2015년 제2차



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연구노트

高 齢 者 福 祉 施 設 におけるソーシャルワーカーの 位 置 と 役 割 ~ 韓 国 と 米 国 を 中 心 に~ 高 両 坤 韓 国 江 南 大 学 大 学 院 院 長 Ⅰ. 序 文 韓 国 は 今 高 齢 社 会 に 突 っ 走 っている 人 口 の 高 齢 化 と 新 生 児 の 低 出

Transcription:

2016년 한국선교신학회 제3차 정기학술대회 일시: 2016년 6월 27일(월) 7:30pm. 장소: 일본 나가사키 닛쇼칸 호텔 한국선교신학회 www.ksoms.org - 1 -

한국선교신학회 제3차 학술대회 및 평화여행 일정 지역 후쿠오카, 소토메, 나가사키, 운젠, 시마바라 / 2박3일 일자 지역 교통편 시간 여 정 식사 제1일 6/27 (월) 인천 후쿠오카 소토메 OZ132 06:30 09:00 10:20 인천공항 3층 아시아나항공 앞 집결( L 카운터 앞 집결) 인천공항 출발 후쿠오카공항 도착 후 입국수속 -금교시대 잠복신자들의 마을이며 엔도슈사쿠 소설 침묵 의 무대인 소토메로 이동 나가사키 -작은 시골마을에서 추기경 3명을 배출한 시츠교회 방문 조:기내식 -소토메의 아버지, 빈민구제에 앞장선 드로신부 기념관 중:현지식 나가사키로 이동 석:호텔식 -1862년 세워진 일본 최초의 개신교회인 에이코쿠교회 (세이산이치교회), 오우라성당(최초 가톨릭교회) 등 탐방 -쇄국시대 서양문화의 통로인 데지마 상관 관광 18:00 19:30 (데지마교회, 최초의신학교) 호텔 도착 후 석식 제3차 정기학술대회 HOTEL : 야경이 아름다운 나가사키 닛쇼칸 온천 호텔 제2일 6/28 (화) 나가사키 운젠 시마바라 전용차량 09:00 조식 후 호텔 체크아웃, 출발 -니시자카26성인 순교언덕, 기념비, 26인 순교기념교회 -나가사키의 종 나가이타카시 박사기념관, 여기당 순례 -나가사키 평화공원, 원폭중심공원 관광 운젠으로 이동 후 운젠 지옥순교지 관광 시마바라성 종교자료관, 시마바라 무사의 마을 호텔 도착 후 체크인, 석식 및 휴식 조:호텔식 중:현지식 석:호텔식 HOTEL : 시마바라 란푸로 온천 호텔 제3일 6/29 (수) 시마바라 오무라 전용차량 09:00 조식 후 체크아웃, 출발 -오무라로 이동 -오무라 호코바루 처형지(몸무덤) -조선인 순교자비 조:호텔식 -최초의 크리스찬 다이묘를 배출한 오무라 순례 중:현지식 후쿠오카로 이동 석:호텔식 -캐널시티, -시사이드 모모치해변 -하카다타워, 오호리공원, 면세점 방문 후 후쿠오카 OZ135 18:20 후쿠오카공항으로 이동 20:20 호텔 도착 후 석식 및 휴식 상기 일정은 항공 및 현지 상황에 의하여 다소 변경될 수 있습니다. - 2 -

2016년 제3차 정기학술대회 순서 v 학회 일정 일시: 2016년 6월 27일 (19:30) 장소: 일본 나가사키 닛쇼칸 호텔 주소: 20-1 Nishizaka-Machi, Nagasaki 전화: 095-824-2151 v 진행 순서 19:30 ~ 19:40 환영 및 인사 < 논문 발표 > 19:40 ~ 20:20 논문 발표1 20:20 ~ 20:50 논문 발표2 20:50 ~ 21:00 논찬 - 1 -

v 발표 논문 시간 발표자 발표논문 19:40 ~ 20:20 Dr. Yasunori Takazane Korean forced labor and victim of the atomic bomb in Nagasaki 20:20 ~ 20:50 황홍렬 교수 후쿠시마, 체르노빌, 히로시마와 나가사키: 탈핵 세상을 향한 생명선교의 과제 - 2 -

광 고 1. 2016년 제3차 한국선교신학회 학회를 일본에서 개최할 수 있도록 수고해 주신 모든 분 들게 감사를 드립니다. 특별히 귀한 논문을 발표해 주신 Dr. Yasunori Takazane 와 황홍렬 교수님께 감사를 드리며, 일본 여정을 책임있게 준비해 주신 최동규 편집장님께 다시 한 번 감사드립니다. 2. 출판부 및 편집위원회 광고입니다 2016년부터 선교신학 은 연 4회(2월, 5월, 8월, 11월) 출간됩니다. 44집에 게재 하기 를 원하시는 분은 9월 중에 투고해 주시기 바랍니다. (게재비와 관련하여 회원의 혜택을 받기 위해서는 회비를 납부하고 학회에 참석해야 함을 알려드립니다.) 자세한 문의는 최 동규 편집장에게 하시기 바랍니다. (최동규 편집장 010-7131-0512, dkchoi@stu.ac.kr) 권호 투고 심사 발행 선교신학 43집 2016년 6월 1-30일 2016년 7월 10-25일 2016년 8월 31일 선교신학 44집 2016년 9월 1-30일 2016년 10월 10-25일 2016년 11월 30일 선교신학 45집 2016년 12월 1-31일 2017년 1월 10-25일 2017년 2월 28일 선교신학 46집 2017년 3월 1-31일 2017년 4월 10-25일 2017년 5월 30일 3. 2016년 연락처를 수정할 사항이 있으시면 말씀해 주시기 바랍니다. 학회에서 알리는 정 기적인 공지 메일을 받지 못하신 분들은 총무에게 알려주시면 감사하겠습니다. 회원 여러분들 이 특별히 연락할 사항이 있으시면 아래로 연락해 주시기 바랍니다. 황병배 총무 (010-6554-1009, mission2016@naver.com) - 3 -

v 2016년 선교신학회 회비 납부 및 후원금 현황 (2016년 6월27일 현재) 5만원 납부하신 회원 강보영, 곽춘기, 구병옥, 구자용, 김광성, 김남식, 김문택, 김미선, 김승곤, 김원곤, 김은수, 김은홍, 김종성, 김지인, 김칠성, 김한성, 김현민, 목만수, 박성수, 박창현, 박현식, 방연상, 변창욱, 봉원영, 서혜덕, 소요한, 안병덕, 양옥희, 유근재, 윤용운, 이선이, 이승병, 이은경, 이후천, 임용선, 장남혁, 전석재, 정무성, 정승현, 정기묵, 정미경, 조해룡, 최경천, 최문병, 최성일 하충엽, 한국일, 허성식, 허성업, 홍기영, 홍석희, 홍정호, 황병배, 황원선 제닝스(55명,3만원1명) 10만원 납부하신 회원 박보경, 박영환, 손윤탁, 장훈태, 황홍렬, 윤승태, 강아람, 안승오, 김형길(9명) 30만원 납부하신 회원: 권오훈, 김상근 개인 후원금 10만원: 박보경 개인 후원금 200만원: 황순환 교회 후원금200만원: 둔산제일교회 교회 후원금300만원: 광림교회 회비는 1년에 5만원이며, 국민은행 433401-01-227308 예금주: 황병배 으로 보내주시기 바랍니다 - 4 -

2016년 제3차 정기학술대회 발표문 목차 v 발표 1 ---------------------------------------------------------------- 6 Korean forced labor and victim of the atomic bomb in Nagasaki Dr. Yasunori Takazane v 발표 2 -------------------------------------------------------------------- 18 후쿠시마, 체르노빌, 히로시마와 나가사키: 탈핵 세상을 향한 생명선교의 과제 황홍렬 교수 - 5 -

v 발표 1 Dr. Yasunori Takazane Emeritus professor in the College of Environment Science, Nagasaki University - 6 -

[발표1] Korean forced labor and victim of the atomic bomb in Nagasaki Yasunori Takazane Director of Nagasaki Peace Museum 1. Course of the establishment of the Nagasaki Peace Museum See the message of the leaflet 2. Testimony of a benefactor Suh Jung Woo (1) forced mobilization and forced labor (2) victim of the atomic bombing See the testimony of Suh Jung Woo in the pamphlet of the Museum 3. Forced mobilization and Forced labor in Hashima (warship island) (1) Testimony of survivors : torture to failures of the escape from the Island (2) Opinion about the world heritage registration of this island : "World heritage? Japanese are proud of the history of that island?" (3) Pledge of Japanese government for the world heritage registration : Japan is prepared to take measures that allow an understanding that there were a large number of Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions in the 1940s at some of sites, and that, during World War II, the Government of Japan also implemented its policy of requisition. 4. Words of a director Oliver Stone : "Two miss of the atomic bombings" (1) War crime of the random bombing toward civilians (2) "Atomic bombings changed the assailant State Japan to a victim State" 5. Indication of a professor emeritus of the Nagasaki University Funakoe "The Pacific War began from Nagasaki and finished at Nagasaki" - 7 -

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レジュメNO.3の(1)に 関 する 証 言 崔 璋 燮 さんの 証 言 :( 島 から 脱 出 した 人 はいなかったのですか という 問 いに 対 して) いたけれども ひどい 目 に 遇 った 木 浦 や 井 邑 の 水 泳 の 上 手 な 人 たちが 丸 太 で 筏 を 作 り 海 を 渡 ろうとしたが 途 中 で 疲 れ 果 てて 捕 まったり 陸 地 まで 行 って 捕 まった 人 もあり ゴ ムのチューブで 皮 膚 も 剥 げるほど 叩 かれた 悲 鳴 を 聞 いて 駆 けつけた 私 たちの 目 の 前 でさん ざん 拷 問 された 67 号 棟 のところに 当 時 あった 空 き 地 でのことだ 大 体 11 名 ほどで 彼 らは 投 獄 されたらしく 島 からいなくなった 木 浦 の 人 は 歌 がうまく 賢 い 人 だったが レジュメNO.3の(2)に 関 する 意 見 (1) 崔 璋 燮 さん(1929 年 11 月 10 日 生 ) 端 島 がわれわれにとってどんなところだったと 思 っているのか 騙 して 強 制 連 行 して こ き 使 い 人 間 として 生 きられないところだったのだ 四 面 海 で 逃 げ 出 すこともできず 自 分 自 身 を 放 棄 して 生 きた 心 地 がしなかった 人 生 を 台 無 しにされた あの 地 獄 は 忘 れようと しても 忘 れられない 世 界 遺 産 にすることに 全 面 的 に 反 対 するわけではないが 歴 史 的 に 証 明 されていることを 隠 すなと 言 いたい 独 島 問 題 もそうだ 端 島 で 韓 国 人 が 生 死 した 歴 史 を 抹 殺 して 自 分 たちの 観 光 地 としてだけ 利 用 するということは 絶 対 に 認 めることはできな い (2) 田 永 植 さん(1921 年 1 月 16 日 生 ) 世 界 遺 産 だなんて 日 本 人 はあの 島 の 歴 史 を 誇 れるのか 外 国 人 を 強 制 的 に 捕 まえて 働 か せた 場 所 ではないか 自 慢 できるはずがない 観 光 地 にして 世 界 の 人 に 見 せようというのは 金 儲 けのためで 言 う 言 葉 もない そもそも 日 本 は 強 制 連 行 の 歴 史 を 謝 っていないというで はないか それは 道 理 に 反 する 物 事 には 順 序 や 事 情 もあるが 礼 儀 や 道 理 もある 過 ちを 犯 したのだから 謝 るのが 人 の 道 というものだ 出 典 : 長 崎 在 日 朝 鮮 人 の 人 権 を 守 る 会 編 軍 艦 島 に 耳 を 澄 ませば 社 会 評 論 社 2011 年 8 9 追 悼 集 会 メッセージのためのノート 米 軍 がこの 長 崎 の 街 にブルトニューム 原 子 爆 弾 を 投 下 したあの 日 から71 年 目 の 朝 を 迎 え ました 私 たちは 朝 鮮 人 原 爆 犠 牲 者 に 思 いを 馳 せて 追 悼 碑 の 前 に 集 っています どれほど 無 念 であったことでしょう この 追 悼 碑 は 牧 師 で 市 議 会 議 員 でもあった 岡 正 治 先 生 の 尽 力 に よって1979 年 8 月 9 日 に 建 立 されましたが 無 論 このささやかな 追 悼 碑 の 建 設 に よって かつて 日 本 帝 国 主 義 が 朝 鮮 を 武 力 で 威 嚇 し 植 民 地 化 し その 民 族 を 強 制 連 行 し これを 虐 待 酷 使 し 強 制 労 働 に 従 事 させ 遂 にはあの 悲 惨 な 原 爆 死 に 至 らしめた 戦 争 責 任 は 決 して 消 滅 するものではない さらにこの 地 上 から 核 兵 器 が 絶 滅 されるように 積 極 的 に 行 動 する 決 意 を 新 たにするものである と 述 べられた 建 立 式 式 辞 をあらためて 思 い 起 こしま - 14 -

