제 4 여덟개의시구장, 11. 투쟁과논쟁경. 숫타니파타第 4 八つの詩句の章 11. 争いと論争の経 1. 毎田周一先生訳 862. 何処から闘争と論争と憂いと悲しみと利己心と傲慢と人に対する誹謗とが起こるのでしょうかそれがどこから起こるかをどうぞお教えて下さい 中村元先生訳 862 争闘と争論と悲しみと憂いと慳みと慢心と傲慢と悪口とは どこから現われ出たのですか? これはどこから起ったのですか? どうか それを教えてください 正田大観先生訳 869.(862) 対話者が尋ねた 諸々の紛争と諸々の論争は どこから発生したのですか しかして 諸々の物惜しみ の思い と共にある諸々の嘆きと憂いは さらには 諸々の中傷 の思い と共にある諸々の思量と高慢は それらは どこから発生したのですか どうか それを説いてください と (1) 1, 영문 04 Atthakavagga - 11 Kalahavivadasutta 1. Whence (do spring up) contentions and disputes, lamentation and sorrow together with envy; and arrogance and conceit together with slander, whence do these spring up? pray, tell me this.'
2, 영문 IV. (11) Of Contentions 862. Questioner ; " From whence arise contentions and disputes, Grief with laments and envy in their train. Pride and conceit with slander's tongue in wake? Whence uprise these? I prithee tell me that." 3, 영문 862. An Enquirer: Whence springs the seething mass of bickerings and strife, tears, grief, and selfishness, conceit, pride, calumny? Explain whence these proceed. 868. Kutopahūtā kalahā vivādā, 何処から生じたか 闘争は 論争は パーリ語原文 paridevasokā sahamaccharā ca; 悲しみ憂い と共に 物惜しみは また Mānātimānā sahapesuṇā ca, 慢心と過慢 と共に 両舌は また kutopahūtā te tadiṅgha brūhi. 何処から生じたかそれらはそれをどうか説いて下さい
제 4 여덟개의시구장, 11. 투쟁과논쟁경. 숫타니파타第 4 八つの詩句の章 11. 争いと論争の経 2. 毎田周一先生訳 863. 闘争と論争と憂いと悲しみと利己心傲慢と人に対する誹謗とは愛ゆえに起こる闘争と論争とは利己心に結びつき論争が起これば人を誹謗するようになる 中村元先生訳 863 争闘と争論と悲しみと憂いと慳 ( モノオシ ) みと慢心し傲慢と悪口とは愛し好むものにもとづいて起る 争闘と争論とは慳みに伴い 争論が生じたときに 悪口が起る 正田大観先生訳 870.(863) 世尊は答えた 諸々の紛争と諸々の論争は 愛しいもの ( 自己中心的な愛着や愛執の対象 ) から発生しました しかして 諸々の物惜しみ の思い と共にある諸々の嘆きと憂いは さらには 諸々の中傷 の思い と共にある諸々の思量と高慢は それらもまた 愛しいものから発生しました 諸々の紛争と諸々の論争は 諸々の物惜しみ の思い に束縛されたものであり しかして 他者とのあいだで 諸々の論争が生じたとき そこには 諸々の中傷 の思い があります と (2) 1, 영문 04 Atthakavagga - 11 Kalahavivadasutta 2. 'From dear (objects) spring up contentions and disputes, lamentation and sorrow together with envy; arrogance and conceit together with slander; contentions and disputes are joined with envy, and there is slander in the disputes arisen.'
