条 の 大 事 不 可 独 断 必 与 衆 宜 論 なども 挙 げられる

23 20 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6) <국문요지> 일본에서는 국가의 범위 내에서 공공 과 공사 관계를 고찰하는 경향이 강하며 현재도 그러하 다. 본고는 1그 역사적 연유를 전근대 일본의 공공관의 특징 私 가 公 에 회수되는 공/사의 구조에 서 찾으며, 2전근대 한국의 공공관의 특징(참가 공동성 共 働 性 )과의 비교를 통하여, 일본의 공공관 을 넓게 동아시아의 문맥에서 위정함으로써, 3기존의 서양 중심의 공공 관에 대한 새로운 공공 관을 함께 만들어가는 준비가 될 것을 기도하였다. 주제어: 조선왕조실록, 여헌 장현광, 마루야마 마사오, 공사, 공론

24 21 류큐( 琉 球 )왕국(오키나와)의 의사 결정체계에 관한 고찰 * 鄭 夏 美 Abstract Through a close examination of the channels through which reports concerning the Chosun castaways who landed on Kerama Island in 1733 were conveyed to governmental authorities, this paper was able to verify the hierarchical decision making system between the Ryukyu Kingdom and the Japanese government through Satsuma s official. As a result, this paper was able to confirm several characteristics of the so called autonomous Ryukyu Kingdom that are alien to modern day nations; in short, the Ryukyu Kingdom made all its decisions from subordinate position to the Satsuma s official. Especially concerning the dates and methods of the repatriation of the Chosun castaways, the influence of Japanese Satsuma authorities strongly swayed the decisions of the Ryukyu Kingdom, confirming it as a lesser political entity. Moreover, this paper was able to confirm not only the identities of the crew but also that the ship that repatriated the castaways was not a regular tributary vessel but a chartered one. Hence, this paper was able to assess that the repatriation of castaways was one method through which Japan and China conducted indirect trade. By studying the means of dialogue and communication between the Ryukyu Kingdom s administrative officials and the castaways and by researching how interpreters were trained to provide adequate human resources, this paper also presents a comparison of this communication prior to and after ) Keywords : Ryukyu Kingdom, Chosun castaways, chartered vessel, interpreter, Satsuma s official 들어가며 일본의 남서부의 최서단에 위치하고 있는 오키나와현은 메이지정부가 단 행한 류큐처분 으로 일본영토가 되었다. 제2차 세계대전 후 미국에 점령되었 다가 복귀 하면서 지금도 미군 기지 문제 등을 둘러싸고 일본 본토와 갈등 을 빚고 있는 곳이기도 하다. 일본의 식민지 로서 침략과 동화정책에 의하여 편입된 역사를 가진 경계로서의 지역성 을 가지고 있다. 1) 메이지 이전, 시마 * 한양대학교 교수

25 22 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6) 즈번(가고시마현)의 공격으로 1609년부터 실질적으로 일본의 지배를 받았으 나 동시에 중국의 책봉을 받아, 근대적인 국제질서상에서 보면 기이한 형태 인 양속 체제로 이중 지배하에 있었고 중국과 일본사이의 간접 외교를 통해 독립왕국을 유지하였다. 본 연구는 이러한 류큐왕국의 특성이 조선인 표류민에 대한 대응과정에 드러나 있다는 점에 착목하여 조선인 표류민이 류큐왕국에 의하여 중국으로 송환되는 과정을 살펴봄으로써 류큐왕국의 특이성을 규명하고자한다. 류큐왕 국의 보고체계와 다양한 부서간의 행정협력이 표류민을 둘러싼 왕부의 의사 결정과 어떠한 관련이 있는 지 알게 될 것이다. 류큐왕국은 표착한 조선 표류민을 중국으로 보내어 본국으로 돌려보내는 송환절차를 따르고 있었다. 2) 사실상 국교가 단절된 조선후기에는 이런 형태 의 표류민 송환만이 유일한 류큐와의 외교였다. 따라서 류큐왕국에 대한 연 구는 이러한 제한적인 조선인 표류민 송환체제에 연구자의 관심이 집중되었 다. 그러나 표류민 송환의 과정에서 류큐왕국의 내국에서 어떠한 절차와 과 정을 거쳤는지에 대한 연구는 지금까지 이루어지지 않았다. 본 연구의 관심 이 류큐왕국의 행정체계에 있는 만큼 기본 연구자료로 류큐왕국의 의결기관 인 評 定 所 가 작성한 琉 球 王 国 評 定 所 文 書 3) 를 사용하였다. 시간축으로 구성 되어 있고 관계부서가 교환한 문서를 그대로 수록하고 있어 행정부서간의 연 결체계를 알 수 있어 의사결정과정을 확인하는데 도움이 되기 때문이다. 구 체적인 자료에 나타난 표류민과의 소통과정도 확인할 수 있으므로 통역이 어 떻게 이루어졌는지도 확인하는 것도 가능하다. 동아시아의 책봉체제에서 류큐가 중국과의 관계를 유지하고 있는 이유는 책봉체제만 유지하면 교역이 성립되기 때문으로 표류민을 송환하는 과정에서 도 이러한 교역에의 관심이 내재되어 있다. 진공선, 접공선, 마랑선 등 다양 한 선박을 이용해 중국으로 표류민을 송환하는 과정에서 류큐왕국이 중국과 의 책봉과 교역관계를 어떻게 이해했는지 드러난다. 1) 小 熊 英 二 (1988), < 日 本 人 >の 境 界 4쪽, 新 潮 社 2) 1684년부터 류큐는 나가사키를 경유하지 않고 직접 중국 복건으로 송환하는 방침으로 바꾸 었다. 西 里 喜 行 (2005), 清 末 中 琉 関 係 史 の 研 究 59쪽, 京 都 大 学 出 版 会 3) 이하 琉 球 王 国 評 定 所 文 書 編 集 委 員 会 編 琉 球 王 国 評 定 所 文 書 (1988)1권, 浦 添 市 教 育 委 員 会 를 評 定 所 文 書 라고 표기함

