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Transcription:

日 韓 関 係 における 中 国 の 存 在 - 東 アジア 冷 戦 構 造 の 持 続 と 変 容 を 考 えるために- 1) 出 水 薫 * Ⅰ.Ⅰはじめに Ⅱ. 東 アジア 冷 戦 構 造 の 形 成 期 に おける 日 韓 と 中 国 1. 東 アジア 冷 戦 構 造 の 形 成 2. 東 アジア 冷 戦 構 造 の 形 成 期 に おける 韓 中 関 係 3. 東 アジア 冷 戦 構 造 の 形 成 期 に おける 日 中 関 係 4. 東 アジア 冷 戦 形 成 期 における 日 韓 と 中 国 Ⅲ. 東 アジア 冷 戦 構 造 の 動 揺 期 に おける 日 韓 と 中 国 1. 米 中 接 近 と 東 アジア 冷 戦 構 造 の 変 化 2. 日 中 関 係 の 再 編 3. 東 アジア 冷 戦 構 造 の 動 揺 と 韓 国 の 反 応 4. 東 アジア 冷 戦 構 造 の 動 揺 期 に おける 日 韓 と 中 国 Ⅳ. 脱 冷 戦 過 程 における 日 韓 と 中 国 1. 脱 冷 戦 過 程 の 進 行 2. 韓 国 の 北 方 外 交 と 韓 中 国 交 正 常 化 3. 北 朝 鮮 危 機 の 構 図 4. 北 朝 鮮 をめぐる 韓 中 と 日 本 のズレ Ⅴ. むすびに Ⅰ. はじめに 日 韓 国 交 正 常 化 から40 年 を 経 て 日 韓 関 係 は 成 熟 しつつある 両 者 の 関 係 は 政 府 間 の 政 治 的 あるいは 外 交 的 な 関 係 にとどまらず 経 済 や 社 会 * 九 州 大 学 韓 国 研 究 センター 敎 授. 3

한국사론 43:광복 60년;한국의 변화와 성장 그리고 희망 や 文 化 などの 重 層 的 な 領 域 において 多 様 な 関 係 を 結 んでいる また 相 互 交 流 の 主 体 も 中 央 政 府 のみならず 地 域 政 府 ( 自 治 体 )や 企 業 や 市 民 団 体 など 多 様 になっている しかもそのような 交 流 の 経 路 と 主 体 の 拡 大 は 日 韓 の 交 流 と 相 互 依 存 の 量 的 な 拡 大 と 質 的 な 深 化 をもたらしている 教 科 書 問 題 や 領 土 問 題 など 断 続 的 に 日 韓 の 対 立 的 な 争 点 が 浮 上 することはあっ ても これだけの 両 者 の 相 互 交 流 と 相 互 依 存 を 後 退 させるような 事 態 は もはやありえないだろう 本 報 告 では 以 上 のような 今 日 の 日 韓 関 係 の 重 層 性 や 多 様 性 を 認 めつつ も きわめて 伝 統 的 な 国 際 関 係 の 枠 組 みで 報 告 をおこなう なぜならば 日 韓 の 二 国 間 関 係 を 離 れて 今 日 の 東 アジア 地 域 の 現 状 を 考 えた 場 合 北 朝 鮮 の 核 開 発 をめぐる 問 題 のように むしろ 伝 統 的 な 国 際 関 係 の 枠 組 みで 検 討 すべき 課 題 が 浮 上 しているからである そのように 伝 統 的 な 国 際 関 係 の 枠 組 みが 依 然 として 有 効 な 状 態 である 東 アジアの 今 日 の 国 際 関 係 を 考 えるには あらためて 歴 史 的 な 回 顧 が 必 要 で あるだろう そこで 本 報 告 では 日 韓 の 冷 戦 期 および 脱 冷 戦 期 の 関 係 をあら ためて 整 理 してみる ただその 際 日 韓 二 国 間 関 係 のみを 検 討 するのでは なく 中 国 という 第 三 の 要 素 を 加 えることにする 中 国 を 加 えた 日 韓 中 の 三 角 関 係 を 検 討 対 象 とする 狙 いは 二 つある ま ず 第 一 に 日 韓 二 国 間 関 係 のみを 論 じると しばしば 繰 り 返 される 典 型 的 な 対 立 図 式 の 確 認 作 業 に 留 まる 恐 れがあるからである 第 二 に 日 韓 中 の 三 角 関 係 を 検 討 した 方 が 東 アジア 冷 戦 構 造 および 脱 冷 戦 の 過 程 が 立 体 的 に 把 握 できるからである 冷 戦 構 造 は 世 界 次 元 地 域 次 元 二 国 間 関 係 の 次 元 の 三 層 構 造 すべてに 目 を 配 りつつ 把 握 しなければならない 日 韓 のみ ならず 中 国 を 加 えるということは 複 数 の 次 元 の 相 互 作 用 を 見 やすくする 効 果 が 期 待 できるのである したがって 以 上 の 諸 点 を 踏 まえて 本 報 告 の 課 題 設 定 は 次 のようにな 4