す 以 来 37 年 日 本 の 戦 争 責 任 を 追 及 するとともに 核 兵 器 の 廃 絶 を 願 った 岡 先 生 のこの 思 いはどれほど 達 成 されたでしょうか 九 死 に 一 生 を 得 て 帰 国 した 韓 国 朝 鮮 人 被 爆 者 の 援 護 にしても 日 本 政 府 は 国 内 被 爆 者 と の 平 等 な 待 遇 を 拒 み 続 け 在 韓 被 爆 者 の 積 年 の 裁 判 闘 争 によって 不 完 全 ながら 被 爆 者 援 護 法 の 適 用 が 実 現 したのは2003 年 のことでしたし 医 療 費 の 平 等 支 給 が 最 高 裁 判 決 によっ て 実 現 したのは 戦 後 70 年 を 過 ぎた 昨 年 9 月 のことでした しかも 朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国 の 被 爆 者 は 未 だに 何 の 援 護 も 受 けられず 完 全 に 見 捨 てられています 加 えて 被 爆 者 健 康 手 帳 の 取 得 に 証 人 もしくは 証 拠 資 料 を 求 め 続 け 本 人 の 証 言 がどれほど 信 憑 性 が 高 くても 手 帳 の 交 付 申 請 を 却 下 する 事 例 が 跡 を 絶 ちません 韓 国 の 政 府 機 関 である 強 制 動 員 被 害 調 査 委 員 会 が 動 員 と 原 爆 被 爆 を 認 定 していても 何 ら 考 慮 されません 時 の 壁 のみならず 日 本 の 戦 争 責 任 という 朝 鮮 人 被 爆 者 の 歴 史 的 背 景 を 無 視 した 暴 挙 といわざるを 得 ません 因 みに 申 請 者 の 証 言 数 例 が 長 崎 在 日 朝 鮮 人 の 人 権 を 守 る 会 発 行 の 原 爆 と 朝 鮮 人 第 7 集 にあります 非 人 道 的 な 兵 器 として 核 兵 器 の 廃 絶 を 訴 える 国 際 世 論 は 高 まりつつありますが 核 兵 器 保 有 国 の 反 対 のみならず 日 本 政 府 もこの 国 際 世 論 に 背 を 向 けて 米 国 の 核 の 傘 に 依 存 する 政 策 をとり 続 けています 被 爆 国 日 本 に 対 する 内 外 の 批 判 と 失 望 はもとより 避 けられません 本 年 5 月 27 日 米 国 のオバマ 大 統 領 が 広 島 を 訪 問 して 長 文 の 所 感 を 表 明 しましたが 原 爆 投 下 に 対 する 謝 罪 はなく 核 兵 器 のない 世 界 を 目 指 す 勇 気 を 表 明 したのみで 具 体 的 な 対 策 が 示 されなかったことは 衆 目 の 一 致 するところです 落 胆 した という 率 直 な 感 想 が 内 外 の 被 爆 者 から 寄 せられました また オバマ 大 統 領 は 日 本 人 被 爆 者 と 会 い 抱 擁 しましたが そこには 韓 国 人 被 爆 者 の 姿 はありませんでした 現 地 を 訪 問 した 韓 国 人 被 爆 者 たちは オ バマ 大 統 領 が 韓 国 人 原 爆 犠 牲 者 慰 霊 碑 を 訪 問 しなかったことについて 残 念 な 気 持 ちを 隠 せなかった とハンキョレ 新 聞 は 速 報 で 伝 えるとともに 韓 国 人 被 爆 者 に 言 及 したのは 不 幸 中 の 幸 い としつつも 今 日 のオバマ 大 統 領 の 訪 問 式 典 に 韓 国 人 被 爆 者 は 一 人 も 入 れ なかった 今 朝 あまりにも 悔 しいので 広 島 市 長 に 電 話 して なぜ 入 れてくれないのかと 抗 議 した という 広 島 での 被 爆 者 の 声 を 報 じています 韓 国 人 被 爆 者 が 一 人 も 入 れなかっ た のは 広 島 市 長 の 独 断 ではなく 日 本 政 府 が 入 れさせなかった からに 違 いありませ ん 韓 国 原 爆 被 害 者 協 会 がオバマ 大 統 領 に 慰 霊 碑 への 献 花 を 事 前 に 要 請 していただけ に 日 本 政 府 はこれをも 阻 止 した 疑 いがあります 韓 国 政 府 も 慰 霊 碑 への 献 花 の 要 望 を 外 交 チャンネルを 通 じて 米 国 政 府 側 に 伝 えた ( 同 紙 )とのことですが 韓 国 からの 要 請 の 有 無 にかかわらず 3 万 人 もの 朝 鮮 人 が 広 島 原 爆 の 犠 牲 となったそもそもの 原 因 を 思 え ば 安 倍 首 相 こそはオバマ 大 統 領 と 共 に 韓 国 人 原 爆 犠 牲 者 慰 霊 碑 に 献 花 して 謝 罪 すべき であったと 確 信 します それは 一 昨 年 8 月 に 長 崎 を 訪 問 したオリバー ストーン 監 督 が 米 国 の 原 爆 投 下 の 失 敗 は 無 差 別 大 量 虐 殺 の 国 際 法 違 反 というだけではなく 日 本 国 民 に 被 害 者 意 識 を 植 えつけ 加 害 国 日 本 を 被 害 国 に 変 貌 させたことにある と 語 ったことを 彷 彿 と させるからです さらには ノーベル 平 和 賞 を 受 賞 したパグウオッシュ 会 議 のジョゼフ ロートブラット 会 長 ( 当 時 )が 長 崎 での 講 演 (1995 年 夏 )で マンハッタン 計 画 は 当 初 からソビエトが 敵 であり ソビエトを 打 ち 負 かすために 始 められたものだということを 最 高 責 任 者 グローヴズ 将 軍 から 直 接 聞 いた 従 って 広 島 長 崎 の 破 壊 は 第 二 次 世 界 戦 争 の 終 結 というよりも 冷 戦 の 始 まりを 意 味 する と 語 ったことからも 明 らかなように 原 爆 投 下 の 目 的 が 当 初 から 対 ソ 戦 略 の 一 環 であったことをオバマ 大 統 領 が 知 らないはずはないか らです - 15 -

v 발표 2 황홍렬 교수 서강대 철학과 장신대 신대원(M.Div), 대학원(Th.M) 영국 버밍엄 대학교 신학교 부산장신대 선교학 교수(2007- 현재) 한민족평화선교연구소(2001-2006) 총회 사회부(1991-1993) - 16 -

[발표2] 후쿠시마, 체르노빌, 히로시마와 나가사키: 탈핵 세상을 향한 생명선교의 과제 1) 황홍렬 (부산장신대) I. 들어가는 말 2011년 3월 11일 일본 대지진과 쓰나미로 후쿠시마 핵발전소 4기가 모두 폭발하여 온 세계가 큰 충격을 받았다. 일본은 인류 역사상 원자폭탄에 의해 첫 피해를 입은 국가이기 때문 에 원전을 안전하게 지은 것으로 믿어왔다. 사고 초기에 일본 총리는 사석에서 동일본 포기 발언을 했다고 한다. 4월 13일 총리는 고위각료와의 대화에서 후쿠시마 원전 주변 일대는 10-20년 살 수 없다 고 말했다. 과학전문잡지인 <네이처>는 후쿠시마 원전 폭발과 관련해 방 사성 물질 제거에 최소 수십 년에서 최장 100년이 걸릴 것으로 전망했다. 일본은 원전 사고등 급을 차츰 올려 한 달 사이에 4등급으로부터 7등급으로 올렸지만, 전문가들은 원전 폭발시부 터 7등급이 된다는 것을 일본 정부가 알았을 것으로 본다. 미국의 한 연구소는 사고 세 시간 만에 멜트다운 됐을 것으로 국제원자력기구에 3월말에 보고했다. 최근 소식은 후쿠시마 4호기 의 사용후 핵연료봉 문제가 일본 뿐 아니라 북반부의 인간의 생명에 심각한 위협을 주고 있다 고 한다. 한편 <네이처>는 1986년 체르노빌 원전 사고 이후 방사성 물질 제거 작업이 2065년 까지 계속될 것으로 보았다. 체르노빌 원전 사고가 80년 지나도 끝나지 않을 대참사로 평가했 다. 이 글은 핵폭발 사고의 순서대로가 아니라 필자가 사건을 인지하게 된 순서를 따라 전개 하고자 한다. 그래서 후쿠시마 핵발전소 폭발 사고(II)와 체르노빌 핵발전소 참사(III)를 소개하 고, 핵무기 공격을 받은 히로시마와 나가사키에 대해 소개(IV)한 후 한국의 반핵인권활동가 고 김형률의 활동과 의의를 다루려 한다(V). 그리고 핵과 관련된 신화 들을 VI장에서 비판적으로 검토하고자 한다. VII장에서는 먼저 핵무기와 핵발전소에 대한 문명사적, 성서적, 신학적 비판 을 하고, VIII장에서는 탈핵 세상으로 나아가기 위한 생명선교의 과제를 제시하고자 한다. 핵무 기(nuclear weapons)와 원자력발전소(nuclear power plant)는 같은 원리를 사용하지만 핵의 평화적, 상업적 이용이 가능하며 안전하다는 것을 강조하기 위해 원자력발전소라고 표기하는 것에 필자는 반대하지만 여기에 인용하는 저자들이 사용한 맥락이나 표기에 따라 원전과 핵발 전소를 함께 사용함을 밝힌다. 그리고 핵발전소 관련한 정보를 제공하고자 하는 이 글의 의도 로 인해 분량이 늘어나 부득이 한국의 원전정책과 세계 원전 정책변화를 생략했음을 밝힌다. II. 후쿠시마 핵발전소 폭발 사고 (2011년) 1. 핵폭발 사고 전개과정 2) 2011년 3월 11일 오후 2시 45분 강도 9.0의 지진이 일본 동북부 해안에서 발생했고, 곧 이어 해안가 마을에 쓰나미가 밀려들었다. 오후 4시 36분 후쿠시마 핵발전소의 모든 전원이 꺼졌다. 도쿄전력은 이런 비상상황에 대한 대처 경험이 전혀 없었다. 3월 12일 노동자들은 연 1) 이 글은 황홍렬, 탈핵 세상을 향한 생명선교의 과제 부산장신대, 부산장신논총 제13집(2013), 257-305를 바탕 으로 쓴 글임을 밝힌다. 2) 강은주, 체르노빌, 후쿠시마, 한국 (서울: 아카이브, 2012), 103-126. - 17 -

간 피폭 허용량의 100배가 넘는 방사선에 피폭되면서 밸브를 개방했지만 밸브 개방 한 시간 반 뒤인 3월 12일 오후 3시 36분 1호기가 폭발했다. 사고 당일 미국 정부는 원자로 냉각에 대한 기술 지원을 제안했지만, 일본 정부와 도쿄전력은 이를 거절했다. 왜냐하면 제안된 냉각 방법이 발전소의 폐로를 전제했기 때문이었다. 도쿄전력과 일본정부는 1호기가 폭발한 시점까 지도 핵발전소 폐로를 생각하지 않았다. 13일 새벽부터 원자로의 온도와 압력이 급상승하던 3 호기가 결국 14일 폭발했다. 3호기의 핵연료는 플루토늄으로 인류가 만난 최악의 독극물이었 다. 3월 15일 오전 3시 도쿄전력은 간 나오토 총리에게 제1원전에서 철수하고 싶다는 입장을 전했다. 분노한 간 총리는 정부와 교토전력이 함께하는 통합대책본부를 세우도록 지시했다. 지진과 쓰나미와 원전 사고가 동시에 일어난다는 것은 상상해본 적이 없다 는 총리의 고백처 럼 도쿄전력 뿐 아니라 일본 정부도 당시 대처 매뉴얼이 없었다. 훗날 간 나오토 총리는 인터 뷰를 통해 국가가 국가로서 기능할 수 있을지를 묻는 고비였다 고 고백했다. 3월 15일 오전 6시 10분 2호기의 폭발음이 들렸다고 NHK가 보도했다. 이날 오전 10시 4호기의 지붕이 손상 되고 건물이 불타고 있음도 알려졌다. 미국 민간기관은 후쿠시마 사고를 6등급 혹은 7등급으 로 규정했다. 4월 12일 후쿠시마 사고는 7등급(최고등급) 사고로 공식 인정되었다. 3월 11일부터 15일 사이에 자위대는 중앙특수무기방호대 등 약 200명을 냉각과 오염제거 를 위해 핵발전소로 투입했다. 그렇지만 헬기를 통한 해수 투입마저 상공의 방사선량이 너무 높아 포기했다. 자위대는 핵발전소의 폭발에 대한 대응 훈련을 받은 적이 없었다. 노동자들과 소방대원들의 시간당 피폭 허용량은 작업의 효율 을 위해 계속 상향 조정되었다. 3월 15일 도 쿄전력의 직원 800명 중 750명이 대피했고, 50명이 남겨져 후쿠시마 최후의 50인 이라고 불 렸다. 3호기와 4호기의 사용후 핵연료 임시저장 수조의 구조물이 파괴되었다. 3호기의 수조에 는 314개, 4호기의 수조에는 783개의 사용후 핵연료가 보관되어 있었다. 자위대 헬기가 밑 빠진 독에 물 붓듯이 핵연료 저장 수조에 물을 채우는 작업을 계속 했 지만 3호기 원자로 내의 연료봉과 사용후 핵연료봉 모두 온도가 상승하고 있었다. 3월 20일 유키오 관방장관은 제1발전소를 폐로할 수밖에 없다는 생각을 밝혔다. 3월 21일부터 후쿠시마 를 비롯한 인근 지역의 농산물 출하 금지 조치가 단행되었다. 외국에서는 일본산 농산물의 수 입 금지를 선언하기도 했다. 그렇지만 정부의 안일한 대응과 정보의 불투명한 공개 등은 신뢰 를 더욱 잃게 했다. 3월 28일 유기농 양배추 출하를 걱정하던 64세의 농부가 자살했다. 언론 은 원자로의 멜트다운(노심용융) 가능성을 끊임없이 제기했지만 도쿄전력은 이를 부인했다. 도 쿄전력은 4월 17일 수습 매뉴얼을 발표했다. 도쿄전력이 사고 발전소 네 기의 노심 손상을 인 정한 것은 5월 16일이었다. 일본 내각부의 원자력위원회는 10월 27일 1-4호기에 대해 폐로 종료 때까지 30년 이상 을 요한다 는 장기적 대책에 관한 보고서를 발표했다. 2016년에 수조 안에 담긴 사용후 핵연 료봉을, 2022년에 원자로 내의 핵연료를 수거할 수 있고, 2042년에 폐로가 완료될 것이라고 보았다. 그러나 영국 과학잡지 <네이처>는 폐로는 물론 주변 토양 오염 제거를 고려하면 100 년이 걸릴 것으로 전망했다. 임시 대피소로 대피한 14만-15만 명의 주민들은 2012년이 되어 도 집으로 귀가하지 못하고 있다. 20km 반경의 주민들은 일 년에 두 번, 5km 이내의 주민들 은 일 년에 한 번 집에 다녀올 수 있었다. 2. 후쿠시마 핵참사 피해범위와 대책 후쿠시마 핵발전소 4기의 폭발로 인한 방사능 물질 낙하 지역은 1도 8현에 해당한다. 이 지역 인구는 후쿠시마현 100만 명, 미야기현 230만 명, 군마현 200만 명, 이바라키현 100만 명, 지바현 600만 명, 사이마타현 700만 명, 고쿄도 1,300만 명, 가나가와현 900만 명 등 모 두 4,530만 명으로 일본 총인구의 1/3에 해당한다. 이 가운데 방사성 재해 지역의 중심에 있 고 부흥의 최대장애가 될 지역은 1도 4현 3,800만 명을 안고 있는 수도권이다. 도네가와 아라 - 18 -