26 류큐( 琉 球 )왕국(오키나와)의 의사 결정체계에 관한 고찰 ( 鄭 夏 美 ) 류큐왕국의 보고체계 1733년 11월 29일 조선인 남녀 11명이 탄 선박이 류큐왕국의 게라마섬에 표착하였다. 이들은 해남에서 거제로 가려던 어민과 가족들이었다. 4) 게라마 섬은 오키나와현의 나하시에서 서쪽으로 40킬로미터 정도 떨어져 있는 20여 개의 섬으로 19.23킬로미터의 공간안에 있으며 현재의 행정구획으로는 渡 嘉 敷 村 와 座 間 味 村 으로 나뉘어지는 지역이며 당시에도 渡 嘉 敷 마기리( 間 切 )와 座 間 味 마기리 5) 라는 행정구획으로 나뉘어져 있었다. 표류민을 발견한 것은 座 間 味 마기리의 遠 目 番 人 이다. 遠 目 番 이란 특히 중국에의 항로나 사츠마의 항로에 있는 게라마, 久 米 島, 粟 国 ㆍ 渡 名 喜 ㆍ 伊 平 屋 ㆍ 伊 江 섬 등에 봉화대를 설치하고 바다를 전망하여 선박의 이동을 알리는 역할을 하는 곳이다. 이들 이 수상한 선박(이국선 등)을 발견하는 것이다. 6) 선박을 준비하였다가 중국 선 등이 보일 경우 이들을 선도하거나 경호하는역할을 하였다. 게라마섬의 遠 目 番 人 은 이들을 발견하자 곧 助 船 으로 상륙을 돕고 사와쿠 리 7) 와 고요코메(경찰과 같은 기능)와 함께 외견상으로 표류민이 조선임임을 확인한다. 당면한 이들의 일은 표류민에게 죽을 주고 마을 인가를 비워 울타 리를 쳐서 숙소를 마련하고 저녁을 제공하고 당번으로 이를 지키는 것이다. 그리고 당사자들에게 신분을 증명하는 서류를 받고 문답상황이나 소지품등을 검사하여 기록하는 것이다. 게라마섬에 있는 중앙관청 사스노소바( 御 鎖 之 側 ) 의 출장기관 관리인 在 番 嘉 手 川 치쿠둔 페칭( 筑 登 之 親 雲 上 )은 이 사실을 문 서로 작성하고 오웻키( 大 掟 ) 仲 村 渠 にや가 飛 船 을 타고 나하로 건너가 사건 접수 당일 사스노소바에게 이 사실을 전달한다. 遠 目 番 과 재번은 마기리 지방 행정의 말단기관인 것이다. <표 1>은 이러한 마기리의 행정조직을 표로 나타 낸 것이다. 마기리의 관리는 신분상으로는 농민이다. 4) 정하미(2015), 표착민의 신원 및 류큐왕국의 대우, 일본학보 104집 5) 마는 장소 방면을 뜻하고 기리는 구획을 의미한다고 한다 上 野 重 義 (1989) 沖 縄 における 旧 慣 間 切 内 法 ㆍ 村 内 法 の 類 型 的 考 察 九 大 農 学 芸 誌 (Sci.Bull. Fac. Agr.,K yushu Univ.) 第 44 巻 第 1ㆍ2 号 ) 渡 辺 美 季 近 世 琉 球 における 対 異 国 船 漂 着 体 制 - 中 国 人 ㆍ 朝 鮮 人 ㆍ 出 所 不 明 の 異 国 人 の 漂 着 に 備 えて- ( 琉 球 王 国 評 定 所 文 書 編 集 委 員 会 編 琉 球 王 国 評 定 所 文 書 補 遺 別 巻 浦 添 市 教 育 委 員 会 2002 年 1 月 ) 7) 사와쿠리는 捌 理 라고 쓰는데 슈이우야쿠( 首 里 大 屋 子 ), 우웻치( 大 掟 ), 페웃치( 南 風 ) 니시웃 치( 西 掟 )를 말한다. 사무처리자라는 뜻이라고 한다. 北 谷 町 教 育 委 員 会 (1996) 北 谷 町 の 自 然 ㆍ 歴 史 ㆍ 文 化

27 24 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6) <표1> 1733년 시점의 게라마섬 지방행정기구표 중 표류민 관련 기관을 제시하였다. 北 谷 町 教 育 委 員 会 (1996) 北 谷 町 の 自 然 ㆍ 歴 史 ㆍ 文 化 를 참조하고 琉 球 王 国 評 定 所 文 書 第 1 巻 朝 鮮 人 拾 壱 人 慶 良 間 漂 着 馬 艦 船 を 以 送 越 候 日 記 ( 三 二 〇 号 )에서 작성. 사스노소바는 류큐왕국의 중앙 기관으로 외교, 문교역할을 담당하는 부서 이다. 부서명도 부서의 장도 사스노소바라고 호칭한다. 나하 지역의 감독관이 기도 하며 대외 교역을 책임지는 부서이기도 하고 표류민 관련사안을 처리하 는 주관 부서이다. 당시 사스노소바의 장관은 후나고시( 富 名 腰 ) 페칭 8) ( 親 雲 上 )이고 차관급은 安 次 富 親 雲 上 닛초누시도리( 日 帳 主 取 )라고 일컫는다. 주관 부서 사스노소바를 파약하기 위하여 당시의 행정기구 전체를 보기로 하자. 우선 류큐왕국은 국왕체제이고 당시 국왕은 尚 敬 王 ( )으로 제 2 상씨 왕조 13대 국왕이다. 그 아래에 섭정과 삼사관이 있다. 당시의 섭정은 北 谷 王 子 9)이다. 실질적으로 정치에 참여하지 않으므로 의사 결정의 최종 책 임자는 삼사관이라고 볼 수 있다. 실질적인 행정의 최고 책임자이고 재상에 상당한다. 3인제이고 신분 위계는 웨가다( 親 方 )에서 선발되었다. 당시의 삼사 관은 向 和 聲 ㆍ 伊 江 親 方 朝 叙 ( ), 毛 秉 仁 ㆍ 美 里 親 方 安 満 ( ), 8) 류큐왕국의 위계의 호칭으로 사족은 모두 페칭이라고 부른다. 子 筑 登 之 (치쿠둔) 筑 登 之 親 雲 上 (치쿠둔 페칭) 親 雲 上 (페칭)이 출세의 순서이다. 9) 北 谷 를 영지로 하는 왕족이고 尚 敬 王 의 섭정으로 18년간 섭정의 직위에 있었다. 섭정은 상 설관직이고 국왕보좌 및 삼사관에게 조언하는 역할이지만 통상은 의례적인 역할이고 왕족에 서 선발되었다.