日 韓 関 係 における 中 国 の 存 在 出 水 薰 る すなわち 冷 戦 期 および 脱 冷 戦 期 の 日 韓 中 の 三 角 関 係 を 日 韓 関 係 を 軸 に 歴 史 的 に 整 理 し そのことを 通 じて 東 アジア 冷 戦 構 造 の 変 化 と 持 続 を 考 えるための 材 料 を 提 供 することである Ⅱ. 東 アジア 冷 戦 構 造 の 形 成 期 における 日 韓 と 中 国 1. 東 アジア 冷 戦 構 造 の 形 成 大 日 本 帝 国 は 朝 鮮 半 島 を 植 民 地 支 配 し 中 華 民 国 と 戦 争 をおこなった したがって 大 日 本 帝 国 が1945 年 に 敗 北 し 改 憲 を 経 て 日 本 国 が 建 国 し 独 立 を 回 復 しても 連 合 国 の 一 員 であった 中 華 民 国 および 解 放 された 朝 鮮 半 島 にできる 新 生 政 府 とは 潜 在 的 な 緊 張 と 対 立 が 予 想 された ところが 東 アジアの 冷 戦 構 造 が 形 成 されると そのような 日 本 と 韓 中 の 歴 史 的 な 背 景 にもとづく 対 立 は 東 アジアの 国 際 関 係 において 主 要 な 対 立 軸 となりえなかった もちろんまったく 影 響 をおよぼさなかったわけで はないが 基 本 的 には 冷 戦 対 立 という 主 要 な 対 立 軸 によって 日 本 と 韓 中 の 歴 史 的 な 対 立 は 副 次 的 なものとなったのである 東 アジア 冷 戦 構 造 の 形 成 によって 日 本 と 韓 国 は 中 国 と 対 立 する 位 置 を 与 えられた 大 韓 民 国 ( 韓 国 )はアメリカ 占 領 下 で 建 国 され 西 側 陣 営 に 所 属 することになった 朝 鮮 半 島 での 南 北 二 つの 政 府 の 樹 立 は 世 界 規 模 での 冷 戦 対 立 を 反 映 するものであった 韓 国 の 建 国 時 日 本 は 依 然 としてアメリカを 中 心 とする 連 合 国 の 占 領 下 にあった 一 方 朝 鮮 半 島 の 分 断 に 引 き 続 き 中 華 人 民 共 和 国 ( 中 国 )が 建 国 された ことで 東 アジアの 地 域 次 元 での 冷 戦 構 図 は 明 確 になった 建 国 後 の 中 国 5

한국사론 43:광복 60년;한국의 변화와 성장 그리고 희망 はソ 連 に 接 近 した そしてソ 連 が 中 国 の 権 威 を 認 定 したため 東 アジアで は 冷 戦 対 立 が 米 中 対 立 のかたちをとることになった 1950 年 に 始 まった 朝 鮮 戦 争 は この 東 アジアの 地 域 次 元 での 冷 戦 対 立 の 構 図 を 決 定 的 に 構 造 化 した 日 本 は 朝 鮮 戦 争 下 で 再 軍 備 を 開 始 し アメリ カとの 同 盟 を 結 んで 独 立 した 日 本 と 韓 国 は 朝 鮮 戦 争 を 経 ることで 東 アジアの 冷 戦 構 造 において アメリカの 対 中 国 包 囲 の 同 盟 網 に 組 み 込 まれ ていったのである 2. 東 アジア 冷 戦 構 造 の 形 成 期 における 韓 中 関 係 朝 鮮 戦 争 以 前 から 韓 国 は 北 朝 鮮 の 正 統 性 を 否 定 するため 北 朝 鮮 と 外 交 関 係 をもつ 国 を 敵 視 する 政 策 を 採 っていた したがって 韓 国 は 中 国 ではな く 台 湾 と 関 係 をもった 台 湾 は 中 国 との 敵 対 関 係 もあり 早 くもアメリ カと 同 様 に1949 年 1 月 から 韓 国 を 国 家 承 認 していた またイ スンマン 政 権 は 台 湾 と 連 携 すべく1949 年 3 月 に 反 共 太 平 洋 同 盟 を 提 起 した 1950 年 に 勃 発 した 朝 鮮 戦 争 は ソ 連 および 中 国 の 承 認 を 得 て 北 朝 鮮 が 開 始 したものであった また 同 年 の10 月 以 降 中 国 が 事 実 上 参 戦 し 韓 中 は 戦 争 状 態 に 突 入 した 1953 年 10 月 の 韓 米 相 互 防 衛 条 約 は 北 朝 鮮 の 脅 威 を 想 定 した 軍 事 同 盟 であるが 同 時 にアメリカの 中 国 封 じ 込 め 網 の 一 環 を なすものであった 韓 国 は 中 国 を 敵 性 国 家 と 規 定 することになった 以 上 のように 韓 国 は 反 共 という 観 点 から 東 アジア 冷 戦 構 造 の 中 で 対 中 国 包 囲 網 を 積 極 的 に 担 っていた 3. 東 アジア 冷 戦 構 造 の 形 成 期 における 日 中 関 係 日 本 は 朝 鮮 戦 争 の 出 撃 基 地 となった さらに 日 本 は 朝 鮮 戦 争 下 で 独 立 を 6