카와 수계의 상수도에는 방사성물질이 혼입되어 있어 수도권 주민 상당수가 생수를 사먹고 있 다. 장기적으로는 감당할 수 없는 많은 문제들이 나오게 될 것이다. 대안은 무엇일까? 딸과 함 께 도쿄를 떠난 야부 시로는 원자력 재해의 특징을 방사성이 눈에 보이지 않는다는 문제와 대 처해야 할 문제가 너무 커서 사고정지 상태에 빠지는 문제라고 했다. 전자의 문제는 방사성 측 정기를 대량으로 발주하여 해결해야 한다고 했다. 후자의 문제와 관련해서 방사성 피폭의 직접 적 영향을 받는 인구가 30%정도이지만 식품과 공업제품의 유통을 생각하면 일본열도 전체가 방사능 피해지역이라 할 수 있다. 과거 원전 소송 당시 복수의 비상용발전기가 작동하지 않을 가능성에 대해 물었을 때 원자력안전위원장은 그와 같은 상태를 상정하지 않는다. 고 답변했 다. 원전 운영 책임자나 정부나 보험회사나 원자로의 설계의 한계를 초월하는 지진이나 쓰나미 는 없는 것으로 상정하고 있다. 이러한 모험적이고 반과학적 태도가 원자력 정책의 지주가 되 어왔다. 그래서 결국 후쿠시마 참사가 발생했을 때 도쿄전력이나 일본 정부는 대응 매뉴얼이 없이 허둥지둥대고 거짓말로 일관하면서 사태를 더 악화시켰다. 결국 참사의 대안은 개인들이 만들어 가야 했다. 일부 젊은 엄마들이 자녀들을 데리고 수도권을 탈출해갔다. 3) 3. 사고 위험을 이미 알고 있었던 도쿄전력 도쿄전력은 후쿠시마 핵발전소가 지진과 쓰나미로 상당한 위험에 처할 수 있음을 이미 알 고 있었다. 1677년 보소 지진의 강도는 7.4규모이었고, 1854년 지진 강도는 8.4이었다. 1909 년에는 7.5에 이르는 지진이 일어났다. 도쿄전력은 1677년 보소 지진 당시 13미터 해일이 몰 아쳤으며, 동일한 규모의 지진과 쓰나미가 발생할 경우 핵발전소에 큰 피해를 입힐 것이라는 내용의 연구 보고서를 2010년 12월에 작성했다. 그렇지만 도쿄전력은 이 내용을 외부에 공개 하지 않았다. 도쿄전력은 도후쿠 지역으로부터 보소에 이르기까지 일본 해구 전체에 걸쳐 강도 8.0의 지진이 일어난다는 2002년 국가 지진조사 연구추진본부의 연구를 기반으로 후쿠시마 제1발전소와 제2발전소의 해일 높이를 계산했고, 최대 16-40미터의 쓰나미가 핵발전소를 덮 칠 수 있다는 것을 알고 있었다. 그러나 그들은 이 연구 결과를 발표하지 않았다. 그들 자신의 이익 이 그 어떤 것보다 더 중요했기 때문이었다. 후쿠시마 제1핵발전소 6개의 상업운전 개시 연도는 1호기가 1971년, 2회기가 1974년, 3호기가 1976년, 4호기와 5호기가 1978년, 6호기 가 1979년이었다. 도쿄전력은 지진과 쓰나미로 인해 핵발전소가 대형 사고의 위험이 있는 것 을 이미 알고 있음에도 불구하고, 1호기가 40년 수명을 다했는데도, 2011년 2월 수명을 10년 연장하기로 결정했다. 바로 한 달 뒤에 핵폭발 참사를 맞았다. 4) 4. 원전 마피아 후쿠시마 핵폭발 사고에 대해 어린이를 비롯한 지역주민들 등 피해자만 양산하는 데 반해 책임지는 집단은 없고, 지진과 쓰나미로 핵발전소에 엄청난 피해가 예측됨에도 40년 수명을 연장하고, 탈핵 여론이 일어나도 무시하고 원전 정책을 밀고 나가는 이유는 원전 마피아들의 강력한 네트워크가 있기 때문이다. 세계 모든 나라들의 원전 카르텔은 강고하다. 일본의 경우 민, 관, 학 의 공고한 회전문 인사와 정관계 로비의 힘은 막강하다. 평화적 이용 미명 아래 민간 전력회사, 경제산업성, 도쿄대학 원자력공학과, 자민당의 족의원(업게 이익을 대변하는 의 원)으로 구성된 강고한 핵연대 는 핵발전의 안전신화 를 유포해왔다. 그들은 핵 폐기물 처리를 무시한 채 원자력은 경제적 이라고 주장했고, 방사능은 완벽에 가까운 기술 로 통제 가능하다 고 말해왔다. 문제는 방사능에 의한 피해는 직접적인 인과관계를 증명하는 것이 거의 불가능하 다는 점이다. 5) 그런데 핵마피아에서 빠질 수 없는 것이 언론이다. 핵기술이 시작된 이래 핵기술 관련한 3) 야부 시로, 도쿄를 떠나며 녹색평론 제120호(2011년 9-10월), 192-198. 4) 강은주, 위의 책, 129-132. 5) 강은주, 위의 책, 139. - 19 -

정부기관과 학계 등의 속임수, 은폐, 부인이 언론을 통해 되풀이되었다. 뉴욕타임즈의 윌리엄 로렌스 기자는 1945년 뉴멕시코에서 행해진 최초의 핵실험을 단순한 탄약투기 폭발이었다고 주장함으로써 사실을 은폐했다. 미국의 경우 핵산업과 정부기관은 스리마일섬 사고 이후 계속 해서 거짓말을 했다. 소련은 체르노빌 참사 이후 정부의 거짓말이 넘쳤다. 핵산업은 고분고분 한 언론들을 조작하는 데 별 어려움을 느끼지 않았다. 전세계 핵발전소 제조나 설계의 80%를 차지하는 GE와 웨스팅하우스는 각각 다년간 NBC와 CBS를 소유했다. 후쿠시마 참사 후 체르 노빌 사고 시 왜곡되었던 자료들을 언론들은 다시 들먹이면서 핵 르네상스를 이어가도록 하는 데 기여했다. 6) 일본의 경우 도쿄전력과 경제산업성은 원자력의 안전성을 홍보하기 위한 캠페 인에 수억 달러를 사용했다. 미국에서는 핵산업이 제작한 홍보물을 초중고대학생들에게 전달했 다. 수백만명의 초등학생들이 본 디즈니의 책 <친절한 아톰>과 영화 <우리의 친구 아톰>의 홍 보효과는 충분히 예상할 수 있다. 그러나 모든 언론이 핵에너지를 지지한 것은 아니다. 독일의 <슈피겔>지는 후쿠시마는 원자력시대의 종식을 뜻한다... 독일은 더 이상 원자력이 안전하다 는 가정을 가질 수 없게 되었다... 끝이 났다. 다 끝났다. 끝이다. (2011. 3. 14)고 보도했다. 7) III. 체르노빌 핵발전소 폭발 사고 (1986년) 1. 체르노빌 핵발전소 폭발 사고 전개과정 체르노빌 핵발전소는 1986년 4월 26일 새벽 1시 30분 폭발했다. 원자로 폭발로 순간 온 도가 3000도에서 4000도까지 올라간 것으로 추정한다. 원자로 바닥은 쇠인데 1,550도에서 녹 고, 발전소 바닥의 두꺼운 콘크리트는 3,000도에서 녹기 때문에 멜트다운이 진행되었다. 원자 로 폭발로 분출된 방사능 양을 히로세 다카시는 약 10억 퀴리 내외로 추정한다. 8) 폭발 당시 피해를 최소화하기 위해 죽음을 알고도 헌신적으로 수습했던 영웅들로 인해 파국은 면했다. 여 기서 파국은 핵발전소가 핵무기로 변하여 폭발하는 것을 가리킨다. 나가사키와 히로시마의 핵 폭탄에서 나온 핵물질의 200배가 넘는 양이 체르노빌에 있었다. 유럽을 날릴만한 양이었다. 초기 화재 진압과 사고수습을 위해 열흘이 넘도록 헬기를 통해 납을 핵발전소에 퍼부었다. 헬 기 조종사 600명은 훗날 모두 사망했다. 그리고 체르노빌 전투라 불리는 청소 작업에 50만 명 이 참여했다. 이 작업에 참여했던 10만 명의 젊은 군인과 40만 명의 시민(농민, 비정규직 노동 자) 중 2005년 현재 2만 명이 사망하고, 20만 명은 장애를 입었다. 10월 석관이라 불리는 콘 크리트로 핵발전소를 봉인하는 과정에 22만 6천 명이 참가했는데 이 중 2만 5천 명이 사망한 것으로 알려졌다. 석관의 돔의 수명이 30년이다. 석관을 뜯어내고 그 위에 강철지붕을 씌워야 하는 데 수명이 100년이다. 이런 강철지붕을 8번, 즉 800년 동안 해야 한다. 그 후 10만 년을 격리시켜야 한다. 당장 강철지붕을 씌워야 하는 데 돈이 1조 5천 억 원이 든다. 그러나 예산은 절반 밖에는 확보되지 않았다. 2. 체르노빌 핵참사 영향 1986년 소련 체르노빌 원전 사고 때 유렵국가들은 출하 예정이었던 채소류와 우유제품을 전면 폐기했다. 막대한 손실을 입었지만 국민의 안전을 위한 조치였다. 1986년 4월 26일 원전 사고로 인한 죽음의 재 가 5월 둘째 주에 미국에 도달했다. 미국은 이 사실을 알고도 우유를 마시지 말라는 권고를 발표하지 않았다. 1987년부터 1988년에 걸친 미국 영유아 사망률이 유 의미한 정도로 증가했다. 우크라이나 공화국 보건부 발표에 의하면 체르노빌 인근 지역에서 갑 상선 암은 1981-1986년 사이에 단 한 건도 없었지만, 1986년부터 2001년까지 무려 1400건 이나 등록되었다고 했다. 원전 사고 당시 피폭된 어린이만 126만 명이었다. 국제원자력기구 6) 칼 그로스먼, 방사능과 언론 녹색평론 제120호(2011년 9-10월), 219-224. 7) 게일 그린, 비뚤어진 과학- 체르노빌과 후쿠시마 이후의 원자력 산업 녹색평론 제123호(2012년 3-4월), 133-135. 8) 히로세 다카시 지음, 김원식 옮김, 원전을 멈춰라: 체르노빌이 예언한 후쿠시마 30-33. - 20 -

(IAEA)는 체르노빌 원전 사고로 인한 사망자가 46명이라는 보고서를 2005년 유엔에 제출했 다. 그러나 뉴욕아카데미라는 독립적인 과학자들이 슬라브어로 된 자료를 포함시킨 연구 결과 에 의하면 지난 20년동안 원전 사고로 사망한 사람은 모두 98만 명이라는 결론을 내렸다. 국제원자력기구와 독립적인 과학자들 사이에 누구의 말이 더 신빙성이 있을까? 미국에서 출판된 두셋의 대참사 는 원자로 사고를 다룬 소설로 여기에는 1962년 멕시코에서 일어난 실화가 소개되어 있다. 미 해군 보고서에 실려 있는 기괴한 사건이다. 코발트 60이라는 방사능 물질이 든 캡슐이 어느 가정집에 방치되어 있었다. 이사 온 4인 가족 중 10살 아들이 이 캡슐 을 발견하여 자기 바지 주머니에 넣고 다니다가 엄마가 그것을 발견하여 부엌 서랍에 넣어버 렸다. 이사 온 지 10일째 되는 4월 1일을 첫째날로 정하고 사건을 정리하면 아들은 16일째 건강이 나빠져 병원에 입원했다가 29일째 사망했다. 엄마(27세)도 아프다가 참을 수 없어 108 일째 되는 날 병원에 입원했다가 다음날 사망했다. 두 살짜리 딸도 전신이 완전히 파괴되어 140일째 되는 날 입원했다가 이틀만에 사망했다. 아버지는 병원에 가보니 정자가 사라졌다. 아버지와 할머니는 142일째 되는 날에 병원에 입원했다가 아버지는 156일 째 되는 날 퇴원했 다. 할머니는 195일 째 되는 날 사망했고, 아버지는 소식이 두절되었다. 방사능 5퀴리가 한 가 족을 죽음으로 이끌었다. 방사능 10억 퀴리는 죽음의 재(방사능 구름)를 형성하여 고공에서 상 층 기류를 타고 유럽으로, 전 세계로 퍼져나갔다. 이 방사능이 물이나 음식을 통해 공기를 통 해 인체에 들어오게 되면 몸이 일종의 시한폭탄이 된다. 갑상선암과 백혈병, 각종 암을 유발한 다. 특히 여성은 난소에 들어가 태아에게 영향을 주고, 남성은 정자에 영향을 준다. 세슘137은 반감기가 30년이니까 100년간 위험하지만, 플루토늄은 반감기가 2만 4천년이어서 반영구적으 로 인류에게 영향을 준다. 플루토늄의 어원인 플루톤은 지옥의 신의 이름이다. 9) 핵발전소의 폭 발로 인해 세상에 나온 플루토늄은 가히 지옥문을 열어놓은 것과 다름이 없다. 3. 국제원자력기구(IAEA) 소련이 1986년 8월에 IAEA에 제출한 보고서는 거짓투성이며, 그저 IAEA가 시키는 대로 썼을 뿐이라고 히로세 다카시는 보았다. IAEA의 인맥을 보면 그들은 거의 전부가 유럽 원자력 산업의 중심인물들이다. IAEA는 표면에서는 원자력을 통제하는 중립기관을 가장하고 있지만, 실제로는 원자력 이권으로 큰 돈을 버는 인간들이 각 기업의 대리인으로 IAEA에 참여하고 있 다. IAEA는 히로시마와 나카사키에 원폭을 투하하는 일련의 프로젝트에 참여했던 자들이 전후 에 유엔 안에 원자력위원회를 만들어 원폭산업의 독점을 획책하는 과정에서 생긴 사기업의 대 리인 그룹이 조종하는 조직이다. 10) 4) 원전 안전신화 붕괴와 핵폭발 사고 예언 체르노빌 원자로는 세계에서 가장 안전한 원자로라고 소련이 자랑으로 삼아왔었다. 미국 에너지부도 체르노빌 원자로에 경의를 표했다. 소련은 사고 직전까지 우리나라의 원자력발전 은 완벽할 만큼 안전하다는 것을 드디어 증명했다 고 큰소리를 쳤다. 히로세는 체르노빌 사고 직전까지 소련이 안전신화 를 자랑했던 것처럼 일본도 그렇다고 했다. 지금 일본에서도 원자 력발전소는 절대 안전하다고 관계자들이 호언장담하고 있는데 우리는 이것을 기억해둡시다. 마 침내 일본에서 멜트다운이 일어난 다음, 우리는 이 말을 회상할 것입니다. 11) 그의 책 3장(일 본에서 대사고가 나는 날)에서 히로세 다카시는 일본 핵발전소의 폭발 사고를 예고하고 있다. 초판이 1987년 체르노빌 참사 1주년을 기념하면서 출간되었다. 이 예견 이후 24년 뒤에 후쿠 시마 핵발전소 4기가 폭발했다. 히로세는 체르노빌 참사가 일본인들을 향해 보내는 최후의 통 첩이 될 것이라고 했다. 일본 과학기술청이 만든 1974년의 비밀보고서에 의하면 이바라키 현 9) 히로세 다카시 지음, 김원식 옮김, 원전을 멈춰라: 체르노빌이 예언한 후쿠시마, 43-59. 10) 히로세 다카시 지음, 김원식 옮김, 원전을 멈춰라: 체르노빌이 예언한 후쿠시마, 39, 41. 11) 히로세 다카시 지음, 김원식 옮김, 원전을 멈춰라: 체르노빌이 예언한 후쿠시마 35. - 21 -