28 류큐(琉球)왕국(오키나와)의 의사 결정체계에 관한 고찰 (鄭夏美) 25 蔡温ㆍ具志頭親方文若( )의 3명이다.10) 삼사관에 소속되어있는 중앙관청기구는 다시 모시구치호(申口方)와 모노 부교(物奉行)로 나뉜다. 사스노소바는 모시구치호에 소속된 기관이다. 이외에 모시구치호에 소속된 기관으로는 표류민 수용시설이 있는 도마리를 관할하는 도마리 지토(泊地頭)가 있다.11) 모시구치호(申口方)와 모노부교(物奉行)의 장 과 차관급에 해당되는 중요인물 15인을 오모테 15인이라고 부르고 앞서 설명 한 삼사관과 더불어 평정소를 구성하고 있고 이 기관간의 교환서류가 琉球 王国評定所文書 에 수록되는 것이다. <표2참조> <표2> 1733년 시점의 수리 왕부 행정기구 중 표류민 관련 업무담당기관과 담당자명을 제시하였다. 10) 중국이름과 류큐이름을 동시에 가지고 있다. 그 중 蔡温은 蔡氏志多伯家11세이며 久米三 十六姓출신이다. 사츠마번과 가까이하는 이점을 주장하는 현실주의자였다. 1708년부터 2년 간 통사로서 중국에 체재하였으며 1728년에 삼사관으로 취임하여 1753년까지 25년간 삼사 관의 직위에 있었던 근세 류큐왕국을 대표하는 정치가이다. 11) 민덕기(1999) 琉球의 역사 조선과 유구 21 22쪽, 간략한 행정기구의 소개와 1733년 당 시의 삼사관 중 한명인 薺溫에 대한 소개가 있다.

29 26 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6) 2. 표류민 관련 기구의 의사결정 나하의 사스노소바에 전달된 보고서는 그 뒤 어떻게 되었을까? 표착 다음 날인 12월 1일 서류를 전달받은 후나고시 페칭은 이를 삼사관 伊 江 親 方 에게 보이기 위하여(상람) 당시의 영빈관인 東 苑 = 崎 山 御 茶 屋 12)에 가져갔다. 먼저 상부기구 삼사관인 伊 江 親 方 에게 보고하고 있음을 알 수 있다. 그리고 이번에는 츠게야쿠( 附 役 )라는 직함의 日 高 十 左 衛 門 에게 전달하여 이를 御 在 番 所 에 보고하고 있는데 御 在 番 所 는 사츠마번의 출장기관으로 나 하에 있고 20명 정도가 상근한다. 13) 여기에는 임기 3년마다 교체되는 사츠마 에서 건너온 在 番 奉 行 가 있다. 日 高 十 左 衛 門 을 통해 문의한 결과 몇년 전에 오키노에라부섬에 표착하였던 조선인을 도마리에 두었다가 송환한 전례가 있 으므로 例 之 通 諸 事 可 라는 답변을 받았다. 앞으로 진행할 구체적인 행동의 기준이 사츠마번의 재가에서 비롯된 점이 특기할 만하다. 12월 2일에는 삼사관인 伊 江 親 方 모노부교( 御 物 奉 行 ) 伊 野 波 親 方, 사스노 소바의 후나고시 親 雲 上, 사스노소바의 차관급인 日 帳 主 取 安 次 富 親 雲 등이 나하에 있는 사토누시죠 14) 에 모인후 伊 野 波 親 方 와 후나고시페칭 둘이 다시 日 高 十 左 衛 門 의 旅 宿 에 가서 시다테( 仕 立 船 )선박으로 다음 해 봄에 송환할 것을 결정하고 있다. 시다테( 仕 立 船 )선박이란 임시선박 대절선박을 말한다. 선례로는 宝 永 元 申 年 御 条 書 즉 1704년에 제정된 후에 기본 원칙이 된 본선 으로 가지 못하는 경우 仕 立 船 를 하도록 정한 조례를 들고 있다. 실제로 1718년에도 (강희 57년)야에야마에 표착한 중국인이 본선으로 갈 수 없어 15) 仕 立 船 를 타고 갔으므로 이번 경우도 仕 立 船 으로 내년 봄에 갈 것으로 확정 하였다. 중국으로 송환하는 것은 선례에 의한 것이고 진공선, 접공선 16) 이라 12) 책봉사일행의 접대를 하는 가무음곡의 피고나 시가 교환 향응접대를 하는 경승지이다. 2차 대전시기에 파괴되었다. 2006년 御 茶 屋 御 殿 の 早 期 復 元 ㆍ 整 備 を 求 める 意 見 書 가 那 覇 市 議 会 에 의하여 제출된 바 있다. 13) 1631년부터 1872년까지 존속하였던 사츠마번의 기관으로 사츠마, 일본의 류큐지배의 거점 이다. 14) 나하도시행정이나 사츠마번재번부교쇼와의 접섭, 당선등의 사무를 관장하는 기관이다. 15) 본선으로 갈 수 없다는 것은 표류민이 타고온 선박이 침수하였거나 파손되어 그 선박으로 송환할 수 없다는 것을 말한다. 16) 진공사가 베이징에서 복건으로 돌아오는 것을 기다리며 돌아오는 진공사를 마중가는 접공 선이 시작된 것은 1678년부터라고 한다. 그 결과 2년에 1년의 조공이지만 접공선이 가게 된 이후에는 매년 무역선을 보내는 효과를 얻었다. 紙 屋 敦 之 (2003) 琉 球 と 日 本 ㆍ 中 国 山 川