日 韓 関 係 における 中 国 の 存 在 出 水 薰 回 復 し 日 米 同 盟 を 結 んだことによって 中 国 と 対 立 関 係 に 置 かれた ただ 日 本 はアメリカとの 関 係 を 重 視 しつつも 経 済 的 な 観 点 から 中 国 との 関 係 を 望 んだ アメリカは 中 国 包 囲 網 に 日 本 を 組 み 込 むため 日 本 の 意 向 に 圧 力 を 加 えた 日 本 は1952 年 の 独 立 回 復 と 同 時 に 台 湾 と 関 係 をもつことを 余 儀 なくされたのであった しかし 日 本 は 国 家 の 目 標 を 開 発 と 成 長 においたことから 資 源 および 市 場 の 確 保 のために 中 国 との 関 係 を 望 んだ この 日 本 の 経 済 的 な 理 由 による 中 国 への 接 近 願 望 は アメリカの 対 中 国 包 囲 網 の 一 員 であるという 公 式 の 立 場 との 間 に 潜 在 的 な 緊 張 をもたらした このことはアメリカが 日 本 に 対 して 自 国 市 場 や 東 南 アジア 市 場 を 開 放 する 背 景 となった すなわちア メリカは 対 中 国 封 じ 込 め 網 に 日 本 を 繋 ぎとめるため 日 本 の 関 心 に 応 える 代 替 物 を 提 供 したと 言 える にもかかわらず 日 本 は 政 経 分 離 を 標 榜 して 民 間 主 導 で 中 国 との 通 商 経 路 を 開 こうと 努 力 し 続 けた これは 日 本 の 中 国 接 近 願 望 の 強 さを 示 していた 4. 東 アジア 冷 戦 形 成 期 における 日 韓 と 中 国 東 アジアの 冷 戦 構 造 が 形 成 され その 構 造 が1970 年 代 の 米 中 接 近 により 動 揺 するまでの 時 期 においては 日 韓 関 係 に 中 国 の 影 響 が 直 接 に 及 ぶこと は ほとんどなかったと 言 ってよい ただ 中 国 および 台 湾 に 対 する 日 韓 の 姿 勢 は 異 なり それは 両 者 の 東 アジア 冷 戦 構 造 における 位 置 の 違 いを 反 映 していたと 言 えるだろう すでに 述 べたように 開 発 と 成 長 を 国 家 目 標 とした 日 本 は 経 済 的 な 利 害 関 心 からの 中 国 への 強 い 接 近 意 欲 を 持 ち 続 けた そのような 日 本 に とって 東 アジア 冷 戦 構 造 は 経 済 的 な 観 点 から 足 かせ としての 側 面 が あった 7