도카이무라에서 핵폭발 사고가 날 경우 한국, 대만, 중국, 소련 등이 모두 위험지대에 들어가 고, 일본 전체 농가가 파괴된다는 것이다. 이 보고서는 일본 국민의 생명을 존중해서 만들어진 보고서가 아니라 대사고가 났을 때 보험회사가 보험료를 지불할 능력이 있는지를 확인하기 위 해 만들었다. 보험금을 현실적으로 계산하니까 약 100조엔으로 당시 국가 예산의 두 배였다. 히로세는 원전의 결함으로 긴급 노심냉각장치, 격납용기와 콘크리트 구조물, 재료 열악화와 출 력 이상, 그리고 지진과 해일을 들었다. 12) 특히 그는 후쿠시마 현에 11기의 핵발전소가 있는 데 지진과 해일이 한꺼번에 일어나는 복합상황이 일어나면 11기가 함께 멜트다운이 될 수 있 다고 예고했다. 13) IV. 핵무기 공격을 받은 히로시마와 나가사키 1. 히로시마 (1945년 8월 6일) 히로시마와 나가사키에 투하된 핵폭탄으로 인한 피해자 중 1945년까지 사망한 사람은 21 만 명이고, 1950년까지 사망한 사람을 합하면 모두 30만 명이었다. 히로시마의 조선인 피폭자 48,000명 중 사망자는 3만 명, 나가사키의 조선인 피폭자 3만 명 중 사망자는 1만 명으로 추 산된다. 히로시마 일본인 피폭자의 가족인 천야문자( 天 野 文 字 )는 당시 14세 소녀로 공장에 가 는 바람에 화를 면했지만 언니가 사망했다. 그녀는 친척과 친구들이 새까맣게 타버린 사진을 보면서 이것이 자신의 모습이라고 생각하며 살아왔다. 8월 7일 거리를 헤매면서 그녀는 전쟁 이란 사람을 죽이는 일 이라는 것을 깨달았다. 그러자 그녀는 우리는 어떠했던가. 남경이 함 락되고 싱가폴이 함락되었다는 소식에 접했을 때 온 일본이 거리로 몰려나와 깃발을 흔들며 해냈다, 해냈다. 라고 승리의 행진을 하지 않았던가. 우리는 아무런 죄도 없는 어린아이들이 죽어가고 있을 때 기뻐했던 것이다. 한편으로 그녀는 일본이 살해한 2천 만 명의 아시아인들 을 기억했다. 다른 한편으로 그녀는 한 때 과연 신의 복음이 무엇인가? 이 땅에 원폭을 투하 하여 많은 생명이 죽어가도록 한 신의 뜻은 무엇인가? 라는 질문을 하고 성경에서 답을 찾으 려 애썼다. 그러다가 그녀는 사람을 미워하는 일, 사람을 용서하지 않는 마음은 곧 이 땅에 계속 폭탄을 만드는 것 임을 깨닫게 되었다. 그 후 그녀는 17세부터 소학교 교사로서, 교회 유 치원 교사로서 활동하면서 세계의 어린이들의 평화를 위해서 기도했다. 그리고 핵무기 폐절을 바라는 그리스도인의 회 에서 활동했고, 풀뿌리운동에 참여했다. 14) 1963년 8월부터 1965년 1월 사이에 7차례 히로시마를 방문했던 오에 겐자부로 (당시 28-30세)는 히로시마 여행을 인간의 비참함과 위엄에 대해 절실한 반성을 촉구하는 체험 이 라면서 그런 여행 뒤에 무엇보다 나 자신의 반성을 위해 이 노트를 써왔다. 고 했다. 15) 그는 히로시마 원폭과 그 현장을 20세기 최악의 괴물, 지옥을 본 사람들, 도시 전체가 하나의 묘지, 인간의 사악한 의지의 상징, 난폭하고 악독한 신, 가장 현대적인 페스트 등으로 묘사 했다(18, 28, 30, 118). 그는 히로시마라는 인간의 비참함 속에서 인간의 부패와 인간의 회복 의 희망이라는 두 가지 싹이 나온 것을 보았다(99). 인간의 부패에는 미국(과 일본)이 원폭과 관련해서 강요한 10년의 침묵이 있다(65). 그리고 한국 전쟁 중 미국 통신사 도쿄 지국장이 피폭한 일본인에게 전쟁을 끝내기 위해 원자폭탄을 사용하는 것에 대한 질문을 퇴폐라 했다 (70). 그는 피폭자들 중 일부가 자살, 미쳐버림, 은둔, 도피 등 최악의 인간적 굴욕이나 수치로 이어지는 것을 보았다. 그러나 그러한 수치와 굴욕은 우리 스스로를 부끄러워하지 않고서 받아 들일 수 없다고 했다. 피폭자 중 도망치지 않는 사람은 두 유형으로 나뉜다. 다른 사람들도 피 폭 체험을 통해 같은 병을 앓기를 바라는 사람들과 핵무기 폐지 운동에 참여하는 사람들이다. 후자는 자신의 수치와 굴욕에 가치를 부여하는 사람들이다. 이들의 인간적 명예를 회복시키려 12) 히로세 다카시 지음, 김원식 옮김, 원전을 멈춰라: 체르노빌이 예언한 후쿠시마, 154-202. 13) 히로세 다카시 지음, 김원식 옮김, 원전을 멈춰라: 체르노빌이 예언한 후쿠시마, 199. 14) 천야문자, 히로시마여, 히로시마여! 새가정사, 새가정 제371호(1987년 7월), 33, 35. 15) 오에 겐자부로 지음, 이애숙 옮김, 히로시마 노트: 오에 겐자부로의 평화 공감 르포 (서울: 삼천리, 2012), 158. - 22 -

면 히로시마가 핵무기 전면 폐지운동에 적극 나서야 한다. 즉 히로시마 인간의 비참함은 인간 전체의 회복이라는 방향으로 나아가야 한다(106-109). 이들은 어둡고 긴 침묵의 시간을 보내 고 나서 인간적 자기회복의 계기 인 원수폭금지세계대회에 참여함으로써 인간적 변혁을 체험 하게 되었다(169-170). 오에는 히로시마 적십자병원장인 시케오 후미오가 자신도 상처를 입었지만 환자들을 헌신적으로 치료하고 원폭병을 규명하고 치료하기 위해 원폭병원을 세우는 그를 히로시마의 독자적 인간, 히로시마적 인간 이라고 불렀다(40-42). 시케오를 비롯해 피폭 당한 의사들이 피폭자를 치료한 기록을 다룬 히로시마 원폭의료사 를 발간했다(123). 오에 는 히로시마 사람들의 활동 가치는 원폭 제조에 이르기까지 축적된 인류 과학 진보의 총량에 대항한다는 의미가 있 으며, 그들 덕분에 히로시마가 인류 문명사의 모든 가치를 일거에 파멸 시킬 정도로 최악의 지옥은 아니었을 것 이라면서 히로시마에서는 그 지옥을 가장 인간적인 지옥으로 바꾸려고 애쓰는 사람들이 있다. 고 했다(119). 오에는 이러한 사람들을 너무 절망 하지 않고 헛된 희망에도 취하지 않는 인간, 진정한 의미의 휴머니스트 라 했고, 이들로 인해 비로소 인류가 경험한 최악의 절망의 시기에도 살아남을 수 있는 희망이 존재했던 것 이라 했다(131). 승산이 희박한 이 싸움에 20년 동안 그들은 굴복하는 것을 끝없이 거부해 왔 기 때문이다(137). 일본은 전후 도넛 모양처럼 전쟁의 비참함을 팽개치고 자신의 주변을 둘러 싼 소비문명의 번영으로 도피했다. 도쿄 올림픽 이후에 일본은 위로 도망가는 피라미드형 사고 방식이 생겨났다. 그러나 이 피라미드 내부 암흑의 빈 공간은 결코 채워지지 않았다. 히로시 마의 인간적 비참함은 바로 거기에 계속 존재하고 있다. 원수폭피해백서운동은 세계적으로는 히로시마의 인간적 비참함을 아우슈비츠처럼 널리 확실히 철저히 주비시키는 것이고, 일본인 내부의 국민적 반성의 측면에서는 소비생활의 번영이라는 피라미드의 빈 공간을 채우는 작업 이어야 한다.(172) 오에는 피폭자 중 미국을 저주하고 일본을 증오했던 한국인 여성이 하나님 의 은총으로 자살하지도 않고 미치지도 않고 잘 살게 된 사례를 소개한다(88). 그런데 오에의 문제 몇 가지를 지적하고자 한다. 첫째 미국의 원폭 투하 책임자들이 원폭 재해에 대해 의기양양 하게 된 것이 히로시마 시민의 자기회복력에 힘입은 바가 크다고 했다 (165). 여기에는 두 가지 문제가 있다. 우선 미국의 원폭 투하 책임은 일본인 피해자들에 의해 서만 해결될 수 없다. 한국을 비롯한 다른 피해자의 문제를 고려해야 한다. 그리고 오에는 히 로시마에 거주하던 일본인만을 원폭 피해자로 이해하고 있다. 그렇지만 한국인은 일제의 징용 에 의해 강제이주 되거나 일제의 수탈에 의해 이주가 강제되었다가 피폭되었기 때문에 일본은 책임을 피할 수 없다. 오에는 이런 부분에 대한 언급이 한 군데도 없다. 둘째 피폭 당시 네 살 이었던 청년이 20년 후 원자병으로 사망했는데 처음부터 이 사실을 알고 사귀었던 약혼녀가 따라서 자살한 것을 오에는 미화하고 있다. 이 청년에게 원자병과 같은 절망이라는 구렁텅이 는 국가 전체를 집어넣어도 메울 수 없을 만큼 거대했 지만 순수한 전후 세대인 한 아가씨가 뒤를 이어 자살함으로써 그 어두운 구렁텅이가 메워졌다. 그녀는 가치 하나를 뒤집었다. 국 가라는 것의 더러운 기만. 그 희생이 된 약자의 입장에서 국가의 기만과 살아남은 인간 모두의 기만에 대해 치명적인 반격을 가했다(162). 그녀가 자살로써 일본이라는 국가의 기만에 대해 저항했다는 것은 오에의 해석일 수 있다. 그렇지만 그것이 어두운 구렁텅이 를 메울만큼 치명 적이라는 것은 일본 제국주의와 전쟁의 가혹함으로 아시아의 많은 국가들이 긴 시간 동안 당 한 고통과 2천 만 명의 죽음 앞에서 감히 할 수 있는 말은 아니라고 본다. 셋째 히로시마의 새로운 휴머니스트, 히로시마의 현실과 정면으로 맞서면서 지나치게 절망하지도 희망을 품지 도 않는 정통적 인간 을 오에는 일본의 새로운 내셔널리즘의 적극적인 상징이 된 다.(154-155) 고 했다. 일본의 민족주의는 천황제와 제국주의와 결탁해서 식민지주의와 전쟁 으로 막대한 피해를 입힌 아시아인들 앞에서 참회하지 않고서는 일본은 민족주의를 애기할 수 없다. - 23 -

2. 나가사키 (1945년 8월 9일) 나가사키에 핵폭탄이 폭발로 사망자가 74,000명이었고, 중경상자는 약 20만 명이었다. 핵 폭발 중심지로부터 300-700미터 떨어진 곳에 나가사키 의과대학이 있었다. 이 대학의 나가이 다카시 교수는 당시 피폭자로서의 체험과 의사로서 환자를 치료한 경험을 기록한 글을 나가 사키의 종 이라는 책으로 출간했다. 일본에서는 이 책이 영화로 만들어졌다. 이 책을 중심으 로 논의를 전개하고자 한다. 핵폭발 시 건물 안에 있다가 바깥으로 나온 하시모토 간호사의 첫 마디는 이것은---지 옥이다! 였다. 16) 나가이 교수는 후에 그 날, 그 때! 이 땅위에 벌어진 지옥의 형상을 여러분 이 단 한 번이라도 보았다면 전쟁을 또 한다는 말을 할 수 없을 것 (185)이라 했다. 원자물리 학을 전공한 세이키 교수조차 이 폭탄이 핵폭탄인 줄 몰랐다. 세이키 교수는 이건 --- 꿈이 다. 악몽이다. 아무리 전쟁이라 해도 이런 처참한 일이 있을 수 있단 말인가? (44) 나가이 교 수는 이마의 동맥이 끊어진 상황에서 손으로 환부를 누르며 환자를 돌보다가 나중에 기절했다. 아이들 둘이서 아버지의 시체를 끌고 지나간다. 머리가 없는 아이를 안고 젊은 여인이 달려간 다... (불길이 번져가는데) 불길 속에서 천행으로 살아나온 사람들은 열에 하나나 될까. 나머지 아홉은 지금 내 눈 앞에서 타 죽어가고 있다. 옆에 있던 학생이 말했다. 교수님, 마치 세상 의 종말을 보는 것 같습니다(72). 비상사태를 위해 준비했던 지하실의 방공 수술실은 수도관 이 터져 무용지물이 되었다. 생명을 구하느라 10여 년간 모은 학술자료들과 기계들을 화재로 부터 구하지 못했고 대학은 최후를 맞이했다(의대생 580명 중 414명이 사망). 어제 불을 피 해 죽음의 손아귀에서 벗어나 정신없이 산으로 도망한 사람들은 이제 안심이다. 하면서 주저 앉은 곳에서 최후를 맞이하고 있었다(108). 다가이는 이 부분의 소제목을 <거대한 무덤>이라 했다. 나가사키 자체가 거대한 무덤이 되었다. 나가이 교수는 오랫동안 방사선 취급한 결과 백 혈병을 얻어 시한부 인생이었다. 아내에게 두 아이를 부탁했었다. 그런데 핵폭발로 아내가 부 엌에서 기도를 드리다가 일부 뼈(검은 덩어리)만 남기고 사망했다. 시신을 알 수 있는 것은 그 평에 십자가가 달린 묵주 때문이었다(123-124). 자녀들은 외할머니 집에 피신해서 화를 면했 다. 나가이 교수는 본인도 피폭자지만 진리를 탐구하는 과학자로서 인류 최초로 발생한 원자병 의 치료법을 발견하기 위해 최선을 다한다(135). 그리고 학문을 위해서, 환자를 위해서, 그 가 족을 위해서 마을에서 마을로 순례자처럼 진료를 한다(139). 이는 소제목처럼 이웃을 내 몸같 이 사랑하는 자세로 행한 것이다. 나가이 교수는 핵폭발로 대학을, 아내를, 많은 사람들을 잃었다. 그러나 그에게 패전은 전 혀 다른 차원이었다. 그는 패전의 충격으로 진료를 쉬기로 했다. 환자의 집에서 왕진을 요청했 지만 나라가 망했는데 무슨 진료냐 하면서 가족을 돌려보냈다. 그러다가 그는 다시 벌떡 일어 났다. 한 사람의 생명이 아닌가! 이미 우리는 너무 많은 생명을 잃었다. 더 이상은 잃을 수 없다. 한 생명은 모든 것을 걸고 지킬만큼 소중한 것이다... 오늘날 이런 비참한 일을 맞게 된 것은 여태 일본이 개인의 생명을 너무도 함부로 생각하고 소홀히 여겼기 때문이 아닌 가? (146) 바로 이 무렵부터(8월 18일) 원자병이 환자 뿐 아니라 건강했던 피난민들과 의사들 에게서도 나타났다. 그래서 더 열심히 진료하다가 나가이 교수는 위독한 상태에 빠졌다. 그런 데도 목숨을 걸고 환자 왕진을 했다. 그는 혼수상태를 겪다가 기적적으로 살아났다(154). 그렇 게 살아난 나가이 교수는 10월부터 폭심지인 우에노 마을에 움막을 짓고 살면서 폭심지의 잔 류 방사성이 인간과 동물에게 어떤 영향을 주는 지를 직접 관찰했다. 이것은 과학자로서 진리 를 탐구하는 태도로 볼 수 있다. 그렇지만 그는 어린 자녀들, 특히 아들에게 전쟁의 본 모습 을 뼛속까지 느끼게 해주고자 함이었 다(190). 그래서 그는 아들이 사는 세상이 어떻게 변하 든 평생을 평화주의자로 살아갈 것이 틀림없 다고 보았다. 혹시라도 그들(전쟁이 국익에 도움 이 된다고 믿는 사람들)아 득세할 때 마코토(아들)는 원자폭탄의 기억을 되살려 반전을 외쳐 줄 것 (191)을 기대한 것이었다. 16) 나가이 다카시 지음, 김재일 옮김, 그날, 나가사키에는 무슨 일이 있었나 (서울: 도서출판 섬, 2011), 34. - 24 -