863. The Master ; 3, 영문 863. The Lard: 2, 영문 IV. (11) Of Contentions " From dear things rise contentions and disputes, Grief with laments and envy in their train. Pride and conceit with slander's tongue in wake : Contentions and disputes are envy-linked. And slander's tongues are born amid disputes." 869. Piyappahūtā kalahā vivādā, 愛から起こる 争いは 論争は Paridevasokā sahamaccharā ca; 悲しみ 憂いは 物惜しみと共に また Mānātimānā sahapesuṇā ca, 慢心 過慢は 悪口と共に また Maccherayuttā kalahā vivādā; 物惜しみに結ばれて 争いは 論争は vivādajātesu ca pesuṇāni. 論争が起これば また 悪口が Affections breed the mass of bickerings and strife, tears, grief, and selfishness, conceit, pride, calumny. With selfishness there come all bickerings and strife, which lead to calumny. パーリ語原文
제 4 여덟개의시구장, 11. 투쟁과논쟁경. 숫타니파타第 4 八つの詩句の章 11. 争いと論争の経 3. 毎田周一先生訳 864. 愛はこの世で何を元として起こるのでしょうか又世間に拡がってゆく貪りは何から起こりますかそして人が来世に向って希望を抱きそれが果たされるのは何に基づくのでしょうか 中村元先生訳 864 世間において 愛し好むものは何にもとづいて起るのですか また世間にははびこる貪りは何にもとづいて起るのですか? また人が来世に関していだく希望とその成就とは 何にもとづいて起るのですか? 正田大観先生訳 871.(864) 対話者が尋ねた 世における諸々の愛しいものは いったい 因縁としてどこから 発生したのですか さらには また 彼らが 貪欲 の思い から 世を渡り歩くとして 諸々の願望と 諸々の目標とは 因縁としてどこから 発生したのですか それらが 人の未来のために有るとして と (3) 1, 영문 04 Atthakavagga - 11 Kalahavivadasutta 3. 'The dear (objects) in the world whence do they originate, and (whence) the covetousness that prevails in the world, and desire and fulfilment whence do they originate, which are (of consequence) for the future state of a man?'
2, 영문 IV. (11) Of Contentions 864. Questioner ; " Whence pray, the source of dear things in the world And all the greed that in the world prevails? The hoping and fulfilment, whence their source. Which bring man to the common lot beyond? 3, 영문 864. The Enquirer: Say whence affections spring? What makes ambitions grow? What fosters hopes and fears in man for future life? パーリ語原文 870. Piyā su lokasmiṃ kutonidānā, 愛するもの一体 世において 何を因縁として ye cāpi lobhā vicaranti loke; 彼らは そしてまた 貪欲から 渡り歩く 世を Āsā ca niṭṭhā ca kutonidānā, 願望 と 目標は また 何を因縁として ye samparāyāya narassa honti. それらが 来世のために 人の ある ( として )
제 4 여덟개의시구장, 11. 투쟁과논쟁경. 숫타니파타第 4 八つの詩句の章 11. 争いと論争の経 4. 毎田周一先生訳 865. この世に愛があり世間に拡がる貪りがあるのも欲求ゆえのことである人が来世に向って希望を抱きそれが果たされるのも同じく欲求ゆえのことである 中村元先生訳 865 世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪りは 欲望にもとづいて起る また人が来世に関していだく希望と成就とは それにもとづいて起る 正田大観先生訳 872.(865) 世尊は答えた 世における諸々の愛しいものは 因縁として欲 の思い から 発生しました さらには また 彼らが 貪欲 の思い から 世を渡り歩くとして 諸々の願望と 諸々の目標とは 因縁としてこれ ( 欲の思い ) から 発生しました それらが 人の未来のために有るとして と (4) 1, 영문 04 Atthakavagga - 11 Kalahavivadasutta 4. 'From wish originate the dear (objects) in the world, and the covetousness that prevails in the world, and desire and fulfilment originate from it, which are (of consequence) for the future state of a man.'
865. The Master ; 2, 영문 IV. (11) Of Contentions " Desire's the source of dear things in the world And all the greed that in the world prevails : From that is hoping's and fulfilment's source, Which bring man to the common lot beyond. " 3, 영문 865. The Lord: Affections spring from wants, which make ambitions grow and foster hopes and fears in men for future life. パーリ語原文 871.(865) Chandānidānāni piyāni loke, 意欲を因縁としている 愛するものは 世において ye cāpi lobhā vicaranti loke; 彼らが 又も 貪欲から 渡り歩く 世を Āsā ca niṭṭhā ca itonidānā, 願望 と 目標 と これを因縁としている ye samparāyāya narassa honti. それらは 来世のために 人の ある
제 4 여덟개의시구장, 11. 투쟁과논쟁경. 숫타니파타第 4 八つの詩句の章 11. 争いと論争の経 5. 毎田周一先生訳 866. それではその欲求はこの世で何を元として起こるのでしょうか又色々に考えて断定を下すことは何に由るのでしょうか怒りと嘘と疑いとそして修道者があれこれと指摘する事柄は何に基づくのでしょうか 中村元先生訳 866 さて世の中で欲望は何にもとづいて起るのですか? また ( 形而上学的な ) 断定は何から起るのですか? 怒りと虚言と疑惑と及び < 道の人 >( 沙門 ) の説いた諸々のことがらは 何から起るのですか? 正田大観先生訳 873.(866) 対話者が尋ねた 世における欲 の思い は いったい 因縁としてどこから 発生したのですか さらには また 世の人々が下す 諸々の 断定的 判断は 因縁として どこから発生したのですか 忿激 虚偽の言葉と 懐疑とは 因縁としてどこから発生したのですか あるいは また それらの法 ( 性質 ) が 沙門によって説かれたとして と (5) 1, 영문 04 Atthakavagga - 11 Kalahavivadasutta 5. 'From what has wish in the world its origin, and resolutions whence do they spring, anger and falsehood and doubt, and the Dhammas which are made known by the Sama/n/a (Gotama)?'