한국사론 43:광복 60년;한국의 변화와 성장 그리고 희망 これに 対 して 韓 国 は 正 統 性 をめぐる 北 朝 鮮 との 競 争 という 観 点 から ま た 朝 鮮 戦 争 で 実 際 に 交 戦 した 経 験 から 中 国 を 敵 視 し 台 湾 との 関 係 を 重 視 した 反 共 は 韓 国 政 府 の 正 統 性 の 基 盤 のひとつであり アメリカ 主 導 の 対 中 国 包 囲 網 の 一 翼 を 担 うこととは 整 合 的 であった また 韓 国 は 日 本 のように 開 発 と 成 長 が 中 国 への 接 近 意 欲 というかたちで 東 アジア 冷 戦 構 造 と 対 立 するものであるとのジレンマを 感 じることはなかった 開 発 と 反 共 を 結 びつけたパク チョンヒ 政 権 が1961 年 に 登 場 しても 資 金 や 市 場 の 提 供 などの 経 済 的 な 要 求 は 基 本 的 にアメリカと 日 本 によって 充 足 され ていたからである 1965 年 の 日 韓 国 交 正 常 化 は そのような 観 点 から そ の 意 義 を 評 価 することが 可 能 である したがって 韓 国 にとって 東 アジアの 冷 戦 構 造 は 開 発 と 成 長 という 観 点 からも 整 合 的 であった Ⅲ. 東 アジア 冷 戦 構 造 の 動 揺 期 における 日 韓 と 中 国 1. 米 中 接 近 と 東 アジア 冷 戦 構 造 の 変 化 1970 年 代 に 入 ると 世 界 規 模 の 冷 戦 構 造 および 東 アジアの 冷 戦 構 造 は 大 き く 動 揺 する 米 ソ 関 係 は 緊 張 緩 和 (デタント)の 時 期 に 入 り 米 中 は 接 近 し た 東 アジアの 冷 戦 構 造 の 動 揺 にとって 決 定 的 に 重 要 だったのは 言 うま でもなく 米 中 接 近 である 米 中 接 近 の 背 景 は 大 きく 二 つある 一 つは 中 ソ 対 立 であり もうひとつはヴェトナム 戦 争 である 中 ソ 対 立 は 米 ソの 緊 張 緩 和 と 米 中 接 近 をもたらす 東 側 陣 営 内 の 力 学 を 産 み 出 した 1950 年 代 のスターリン 批 判 で 顕 在 化 した 中 ソの 対 立 は 1960 年 代 末 から1970 年 代 にかけて 国 境 紛 争 をめぐる 武 力 衝 突 が 発 生 し 全 面 戦 8

日 韓 関 係 における 中 国 の 存 在 出 水 薰 争 の 危 機 にいたった このためソ 連 はヨーロッパ 正 面 におけるアメリカと の 緊 張 緩 和 を 追 求 し 他 方 で 中 国 はアメリカとの 接 近 を 試 みたのである それに 対 し ヴェトナム 戦 争 は アメリカのアジア 戦 略 の 変 更 を 迫 っ た 1960 年 代 に 本 格 化 したアメリカのヴェトナムへの 介 入 は アメリカの 経 済 や 財 政 への 負 担 となり 介 入 の 是 非 をめぐって 国 内 の 分 裂 を 招 くとと もに アメリカの 国 際 的 な 威 信 を 低 下 させていた したがってヴェトナム への 介 入 を 終 えることが 避 けられない 課 題 として1960 年 代 末 に 浮 上 した のである そもそもアメリカにとってヴェトナムへの 介 入 は 中 国 の 影 響 力 の 東 南 アジアのへの 拡 大 を 阻 止 するという 理 屈 (ドミノ 理 論 )によって 始 まってい た したがってヴェトナムへの 介 入 をやめるためには 中 国 との 関 係 およ び 対 中 国 包 囲 網 の 調 整 と 再 編 が 必 要 であった そしてそれは 1969 年 7 月 のニクソン 大 統 領 によるグァム ドクトリンの 発 表 にもとづくアジアにお ける 米 軍 の 削 減 や 1971 年 7 月 のキッシンジャー 補 佐 官 の 訪 中 と 翌 年 の ニクソン 大 統 領 の 訪 中 というかたちで 具 体 化 されていった 2. 日 中 関 係 の 再 編 1971 年 に 表 面 化 した 米 中 接 近 は 日 本 との 調 整 を 十 分 におこなわれない まま 急 速 に 進 められた いわば 寝 耳 に 水 の 日 本 は 頭 越 しの 大 国 外 交 に 衝 撃 を 受 け アメリカへの 不 信 感 が 生 まれた しかしアメリカが 中 国 との 関 係 改 善 に 乗 り 出 したことは それまで 潜 在 的 に 続 いてきた 中 国 との 経 済 的 な 関 係 を 前 面 化 したいとの 日 本 の 欲 求 を 一 挙 に 具 体 化 する 契 機 となった 東 アジアの 冷 戦 構 造 が 動 揺 し 対 中 国 包 囲 網 が 緩 むことによって 抑 えられていた 対 中 接 近 の 要 求 が 公 然 と 満 たされ るようになったのである 9