어떤 군인이 귀향해보니 집은 잿더미가 되었고 아내와 다섯 자녀들의 검게 타버린 뼈가 흩어져 있었다. 많은 사람들이 죽은 자는 벌을 받은 것이고, 살아남은 자는 하나님이 도와주신 것이라 말한다. 그가 더 이상 살 이유가 없다고 하자 나가이 교수는 자신이 쓴 우라카미 성당 에서 열릴 천주교 합동장례식 조사를 보여줬다. 그는 종전과 우라카미의 궤멸 사이에 관계가 있다고 보았다. 세계 대전이라는 인류의 죄악을 씻기 위해 일본의 성지 우라카미가 제단에 바 쳐질 순결한 희생양으로 선택된 것은 아닐까요? 지난 400년 간 박해에도 불구하고 순교의 피 로 신앙을 지킨 성지이자 전쟁 중에도 평화를 위해 끊임없이 기도를 드린 우라카미 성당이 희 생양으로 적합하다고 했다. 성당의 희생자만도 주임사제를 비롯해 8천 명이나 되었다. 나가이 교수는 왜 남은 자들은 죽지 못했는가 라는 질문에 대해 남은 죄가 있어 속죄의 길을 걷기 위 함이라 했다. 조사는 이 귀한 희생으로써 전 세계가 평화를 되찾고 일본에 신앙의 자유가 허 락된 것을 감사드리나이다. 는 말로 마무리를 지었다(204-208). 그는 나가사키의 종소리가 울 리는 것을 평화를 기원하는 듯 이 지구상에서 더 이상 전쟁은 없기를! 이라면서 우라카미 로 하여금 인류 최후의 원자벌판이 되게 하여 달라고 기원을 드린다(217). 나가이 교수는 1946년 나가사키 역에서 쓰러진 후 다시 일어나지 못했다. 병세가 악화되어 1951년 5월 1일 세상을 떠났다. 나가이 교수는 피폭 현장에서 피폭자로서 의사로서 그리스도인으로서 기록을 남긴 최초의 사람이 아닌가 한다. 지금까지 대부분의 자료는 과학적 입장에서만 핵폭발을 접근했다면 나가 이는 의대 교수일 뿐 아니라 신실한 그리스도인으로서 기록을 했고 그런 사실에 대해 신앙인 의 입장에서 해석했다는 점도 거의 유일무이하다고 본다. 이를 전제하고 그에 대해 간단히 의 견을 제시하고, 문제제기를 하고자 한다. 우선 그의 기록으로 인해 나가사키의 사망자나 부상 자들이 더 이상 숫자로만 기억되지 않고 살과 피를 지닌 인간으로 기억하게 되었다. 더구나 그 자신 피폭자이면서도 불굴의 의지로 환자를 치료하고, 인류 역사상 새로운 질병인 원자병에 대 해 연구하고, 자신과 나가사키의 비극을 신앙적으로 재해석한 점의 의의는 아무리 강조해도 지 나치지 않는다. 그가 원자병과 씨름한 것은 전쟁은 끝났지만 피폭으로 인한 원자병과의 전쟁은 끝나지 않은 전쟁, 전쟁 이후의 전쟁 임을 보여줬다. 그런데 일본의 패전 당시까지 그는 다 른 일본인들과 크게 다르지 않았던 것 같았다. 그래서 패전 당일 진료를 하지 않으려 했다. 그 러다가 그는 한 생명이 귀하다는 깨달음 속에서 일본이 패한 것도 개인의 생명을 너무 함부로 여긴 점이라고 지적했다. 이를 기점으로 그는 점차 전쟁을 반대하고 평화를 지향하다가 정의로 운 전쟁은 없다는 깨달음과 죽은 자와 살아남은 자에 대한 세상적 판단을 뒤집는 신학적 해석 을 장례식 조사에서 보여준다. 그리고 자녀들에게 유언으로 앞으로 세상이 어떻게 변하든지 끝 까지 전쟁을 반대하고 평화헌법을 고수하는 마지막 사람이 되라고 했다. 나가사키의 종이 세상 끝날까지 반전과 평화를 지키기를 염원했다. 그의 사상의 변화 중 일본의 집단주의로부터 개인주의로까지는 나아간 것 같지만 어디까 지나 일본인이라는 범주를 벗어나지 못한 것 같다. 왜 그는 지식인으로서 그리스도인으로서 일 본의 제국주의와 불의한 전쟁으로 인한 아시아인들의 죽음과 고통을 보지 못했는가? 그의 조 사는 죽은 자와 산 자에 대한 세상의 해석을 뒤집는 것으로 일부 사람들에게 위로를 줄 수 있 다. 그렇다면 다른 종교를 갖거나 종교가 없는 사람들의 죽음에 대해서는 무엇이라 말해야 하 는가? 하나님은 전쟁의 종식을 위해 희생양을 필요로 하는 하나님이신가? 미국의 행위에 대해 죄를 물어야 하는 데 나가이는 이런 질문을 생략한다. 다카하시 데쓰야라 철학자는 이 책이 연 합국최고사령부의 언론 검열을 통과한 이유를 아마 신의 섭리 라는 논리로 미국의 책임을 피 할 수 있기 때문이 아닐까 싶습니다. 당시 이 책은 원폭 투하 책임을 애매하게 해줌으로써 전 후 일본에서 핵을 철폐하고 세계 평화를 호소하는 데에 중요한 역할을 했습니다. 17) 17) 한홍구, 서경식, 다카하시 데쓰야 좌담, 이령경 책임번역, 후쿠시마 이후의 삶: 역사, 철학, 예술로 3 11 이후를 성 찰하다 (서울: 반비, 2013), 101. - 25 -

3. 히로시마와 나가사키에 미국의 핵무기 사용 문제 미국이 일본의 무조건 항복을 받기 위해, 미군의 본토 상륙 시 막대한 인명이 희생될 우려 가 있어 인명 살상을 최소화하기 위해 핵무기를 사용했다고 말한다. 그런데 학자들의 최근 연 구에 의하면 핵무기 사용의 대안이 있었으며, 핵무기는 전쟁을 끝내는 것과 무관하다는 것이 다. 18) 미국과 일본과 소련의 문서를 연구한 하세가와에 의하면 일본이 항복하는 데 결정적 영 향을 준 것은 히로시마(8월 6일)와 나가사키의 핵무기 투하(8월 9일)가 아니라 소련의 선전포 고(8월 8일)였다. 미국이 핵무기를 투하함으로써 전쟁을 끝내고 핵시대를 열었을 뿐 아니라 냉 전시대와 핵외교의 시대를 열었다. 즉 소련이 태평양 전쟁에 개입하기 전에 미국은 핵무기 공 격으로 전쟁을 끝내고자 했다. 그리고 트루먼 대통령은 진주만에 대한 복수를 원했다. 아이젠 하워 장군은 종전 후 수년 뒤에 그 끔찍한 것 (핵폭탄)으로 일본을 공격할 필요가 없었다고 선언했다. 투르만 대통령의 수석보좌관이었던 윌리엄 레이 장군은 히로시마와 나가사키에 이 런 야만적인 무기를 사용하는 것이 일본과의 전쟁을 끝내는 데 전혀 도움이 되지 않았다. 일본 은 이미 패배했고 항복할 준비가 되어 있었다... 핵무기를 처음 사용함으로써 우리는 암흑시대 야만인들에게 공통적인 도덕적 기준을 받아들이게 되었다. 19) 고 말했다. 그리고 일본 본토에 상륙할 때 희생자의 숫자를 투르먼 대통령은 50만 명이라 했고, 처칠은 100만 명이라 했다. 역사가 바르톤 베른스타인에 의하면 이러한 수치는 전혀 근거가 없는 것이었다. 그의 연구에 의하면 아무리 높게 잡아도 46,000명을 넘지 않는다고 보았다. 20) V. 한국의 반핵 인권활동가 고 김형률의 활동과 의의 1. 김형률의 삶과 주요활동 21) 김형률은 1970년 부산에서 쌍둥이의 형으로 태어났지만 한 살 반에 쌍둥이 동생이 폐렴 으로 사망했다. 두 명의 형과 누나와 여동생과 달리 김형률은 어릴 때부터 병에 잘 걸렸다. 초 등학교 시절 그는 감기에 걸려 한 달 이상 결석했다. 중학교 때 급성폐렵에 걸렸다. 건강문제 로 고등학교 진학을 포기했다. 야학을 다니면서 공부하는 것이 큰 즐거움이었고 좋아하는 여성 이 생겼지만 건강문제로 고백할 수 없었다. 그는 25세에 폐렴으로 세 번 병원에 입원했다. 그 의 면역력은 신생아와 거의 비슷하다고 했다. 면역글로불린 결핍증 이 그의 병명이었는데 의 사는 이 병이 아마도 어머니가 피폭자였다는 것과 연관이 있을 수 있다고 했다. 부친은 합천 출신의 건강한 농부였다. 모친은 히로시마에서 여섯 살 때 피폭되었는데 당시 부친과 언니를 잃었다. 김형률은 1997년에 동의공업전문대 전산학과에 입학하여 컴퓨터를 전공했다. 졸업 후 취직했지만 번번이 건강문제로 퇴사했다. 고이즈미 총리가 방한한 2002년 3월 22일 그는 기 자회견을 통해 한국에서는 처음으로 원폭2세 임을 밝혔다. 이는 그에게 일종의 인권선언 이었 다. 이런 인권선언에 제일 큰 걸림돌은 다른 원폭 2세들이나 관련 단체였다. 왜냐하면 그들은 자신이 원폭2세 임을 밝히는 순간 사회적 편견과 차별의 대상이 되는 것을 두려워하기 때문이 다. 2002년 9월 대구에서 열린 한국 원폭2세 모임 에서 그는 한국원폭2세환우회 결성을 제 안했다. 지인들을 중심으로 김형률을 지원하는 모임 결성을 준비했는데 본인의 요청으로 한 국 원폭2세 환우회를 지원하는 모임 으로 개칭하여 12월에 결성했다. 환우회 설립 취지는 환 우들의 인권과 존엄성을 찾고, 환우가 서로 생명의 버팀목이 되어 환우들의 건강권, 생존권, 18) Frank Brodhead, "A New Look at Hiroshima and Nagasaki" in http://www.zcommunications,org/ znetarticle/a-new-look-at-hiroshima-and-nagasaki-by-frank-brodhead (2016년 6월 5일 접속) 19) Greg Mitchell, "Weapons of Mass Destruction, Hiroshima and Nagasaki, and the Atomic Testing Museum" in Editor & Publisher (April 3, 2005) 20) Howard Zinn, "Hiroshima: Breaking the Silence" in The Asia-Pacific Journal, 25-1-10, June, 21, 2010. 21) 아오야기 준이치, 김형률을 기억하다- 김형률의 삶과 꿈 김형률 지음, 아오야기 준이치 엮음, 나는 반핵 인권에 목숨을 걸었다: 반핵인권운동에 목숨을 바친 원폭 2세 고 김형률 유고집 (서울: 행복한 책읽기, 2015), 21-56. - 26 -

생명권을 지키려는 것이었다. 2003년 8월 5일 그는 국가인권위원회에 원폭2세의 건강실태 조 사를 요구하는 진정서를 제출했다. 진정서의 작성과정에는 민주사회를 위한 변호사 모임 이 협력했고, 실태조사에 대한 준비에는 인도주의의사실천협의회 의 지원이 있었다. 국가인권위원 회는 2004년 8월부터 12월까지 5개월간 원폭2세 건강실태를 조사했다. 2005년 2월 14일 국 가인권위원회는 건강실태조사 결과를 발표했다. 원폭1세나 2세 관계없이 원폭피해자가 일반 인보다 질병발생 위험도가 극도로 높다는 사실이 통계치에 의해 명확해졌다. 보고서는 자활능 력을 상실한 원폭2세에 대한 생활비와 의료비를 선지원 하되 인과관계의 입증 및 책임은 정부 가 져야 한다고 했다. 이러한 주장은 그동안 김형률이 주장하던 것과 중복되는 부분이 많다. 원폭2세에 대한 건강실태조사 다음에는 환우들의 공동목표인 원폭피해자특별법 의 제정을 요 구하는 방향으로 원폭2세 운동이 전개되었다. 2005년 3월 31일 서울로 올라온 김형률은 4월 12일 한국기독교회관에서 원폭피해자특별법 제정을 위한 의견청원 기자회견 을 한 후 국회를 방문해서 한국 원폭피해자와 원폭2세 환우의 진상규명 및 인권과 명예회복을 위한 특별법 제 정 청원서 를 제출했다. 5월 18일에는 국회도서관에서 원폭피해자특별법 제정을 위한 공청회 를 개최했다. 5월 20일부터 21일까지 도쿄에서 열린 전후 60년 피해자와 함께 일본의 과거청 산을 바라는 국제집회 에 참여 후 5월 24일 귀국했다. 5월 들어 너무 무리했던 김형률은 5월 29일 세상을 떠났다. 그의 11주기를 앞둔 지난 5월 19일 국회는 한국인 원자폭탄 피해자 지 원을 위한 특별법안 을 가결했다. 그러나 이 법안은 보건복지부 장관 소속 위원회 설치, 한국 인 원폭 피해자 실태조사, 의료 지원, 추모 묘역 및 위령탑 조성 등 주요 골자만 나열돼 있을 뿐 체계적인 사업 진행을 위한 세부 항목을 갖추지 못해 20 국회가 시급히 개정할 필요가 있 다. 2. 김형률의 활동의 의의와 김형률 법 먼저 김형률의 활동의 의의를 보면 다음과 같다. 첫째 원폭2세로서 죽음보다 더 고통스 런 삶 을 사는 일상이 전쟁 인 삶 을 통해 과거 일본제국주의가 저질렀던 침략전쟁과 불법 식민지 만행이라는 광기의 역사가 지금 이 시간까지 연장되어 우리들의 몸을 지배 함을 보여 줌으로써 원폭 1세와 2세의 문제 해결은 식민지 청산임을 깨닫게 해주었다. 22) 둘째 고이즈미 총리와 일본 정부에 한국인 피폭자에 대해 일본인 피폭자와 동일하게 원호법을 적용할 것을 요구했다. 피폭은 전쟁을 일으킨 일본 정부에 책임이 있기 때문에 피폭에 대해서는 일본 정부 가 책임을 져야 함을 분명히 밝혔다. 23) 셋째 김형률은 자신의 활동을 통해 원폭2세의 문제는 인권의 문제이면서 이들의 인권회복은 민주주의 운동의 연장으로 나아가야 한다고 했다. 24) 즉 원폭2세의 인권의 문제는 우리 사회의 민주주의의 척도이다. 넷째 그의 반핵 활동은 피해자 들만을 위한 것이 아니라 핵의 위험성에 대한 사회적 경각심을 불러일으킴으로써 평화를 정착 시키는 지름길 이 되었다. 25) 다섯째 그의 활동의 가장 큰 성과는 한국의 원폭2세들에 대한 건강 실태조사를 실시하게 하여 그 결과를 국가인권위원회로 하여금 공표하게 한 것이다. 26) 아오야기 준이치는 김형률법 의 의의를 세 가지로 제시했다. 첫째 원폭피해자 당사자들 뿐 아니라 그 자녀들, 원폭2세를 구제 대상자에 포함한 점, 둘째 선지원 후규명 의 원칙에 입 각하여 원폭과의 인과관계를 규명하기 전에 원폭피해자에 대한 의료지원과 생활지원을 우선시 한 점이다. 셋째 원폭피해자 지원위원회 의 결성과 원폭 탈핵 평화박물관 의 건설 등, 피폭자 차별 과 원폭에 의한 유전문제 를 합리적으로 해결할 사회적 합의시스템을 중시한 점이다. 특 히 아오야기는 일본의 피폭자 원호법 에 없는 사회적 합의시스템의 형성을 이 법의 역사적 의 의라고 했다. 27) 22) 김형률, 위의 책, 79, 81. 23) 김형률, 위의 책, 96. 24) 김형률, 위의 책, 85. 25) 전진성, 원폭의 기억과 평화교육 김형률, 위의 책, 247. 26) 아오야기 준이치, 김형률법=원폭피해자 특별법의 제정을 촉구함 김형률, 위의 책, 251. - 27 -