2, 영문 IV. (11) Of Contentions 866. Questioner ; " Whence hath desire its source, pray, in the world And all the theories whence rise they up. Anger and falsehood and perplexity, Those things indeed declared by the recluse? 3, 영문 866. The Enquirer: Whence spring man's wants? Whence come all hard and fast beliefs? Whence wrath, lies, doubts, and all things else th' Recluse denounced? パーリ語原文 872. Chando nu lokasmiṃ kutonidāno, 意欲 一体 世において 何を因縁にしているか vinicchayā cāpi kutopahūtā; 断定は そしてまた 何から起こるか Kodho mosavajjañ ca kathaṃkathā ca, 怒り 虚偽の言葉と 疑惑 と ye vāpi dhammā samaṇena vuttā. それら 或はまた 法は 沙門によって 説かれた
제 4 여덟개의시구장, 11. 투쟁과논쟁경. 숫타니파타第 4 八つの詩句の章 11. 争いと論争の経 6. 毎田周一先生訳 867. この世で 快と不快 とはいわれることを元として欲求が生じる色や形の世界でなくなるとか生じるとかいうことのあるのを見て世間の人は考えをめぐらし断定を下すのである 中村元先生訳 867 世の中で < 快 >< 不快 > と称するものに依って 欲望が起る 諸々の物質的存在には生起と消滅とのあることを見て 世の中には ( 外的な事物にとらわれた ) 断定を下す 正田大観先生訳 874.(867) 世尊は答えた まさに その 快がある 不快がある と 世において 人々が 言うところの その 二者 ( 快と不快 ) に依存して 欲 の思い は発生します 諸々の形態 ( 色 : 妄想によって固定され実体化した形相 ) のうちに 表象として顕現した 虚無 ( 非有 : 無 ) もしくは 実体 ( 有 : 存在 ) を見て 人は 世において 断定的 判断を為します (6) 1, 영문 04 Atthakavagga - 11 Kalahavivadasutta 6. 'What they call pleasure and displeasure in the world, by that wish springs up; having seen decay and origin in (all) bodies, a person forms (his) resolutions in the world.