30 류큐( 琉 球 )왕국(오키나와)의 의사 결정체계에 관한 고찰 ( 鄭 夏 美 ) 27 고 하는 정례적인 중국에의 선박으로 송환할 것인지, 시다데선박으로 할 지 를 결정하는 것인데 여기에서도 중요한 역할을 日 高 十 左 衛 門 이 하고 있다. 중국에의 선박선택, 송환방법에 관한 문제에 대한 의사 결정권이 御 在 番 所 에 있다는 점이 드러난다. 6일만인 12월 4일 조선인 표류자들은 표류민수용센터가 있는 도마리로 이 동하였는데 이 날 사츠마의 재번 부교( 在 番 奉 行 ) 蒲 生 十 郎 左 衛 門, 요코메( 横 目 ) 坂 元 仁 右 衛 門 ㆍ 川 西 平 左 衛 門, 스키슈( 付 衆 ) 日 高 十 左 衛 門 ㆍ 桐 野 仲 左 衛 門, 筆 者 橋 口 源 之 進, 与 力 有 馬 藤 右 衛 門, 足 軽 四 元 覚 助 ㆍ 田 中 喜 左 衛 門 등이 직 접 도마리를 방문하였다. 그리고 이들은 伊 波 親 雲 上 의 마당에 가서 장막 뒤 에서 이들을 지켜보고 조사하고 있다. 통상적으로 이러한 절차는 사스노소바의 관리에 의하여 진행되는 것인데 이렇게 이례적으로( 先 例 ニ 相 替 ) 사츠마의 관리가 나타났으므로 이 사실은 급 하게 전달되어 섭정과 삼사관인 北 谷 王 子 ㆍ 伊 江 親 方 가 도마리에 달려왔다. 섭정과 삼사관은 이 사실을 예기치 못하였으므로 사츠마번측이 귀가한 후에 이들이 도착하고 말았다.재번 부교가 도마리의 현장에 나타남으로 말미암아 류큐왕국의 섭정인 北 谷 王 子 가 등장하게 되었던 것이다. 이러한 일련의 대처에서 보면 표류민 관련 대처는 류큐왕국의 주무부서인 사스노소바의 실무적 판단에 의거한 것이고 이 과정에서 상부인 삼사관이나 섭정에 보고가 이루어지는 것이지만 중요한 의사 결정에서는 사츠마번의 재 번소의 의향이 우선되었다고 보여진다. 특히 송환의 시기, 송환선박의 결정에 깊이 관여하고 있다. 류큐왕국의 주체성을 강조한 표현으로는 가라, 야마토 의 도리아이 ( 唐 ㆍ 大 和 の 御 取 り 合 い) 17) 라는 표현이 사용되고 있는데 이는 주체적으로 가라(중국)과 야마토(일본)사이에서 균형을 유지한다는 뜻인데 그 럼에도 표류민을 둘러싼 판단을 살펴볼 때 사츠마에 대한 종속도가 높다고 판단된다. 지역적으로는 게라마섬의 재번인 나하의 사스노소바 나하의 사츠 마의 재번소 도마리의 기관 등 4곳이 연계되어 신속하게 처리 되고 있고 사 츠마의 재번소가 중요한 역할을 하고 있음을 알 수 있다. <표3>은 이러한 보 고체계와 의사결정기관의 연계과정을 표로 한 것이다. 出 版 社, 50쪽 17) 豊 見 山 和 行 (2010) 敗 者 の 戦 略 としての 琉 球 外 交 唐 ㆍ 大 和 の 御 取 合 を 飼 い 慣 らす 史 苑 第 70 巻 2 号

31 28 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6) <표3> 1733년 조선인 표류민에 대한 왕부기관의 의사결정 개념도 3. 마랑선 결정과 구성 앞서 살펴 본바와 같이 1733년의 표류민의 경우 이들이 표착한 13일 후인 12월 12일에는 상기와 같은 의사결정체계를 거쳐 仕 立 船 에 의한 송환이 확 정되었다. 진공선은 2년에 1번 중국으로 조공하는 것이 허용되었는데 중국 복건에 정박하여 일부는 남고 진공사는 북경까지 간다. 그동안 진공선은 다 시 류큐로 돌아오고 다음해 북경에서 돌아오는 진공사 일행을 태우러 접공선 이 가서 일행을 태우고 돌아오는 것이다. 가는 길은 진공선을 타고 돌아오는 길은 접공선을 타고 오지만 진공선도 빈 선박으로 돌아오는 것이 아니므로 결국 1년에 1회씩 교역의 기회가 생기게 된다. 2년에 1번이라는 무역의 기회 를 접공선을 이용함으로써 실질적으로는 1년에 1회의 교역효과를 보게 한 것 이다. 그럼에도 임시 대절 선박인 마랑선을 표류민 송환에 이용하는 것은 무 역에 대한 내재된 의지를 보여주는 것이라고 볼 수 있다. 12월 15일에는 마랑선을 통제하는 宰 領 으로서 중국에 건너 갈 인원이 확 정되었다. 중국과의 소통에 필요한 대통사는 仲 井 真 里 之 子 親 雲 上 이고 통솔 하는 역할인 宰 領 人 으로 田 湊 里 之 子 親 雲 上, 総 官 은 安 富 祖 里 之 子 으로 인선 이 정하여지고 선박의 선장( 船 頭 )은 与 那 嶺 筑 登 之 親 雲 上 으로 결정되었다. 정월이 지난 후 1월 9일이 되자 馬 艦 船 의 佐 事 와 水 主 를 정하라는 시달이 나온다. 규정대로( 御 法 様 之 通 )하되, 하루만인 1월 10일까지 제출하라는 시달

32 류큐( 琉 球 )왕국(오키나와)의 의사 결정체계에 관한 고찰 ( 鄭 夏 美 ) 29 이다. 그 결과 다음날인 10일에 5명의 佐 事 를 정하여 명단을 제출하고 御 船 手 奉 行 照 屋 親 雲 上 이 이에 서명하고 있다. 5명의 佐 事 는 다음과 같다. 1) 大 唐 船 佐 事 御 雇 久 米 村 大 嶺 筑 登 之 親 雲 上, 2) 接 貢 佐 事 御 雇 座 間 味 間 切 慶 留 間 村 西 平 筑 登 之 親 雲 上 3) 大 唐 船 佐 事 御 雇 渡 地 村 和 宇 慶 筑 登 之 4) 小 唐 船 定 加 子 御 雇 西 村 宮 城 にや 5) 接 貢 定 加 子 泉 崎 村 新 垣 にや 위에 기술된 대당선, 소당선은 진공선을 의미하므로 진공선경험이 있다는 뜻이고 접공은 접공선 승선 경험이 있음을 뜻한다. 경험여부를 기재하고 佐 事, 定 加 子 는 숙련의 정도에 의한 구분으로 기재한 다음 출신 마을과 성명이 기재되었다. 선발기준은 人 柄 見 合 이므로 적합한 인물인지가 기준이었음을 알 수 있다. 이어 20명의 수부에 해당하는 加 子 도 역시 10일에 지명이 완료 되었다. 명단에 기재된 선발인원은 다음과 같다. 경험유무 인원 출신지 이름 御 雇 久 米 村 平 良 にや. 대당선승선 경험자이면 3인 渡 地 村 玉 城 にや 서 定 加 子 인 자 渡 嘉 敷 間 切 金 城 にや 久 米 村 加 子 17인 小 橋 川 にや 외 16인 외 여러지역 이를 보면 인선이 극히 단기간에 이루어졌다는 것을 알 수 있다. 일반적인 도당선의 규정보다는 소규모이며 (일반적으로는 26명이상이라고 한다) 임시 선박이고 공용선이 아니지만 언제든지 떠날 수 있도록 준비되어 있으며 중요 한 역할을 하는 佐 事 5명은 전원 중국도항경험자이며 加 子 총 20인중 좀 더 숙련을 요하는 定 加 子 3명역시 모두 중국도항경험자이다. 2월 5일에는 중국에 갈 마랑선을 장식할 깃발 ( ほうさ 御 前 てた 旗 壱 但, 日 丸 共, 大 檣 むかてはた 壱 筋 但, 日 丸 共, 弥 帆 檣 はた 壱 筋, 大 檣 風 見 はた 壱, 弥 帆 檣 同 はた 壱, 七 星 はた 壱 但, むかてはた 共 振 はた 弐 ツ) 을 빌리고 있 다. 진공선에 사용하는 깃발을 빌려 장착함으로써 사적인 선박이고 임시 대