한국사론 43:광복 60년;한국의 변화와 성장 그리고 희망 国 内 での 調 整 などが 必 要 ではあったが 日 本 は1972 年 9 月 に 中 国 と 国 交 を 正 常 化 し 1978 年 10 月 には 平 和 友 好 条 約 を 締 結 した 日 本 のこの 急 速 な 関 係 改 善 の 動 きは 抑 え 込 まれていた 対 中 国 接 近 要 求 が いかに 強 かった のかを 示 している 3. 東 アジア 冷 戦 構 造 の 動 揺 と 韓 国 の 反 応 米 中 接 近 とグァム ドクトリンで 示 されたアジアの 米 軍 削 減 方 針 は 韓 国 にとって 二 本 以 上 に 衝 撃 であった 韓 国 はアメリカへの 不 信 と アメリカ に 見 捨 てられる 危 険 性 を 警 戒 することになった そのような 不 信 と 警 戒 を 反 映 した 韓 国 の 反 応 が パク チョンヒ 政 権 による 自 主 国 防 の 強 化 路 線 であり それにともなう 重 化 学 工 業 化 の 進 展 であった また 米 中 両 大 国 の 圧 力 もあり 南 北 対 話 がおこなわれた 1972 年 7 月 に は 南 北 共 同 声 明 が 出 されたが これも 従 来 の 東 アジアの 冷 戦 構 造 を 揺 る がす 要 素 となった さらにアメリカへの 不 信 感 をもつ 韓 国 は 韓 国 同 様 に 見 捨 てられる 危 険 性 に 直 面 した 台 湾 との 協 調 を 重 視 した このため 東 ア ジアの 冷 戦 構 造 の 動 揺 は 韓 中 関 係 の 変 化 を 促 すことはなかった 4. 東 アジア 冷 戦 構 造 の 動 揺 期 における 日 韓 と 中 国 すでに 述 べたできごとからも 分 かるように 東 アジア 冷 戦 構 造 の 動 揺 は 韓 米 関 係 の 動 揺 も 引 き 起 こした 米 中 接 近 が 韓 国 の 頭 越 しにおこなわれた ことや 在 韓 米 軍 の 縮 小 が 韓 国 側 の 反 発 を 招 いた 他 方 でパク チョンヒ 政 権 が 維 新 体 制 へと 移 行 し 独 裁 化 すると アメリカの 対 韓 批 判 も 強 まった そのような 状 況 の 下 前 述 したように 韓 国 は 自 主 国 防 路 線 そ 掲 げ 重 化 学 工 業 化 を 進 めた 日 本 は 韓 国 の 重 化 学 工 業 化 を 資 本 や 技 術 の 供 与 を 通 10

日 韓 関 係 における 中 国 の 存 在 出 水 薰 じて 支 えた 日 本 は 韓 米 関 係 の 動 揺 を 抑 えるために 経 済 面 で 韓 国 との 連 携 を 強 化 したのである つまり 米 中 接 近 は 韓 米 関 係 の 動 揺 をもたらし それを 補 うかたちで 日 韓 関 係 が 進 展 したと 言 える また この 時 期 の 日 中 関 係 と 韓 中 関 係 を 比 較 した 場 合 日 中 関 係 は 東 ア ジア 冷 戦 構 造 の 動 揺 に 一 定 の 反 応 を 見 せ 調 整 がおこなわれたと 言 うことが できる それに 対 して 韓 中 関 係 には 基 本 的 に 変 化 がなかった これは 言 うまでもなく 朝 鮮 半 島 の 南 北 分 断 状 況 が 冷 戦 構 造 の 力 学 を 維 持 する 方 向 へと 作 用 したからである Ⅳ. 脱 冷 戦 過 程 における 日 韓 と 中 国 1. 脱 冷 戦 過 程 の 進 行 1979 年 のソ 連 のアフガン 侵 攻 による 米 ソの 新 冷 戦 は 1985 年 のソ 連 の ゴルバチョフ 政 権 の 登 場 で 一 挙 に 冷 戦 の 終 わりへと 向 かうことになった しかも1989 年 に 連 鎖 的 な 東 ヨーロッパの 自 由 化 がおこり さらに1991 年 に はソ 連 が 崩 壊 したことによって 世 界 規 模 での 冷 戦 対 立 は 終 わりを 迎 え た 東 アジアにおいても 中 国 が 改 革 開 放 路 線 を 進 むなどの 状 況 により 脱 冷 戦 の 過 程 は 進 んだ 世 界 規 模 での 冷 戦 対 立 の 終 わりと 地 域 次 元 での 冷 戦 構 造 の 変 容 は そ れゆえかえって 朝 鮮 半 島 の 南 北 対 立 や 台 湾 の 問 題 などを 浮 上 させた とり わけ 朝 鮮 半 島 においては 北 朝 鮮 が 孤 立 化 し 核 開 発 を 利 用 した 瀬 戸 際 外 交 を 繰 り 広 げることによって 冷 戦 の 後 遺 症 とも 呼 べるような 地 域 の 不 安 定 要 因 となった 11