2, 영문 IV. (11) Of Contentions 867. The Master ; 'Tis pleasant, 'tis unpleasant! ' says the world ; From trust in such there riseth up desire : Man sees in forms becoming and decay And shapes his theories about the world. 3, 영문 867. The Lord: Things viewed as 'good' or 'bad' originate man's wants. Seeing things wax and wane brought hard and fast beliefs. パーリ語原文 873. Sātaṃ asātanti yamāhu loke, 快 不快と 言うところのもの 世間で tamūpanissāya pahoti chando; それによって 起こる 意欲が Rūpesu disvā vibhavaṃ bhavañ ca, 形態において 見て 消滅を 生起を また vinicchayaṃ kubbati jantu loke. 断定を 為す 人は 世間で
제 4 여덟개의시구장, 11. 투쟁과논쟁경. 숫타니파타第 4 八つの詩句の章 11. 争いと論争の経 7. 毎田周一先生訳 868. 怒りと嘘と疑いとこれらも亦 ( 快と不快との ) 二つに過ぎないそして思い惑う人は修道者があれこれと指摘していることを知って智慧の道を進むようにするがよい 中村元先生訳 868 怒りと虚言と疑惑 これらのことがらも ( 快と不快との ) 二つがあるときに現れる 疑惑ある人は知識の道に学べ < 道の人 > は 知って 諸々のことがらを説いたのである 正田大観先生訳 875.(868) 忿激 虚偽の言葉と 懐疑と これらの法 ( 性質 ) もまた まさしく 快と不快の 二者 ( 概念的二項対立図式 ) に 依存して 存在します 懐疑ある者は 知恵の道に学ぶのです このように 知って これらの 諸法 ( 性質 ) は 沙門によって説かれました と (7) 1, 영문 04 Atthakavagga - 11 Kalahavivadasutta 7. 'Anger and falsehood and doubt, these Dhammas are a couple; let the doubtful learn in the way of knowledge, knowingly the Dhammas have been proclaimed by the Sama/n/a.' 2, 영문 IV. (11) Of Contentions 868 <The Master 계속 > ;
Anger and falsehood and perplexity, These things prevail when those twin states exist ; Let doubter in the path of knowledge train! These things by the recluse are taught he knows." 3, 영문 868. <The Lord:> Wrath, doubts, and lies arose when things seemed 'good' or 'bad'. Let doubters plant their feet where knowledge guides ; th' Recluse denounced defects he knew. パーリ語原文 874.(868) Kodho mosavajjañ ca kathaṃkathā ca, 怒り 虚偽の言葉 疑惑 と etepi dhammā dvayameva sante; これらも 法 まさに二つの あるときにある Kathaṃkathī ñ āṇapathāya sikkhe, 疑惑のある者は 智慧の道によって 学ぶがよい ñ atvā pavuttā samaṇena dhammā. 知って 説かれた 沙門によって 法は
제 4 여덟개의시구장, 11. 투쟁과논쟁경. 숫타니파타第 4 八つの詩句の章 11. 争いと論争の経 8. 毎田周一先生訳 869. 快と不快とは又何を元にして起こるのでしょうか何がないときこれらもないのでしょうかまた なくなるとか生じるとか いうことの意味は何に基づくのでしょうかそれを話して下さい 中村元先生訳 869 快と不快とは何にもとづいて起るのですか? また何がないときにこれらのものが現れないのですか? また生起と消滅ということの意義と それの起るもととなっているものを われに語ってください 正田大観先生訳 876.(869) 対話者が尋ねた しかして 快と不快 の二者 は 因縁としてどこから 発生したのですか 何が存在していないとき これらのものは まさに 有ることなくあるのですか 虚無 さらには また 実体という まさに その この義 ( 無と有の概念的二項対立 ) は 因縁としてどこから 発生するのか を このことを わたしに説いてください と (8) 1, 영문 04 Atthakavagga - 11 Kalahavivadasutta 8. 'Pleasure and displeasure, whence have they their origin, for want of what do these not arise? This notion which (thou mentionest), viz. "decay and origin," tell me from what does this arise.'
2, 영문 IV. (11) Of Contentions 869. Questioner ; " The pleasant and unpleasant, whence their source? What being absent, come not these to be? This matter of ' becoming and decay,' Tell me the source and whence they come to be? 3, 영문 869. The Enquirer: Whence spring things 'good' or 'bad'? What, being absent, checks their rise? And tell me too why things must wax and wane? パーリ語原文 875. Sātaṃ asātañ ca kutonidānā, 快 不快と 何を因縁としているか kismiṃ asante na bhavanti hete; 何がないときない存在し ( ない ) まさにこれらが Vibhavaṃ bhavañ cāpi yametamatthaṃ, 消滅 生起もまた およそこの意味が etaṃ me pabrūhi yatonidānaṃ. これを 私に 説いて下さい 何を因縁としているか
제 4 여덟개의시구장, 11. 투쟁과논쟁경. 숫타니파타第 4 八つの詩句の章 11. 争いと論争の経 9. 毎田周一先生訳 870. 触れることによって快と不快とが起こり触ることのないときそれらのこともない なくなるとか生じるとか いうことの意味もそれと同じく触れることによると私はいう 中村元先生訳 870 快と不快とは 感官による接触にもとづいて起る 感官の接触が存在しないときには これらのものも起こらない 生起と消滅ということの意義と それの起るもととなっているもの ( 感官による接触 ) を われは汝に告げる 正田大観先生訳 877.(870) 世尊は答えた 快と不快 の二者 は 因縁として接触 ( 触 : 感覚 経験 ) から 発生しました 接触が存在していないとき これらのものは まさに 有ることなくあります 虚無 さらには また 実体という まさに その この義 ( 無と有の概念的二項対立 ) は 因縁としてこれ ( 接触 ) から 発生すること を このことを あなたに説きます と (9) 1, 영문 04 Atthakavagga - 11 Kalahavivadasutta 9. 'Pleasure and displeasure have their origin from phassa (touch), when there is no touch they do not arise. This notion which (thou mentionest), viz. "decay and origin," this I tell thee has its origin from this.'