33 30 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6) 절 선박인 마랑선에 공적인 요소를 가미하고 있음을 알 수 있다. 당시 류큐왕부는 가고시마 항로에 楷 船, 運 送 船, 馬 艦 船 (2 艘 )의 계 5척을 보유하고 있었고 중국 福 州 航 路 에는 進 貢 船 (2 艘 )과 接 貢 船, 계3 艘 의 정기편 선박을 가지고 있었다고 한다. 18) 그러나 이 범주에 들어가지 않는 마랑선을 신속히 중국 이동 준비를 하여 표착한 지 3개월 남짓 지난 3월 9일 중국 복 건을 향하였다. 4. 조선어 통사 표류민이 게라마섬에 표착한 날 언어가 통하지 않았음에도 19) 조선인으로 보였다고 기재하고 있는 것은 아마도 복장이나 두발모양 등 외견상으로 조선 인임을 확인하였기 때문이다. 게라마섬에서는 통역의 역할을 한 사람이 보이 지 않는다. 12월 4일 표류민 수용센터가 있는 도마리에 왔을 때 구메무라 通 事 宜 寿 次 通 事 親 雲 上, 泊 頭 取 糸 洲 親 雲 上, 大 和 横 目 西 銘 筑 登 之 親 雲 上 이 배를 타고 나가 게라마에서 온 선박에 올라가 조사를 행하는데 이때 처음으 로 통사가 등장한다. 중국어 통사로는 명나라에서 1392년, 혹은 1398년에 도 래하여 구메무라에 정착하였다는 구메무라 36씨가 잘 알려져 있는데 이들에 대하여 조선 왕조실록 (성종 10년)에 唐 人 商 販 來 有 因 居 者 라는 기록이 남아 있는 것을 보아 장사를 위하여 중국에서 류큐로 건너간 사람들이 구메무라에 정착한 것으로 보인다. 중국왕조와 책봉관계가 있는 류큐는 중국계의 집락인 구메무라 출신자를 대개 통사로 하고 중국의 국자감에 유학을 시키거나 복건 의 류큐관에 두거나 진공사를 수행하는 통사로 양성하였다. 지금 현대에 6대 오키나와현의 지사를 하고 있는 仲 井 眞 弘 는 구메무라 36성씨 중 蔡 氏 의 자 손이라고 한다. 1733년의 표류민을 담당한 구메무라 다이유인 仲 井 間 親 雲 上 (나가이마)는 역시 구메무라의 인물이다. 지금 현재는 13가문정도가 남아 있 다고 한다. 20) 18) 豊 見 山 和 行 (1996) 近 世 中 期 における 琉 球 王 国 の 対 薩 摩 外 交 ( 新 しい 近 世 史 2 国 家 と 対 外 関 係 新 人 物 往 来 社 ) 頁 19) 評 定 所 文 書 64쪽 言 語 一 円 不 相 達 20) 伊 波 和 正 (1996) 琉 球 王 国 の 通 訳 者 沖 縄 国 際 大 学 公 開 講 座 委 員 会 編 ㆍ 発 行 沖 縄 国 際 大 学 公 開 講 座 1 琉 球 王 国 の 時 代

34 류큐( 琉 球 )왕국(오키나와)의 의사 결정체계에 관한 고찰 ( 鄭 夏 美 ) 31 구메무라출신 통사는 若 秀 才 -> 秀 才 -> 通 事 -> 副 通 事 -> 都 通 事 -> 中 議 大 夫 -> 正 義 大 夫 -> 紫 金 大 夫 의 순서로 승진한다. 그런데 도마리에 등 장한 구메무라의 大 夫 와는 말이 통하지 않았다고 하는데 언어, 문자가 되지 않았다고 하는 것을 보아 통용문자인 한자의 해독력이 표류민에게 없었다는 것을 의미한다. 다만 泊 村 의 具 志 堅 筑 登 之 만이 거제에서 온 사람과 말이 통 하였다고 기록하고 있다. 具 志 堅 筑 登 之 가 조선어 통사일 가능성에 대하여 언급하고 있는 연구자도 있지만 21) 그 후에는 具 志 堅 筑 登 之 이 특별하게 소통을 잘 한 흔적은 없다. 12월 4일 게라마에서 도마리로 이동한 朝 鮮 人 표류민들은 피로감에서인지 소주를 소망하였는데 이때 손짓으로( 焼 酎 望 之 段 手 様 ニ 而 申 懸 り 候 ) 22) 하였 다는 것을 보아 문자나 언어로 불가능하였다. 1733년의 표류민 중에는 임신 한 여성이 있고 12월 26일에 출산하였는데 이들이 산후에는 불을 쬐고 닭고 기를 약으로 사용한다는 것 역시 손짓으로 알리고 물품을 신청한 23) 것을 보 아 계속 손짓( 手 様 )에 의존하였음을 알 수 있다. 2월 17일에는 병이 난 사람 이 발생하여 약을 부탁하였는데 역시 24) 손짓으로 알리고 있다. 조선어 통역 이 있었다고 보기 어려운 대목이다. 그런데 이보다 60년 정도 경과한 1794년에 류큐의 본섬북쪽에 표착한 조 선인이 있어, 이 경우 육로로 사스노소바 관리가 파견되었는데 이때 구메무 라출신의 통사가 동행하고 있다. 그러나 2월2일 이들과 만난 통사가 본국 및 종교를 물었지만 언어가 통하지 않았고 서면으로 물은 결과 전라도 강진사람 인지 알게 되었다고 한다. 25) 이 표류민 일행들은 전례에 따라 도마리에 호송 되고 2월 19일에 久 米 村 大 夫 弐 人 主 従 三 人 ツヽ 一 通 事 壱 人 主 従 이외에 朝 鮮 通 事 壱 人 壱 身 과 만났다고 적혀 있다. 조선통사라는 타이틀로 이름도 久 場 筑 登 之 親 雲 上 라고 기재되어 있는데 조선통사라는 이름으로는 남아있는 자료 중 처음 등장한 셈이다. 이들과 통사가 만난 도마리에서의 기재 중 이례적인 표현이 있었다. 구메무라통사와 선년 표착한 조선인으로부터 粗 言 葉 를 전수 21) 池 内 敏 (1998) 近 世 日 本 と 朝 鮮 漂 流 民 臨 川 書 店 75쪽 22) 評 定 所 文 書 72쪽 23) 一 産 後 ニハ 爰 元 之 様 ニ 火 を 当 庭 鳥 等 も 薬 ニ 用 候 由 手 様 ニ 而 番 人 江 相 達 候 段 評 定 所 文 書 76쪽 24) 漂 着 朝 鮮 人 之 内 病 人 有 之 薬 仕 度 旨 手 様 ニ 而 相 通 申 候 付 相 渡 申 候 評 定 所 文 書 1권 91쪽 25) 通 事 を 以 本 国 ㆍ 宗 旨 相 尋 候 処 言 語 不 通 候 故 書 付 を 以 問 尋 候 処 評 定 所 文 書 1권 308쪽