VI. 핵발전소 안전 신화 의 비신화화 28) 1. 원자력 발전의 근본문제: 원자력 신화 형성 원자는 문자 그대로 그 이상 쪼갤 수 없는 것 이지만 과학의 발달로 원자가 원자핵과 전 자로 구성된 것을 알게 되었고, 인공적으로 입자를 핵에다가 때려 넣으면 불안정화를 일으켜서 핵자의 결합이 깨지면서(핵분열) 엄청나게 큰 에너지가 나온다는 것이 1938년에 과학자들에 의해 발견되었다. 미국은 1942년 맨하튼 프로젝트를 수립해 핵무기 개발에 박차를 가했다. 그 런데 핵분열시 엄청난 에너지만 나오는 것이 아니라 죽음의 재 라고 불리는 대량의 방사성 물 질이 나온다. 방사선이 인체에 들어가면 신체에 뿐 아니라 유전적으로 악영향을 끼친다. 방사 선은 화학물질의 100만 배나 되는 에너지를 평균적으로 갖고 있는 입자이다. 방사선이 순간적 으로 인체를 통과하면 기존의 화학결합을 끊거나 결합시켜 여러 심각한 악영향을 준다. 핵무기 개발과 핵발전소 운영은 우리의 일생세계의 원리, 다시 말해서 원자핵이 안정되어 있음으로 해서 이루어지는 일상생활의 안전성에 감히 도전하는 것 으로 판도라의 상자를 열었다 또는 금단의 열매를 먹어버렸다 는 비판을 받는다. 29) 2. 원자력은 무한한 에너지원 이라는 신화 원자력이 무한한 에너지라고 할 때 문제가 되는 것은 천연 우라늄의 매장량이 한정되어 있다는 사실이다. 핵발전소는 천연 우라늄 중 0.7% 밖에 들어 있지 않은 우라늄235를 연소시 킨다. 이 우라늄이 한정되어 있다면 무한한 에너지 라는 말은 성립되지 않는다. 이에 대한 대 안이 고속증식로 라는 신화이다. 고속증식로는 중성자를 이용해서 핵분열을 일으키게 하여 우 라늄에서 플루토늄이라는 물질을 증식하는 원자로이다. 이렇게 하면 핵에너지 자원이 60배나 증대된다고 한다. 일본의 고속증식로에는 몬쥬 와 죠요 라는 실험로가 있었다. 몬쥬 는 1995 년 말 나트륨 누출로 화재사고가 일어난 후 지금까지 정지상태로 있다. 몬쥬 는 전 세계에 남 아있는 마지막 고속증식로이다. 세계에서 선두를 달리며 몬쥬 보다 10-20년 앞서간다던 프랑 스의 대형 고속증식로 슈퍼피닉스 계획 역시 1998년에 완전히 붕괴되었다. 한마디로 장밋빛 과학기술 미래론과 정치적 생각이 결부됨으로써 엄청나게 큰 신화가 된 것이다. 30) 3. 원자력은 석유위기를 극복한다 는 신화 일본에 원자력이 등장한 1960년대는 주된 에너지를 석탄으로부터 석유로 대체되던 시기 였다. 1973년에 오일쇼크가 닥치면서 석유만능주의가 허물어지자 석유의존도를 낮추는 정책으 로 전환했다. 이것을 핵발전소 추진세력이 놓치지 않았다. 국제원자력기구(IAEA)는 원자력의 예측치를 1970년대부터 발표했다. 즉 원자력의 시대가 왔다는 것을 선전하기 위해 1976년 IAEA는 2000년 원자력발전 설비용량을 약 23억 킬로와트라고 전망했다. 1978년에는 약 14 억 킬로와트로 절반 정도로 줄더니 1980년에는 7억 킬로와트로, 1985년에는 5억 킬로와트로 줄어들었다. 2000년 실제 설비용량은 3억 6,000만 킬로와트에 불과했다. 1976년 예측치의 15.7%이었다. 원자력은 전력생산의 세계적 흐름을 이루지 못했다. 1997년 현재 일본의 1차 에너지 구성비는 석유 53%, 석탄 17%, 천연가스 11%, 원자력 13% 순이었다. 다카기는 전력 에서 원자력의 비중이 이 정도로 높아진 것도 정부가 정치적인 석유위기를 극복하기 위한 원 자력 이라는 것을 표어 또는 신화로 삼았기 때문이라고 보았다. 많은 사람들이 그 신화를 믿은 결과 원자력을 일관되게 정책적으로 도입함으로써 원자력의존도가 높아졌다. 바꿔 말하면 일본 에서 원자력의존형으로 나아가게 된 것은 정부의 강력한 정책의 결과이지 원자력의 우수성 때 문이 아니다. 이것은 신화의 결과였다. 31) 27) 아오야기 준이치, 위의 글, 255. 28) 다카기 진자부로 지음, 김원식 옮김, 원자력 신화로부터의 해방 (서울: 녹색평론사, 2001)을 중심으로 논의를 전 개함을 밝힌다. 29) 다카기 진자부로, 위의 책, 31. 30) 다카기 진자부로, 위의 책, 65-71. - 28 -

4. 원자력의 평화이용 이라는 신화 보통 기술이나 에너지 사용과 관련해서 평화이용 이니 군사이용 이니 하는 말을 사용하지 않는다. 그런데 왜 원자력은 평화이용 이라는 말을 하는가? 원자력은 처음부터 군사적 이용, 원자탄 개발을 위해 시작되었다. 그래서 사람들은 원자력 하면 핵무기와 결부시켜 생각한다. 이 연결고리를 끊지 않고는 원자력을 상업적으로 이용하는 것이 불가능하므로 평화이용 이라 는 말을 만들어냈다. 앞에서 언급한 것처럼 미국과 소련은 핵무기 제조에 대해 독점적 지위를 누리고 핵무기 확산을 방지하기 위해 원자력의 평화적 이용이라는 기치를 걸었다. 1957년에 만들어진 IAEA는 원자력 확산을 관리하는 것이 주된 목적이었다. 그렇지만 상당한 시간이 경 과한 다음인 1970년에야 핵확산방지조약(NPT)을 만들게 되었다. 핵무기 확산을 억제하면서도 원자력의 상업적 이용을 확산시킨다는 주장은 신화였다. NPT 조약 발효 시기인 1970년에 핵 무기 보유국은 제2차세계대전의 전승국이었다. NPT체제는 5대국을 핵보유국으로 인정하고, 그 밖의 국가들에게는 핵무기 보유를 확대하지 않는 목적으로 한 체제였다. 즉 핵발전소 기술 을 갖고자 하는 나라는 NPT에 참가한 나라들로부터 핵사찰을 받으면서 군사적으로 전용하지 않겠다는 것을 조건으로 핵 기술의 이전을 인정한다는 것이다. 32) 그렇지만 핵발전소 기술을 갖고 핵무기를 개발한 나라들이 생겼다. 1960년대 말에 이스라 엘(100기 추정), 1970년대에 인도, 1980년대에 남아프리카공화국(후에 핵무기 폐기), 1990년 대 파키스탄, 2000년대 북한 등이다. 특히 이스라엘과 인도는 NPT에 가입하지 않았기 때문에 핵무기 개발을 통제할 수단이 없다. 이렇게 핵무기 개발이 전 세계로 확산되고 있는 사실이 미 국과 소련이 핵에 대한 통제 로 핵을 평화적 이용에 제한할 수 있다는 생각이 신화에 불과하 다는 것을 보여준다. 핵발전소 기술과 핵무기 기술은 동전의 양면과 같기 때문에 정치적 의지 에 따라서 어느 쪽으로든 전환할 수 있다. 33) 5. 원자력은 안전하다 는 신화 1999년 9월 30일 일본 토카이무라의 JCO 우라늄 가공공장에서 일어난 임계사고는 일본 인들에게 큰 충격을 주었고, 원자력산업과 정부의 원자력정책의 근간을 뒤흔들어 놓았다. 정부 의 사고조사위원회의 최종보고서의 결론은 이른바 원자력의 안전신화 나 관념적인 절대안전 이라는 말은 이제 폐기하지 않으면 안 된다. 는 것이었다. 1950년대와 1960년대에도 각각 대 형사고가 있었지만 1970년대부터 2000년에 이르는 기간은 원자력의 안전신화가 무너지는 과 정이었다. 1975년 미국 정부가 구성한 원자로의 안정성 연구 의 랏스무센 보고서 에 의하면 핵발전소의 사고 확률은 양키스타디움에 운석이 떨어질 확률보다 낮다 고 했다. 34) 1979년 미 국 쓰리마일아일랜드 핵발전소의 노심이 크게 붕괴되어 많은 사람들이 방사능에 피폭되는 대 형사고(5등급: 핵발전소 외부에 위험이 번지는 사고)가 일어났다. 1986년의 소련 체르노빌 핵 발전소 참사(7등급: 심각한 사고), 1999년 일본 JCO 임계사고(4등급: 핵발전소 외부에 큰 위 험이 없는 사고), 2011년 후쿠시마 핵발전소 폭발사고(7등급) 등이 연이어 일어났다. 핵발전소 의 사고율이 백만분의 일이라는 주장은 신화, 허구라는 것이 연이은 사고로 입증되었다. 일본 정부와 도쿄전력은 JCO 임계사고(1999) 이후에도 핵발전소의 안전신화 에 의거해 다카기가 제기했던 문제들에 대해 대비책을 세우지 않았다가 2011년 후쿠시마 핵발전소의 폭발이라는 전 지구적 참사를 맞았다. 6. 원자력은 값싼 에너지를 공급한다 는 신화 원자력이 값싼 전력이라는 신화는 제일 먼저 미국에서 무너졌다. 미국에서 핵발전소가 시 작한 것이 1960년대였고, 본격적인 핵발전소 시대가 된 것이 1970년대 전반이었다. 그런데 이 31) 다카기 진자부로, 위의 책, 71-80. 32) 다카기 진자부로, 위의 책, 84-87. 33) 다카기 진자부로, 위의 책, 88-93. 34) 다카기 진자부로, 위의 책, 99-101. - 29 -

신화가 무너진 것은 쓰리마일아일랜드 사고가 일어난 1979년 이전이었다. 1974년을 정점으로 핵발전소 신규 발주가 급감하기 시작했다. 사고가 난 1979년 이후는 신규 발주가 없었다. 미 국에서는 핵발전소가 상업적으로 운영되면서 핵발전소의 비경제성이 명확해지면서 핵발전소는 발주 취소가 늘어나거나 중지하는 추세가 1970년대 중반부터 형성되었다. 원자력은 값싼 전 력/에너지 라는 신화가 시장경제의 장에서 붕괴되었다는 점은 핵발전소가 처음부터 시장경제논 리로부터 벗어난 것임을 보여준다. 35) 이는 핵발전소가 처음부터 정치적 결정에 의해 시작되었 다는 주장을 뒷받침한다. 7. 원자력은 깨끗한 에너지 라는 신화 원자력이 청정 에너지 라는 신화는 1980년대 말부터 문제가 된 지구온난화와 관계가 있 다. 이산화탄소 배출에 의한 지구온난화를 방지하는 데 원전이 좋다 해서 세계적으로 원자력산 업이 강력한 캠페인을 전개했다. 그런데 일본의 경우 전체 이산화탄소 배출량에서 에너지전환 부문(발전 부문)이 차지하는 비율이 6.8%에 불과하다. 정부가 지구 온난화 방지를 위해서 화 력발전에서 핵발전으로 전환하고자 하지만 핵발전소의 비율이 50%로 오르더라도 전체 이산화 탄소 배출량에 주는 영향은 적다. 즉 핵발전소시설 용량의 증가와 이산화탄소 배출량의 현저한 감소 사이에는 상관관계가 거의 없다. 기본적으로 이산화탄소가 증가하든 감소하든 현대사회가 석유에 심각하게 의존하고 있다는 사실을 증명하고 있다. 거꾸로 핵발전소를 늘리는 정책이 전 체적으로는 에너지 소비와 전력 소비를 증대시키는 경향을 조장하고, 이산화탄소 배출을 증대 하는 방향으로 나아간다. 36) 8. 원자력 신화 를 떠받치는 비뚤어진 과학 게일 그린은 원자력산업이 막대한 비용, 비효율성, 초대형 사고들로 지난 세기말 파탄을 맞고도 부활에 성공한 것은 우리 시대의 경이로운 일 중의 하나 라고 했다. 체르노빌 핵참사는 북반구 전체를 방사능으로 오염시켰지만 핵에너지는 여전히 깨끗한 것으로 통하게 되었다. 이런 일종의 마술 은 원자력산업을 뒷받침하는 냉전 과학 과 주요 언론의 활약덕분이었다. 37) 미국 에너지부는 극소량 의 방사선은 아무런 건강상 위험 이 없다고 확언했다(뉴욕타임즈, 2011. 4. 5). 방사선영향연구소(RERF) 소장인 에반 더플은 매우 적은 노출량에서는 위험 역 시 매우 적다 고 했다(뉴욕타임즈, 2011. 4. 5). 방사선영향연구소의 원래 이름은 원폭상해조 사위원회로 히로시마와 나가사키 원폭 투하 5년 뒤 생존자들에 관한 조사를 시작했다. 미국 원자력위원회의 막대한 재정지원 덕분에 방사선의 인체 건강에 미치는 영향에 대해 역사상 최 대, 최장의 연구가 원폭상해조사위원회에 의해 진행되었다. 그러나 이 데이터와 정면으로 충돌되는 연구 결과가 앨리스 스튜어트에 의해 나왔다. 앨리 스는 임산부에 대한 엑스선 촬영이 소아암 발병률을 2배로 증가시킨다는 사실을 1956년에 발 견했다. 앨리스는 히로시마 데이터가 방사선의 발암 영향에 관한 이후의 추정들과 방사선이 암 이외에 면역체계 손상, 저항력 약화, 심장질환, 유전적 손상 등에 관한 추정을 왜곡시켰다고 비판했다. 히로시마 데이터의 치명적 약점은 핵폭발 후 5년 뒤의 조사연구라는 점과 연구에 자발적으로 참여한 사람들의 상당수가 건강한 사람으로 이미 사망한 자들은 원천적으로 배제 되었고, 원폭으로 고통받는 피해자들의 참여가 제한적이었다는 점이다. 일본 의사들과 과학자 들이 원폭 피해를 보고하려 했으나 보고서를 모두 미군 당국에 제출하도록 명령이 내려졌고, 일본 의학 학술지들은 미군정 기간(1945-1952) 원자력 문제에 있어서 엄중한 검열을 받았다. 뉴욕타임즈는 히로시마 폐허에 방사능 없음 이라는 머리기사를 보냈다(1945. 9. 13). 이런 보 도의 배후에는 방사선 위험을 축소해야 하는 정치적 동기가 있었다. 국무부 대변인 윌리엄 테 35) 다카기 진자부로, 위의 책, 120-122. 36) 다카기 진자부로, 위의 책, 151-155. 37) 게일 그린, 비뚤어진 과학-체르노빌과 후쿠시마 이후의 원자력산업 녹색평론 제123호(2012년 3-4월), 118-126. - 30 -