2, 영문 IV. (11) Of Contentions 870. The Master ; Touch is the source of pleasant and unpleasant ; Touch being absent, these come not to be : This matter of ' becoming and decay,' I say to thee these have their source from that." 3, 영문 870. The Lord: Things 'good' or 'bad' are bred of Contact. Contact must be there, or they 're not bred, nor would things wax and wane. パーリ語原文 876.(870) Phassanidānaṃ sātaṃ asātaṃ, 接触を因縁として 快 不快が ( 起こる ) phasse asante na bhavanti hete; 接触が ないとき ない 存在し ( ない ) 実にこれらは Vibhavaṃ bhavañ cāpi yametamatthaṃ, 消滅 生起もまた およそこの意味が etaṃ te pabrūmi itonidānaṃ. このことをあなたに説きますこれを因縁として
제 4 여덟개의시구장, 11. 투쟁과논쟁경. 숫타니파타第 4 八つの詩句の章 11. 争いと論争の経 10. 毎田周一先生訳 871. 触れるということがこの世でどうして起こるのでしょうか又執著することがどうして起こるのでしょうか何がなくなると触れることも触れることでなくなるのでしょうか 中村元先生訳 871 世の中で感覚による接触は何にもとづいて起るのですか? また所有欲は何から起るのですか? 何ものが存在しないときに < わがもの > という我執が存在しないのですか? 何ものが消滅したときに 感官による接触がはたらかないのですか? 正田大観先生訳 878.(871) 対話者が尋ねた 世における接触 ( 感覚 経験 ) は いったい 因縁としてどこから 発生したのですか さらには また 諸々の執持 の対象 ( 所有物 ) は 因縁として どこから発生したのですか 何が存在していないとき 我執は存在しないのですか 何が実体を離れたとき 諸々の接触は接触しないのですか と (10) 1, 영문 04 Atthakavagga - 11 Kalahavivadasutta 10. 'From what has phassa its origin in the world and from what does grasping spring up? For want of what is there no egotism, by the cessation of what do the touches not touch? '
2, 영문 IV. (11) Of Contentions 871. Questioner ; " Whence is the source of touch pray! in the world, And whence arise the multitude of claims? What being absent, come not thoughts of ' mine '? When what decays, do touches touch no more? 3, 영문 871. The Enquirer: From what does Contact spring? Whence comes the itch to own? What, being absent, checks the craze to deem things 'mine'? And what must disappear if Contacts are to end? パーリ語原文 877.(871) Phasso nu lokasmi kutonidāno, 接触は 一体 世において 何を因縁にしているか pariggahā cāpi kutopahūtā; 所有は 或はまた 何から起こるのか Kismiṃ asante na mamattamatthi, 何が ないと ない 我執が存在し ( ないか ) kismiṃ vibhūte na phusanti phassā. 何が 消滅すると ない 触れ ( ないか ) 接触は
제 4 여덟개의시구장, 11. 투쟁과논쟁경. 숫타니파타第 4 八つの詩句の章 11. 争いと論争の経 11. 毎田周一先生訳 872. 名と形とに由って触れることが生じる求めることを元として執著があり求めることがなければ我執もない形がなければ触れることも触れることではなくなる 中村元先生訳 872 名称と形態とに依って感官による接触が起る 諸々の所有欲は欲求を縁として起る 欲求がないときには < わかもの > という我執も存在しない 形態が消滅したときには < 感官による接触 > ははたらかない 正田大観先生訳 879.(872) 世尊は答えた 名前 ( 名 : 妄想によって固定され概念化した言葉 ) と 形態 ( 色 : 妄想によって固定され実体化した形相 ) と その二者 を縁として 接触は 発生しました 諸々の執持 の対象 は 因縁として欲求 ( 潜在的な心の衝動 ) から 発生しました 欲求が存在していないとき 我執は存在しません 形態が実体を離れたとき 諸々の接触は接触しません と (11) 1, 영문 04 Atthakavagga - 11 Kalahavivadasutta 11. 'On account of name and form the touches (exist), grasping has its origin in wish; by the cessation of wishes there is no egotism, by the cessation of form the touches do not touch.'