한국사론 43:광복 60년;한국의 변화와 성장 그리고 희망 2. 韓 国 の 北 方 外 交 と 韓 中 国 交 正 常 化 1980 年 代 に 入 ると 韓 国 は 資 源 確 保 と 輸 出 市 場 の 拡 大 という 実 質 的 な 観 点 から 外 交 網 の 拡 充 の 動 きを 示 した また1988 年 のソウルオリン ピックの 成 功 に 向 け 韓 国 は 対 社 会 主 義 圏 外 交 ( 北 方 外 交 )も 積 極 的 に 展 開 した 韓 国 の 北 方 外 交 は 脱 冷 戦 過 程 と 重 なることで 成 功 を 収 めた すなわちソ ウルオリンピックの 成 功 と1989 年 の 東 ヨーロッパの 連 鎖 的 な 自 由 化 は 北 方 外 交 の 追 い 風 となり それまで 韓 国 と 国 交 のなかった 社 会 主 義 圏 へ 一 挙 に 国 交 を 広 げた さらに 朝 鮮 戦 争 以 来 の 朝 鮮 半 島 をめぐる 国 際 構 図 を 根 本 から 変 化 させる1990 年 の 韓 ソ 国 交 正 常 化 と 1992 年 の 韓 中 国 交 正 常 化 は 北 方 外 交 の 最 大 の 成 果 であった また 中 ソ 両 国 との 正 常 化 の 過 程 で 1991 年 に 国 連 に 加 盟 したことも 大 きな 外 交 成 果 であった とりわけ 韓 中 国 交 正 常 化 は 40 年 あまり 反 共 の 主 張 を 共 有 してきた 台 湾 との 断 交 とあわせて 韓 国 にとって 脱 冷 戦 過 程 を 象 徴 するできごとで あったと 言 えるだろう また 韓 国 にとって 成 長 する 市 場 としての 中 国 へ 接 近 できるようになったことは 経 済 的 に きわめて 重 要 であった 中 国 も 改 革 開 放 路 線 を 軌 道 に 乗 せるため 韓 国 の 資 本 や 技 術 に 大 きな 期 待 を 寄 せていたのだった 3. 北 朝 鮮 危 機 の 構 図 脱 冷 戦 過 程 で 急 浮 上 し ポスト 冷 戦 期 の 東 アジア 国 際 関 係 の 中 心 的 な 問 題 のひとつになったのが 北 朝 鮮 の 核 開 発 問 題 である 1980 年 代 後 半 よりソウルオリンピックおよび 韓 国 の 北 方 外 交 の 成 功 12

日 韓 関 係 における 中 国 の 存 在 出 水 薰 や ソ 連 の 崩 壊 などにより 北 朝 鮮 は 外 交 的 に 孤 立 し 経 済 的 に 苦 境 に 陥 った この 苦 境 を 脱 するため 北 朝 鮮 はアメリカおよび 日 本 との 関 係 改 善 へ 積 極 的 に 乗 り 出 そうとした とりわけアメリカとの 関 係 は 朝 鮮 戦 争 から 敵 対 関 係 にあり しかも1980 年 代 以 降 は テロ 支 援 国 家 の 指 定 を 受 け 軍 事 的 および 経 済 的 に 北 朝 鮮 の 負 担 となっていた ところが 北 朝 鮮 には アメリカを 交 渉 に 引 き 出 す 材 料 がなかった そこで 北 朝 鮮 は 核 兵 器 開 発 を 交 渉 材 料 とする 瀬 戸 際 外 交 を 展 開 せざるをえない 状 況 に 追 い 込 まれたのであった 瀬 戸 際 外 交 は 双 方 が 譲 歩 や 妥 協 姿 勢 を 見 せなければ まさに 戦 争 な どの 危 機 の 瀬 戸 際 に 進 むことになる 実 際 に1994 年 には 北 朝 鮮 に 対 する 経 済 制 裁 の 決 定 をめぐって 朝 鮮 半 島 は 戦 争 の 危 機 に 直 面 したのであっ た この 危 機 以 降 一 方 で 北 朝 鮮 による 核 兵 器 開 発 や 大 量 破 壊 兵 器 の 拡 散 を 防 ぎつつ 同 時 に 北 朝 鮮 を 包 摂 した 安 定 した 東 アジアの 国 際 秩 序 を いかにして 構 築 するかをめぐって 周 辺 関 係 国 は さまざまな 協 調 を 試 み ることになった 4. 北 朝 鮮 をめぐる 韓 中 と 日 本 のズレ 1994 年 の 危 機 の 直 後 は 北 朝 鮮 が 短 期 的 に 崩 壊 する 可 能 性 が 考 慮 された そのため 周 辺 諸 国 の 対 応 も 曲 折 を 経 ることになった しかし1990 年 代 の 末 になると 北 朝 鮮 の 崩 壊 をむしろ 避 け 北 朝 鮮 による 核 兵 器 開 発 や 大 量 破 壊 兵 器 の 拡 散 を 防 ぎつつ しかし 北 朝 鮮 の 体 制 を 維 持 する 方 向 での 模 索 が おこなわれるようになった 韓 国 では1998 年 にキム デジュン 政 権 が 登 場 し 包 容 政 策 を 採 用 した それは 北 朝 鮮 を 安 定 的 な 国 際 秩 序 の 下 で 中 国 型 の 改 革 開 放 路 線 へと 誘 導 することをめざすものであった ノ ムヒョン 政 権 も 基 本 的 には この 13