프트는 저선량 방사선이 위험하다는 잘못된 인상 은 국방부의 핵 추진 프로그램 전반에 심 각하게 손상을 줄 가능성을 갖고 있다... 그것은 민간 원자력산업에도 영향을 끼칠 것이다. 이 렇게 정치적 동기에 의해 지지되는 RERF 데이터가 원자로 인근의 암 다발 증거와 체르노빌 연구결과를 묵살하기 위해 인용되고 있다. 방사선의 내부피폭을 처음 인식한 사람은 나가사키에 투하했던 핵무기를 만들었던 과학자 오펜하이머와 페르미였다. 그들은 핸포드에서 작업 후 의사들에게 킬레이션이라는 링거를 맞았 다. 이 링거는 몸 안의 중금속을 배출시키는 치료제였다. 그런데 방사선에 의한 인간의 내부피 폭에 대해 국제방사선방호위원회(ICRP)의 견해와 유럽의 과학자단체인 유럽방사선리스크위원 회(ECRR)의 견해 사이에 큰 차이가 있다. 즉 1945년부터 1989년 사이에 방사선 피폭으로 사 망한 사람의 숫자를 ICRP는 117만 명으로 보는데 반해 ECRR은 6,160만 명(어린이 160만 명, 태아 190만 명 포함)으로 보고 있다. 이러한 차이에 대해 판단할 근거를 제시할 중요한 사 례가 있다. 핵무기를 처음 만들었던 맨해튼계획은 에너지부로 이름이 바뀌었지만 주요업무는 핵무기 개발과 제조로 컬럼비아 강을 끼고 있는 핸포드 에어리어에서 원자로 9기가 건설되었 고, 조업 정지시기까지 25,000개의 핵탄두를 만들 수 있는 플루토늄을 생산했다. 미국정부가 1987년 비밀해제에 따라 공개한 서류에 의하면 9기의 원자로가 평상시에 배출한 방사선의 총 량은 스리마일섬 사고 때 나온 방사선 총량의 1만 배에 해당하는 엄청난 양으로 미국은 최대 피폭국가였다. 핸포드 지역은 본래 광활한 사막지대였는데 2차대전과 한국전쟁 참전병사들에 게 땅을 갖게 하기 위해 개발되어 곡창지대로 변했다. 여기에 이주해 살던 이주민의 아들 톰 베일리(1947년생)는 5살 때 원인불명의 큰 병을 앓았다. 아버지는 골암으로 사망했다. 초등학 교 친구들의 절반이 원인모를 병으로 사망했다. 톰은 자기 집 부근 1마일을 죽음의 1마일 로 불렀다. 주변 주민들에게 나타난 이상 현상은 갑상선 장애, 쉽게 피로는 느끼는 체질, 눈이 없 는 아기 출산, 유산, 백혈병, 또는 때이른 사망이었다. 이는 방사선으로 오염된 땅에 살고 거기 서 난 작물을 먹고 있는 주민들에게 먹이사슬에 의한 미량 방사성물질이 수백 만 배나 농축되 었기 때문이었다. 감독관이었던 케이시 루드의 내부고발에 의해 핸포드 핵시설은 플루토늄 생 산을 영구중단하게 되었다. 미국 정부가 14년간 방사성 오염을 제거하는 정화작업을 벌였지만 성과는 전체의 0.3%에 불과하며 지하오염은 컬럼비아 강으로 계속 흘러가고 있다. 연간 정화 작업 예산은 2,000억 달러였다. 곡창지대인 핸포드에서 나오는 방사성 오염된 농산물이 패스 트푸드 산업계와 일본 상사를 통해 세계로 수출되고 있다. 38) 저선량 방사선의 위험에 대해서는 앨리스 스튜어트가 이미 1950년대부터 경고해왔다. 1972년 캐나다 의사이자 생물학자인 에이브럼 페트카우는 세포막이 저선량 방사선에 의해 장 애가 발생한다는 실험결과를 발표했다. 이것은 과학계가 저선량 방사선의 부해성을 믿어온 것 이 틀렸음을 확증하는 실험 결과였다. 부드러운 킬러- 가면을 벗은 원자력발전소 라는 책 을 1972년에 출판한 랄프 그뢰브는 원자로가 방출하는 방사능 위험과 이 위험에 대해 정부기 관이 은폐하고 있음을 알리는 운동의 선봉에 서왔다. 기존의 입장에 섰던 미국 원자력위원회의 리버모어연구소의 고프만 박사와 템플린 박사는 1969년 지하 원자력발전소에 관한 상원 공청 회에서 상업용 원자력발전소가 일반 대중을 향해 방출하는 방사선 허용선량 1.7밀리그레이가 미국에서 암 사망자를 연간 32,000명 증가시킬 것이라고 증언했다. 페트카우가 1972년 발표 한 논문에 의하면 수백 그레이의 방사선량에도 견딜 수 있는 세포막이 장시간 지속되는 10밀 리그레이 이하의 방사선에 의해 파괴된다고 했다. 이는 방사선에 의한 생물학적 장애에 대한 기존 견해들과 완전히 상반되는 사실이었다. 즉 세포막 파괴와 관련해서는 장기간의 저선량 방 사선이 단기간의 고선량 방사선보다 비교할 수 없이 강력한 효과가 있다는 것이다. 발암 위험 은 저선량에서 급증하고, 고선량에서 완만하게 된다. 뿐만 아니라 핵발전소가 산성비, 지표면 의 오전, 삼림의 죽음을 초래한다는 증거를 랄프 그뢰브는 제시한다. 39) 38) 가마나카 히토미, 방사능 내부피폭의 위협 녹색평론 제120호(2011년 9-10월), 130-141. 39) 어네스트 스턴글래스, 저선량 방사선의 위험 녹색평론 제120호(2011년 9-10월), 162-174. - 31 -

VII. 핵발전소와 핵무기에 대한 문명사적, 성서적, 신학적 비판 1. 핵발전소와 핵무기에 대한 문명사적 비판 히로시마에 투하된 원자폭탄은 20세기 세계사의 핵분열 로 이 전대미문의 사건에 대한 기억은 역사의 폐허 속에서 인류 문명이 앞으로 어디로 나아갈지, 그 향방에 대한 모색이 되었 다. 1995년 미국항공우주박물관은 원폭 50주년을 맞아 히로시마 원폭 투하에 사용되었던 폭 격기 에놀라 게이(Enola Gay)호를 기념하는 대대적인 전시를 하되 가능한 한 객관적으로 보여 주고자 했다. 이런 기획은 엄청난 비난 여론에 직면했다. 미국 재향군인회는 자신들의 거룩한 희생을 박물관이 모욕했다고 성토했고, 연방의회도 원폭 투하의 역사적 정당성에 손상을 입히 는 수정주의에 비판의 목소리가 나왔다. 이렇게 미국의 공론이 원폭 투하에 대한 반성은커녕, 중립적인 평가조차도 허용하지 않고 있음을 시사해준다. 원폭은 이미 민족의 신화의 일부가 되 었으므로 일부 전문가들의 사실 규명만으로는 그 원위를 무너뜨릴 수 없다. 오늘날까지도 미 국에서 원폭에 대한 기억은 여전히 자랑스러운 승리 의 기억으로 남아 있으며 이에 대한 수 정 은 사회적으로 불가능한 실정이다. 일본의 경우 히로시마 평화기념공원은 원폭을 피해자 의 관점에서 다룬다. 12세에 숨진 사사키 사다꼬를 기리는 원폭 어린이 상 이 있는 데 천 마리 학의 탑 이라고도 불린다. 이 어린이 상이 말하는 것은 무엇인가? 어린 소녀는 아무런 죄가 없다. 죄는 어른들의 것이다. 어른 모두의 죄! 그것은 결코 누구의 죄도 아니다. 평화기념 공원은 피해자를 단일화하고 가해자도 단일화함으로 결국 피해자와 가해자의 구분마저도 흐려 버리고 만다. 그렇지만 원폭이 투하될 때까지 반세기에 걸쳐 히로시마는 아시아 침략의 거점 으로 크게 번성했다... 원폭으로 폐허가 된 이후 히로시마시는 국제적으로 평화도시 로 간판을 바꿔 달았지만 그것에는 여전히 육상자위대 제13여단 사령부가 버젓이 자리잡고 있으며 히로 시마만의 해안선은 각종 군사기지와 군수공장으로 빽빽이 들어차 있다... 히로시마만에서는 이 처럼 평화와 재무장이 교묘하게 결합하고 있다. 40) 핵폭탄 투하와 핵발전소 사고로 인해 발생한 인류 문명의 위기 앞에서 인류는 갈림길에 서 있다. 미국과 일본은 히로시마와 나가사키에 대한 기억에 있어서 정반대 입장에 있는 것 같 지만 문명의 위기를 심화시킨다는 점에서 동일하다. 문명의 위기의 심화와 관련해서 국가의 문 제와 시민의 문제를 생각해보자. 철학자 다카하시 데쓰야는 국가의 문제로 국가가 국민을 속인 다는 점, 국가가 국민(피폭자)을 내버린다는 점, 국가가 국민 이외의 존재(한국인, 재일 조선 인)를 무시한다는 점을 제시했다. 그는 원전 시스템을 희생의 시스템 이라 했다. 이 시스템은 타인의 생활이나 생명, 존엄 등을 희생한 위에서만 이익을 내고 유지될 수 있는 시스템입니다. 여기서 이익을 취하고 유지하는 자들은 결국 국가권력이나 자본입니다. 41) 한편 전후 50주년 을 맞아 NHK방송문화연구소에서 히로시마와 나가사키에 원폭을 투하한 것이 정당했나에 대한 한미일 세 나라 시민을 대상으로 설문 조사를 했다. 정당했다는 응답이 일본은 10%, 미국은 60%, 한국은 80%였다. 한국 시민들이 가장 원폭 투하의 정당성을 지지하는 이유에 대해 역사 학자 한홍구는 다음과 같이 설명했다. 미국에서는 원폭 투하를 통해 수많은 미국인의 생명을 구할 수 있었다는 논리로 투하를 정당화합니다. 그런데 한국은 원폭 덕분에 일본의 지배에서 벗어났다고 했으니 훨씬 더 강력한 지지 논리가 퍼진 셈이죠... 원폭 때문에 하루아침에 히로 시마에서 조선인 3만 명이 죽었다는 얘기는 꺼낼 여지조차 없을 정도지요. 그런 점에서 한국 은 수만 명의 피폭자를 낸 피해국가이자 동시에 원폭을 가장 잘 정당화하는 나라라고 할 수 있습니다. 42) 예술가 서경식은 한국과 일본이 전쟁과 방사능 오염이라는 공동의 위협 앞에 있 지만 근대를 재고찰하기 위해 공통 텍스트를 토대로 각자의 관점을 나눌 필요가 있고, 양국이 40) 전진성, 위의 글, 234-239. 41) 한홍구, 서경식, 다카하시 데쓰야 좌담, 이령경 책임번역, 후쿠시마 이후의 삶: 역사, 철학, 예술로 3 11 이후를 성 찰하다 (서울: 반비, 2013), 75-77. 42) 위의 책, 102. - 32 -

어떤 만남을 가져왔고 그 만남을 통해 어떻게 자아 형성을 해왔는가를 돌아보는 것 과 각자 의 국가 안에서 근대적 아이덴티티를 형성해가는 과정에서 그 텍스트가 어떤 식으로 왜곡, 망 각되어 왔는지를 반성해야 한다고 했다. 43) 끌 수 없는 불 을 켜고 뒷감당을 못하는 인류, 핵폭발로 지옥의 문 을 연 인류는 그 이 전 인류 역사가 직면하지 못한 새로운 시대의 문제와 직면하고 있다. 이러한 위기는 국가의 위 기, 시민의 위기, 근대의 위기, 아이덴티티의 위기를 넘어서서 인류 문명 자체의 위기에 대해 성찰하지 않으면 안 된다. 위기의 근저에는 거짓이 있다. 16세의 여고생은 <진실>이라는 글에 서 정치가도 국가도 매스컴도 전문가도 원전의 상층부도 모두 적입니다. 거짓말쟁이입니다... 청춘을 보내야 할 학교가 시체 안치소가 되고 말았습니다. 44) 이 거짓은 어디로부터 오는가? 문명을 가져온 계몽의 빛 은 분명 야만적 학살을 몰고 올 핵의 빛 도 만들어 낸다는 역설 에 서 오고, 한도(한계)를 모르는 것에서 온다. 45) 학문의 역할은 한도를 발견하는 것이다. 원자폭 탄이나 전쟁은 한도를 모르는 데서 비롯되었다. 원전도 마찬가지다. 원자물리학자 다케다니 미 쓰오는 지진이 일어나고 해일이 일어나는 일본에 원전을 많이 만들어도 좋은가 질문했다. 이 질문에 응답하지 않은 가운데, 일본인 위로 떨어진 이 원자폭탄에 관해 우리는 응답하지 않은 채 지나왔다. 그 공백의 시간에 이번 지진, 해일, 원자로 파괴가 일어났다... 문명의 난민으로서 일본인이 여기에 있음을 자각하고 문명 자체를 되묻는 방향으로 옮겨 가고 싶다. 46) 후쿠시 마 원전 사고 이후 우리는 우리의 문명 자체에 대해 물어야 한다. 많은 동포를 위험에 빠뜨리 는 원자력 에너지를 사용하면서까지 현재의 생활수준과 경제수준을 유지해야 하는지를 따져 봐야 할 일이다... 그걸 원해야 한단 말인가. 거꾸로 말할 수 있다. 기술은 인간의 의혹 따위 는 무시하고 자기운동하고 자기전개 하는 것 같다. 47) 그렇다면 인간이 이런 기술에 한계를 두지 않는다면 그런 문명은 지속가능 할 수 없다. 그리고 미래와의 관계를 제대로 맺지 않는 문명도 지속가능하지 않다. 저는 줄곧 과거와 제대로 관계를 맺지 않으면 미래는 보이지 않는 다고, 미래를 만들 수 없다고 주장해 온 인간입니다... 이번 원전 사고를 대하면서 진정 과거 와의 관계와 아울러 미래와의 관계도 중요하다고 느꼈습니다. 48) 근대문명은 과학과 기술의 진보를 토대로 무한한 성장을 지향해왔다. 그 결과 인류에게 지옥의 문이 열렸고, 끌 수 없는 불 을 켰다. 이제 인류 문명이 살아남으려면 학문이나 기술에 한계가 있음을 자각하고 실천해 야 한다. 현재는 과거에 의해서만 규정되는 것이 아니고 미래에 의해서도 규정되어야 한다. 우 리의 생활수준도 편리함과 무한한 소비를 지향해서는 안 된다. 생활수준과 경제수준의 한계를 원자력 에너지를 사용하지 않는 것으로까지 맞춰야한다. 2. 핵발전소와 핵무기에 대한 성서적 비판 1) 하늘의 불(핵발전)을 땅에서 켜면 안 된다(욥기 38,31-33) 49) 다카기 진자부로의 결론은 원자력은 끌 수 없는 불이라는 것이다. 실제로는 죽음의 재 가 아니라 벌건 숯불 이다. 죽음의 재에서는 방사능과 열의 형태로 에너지가 방출된다. 세슘은 30년이 지나야 1/2이 된다. 플루토늄은 반감기가 2만 4천년이다. 방사능의 불은 두더지 놀이 처럼 하나가 꺼지면 다른 게 켜져서 끌 수 없는 불이라고 한다. 이처럼 원자력의 문제는 켜고 싶을 때 켤 수 있지만 끄고 싶을 때 끌 수 없다는 점에서 빵점짜리 기술이다. 그런데도 각국이 이 원전을 고집하는 것은 원자폭탄을 이용한 국가안보를 빌미로 하는 것과 원자력산업관계자 43) 위의 책, 251. 44) 쓰루미 슌스케 외 지음, 윤여일 옮김, 사상으로서의 3 11: 대지진과 원전 사태 이후의 일본과 세계를 사유한다 (서울: 그린비, 2012), 38-39. 45) 사사키 아타루, 부서진 대지에, 하나의 장소를 사상으로서의 3 11, 58. 46) 쓰루미 슌스케, 일본인은 무엇을 배워야 하는가 사상으로서의 3 11, 84-85. 47) 기다 겐, "인간은 이미 기술을 어찌할 수 없는가? 사상으로서의 3 11, 113-114. 48) 가토 노리히로, 미래로부터의 기습 사상으로서의 3 11, 125. 49) 다카기 진자부로, 생명의 자리에서 원자력발전을 생각한다 녹색평론 제118호(2011년 5-6월), 86-100 다카기 진자부로 지음, 김원식 옮김, 시민과학자로 살다 (서울: 녹색평론사, 2011) - 33 -