35 32 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6) 받은 자가 함께 문답 하였다고 되어 있는 점이다. 따라서 이전에 粗 言 葉 를 전수받은 자가 久 場 筑 登 之 親 雲 上 라고 추정되고 이전 표착한 사람으로부터 개략적인 표현을 학습하게 된 사람이라는 것을 알 수있다. 26) 그러나 결국 언어가 그리 잘 통하지는 않았고 전라도 강진사람이라는 것 외에 서울에 물건을 상납하러 가는 길에 1월 7일에 출선하다가 풍파를 만났 고 19일에 표착하였다는 것을 새로이 알아 들었다고 적고 있다. 1856년의 評 定 所 文 書 기록 鳥 島 より 送 来 候 漂 着 朝 鮮 人 介 抱 日 記 ( 咸 豊 六 年 ) (1554호) 에서는 9월 23일 硫 黄 鳥 島 에 표착한 조선인 6명을 다음해 10월9일 접공선으로 중국 복건에 보낸 경위를 쓴 행정일지가 있는데 여기에 는 조선어 통역이 가능한 松 茂 良 筑 登 之 가 등장한다. 여기에서 표류민 수용센 터를 책임지고 있는 도마리 도도리는 조선어 통역의 체제강화나 대우개선을 요구하고 도마리도도리의 진정문서에 의하면 조선어 통사의 근무평가 점수가 5점에 불과하여 어려운 직무임에도 상응하는 평가를 받지 못하고 있다는 점 을 들어 평가를 7점으로 올려주기를 요구하면서 만약 처우개선이 기능하다 면 松 茂 良 筑 登 之 의 補 佐 役 으로 屋 良 筑 登 之 ( 泊 村 28 歳 ) 松 茂 良 子 ( 同 村 21 歳 )를 지목하여 이 둘을 조선어 통역으로 수행을 시키겠다고 서술하고 있 다. 조선통사의 양성에 대하여 의견을 제시할 정도로 조선 통역의 인적 자원 을 확보하려는 노력이 엿보인다. 애석하게도 더 이상의 내용이 없어 이것이 받아들여졌는지 여부는 알 수 없지만 류큐의 특성상 중국어 통역체제는 충분 하였지만 현장에서 표류민 문제를 관장하는 도마리도도리( 泊 頭 取 )로서는 조 선어 통사에 대한 어려움이 있어 이러한 요구가 나온 것으로 보인다. 松 茂 良 筑 登 之 의 구체적인 경력도 알기 어려우나 1856년의 시점에 그가 조선어 통 사로서의 역할을 한 것은 틀림없어 보인다. 나가며 류큐의 보고체계와 표류민 송환 의사결정 과정을 살펴 보면 사츠마의 御 在 番 所 와의 관련이 깊다는 것을 알게 된다. 또한 류큐왕국(수리왕부)의 행정기 관은 명칭이나 성격을 이해하기 어렵지만 구체적인 사료 분석을 통해 표류민 송환과 관련된 역할을 한 행정기구의 기능을 이해할 수 있게 되었다. 지금까 26) 評 定 所 文 書 1권 335쪽

36 류큐( 琉 球 )왕국(오키나와)의 의사 결정체계에 관한 고찰 ( 鄭 夏 美 ) 33 지 류큐왕국에서의 표류민에 대하여는 연구가 미흡하였으나 당시의 유규왕국 의 행전기구의 기능과 구조에 대하여 알게 되어 앞으로 표류민 연구의 폭이 넓어졌다고 생각된다. 류큐에 표착한 표류민들은 경우에 따라 진공선, 접공 선, 혹은 마랑선에 의하여 중국으로 송환되었으며 뱃사공과 선박의 책임자들 은 중국 경험자가 많이 선발되고 중국과의 관련기능자가 타고 있음을 알 수 있었고 본 연구에서 피력하지는 못하였으나 각 승선자가 가지고 가는 비용에 대하여도 사츠마번의 지시가 있었고 비용관리가 철저하였음을 알 수 있었다. 그리고 표류민과의 소통을 위하여 점차 특화된 기능을 가진 조선통사가 생겨 나기 시작하였음을 확인하였다. 3월 9일 나하를 출선한 마랑선은 무사히 중국복건에 표류민을 인계하고 돌 아오는 길인 1735년 4월 21일 이번에는 마랑선이 류큐의 미야고지마에 표착 하고 말았다. 그 뒤 11월 11일에는 마랑선의 부정에 대한 사츠마번이 경질이 있었다 27) 고 전한다. 그 배가 떠날 때 渡 唐 銀 (중국에 가지고 가는 은)을 과도 하게 가지고 간 것이 누군가가 사츠마에게 폭로하여 문제가 되었다고 한다. 표류민 송환은 다만 인도적인 차원의 문제가 아니라 특히 중국과의 관계, 교 역에 관련한 중대 안건이었기에 표류민 관련 사안은 사츠마번이 가장 통제하 고 싶은 분야의 것이었고 그 결과 류큐왕국의 의사 결정에 관여한 것이라고 여겨지며 이는 류큐왕국의 양속 의 한 단면을 보여주는 것이라 하겠다. <참고문헌> 漂 人 領 来 謄 録 1, 第 2 册 364ー82쪽 (규장각자료총서 금호시리즈 대외관계편 1993) 현종 3년 기해10월 변례집요 권 3 표차 1727년 2월 琉 球 王 国 評 定 所 文 書 編 纂 委 員 会 (1988) 琉 球 王 国 評 定 所 文 書 第 1 巻, 浦 添 市 教 育 委 員 会 정하미(2015), 표류민의 신원 및 류큐왕국의 대우, 일본학보 104집 정민(2008), 1726년 북포백성 김일남ㆍ부차웅의 류큐국표류기 쪽, 탐라견문록 바다 밖의 넓은 세상, 휴머니스트 손승철(1999), 조 유 교린체제의 구조와 특징 31 40쪽, 한일관계사학회편, 조선과 유구, 아르케 渡 辺 美 季, 近 世 琉 球 における 対 異 国 船 漂 着 体 制 - 中 国 人 ㆍ 朝 鮮 人 ㆍ 出 所 不 明 の 異 国 人 の 漂 着 に 備 えて- 27) 田 里 修 (2009) 蔡 温 と 乾 隆 ( 元 文 ) 見 地 ( 琉 球 王 国 の 測 量 技 術 研 師 たち ) 6 頁 しまたてぃ 51 号