한국사론 43:광복 60년;한국의 변화와 성장 그리고 희망 路 線 を 継 承 していると 言 えるだろう 北 朝 鮮 の 体 制 を 当 面 支 えるという 路 線 は 1990 年 代 後 半 以 降 中 国 も 歩 調 を 合 わせたものである 中 国 は1990 年 代 中 ごろの 台 湾 をめぐるアメリカ との 緊 張 以 後 北 朝 鮮 の 存 在 意 義 をあらためて 確 認 したように 思 われる アメリカとの 潜 在 的 な 対 立 と 緊 張 を 前 提 に 発 想 するという 点 では 中 国 は 冷 戦 期 と 重 なる 思 考 様 式 を 引 きずっているとも 言 える しかし 北 朝 鮮 によ る 核 開 発 や 大 量 破 壊 兵 器 の 拡 散 を 防 ぐという 点 では アメリカとも 利 益 を 共 有 している また 北 朝 鮮 の 急 激 な 体 制 崩 壊 は 望 まないものの 自 国 と 同 様 の 改 革 開 放 型 への 変 化 を 期 待 し その 方 向 への 誘 導 をおこなおうとする 点 では 韓 国 とも 利 害 と 発 想 を 共 有 していると 言 える いずれにしても 中 国 の 北 朝 鮮 をめぐる 対 応 は 重 層 的 で 単 純 に 冷 戦 期 の 中 朝 関 係 の 延 長 線 上 にあるわけではない 繰 り 返 しになるが 中 国 は 多 くの 点 で 韓 国 と 利 害 を 共 有 し 同 様 の 発 想 をもっている 韓 中 は 事 実 上 北 朝 鮮 を 包 摂 するための 共 同 戦 線 を 組 んでいる 側 面 があると 言 えるだろう これに 対 して 北 朝 鮮 をめぐる 周 辺 諸 国 の 中 では 日 本 がある 意 味 で 強 硬 派 であり 錯 乱 要 因 となっている 日 本 はアメリカと 歩 調 を 合 わせ るかたちで 北 朝 鮮 との 接 近 を 断 続 的 に 試 みてはいる しかし 国 内 的 には 拉 致 や 不 審 船 事 件 ミサイルの 発 射 事 件 などによって1990 年 代 後 半 以 降 おおむね 国 内 世 論 は 北 朝 鮮 に 否 定 的 な 態 度 をとりつづけ 一 部 の 強 硬 な 意 見 の 支 持 基 盤 を 提 供 しているのである 以 上 のように 北 朝 鮮 をめぐる 日 韓 中 の 対 応 は 韓 中 と 日 本 というかたち で 対 立 的 な 性 格 を 帯 びていると 言 える さらに 最 近 においては この 図 式 に 過 去 の 植 民 地 支 配 や 侵 略 の 歴 史 認 識 をめぐる 対 立 などが 重 ねられる 傾 向 が 見 られる 14