들의 이해관계이다. 다카기가 깨달은 것은 원자력은 땅의 불이 아니라 하늘의 불이라는 점이 다. 밤에 별이 반짝 빛나는 것은 원자의 불이 타다 일으키는 핵분열이다. 지구의 나이가 45억 년인데 그 중에 10억년 정도는 방사능이 식는 데 필요한 시간이었다. 이 지구상에서 방사능과 생물은 공존할 수 없다는 게 창조 섭리다. 하늘의 불을 훔친 것이 인간의 교만이요, 탐욕인 것 이다. 그는 인간의 원자력 이용을 욥기 38장 31절-33절 본문과 관련짓는다. 네가 북두칠성의 별 떼를 한데 묶을 수 있으며, 오리온 성좌를 묶은 띠를 풀 수 있느냐? 네가 철을 따라서 성좌 들을 이끌어 낼 수 있으며, 큰곰자리와 그 별 떼를 인도하여 낼 수 있느냐? 하늘을 다스리는 질서가 무엇인지 아느냐? 또 그런 법칙을 땅에 적용할 수 있느냐? (표준새번역) 다카기의 해석 은 네가 천상의 운행법칙을 결정하고 지상의 자연법칙을 만들었느냐? 하나님께서 너희 인간 은 하늘의 법칙을 아느냐고 물으셨다. 하나님은 너희가 이렇게 교만해졌는데 하늘의 이치를 아 느냐고 물으셨다. 인간은 피조물의 일부분이지 피조물의 지배자가 될 수 없다는 말씀이다. 환 경위기라고 말하지만 사실은 인간의 위기이다. 원자의 안정을 지켜야지 그것을 에너지로 전환 시키려면 인류와 피조물은 반드시 죽을 수밖에 없게 된다. 이제 인류가 사는 길은 원자의 안정 을, 하늘의 불을 지상에 켜지 않도록 하는 것을 삶의 원칙으로 정해야 한다. 창조질서를 보전 하는 것은 인류에게는 하늘의 불인 원자력을 땅에서 켜지 않는 것이다. 즉 이 땅에서 핵발전소 를 멈춰야 한다. 2) 선악과와 원죄로서의 핵발전소(창3장) 50) 장회익은 인간이 더 큰 에너지를 얻기 위해 핵발전소를 이용하는 것을 선악과를 따먹은 원죄 행위에 비유했다. 인간(생물)과 핵 연쇄반응(방사능)은 전혀 공존할 수 없다. 왜냐하면 방 사능의 에너지는 너무도 큰 것이어서 방사능과 마주치는 모든 생명을 그대로 분쇄하기 때문이 다. 한마디로 인간과 핵물질(방사능)은 서로가 서로를 배척하는 상극 이다. 인간은 이러한 핵 물질을 엄청난 노력을 들여 매우 어렵게 만들어냈다. 그 동기는 매우 불순하다. 핵무기는 더 큰 힘으로 상대를 제압하려는 것이고, 핵발전소 또한 더 많은 에너지를 얻기 위해 자연 생태계 를 더 크게 제압하려는 욕심에서 온 것이다. 핵발전소의 사고는 부주의나 우연히 일어나는 것 이 아니라 필연이다. 사고가 나지 않더라도 사고에 못지않은 비극을 초래한다. 핵발전소는 생 명과 핵반응이라는 극단적 상극의 세계를 완벽히 차단하면서도 그 사이에 연결통로를 내어 에 너지를 빼내야 하는 모순적 상황을 현실화해야 하는 장치이다. 그리고 이 모든 장치는 핵(방사 능) 앞에서는 붕괴되는 것이므로 완벽한 차단 자체가 불가능 할 뿐 아니라 일단 이에 접촉된 물질 또한 핵 위험을 지니는 존재로 변모하는 성격을 갖는다. 그러니까 핵발전소를 운영하면서 완벽한 안전이란 원론적으로 불가능한 장치를 현실적으로 운영하겠다고 하는 모순적 시도이다. 원자로의 페기로 핵발전소의 사용이 끝나는 것이 아니라 방사능의 효력이 끝날 때까지 수 천 년, 혹은 수 만 년 (10만 년) 동안 관리를 지속해야 한다. 이것은 인간에게는 불가능한 일 이다. 설사 10만 년 간 사고가 나지 않았다 하더라도 우리의 후손들이 자신들이 사용하지도 않았던 핵발전소 폐기물로 인해 그 오랜 기간 동안 긴장상태를 유지하며 방사능에 대한 불침 번을 서야 하는 것은 그들에게 천형과 같다. 장회익은 생명과 공존할 수 없는 핵물질의 연쇄반 응을 인위적으로 만들어 낸 행위를 성경에 나오는 원죄 라고 이해한다. 장회익은 교리적으로 원죄를 이해하지 못했는데 핵물질의 연쇄반응을 만들어내는 인간의 행위를 보면서 원죄 이외 에 다른 수식어를 찾을 수 없다고 했다. 에덴동산에서 절대로 먹어서는 안 되는 선악과는 먹으 면 죽게 된 것이었다. 하나님이 만드신 정원(세상)에서 절대로 가까이 해서는 안 되는 것, 가까 이 하면 반드시 죽는 것이 핵물질 연쇄반응이다. 이 나무에 달린 매혹적 열매가 ( 무한한 ) 에 너지이다. 이 열매는 죽음의 열매이다. 이것을 먹고도 죽지 않는다면, 이것이 원죄 로 남아 수 백, 수 천 세대의 후손들에게 그 죄 값이 넘어간다는 이야기이다. 50) 장회익, 핵에너지 문제 어떻게 볼 것인가? 한국기독교교회협의회 생명윤리위원회/탈핵교수모임, 탈핵과 윤리 (2012년 2월 3일, 미간행 자료집), 5-8. - 34 -

3) 레비아탄으로서의 핵발전소(핵 산업체제, 욥41장) 51) 기독교사회윤리학자 강원돈은 핵 산업체제를 욥기 41장에 등장하는 레비아탄에 비유한다. 근대적 세계관은 자연에 대한 지식을 습득하여 자연을 지배하고 착취하는 것을 바탕으로 하고 있다. 문제는 이 지식이 자연에 대한 극도로 편협한 이미지에 사로잡혀 있다는 데 있다. 자연 은 다양한 생명체들과 무생명체들이 서로 의존하고 영향을 주고받는 복잡한 망상구조를 이룬 다. 그런데 서구과학은 자연의 일부를 임의로 변화시키고 자연의 유기적 연관을 부인하고 파괴 하면서 인간의 일방적 지배와 착취에 바탕을 둔 문명을 발전시켰다. 후쿠시마 핵발전소의 위치 선정은 지진대라는 지질학적 특성을 고려해서 결정된 것이 아니었다. 후쿠시마 핵발전소의 노 심융해로 인한 재앙은 핵산업을 주도하는 사람들의 지식전문가주의가 얼마나 치명적인 이데올 로기인지를 잘 보여준다. 후쿠시마 대재앙을 통해 문명의 건강성과 안정성을 유지하기 위해서 인류는 만물의 유기적 연관에 대해 자신을 열 수 있는 감수성과 이에 바탕을 둔 생태학적 지 혜가 필요하며, 위험의 발생을 예방하고 관리할 수 있는 능력을 갖춰야 한다. 이 때 위험의 범 위는 현재 뿐 아니라 미래를 포함해야 한다. 즉 핵폐기물이 미래세대에 끼치는 영향을 먼저 성 찰한 후 현 세계에서 핵발전소 폐기 여부를 결정해야 한다는 입장이다. 세상이 하나님 나라에 대해 투명해야 한다는 종말론적 시각은 하나님의 미래가 인간의 기술적 능력 너머에 있음을 강조한다. 바꿔 말하면 인류가 현재 도달한 기술적 능력과 거기서 비롯되는 권력을 제한하지 않고서는 미래 세대가 누려야 할 존재의 권리는 부정될 수 있다. 후쿠시마 대재앙 이후 많은 국가들이 핵 산업정책을 포기할 것으로 예상했지만 미국을 비 롯해 프랑스, 중국, 한국 등은 핵 산업정책을 고수하고 있다. 국가 엘리트들과 산업 엘리트들 의 이런 태도를 취하는 것은 이들이 공중의 권세(엡2,2)를 잡고 있는 장본인들이기 때문이다. 이들은 과학과 기술, 자본과 권력이 서로 유기적으로 결합하여 형성한 과학기술체제의 주인공 들이다. 핵 산업은 이러한 과학기술체제의 핵심이다. 이 체제는 과학자들과 기술자들, 자본가 들, 정치인들, 과학기술지상주의를 선전하는 지식인들, 여론 매체들로 구성된 거대한 네트워크 권력체제이다. 국가기구들과 여론매체들이 핵 산업과 더불어 이익 카르텔을 형성하고 있기 때 문에 체르노빌 핵 재앙 이후에도 핵 산업은 소멸하지 않고 생존하고 있다. 강원돈은 이러한 핵 산업이 욥기 41장에 등장하는 레비아탄을 연상하게 한다고 했다. 레비아탄을 보는 사람은 쳐 다보기만 해도 기가 꺾이고 땅에 고꾸라진다. (9절, 표준새번역)고 하고, 그것에 덤벼들고 그 어느 누가 무사하겠느냐? 이 세상에는 그럴 사람이 없다. (11절)고 개탄한다. 또한 땅 위에는 그것과 겨룰 만한 것이 없으며, 그것은 처음부터 겁이 없는 것으로 지음을 받았다. 모든 교만 한 것들을 우습게보고, 그 거만한 모든 것 앞에서 왕 노릇을 한다. (33-34절)고 했다. 이제 그 리스도인들은 하나님을 부정하는 핵 산업 체제를 하나님의 이름으로 거부하든지, 하나님을 거 부하고 핵 산업 체제인 레비아탄에게 머리를 조아리든지 선택해야 한다. 만물에 대한 하나님의 주권을 고백하는 그리스도인들은 핵 산업 체제를 해체하여 핵 과학과 기술을 자본과 권력의 손에서 벗어나 하나님의 통치 아래 두도록 해야 한다. 그럴 때만이 세계가 핵 산업의 독재체제 로부터 벗어나 생명과 정의와 평화가 깃든 세계를 향해 나아갈 수 있을 것이다. 4) 하나님과 맘몬을 동시에 섬길 수 없다(마6,24) 하나님과 재물을 동시에 섬길 수 없다는 말씀(마6,24)은 무엇일까? 하나님의 창조질서 보 전을 위해서는 하늘의 불을 꺼야 하는데 이를 끄지 못하게 하는 것이 인간의 돈에 대한 숭배, 탐욕이다. 원전이나 방사능 페기물저장소는 인간이 정상적인 상황에서는 유치하려 하지 않는 다. 그러니까 엄청난 재정지원을 한다. 세계 최대 밀집 핵발전소가 울진이다. 현재 6기가 가동 중인데 4기를 더 짓는다. 7, 8, 9, 10호기 하면 너무 많다는 게 금방 드러나니까 신울진 1, 2, 51) 강원돈, 기독교 책임윤리에서 본 핵 산업의 문제 한국기독교교회협의회 생명윤리위원회/탈핵교수모임, 탈핵과 윤리 (2012년 2월 3일, 미간행 자료집), 19-25. - 35 -

3, 4호기라고 이름을 붙였다. 뿐만 아니라 세계에서 최초로 고준위방사능 물질 폐기장을 울진 에 건설하려 한다. 고준위 방사능 폐기물은 최소 10만년을 보관해야 하는데 인간이 지닌 데이 터에는 그 지역 지질이 10만년 동안 어떻게 움직였는지에 대한 자료가 없다. 그러니까 인간이 절대로 지을 수 없는 게 고준위 방폐장인데 정부는 막대한 보상금과 지원금으로 울진 주민들 을 현혹시켰다. 처음 방폐장이 들어서면 3000억 플러스 알파라고 했다. 현재 울진에는 매년 수백 억 원의 지원금이 들어오고 있다. 신규 핵발전소를 두기 더 짓고 있기 때문에 특별지원금 1200억 원을 더 받고 있다. 그런데 우리나라 10대 지진 중 2위와 8위가 울진에서 났다. 돈으 로 우리 영혼을 팔고, 우리 자손을 팔고, 우리 땅을 팔면 우리에게 무엇이 남을까? 오늘 우리나라는 후진국 중 민주화와 경제성장을 이룬 유일한 국가이다. 21세기에 우리는 어디로 갈 것인가? 하나님께서 하늘에 만들어 두신 하늘의 불을 이 땅으로 가져 오는 것은 하 나님의 창조질서를 거스르는, 하나님의 뜻에 저항하는 반신앙( 反 信 仰 ) 행위이다. 정말로 미래 세대와 함께 가는 교회가 되려면 우리의 자녀세대, 손자손녀 세대가 살 수 있는 최소한의 토대 를 만들어 줘야 한다. 미래 세대는 방사능과 더불어 생존할 수 없다. 세상 재물, 맘몬 우상숭 배를 멀리하고, 오직 하나님을 경외하는 신앙으로 창조질서를 보존하고, 미래 세대에게 하나님 의 피조물을 그대로 물려주도록 우리 가치관과 세계관, 경제관, 삶의 방식과 문명 방식에 대해 반성하고 회개해야 한다. 5) 죽음/스올과의 계약(사 28,14-18) 본문은 이스라엘 지도자들이 하나님을 의지하지 않고 강대국 앗시리아와의 동맹관계를 맺 어 기득권을 지키려 한 것을 죽음과 계약한 것으로 비판하고 있다. 그들은 죽음과 계약을 맺었 기 때문에 위기의 순간에 거짓말로 위기를 모면하고, 속임수를 써서 몸을 감출 수 있고, 재난 이 닥쳐도 안전하다고 확신했다. 그렇지만 주님은 시온에 세우신 주춧돌(메시야)을 통해 사람 을 시험하실 것이다. 정의의 왕, 평화의 왕인 메시야를 의지하는 사람은 공평과 공의의 잣대에 흔들리지 않을 것이다. 그렇지만 거짓말로 위기를 모면하고 속임수로 몸을 감춘 사람은 물(자 기들이 의지하려 했던 앗시리아, 세상 권력)에 떠내려 갈 것이다. 그래서 죽음과 그들이 맺은 계약은 깨지고 파기될 것이다. 재앙이 올 때에 죽음과의 계약은 의지할 것이 되지 못하여 꼼짝 없이 당하고 말 것이다. 핵발전소는 우리가 이용할 수 있는 지상의 불이 아닌 하늘의 불이다. 창조질서에 어긋난 다. 방사성을 내뿜는 핵발전소는 생명과 공존할 수 없다. 마치 핵발전소가 죽음과 계약한 것처 럼 절대로 안전하다고 하지만 실제로 핵발전소로 인한 죽음을 막을 수 없다. 핵발전소는 선악 과처럼 먹으면 반드시 죽는다는 것이 하나님의 말씀이었지만 인간은 죽지 않고 오히려 삶을 풍요롭게 하고 문명을 발전시켜 줄 보암직하고 먹음직한 것으로 보았다. 화학물질과는 차원이 다른 방사선은 레비아탄처럼 지상에 겨룰 것이 없고 거만한 모든 것들 중에서 왕노릇하고 있 다. 그러나 방사선은 생명과 정의와 평화의 왕이 아니라 인류와 피조물에 죽음을 초래하는 죽 음의 왕이다. 핵마피아들은 인간으로 하여금 하나님을 경배하는 대신에 핵산업자본을 숭배하도 록 강요한다. 이러한 핵 우상숭배는 거짓으로 위기를 모면하려 하고, 속임수를 써서 몸을 숨기 며, 재난이 와도 안전하다고 주장하는 죽음과의 계약이지만 결과는 핵우상숭배자들은 재앙을 피하지 못하고 죽음을 맞게 된다. 3. 핵발전소와 핵무기에 대한 신학적 비판 1) WCC의 핵에너지에 대한 논의 WCC는 교회와사회분과를 통해 핵에너지 문제를 다뤘다. 1974년 루마니아 부쿠레슈티에 서 인간 발전을 위한 과학과 기술 이라는 제목으로 열린 회의는 과학에 기초를 둔 기술로 이 룬 세계에서 인간과 사회의 미래에 대한 WCC의 5년간 연구 결과를 다뤘다. 이 회의는 다섯 가지 주요 관심사를 제시했는데 이후 에너지 이슈와 관련한 에큐메니칼 토론의 방향을 설정했 - 36 -