37 34 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6) 豊 見 山 和 行 (2010), 敗 者 の 戦 略 としての 琉 球 外 交 唐 ㆍ 大 和 の 御 取 合 を 飼 い 慣 らす, 史 苑 第 70 巻 2 号 田 里 修 (2009), 蔡 温 と 乾 隆 ( 元 文 ) 見 地 ( 琉 球 王 国 の 測 量 技 術 研 師 たち ) 6 頁, しまたてぃ 51 号 松 原 孝 俊, 琉 球 の 朝 鮮 語 通 詞 と 朝 鮮 の 琉 球 語 通 詞 ( 歴 代 宝 案 研 究 8 号 ), 渡 辺 美 季 近 世 琉 球 における 外 国 人 漂 着 民 収 容 センターとしての 泊 村 ( 第 四 回 沖 縄 研 究 国 際 シンポジウム ㆍヨーロッパ 大 会 ) 伊 波 和 正 (1996), 琉 球 王 国 の 通 訳 者 沖 縄 国 際 大 学 公 開 講 座 委 員 会 編 ㆍ 発 行, 沖 縄 国 際 大 学 公 開 講 座 1 琉 球 王 国 の 時 代 紙 屋 敦 之 (2003), 琉 球 と 日 本 ㆍ 中 国, 山 川 出 版 社, 50쪽 西 里 喜 行 (2005), 清 末 中 琉 関 係 史 の 研 究, 59ページ, 京 都 大 学 出 版 会 上 野 重 義 (1989), 沖 縄 における 旧 慣 間 切 内 法 ㆍ 村 内 法 の 類 型 的 考 察 九 大 農 学 芸 誌 (Sci.Bull. Fac. Agr.,K yushu Univ.) 第 44 巻 第 1ㆍ2 号 小 熊 英 二 (1988), < 日 本 人 >の 境 界 4쪽, 新 潮 社 池 内 敏 (1998), 近 世 日 本 と 朝 鮮 漂 流 民, 臨 川 書 店 이훈(2000), 조선후기 표류민과 한일관계, 국학자료원 민덕기(2001), 표류민을 통한 정보의 교류 쪽, 한일관계사학회편, 조선시대 한일 표 류민 연구, 국학자료원 극단갯돌(2014), 홍어장수 문순득 표류기, 크레펀 논문투고일 : 논문심사일 : 심사확정일 : 인적 사항 성명 : (한글) 정하미, (한자) 鄭 夏 美, (영어) Chung, Ha Mie 소속 : 한양대학교 일본언어문화학과 논문영문제목 : The Decision making System of the Ryukyu Kingdom 주소 : ( ) 서울특별시 성동구 행당동 푸르지오 E mail : junghm@hanyang.ac.kr

38 류큐( 琉 球 )왕국(오키나와)의 의사 결정체계에 관한 고찰 ( 鄭 夏 美 ) 35 <국문요지> 1733년 게라마섬에 표착한 조선인 표류민을 발견한 후의 류큐왕국의 보고체계와 대응 을 살펴보고 류큐왕국의 행정기구의 의사결정체계를 확인하고자 하였다. 그 결과 근대국가 의 시점에서 보면 이질적인 독립왕국 의 특성이 표류민 송환에서도 드러나 있음을 확인할 수 있었다. 즉 사츠마에서 파견된 관리와의 협조관계, 특히 표류민의 송환시기와 송환방법 에 대한 의사 결정에서 사츠마를 통한 일본측의 관여도가 높았음을 분명히 하였고 양속 체 제의 구체적인 모습과 근세 시기의 류큐와 사츠마번의 관계를 규명할 수 있었다. 그리고 표류자를 송환한 선박이 중국에의 정기적인 조공 선박이 아니고 임시 대절선박 이었음을 확인하고 선박의 승선원이 어떻게 구성되었는지 확인하여 이 과정에서 일본과 중 국과의 간접교역을 위한 하나의 방편으로 표류민 송환이 이루어졌을 가능성을 제기하였다. 또한 류큐왕국의 행정의 담당자들이 어떻게 표류민과의 대화와 소통을 하였는지 점차 류큐 왕국의 인적 자원 조달이 어떻게 이루어지는지 1733년과 그 이후에 오키나와에 표착한 표 류자와의 소통관계를 비교하여 검토하였다. 주제어: 류큐 왕국, 조선인 표류민, 마랑선, 통역사, 사츠마번

39 36 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6)