872. The Master ; 2, 영문 IV. (11) Of Contentions Touches exist because of name-and-form, The source of laying claim to things is wish, When wish is absent, thoughts of ' mine ' are not, When form decays, touches do touch no more." 3, 영문 872. The Lord: Matter and Mind result in Contact. Yearnings breed the itch to have and hold ; without them is no 'mine'. End 'matter', Contacts end. パーリ語原文 878.(872) Nāmañ ca rūpañca paṭicca phasso, 名称と 形態と 縁として 接触が icchānidānāni 欲求の因縁で pariggahāni; 所有欲が Icchāyasantyā na mamattamatthi, 欲求がないとき ない 我執が存在し ( ない ) rūpe vibhūte na phusanti phassā. 形態が 消滅すると ない 触れない 接触は
제 4 여덟개의시구장, 11. 투쟁과논쟁경. 숫타니파타第 4 八つの詩句の章 11. 争いと論争の経 12. 毎田周一先生訳 873. どのように知った者にとって形がなくなるのでしょうか楽と苦も亦どうしたらなくなるのでしょうかそのなくなるということをありのままにお教え下さい そのことを知りたい と私は熱望しております 中村元先生訳 873 どのように修行した者にとって 形態が消滅するのですか? 楽と苦とはいかにして消滅するのですか? どのように消滅するのか その消滅するありさまを わたくしに説いてください わたくしはそれを知りたいものです わたくしはこのように考えました 正田大観先生訳 880.(873) 対話者が尋ねた どのように行知した者の形態は 実体を離れるのですか 楽は さらには また 苦は どのようにして 実体を離れるのですか このことを それが 実体を離れる そのとおりに わたしに説いてください それを わたしたちは 知りたいのです かくのごとく わたしの意は成りました と (12) 1, 영문 04 Atthakavagga - 11 Kalahavivadasutta 12. 'How is one to be constituted that (his) form may cease to exist, and how do joy and pain cease to exist? Tell me this, how it ceases, that we should like to know, such was my mind?'
873. Questioner ; 2, 영문 IV. (11) Of Contentions " What state is his so form decays for him? And how indeed decayeth ease and ill? I prithee tell me as to the decay! Fain would we know this ever is my thought." 3, 영문 873. The Enquirer: What stage is his for whom ' matter ' has disappeared? Fain would I hear how pain and pleasure disappear. パーリ語原文 879.(873) Kathaṃsametassa vibhoti rūpaṃ, どのように行じた者にとって 滅する ( か ) 形態が sukhaṃ dukhañ cāpi kathaṃ vibhoti; 楽 苦が 或はまた どのように 滅する ( か ) Etaṃ me pabrūhi yathā vibhoti, それが私に説いて下さいどのように滅する ( か ) taṃ jāniyāmāti me mano ahū. それを 知りたいと 私の 心は 成った
제 4 여덟개의시구장, 11. 투쟁과논쟁경. 숫타니파타第 4 八つの詩句の章 11. 争いと論争の経 13. 毎田周一先生訳 874. 自然に思うように思うのでもなく間違って思うでもなくそれかといって思わないのでもなく思いをなくそうとするのでもない と丁度このように知るもの知るものにとって形はなくなる何故なら思いによってありとあらゆる妄想が起こるからである 中村元先生訳 874 ありのままに想う者でもなく 誤って想う者でもなく 想いなき者でもなく 想いを消滅した者でもない このように理解した者の形態は消滅する けだしひろがりの意識は 思うに基づいて起こるからである 正田大観先生訳 881.(874) 世尊は答えた 表象としての表象ある者 ( 既存の表象に随従する者 ) ではなく 表象を離れる表象ある者 ( 異常な表象を妄想する者 ) ではなく また 表象なき者 ( 表象を有さない者 ) ではなく 実体を離れた表象ある者 ( 表象を超越した者 ) ではなく このように行知した者の形態は 実体を離れます なぜなら 諸々の虚構の名称 ( 世界認識の道具として虚構された概念 ) は 因縁として表象 作用 ( 想 : 認識対象を表象し概念化する働き ) から 発生する からです と (13) 1, 영문 04 Atthakavagga - 11 Kalahavivadasutta 13. 'Let one not be with a natural consciousness, nor with a mad consciousness, nor without consciousness, nor with (his) consciousness gone; for him who is thus constituted form ceases to exist, for what is called delusion has its origin in consciousness.' (?)