40 37 도정( 道 程 ) 이후 시편 연구 * ** 金 文 鳳 Abstract Post DÔTE refers to 10 years of KOTARO TAKAMURA from after DÔTE to MÔZYÛHEN. The early poetry of KOTARO TAKAMURA showed planar beauty, but later he showed features of new structure with solid frame. The life oriented and humanitarian tendencies exhibited after DÔTE continue to the post DÔTE era. Wagaya is in the line of the post DÔTE poetic ethos. In Komusume, he has developed to be a Poet of Love who shows love and warm interests to the socially alienated people. Afterwards, KOTARO's sense of beauty aims for one level higher direction such as something rich and full, something abruptly bouncing, something bright and positive, and daily life and spirit of citizens. The humane literary characteristics with full sense of self faithfulness and self movement is rather stronger than the side of thought pursuing inner truth. The sense of humanity has amplitude and comprehensiveness. He tried to prove the possibility of humanitarian poetry by realizing mature appearance based on ideas of life and settling down literature of humanity. Ameni Utarururu Cathedral is a representative and monumental poem showing all humanitarian features well. In this poem, deep movement received from a cathedral architecture and shiver and movement felt by a young Japanese accomplish superb harmony and symmetry. Many pieces of long poem are masterpieces which came from differentiating KOTARO's view of nature, sense of beauty, and humanitarian spirit such as aspects of faith and choosing detailed subjects out of them, and have deeper humanitarian spirit and contents and more width and depth. Keywords : KOTARO TAKAMURA, DÔTE, Post DÔTE, Humanistic Poetry, Ameni Utaruru Cathedral, R.Rolland 1)2) 1. 들어가면서 도정 이후 의 의미와 범위 다카무라 고타로( 高 村 光 太 郞, , 이하 고타로라고 함)는 하기와라 사쿠타로( 萩 原 朔 太 郎 )와 함께 형식과 내용의 양면에서 실질적인 일본근대시 의 완성자, 일본근대시의 아버지 로 부르는 일본근대시사의 큰 별이다. 1) 고 * 이 논문은 2012학년도 대구대학교 학술연구지원비의 지원에 의한 논문임 ** 대구대학교 인문대학 일본어일본학과 교수 1) 일본시단의 비판과 저항의 상징적 시인이던 가네코 미쓰하루( 金 子 光 晴, )는 고타 로 작고 시 쓴 감상문에서 고타로를 근대시의 아버지로, 하기와라 사쿠타로를 어머니에 비유

41 38 比 較 日 本 學 第 33 輯 (2015.6) 타로의 존재감은 처녀시집 도정( 道 程 ) ( , 이하 도정이라 함)에서 유 래한다. 고타로는 74년 생애에서 50년 가까이 시인으로서 살다 간 보기 드문 시업의 소유자이기도 하다. 고타로만큼 <서정의 변혁>과 <일본적 회귀> 2) 라 는 양극단의 시풍을 보인 이도 드물고, 이러한 시풍으로 인해 세간 여론의 도마 위에 회자되었던 시인도 드물다. 이러한 고타로의 특징으로 인해 고타 로 시를 구분하는 작업도 쉽지 않다. 고타로는 1914년 10월 도정 을 간행하 고, 27년이 경과한 후인 1941년 8월 제2시집 지에코초( 智 恵 子 抄 ) 를 출간하 였다. 이후 고타로는 불과 3년 사이에 위대한 날에( 大 いなる 日 に) (1942.4), 아저씨의 시(をじさんの 詩 ) ( ), 기록( 記 錄 ) (1944.3) 3권의 (전쟁)시 집을 연속적으로 출간하고 있다. 전후에도 전형( 典 型 ) ( ), 지에코초 그 후( 智 恵 子 抄 その 後 ) ( ) 두 권의 시(문)집을 출간하였다. 도정 에 서 지에코초 까지 27년이라는 공백 기간을 주목하게 된다. 고타로는 이 기 간에 두 차례에 걸쳐 시집 간행을 시도하였으나 끝내 불발로 끝나고 만다. 제2, 제3의 시집 출간이 계획으로만 그치고 말았다. 1916년 초봄의 인간고 ( 人 間 苦 ) 와 1925년의 맹수편( 猛 獸 篇 ) 이 그것이다. 비록 출간의 결실로는 이어지지 못했지만, 고타로의 시를 이해하는데 대단히 중요한 시기이다. 인 간고 는 도정 후반기부터 표출된 인도주의적 시작이 도정 이후 에 들 어와 어떠한 경향을 띠고 전개되었는지가 관심을 끈다. 맹수편 은 인도주의 시작 이후 사회적 소재가 응축된 사회시를 살피는데 중요하다. 고타로의 50년 시업을 구분하는데 하나의 전거를 제공하는 것이 1929년 10월 발간된 현대시인전집 (제9권, 新 潮 社 )에서 설정한 고타로 자신의 시기 구분이다. 1929년까지의 고타로의 시작을 도정시대, 도정이후, 맹수편, 맹수편 이후 로 4기로 분류하고 있다. 이 시기구분을 바탕으로 해서 고타로 사후 1966년에 신초샤( 新 潮 社 )에서 다카무라 고타로 전 시집( 高 村 光 太 郞 全 詩 集 ) 3) 을 간행하였다. 이 전집에서 고타로의 전 시작을, 간행된 시집을 중 하였다. 그리고 黑 田 三 郞, 現 代 詩 の 父 猛 獸 篇 以 後 에서 근대시의 완성자 라고 표현 했다. 2) 壺 井 重 治, 戰 爭 讚 美 から 自 然 沒 入 へ 詩 壇 時 評 ( 文 學, ,16 4) 3) 草 野 心 平 編, 日 本 詩 人 全 集 9, 新 潮 社. 도정( 道 程 ) = 도정 이전 ( ), 시집 도정 ( ), 도정 시대 ( ) 도정 이 후 ( ) 맹수편( 猛 獸 篇 ) = 맹수편 (제1부 , 제2부 ), 맹수편 시대 ( ) 위대한 날에( 大 いなる 日 に) = 시집 위대한 날에 ( ) 기록( 記 錄 ) 시집 기록 ( ), 기록 이후 )

泰 東 古 典 硏 究 第 24 輯 이상적인 정치 사회의 구현 이라는 의미를 가지므로, 따라서 천인 합일론은 가장 적극적인 경세의 이론이 된다고 할 수 있다. 권근은 경서의 내용 중에서 현실 정치의 귀감으로 삼을 만한 천인합일의 원칙과 사례들을 발견하고, 이를 연구하여

泰 東 古 典 硏 究 第 24 輯 이상적인 정치 사회의 구현 이라는 의미를 가지므로, 따라서 천인 합일론은 가장 적극적인 경세의 이론이 된다고 할 수 있다. 권근은 경서의 내용 중에서 현실 정치의 귀감으로 삼을 만한 천인합일의 원칙과 사례들을 발견하고, 이를 연구하여 權 近 의 五 經 인식 - 經 學 과 經 世 論 의 연결을 중심으로 - 姜 文 植 * 1. 머리말 2. 經 學 과 經 世 論 연결의 이론적 기반 3. 五 經 淺 見 錄 의 經 典 해석과 經 世 論 4. 맺음말 요약문 권근( 權 近 )은 체용론( 體 用 論 )에 입각하여 오경( 五 經 ) 간의 관계 및 각 경서의 근본 성격을 규정하였다. 체용론에서 용( 用 )

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