2, 영문 IV. (11) Of Contentions 874. The Master ; When there is no perceiving of perceptions, Nor the perceiving of things not perceptions, And there is still no not-perceiving then, Nor hath perceiving altogether ceased, When thus his state, then form decays for him: Reckoned a hindrance is perception's source." 3, 영문 874. The Lord: Matter will disappear when consciousness (from which obsessions all arise) is neither usual, nor crazed, nor numbed, nor lost. パーリ語原文 880.(874) Na sañ ñ asaññ ī na visañ ñ asañ ñ ī, ない 思いを思う者で ない 違った思いを思う者で nopi asañ ñ ī na vibhūtasañ ñ ī; またない思わない者でない思いを消滅した者で Evaṃsametassa vibhoti rūpaṃ, このように行う者には 滅する 形態は sañ ñ ānidānā hi papañ casaṅkhā. 思いを因縁として 何故ならば 捏造と呼ばれるものは
제 4 여덟개의시구장, 11. 투쟁과논쟁경. 숫타니파타第 4 八つの詩句の章 11. 争いと論争の経 14. 毎田周一先生訳 875. お尋ねしたことを本当に明らかにお教え下さったので更に付け加えてお尋ねしますがどうかそれも教えて下さい ある賢い人達はこの世ではここまでが人としての最高の清らかさであるといいますがそれともそれ以外のことを説く人もあるのでしょうか 中村元先生訳 875 われらがあなたにおたずねしたことを あなたはわれわれに説き明かしてくださいました われらは別のことをあなたにおたずねしましょう どうか それを説いてください この世における或る賢者たちは この状態だけが 霊 ( たましい ) の最上の清浄の境地である とわれらに語ります しかしまた それよりも以上に 他の ( 清浄の境地 ) がある と説く人々もいるのでしようか? 正田大観先生訳 882.(875) 対話者が尋ねた まさに その わたしたちが あなたに尋ねたことですが あなたは わたしたちに述べ伝えてくれました 今度は それとは 他のものを あなたに尋ねます どうか それを説いてください まさに 或る者たちは いったい これ ( 形態の非有 ) だけで 精神の至高の清浄を説くのですか ここに 自らを 賢者たちとして あるいは また これ ( 形態の非 ) とは他のものを説くのですか と (14)
1, 영문 04 Atthakavagga - 11 Kalahavivadasutta 14. 'What we have asked thee thou hast explained unto us; we will ask thee another question, answer us that: Do not some (who are considered) wise in this world tell us that the principal (thing) is the purification of the yakkha, or do they say something different from this?' 2, 영문 IV. (11) Of Contentions 875. Questioner ; Thou hast declared to us all that we asked ; Yet one thing more we ask ; pray! tell us this : Say not some wise men that the highest thing Is e'en the cleansing of the spirit here? Or say they there is something after that? " 3, 영문 875. The Enquirer: Though thou hast answer 'd all we asked, one question more we raise for thy reply : Do thinkers hold this life perfects man's Purity? Or is there more to come? パーリ語原文 881.(875) Yaṃ taṃ apucchimha akittayī no, ことを 彼 ( あなた ) に 問うた 説明した 我々が Añ ñ aṃ taṃ pucchāma tadiṅgha brūhi; 別の それを 尋ねます それをどうか 説いて下さい Ettāvataggaṃ nu vadanti heke, これだけで 最高の 一体 説く 実に ある者は Yakkhassa suddhiṃ idha paṇḍitāse; 精神の 清浄を ここで 賢者達は
Udāhu aññampi vadanti etto. 或は 言う 別のものも 説く ( か?) この他に
제 4 여덟개의시구장, 11. 투쟁과논쟁경. 숫타니파타第 4 八つの詩句の章 11. 争いと論争の経 15. 毎田周一先生訳 876. ある賢い人達はこの世ではここ迄が人としての最高の清らかさであるというがそれらのうちのある人達はその外に一切が無に帰すると巧みに説いてそんなことを究極のこととして論ずる 中村元先生訳 876 この世において或る賢者たちは 霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである と語る さらにかれらのうちの或る人々は断滅を説き ( 精神も肉体も ) 残りなく消滅することのうち ( 最上の清浄の境地がある ) と 巧みに語っている 正田大観先生訳 883.(876) 世尊は答えた まさに 或る者たちは また これ ( 形態の非有 ) だけで 精神の至高の清浄を説きます ( 常住論 ) ここに 自らを 賢者たちとして いっぽうで 彼らのなかの或る者たちは 生存の 依り所という残りものがないもの ( 無余依 ) について 別の誤った 教義を説きます ( 断滅論 ) 自らについて 智者である と 説きながら (15) 1, 영문 04 Atthakavagga - 11 Kalahavivadasutta 15. 'Thus some (who are considered) wise in this world say that the principal (thing) is the purification of the yakkha; but some of them say samaya (annihilation), the expert say (that the highest purity lies) in anupâdisesa (none of the five attributes remaining).
2, 영문 IV. (11) Of Contentions 876. The Master ; Ay, some wise men declare the highest thing To be the cleansing of the spirit here ; Again, some experts on ' the unattached Where naught remains ' say it's to pass away. 3, 영문 876. The Lord: Some thinkers hold this life perfects man's Purity; but other 'experts' hold the view that death ends all. パーリ語原文 882.(876) Ettāvataggampi vadanti heke, これだけが最高であると 説きます 実にある人達は yakkhassa suddhiṃ idha paṇḍitāse; 精神の 清浄を この世の 賢者達は Tesaṃ paneke samayaṃ vadanti, 彼らの 他のある人達は 教義を 説きます anupādisese kusalā vadānā. 生存の要素がない者達を 巧者と 論ずる
제 4 여덟개의시구장, 11. 투쟁과논쟁경. 숫타니파타第 4 八つの詩句の章 11. 争いと論争の経 16. 毎田周一先生訳 877. 静かな人はこんな人達が 拠り処をもつ人 であると知りその拠り処が一体何であるかを明らかにしそれを離れて自由の人となるしかし智慧の人が決してあれこれの生き方をしないことを知っているから人といい争ったりしないのである 中村元先生訳 877 かの聖者は これらの偏見はこだわりがある と知って 諸々のこだわりを塾考し 知った上で 解脱せる人は論争におもむかない 思慮ある賢者は種々なる変化的生存を受けることがない 正田大観先生訳 877 かの聖者は これらの偏見はこだわりがある と知って 諸々のこだわりを塾考し 知った上で 解脱せる人は論争におもむかない 思慮ある賢者は種々なる変化的生存を受けることがない 1, 영문 04 Atthakavagga - 11 Kalahavivadasutta 16. 'And having known these to be dependent, the investigating Muni, having known the things we depend upon, and after knowing them being liberated, does not enter into dispute, the wise (man) does not go to reiterated existence.'
877. The Master ; 2, 영문 IV. (11) Of Contentions The silent sage knows such as trusting still, He studies and knows where they put their trust ; Knowing, released, the rapt seeks no dispute, Seeks not about becoming this or that." 3, 영문 877. The Lord: The sage knows such as 'thralls'; he knows their thraldom. Freed by knowledge, he avoids debate and wisely holds no truck with theories about an 'after life'. パーリ語原文 883.(877) Ete ca ñ atvā upanissitāti, これらの しかし 知って こだわりある者達と ñ atvā munī nissaye so vimaṃsī; 知って 聖者は こだわりを その 考察者 ( である ) Ñ atvā vimutto na vivādameti, 知って 解脱して ない 論争し ( ない ) bhavābhavāya na sameti dhīro ti. 種々の生存に ない 近づか ( ない ) 賢者は と