日 韓 関 係 における 中 国 の 存 在 出 水 薰 Ⅴ. むすびに 本 報 告 をもう 一 度 ごく 簡 単 に 整 理 する 端 的 に 言 えば 冷 戦 期 の 日 韓 中 の 三 角 関 係 は 対 中 国 包 囲 網 への 日 韓 の 組 み 込 みから 始 まった 東 アジア 冷 戦 構 造 の 形 成 とともに アメリカを 軸 とする 対 中 国 包 囲 網 が 形 成 され 日 韓 はともにアメリカとの 二 国 間 関 係 を 通 して この 包 囲 網 の 構 成 員 と なった ただ 日 韓 両 国 では 中 国 への 基 本 的 な 態 度 に 違 いがあった 日 本 は 資 源 や 市 場 の 確 保 という 観 点 から 戦 前 以 来 の 中 国 大 陸 への 結 びつ きを 重 視 し 潜 在 的 に 接 近 意 欲 を 持 ち 続 けた その 点 から 見 れば 日 本 に とって 東 アジア 冷 戦 構 造 は 足 かせ としての 側 面 もあった これに 対 して 韓 国 は 朝 鮮 戦 争 において 中 国 と 交 戦 しており 明 確 に 敵 対 する 関 係 にあった またそもそも 東 アジア 冷 戦 構 造 は 韓 国 の 正 統 性 の 基 盤 を 支 える 環 境 でもあったのであり 東 アジア 冷 戦 構 造 = 対 中 国 包 囲 網 に 矛 盾 を 感 じる 要 素 は 少 なかった むしろパク チョンヒ 政 権 以 後 の 開 発 路 線 の 下 では 東 アジア 冷 戦 構 造 は 開 発 と 経 済 成 長 の 基 本 的 な 促 進 条 件 とし て 利 用 されたのであった その 意 味 では 中 国 への 接 近 の 可 能 性 が 東 アジ ア 冷 戦 構 造 のため 遮 断 されていることを 経 済 的 な 観 点 から 否 定 的 にとら える 日 本 とは 対 照 的 であった 東 アジア 冷 戦 構 造 下 の 日 韓 中 の 三 角 関 係 に 変 化 が 生 じたのは 1970 年 代 の 米 中 接 近 にともなう 東 アジア 冷 戦 構 造 の 動 揺 と 対 中 国 包 囲 網 の 調 整 に おいてであった 日 本 は 中 国 接 近 の 意 欲 を 一 挙 に 顕 在 化 させ 日 中 国 交 正 常 化 に 象 徴 される 積 極 姿 勢 を 示 した これに 対 して 韓 国 は むしろ 米 中 を 代 表 とする 周 辺 大 国 への 不 信 を 募 らせた ここでは 日 中 の 接 近 が 米 中 の 接 近 に 触 発 されて 急 速 に 進 んだのに 対 し 韓 中 関 係 は 従 来 の 冷 戦 構 造 を 維 持 15

한국사론 43:광복 60년;한국의 변화와 성장 그리고 희망 していた 日 韓 中 の 三 角 関 係 の 次 の 変 化 は 脱 冷 戦 の 過 程 において 起 こった 1980 年 代 以 降 の 韓 国 は 資 源 や 市 場 の 確 保 という 経 済 的 な 観 点 からの 外 交 網 の 拡 大 に 積 極 的 となり またソウルオリンピック 開 催 という 条 件 などもあっ て 中 国 を 含 む 対 社 会 主 義 圏 への 外 交 攻 勢 = 北 方 外 交 を 展 開 することに なった 北 方 外 交 は 成 功 し 韓 中 は 国 交 正 常 化 をおこなった しかしこの 韓 国 の 北 方 外 交 によって 促 進 された 東 アジアの 脱 冷 戦 過 程 は 北 朝 鮮 の 孤 立 化 と 経 済 危 機 を 招 き 北 朝 鮮 を 瀬 戸 際 外 交 に 追 い 詰 めた のである 脱 冷 戦 過 程 において 北 朝 鮮 の 核 開 発 や 大 量 破 壊 兵 器 の 拡 散 を どのように 防 ぐか また 北 朝 鮮 をどのように 安 定 的 に 国 際 関 係 に 包 摂 する のかが きわめて 重 要 な 課 題 として 今 日 浮 上 している 北 朝 鮮 への 対 応 に 着 目 して 日 韓 中 の 三 角 関 係 を 見 ると 韓 中 と 日 本 の 間 に 姿 勢 の 違 いが 見 られる すなわち 韓 中 が 北 朝 鮮 へ 比 較 的 に 協 調 的 な 姿 勢 を 見 せているのに 対 し 日 本 は 国 内 の 強 硬 論 の 影 響 もあり かなり 姿 勢 に 動 揺 が 見 られる このような 韓 中 と 日 本 という 図 式 は 奇 妙 なことに 歴 史 的 な 対 立 図 式 と 重 ねる 議 論 も 起 きつつある この 点 では 東 アジア 冷 戦 構 造 の 変 化 が 潜 在 化 されていた 歴 史 的 な 対 立 軸 を 表 面 化 させているかのよ うでもある いずれにせよ 日 韓 中 の 三 角 関 係 を 対 象 としても 東 アジア 冷 戦 構 造 は 明 らかに 変 化 したことが 分 かる 朝 鮮 半 島 における 南 北 の 分 断 や 中 国 と 台 湾 の 分 裂 が 冷 戦 を 起 源 とするものであるにしても 冷 戦 構 造 が 持 続 しているという 評 価 は 難 しいだろう 16

日 韓 関 係 における 中 国 の 存 在 出 水 薰 参 考 文 献 一 覧 심지연 김일영편, 한미동맹50년, 백산서당, 2004 심지연, 남북한 통일방안의 전개와 수립 돌베개, 2001 外 交 通 商 部, 韓 國 外 交 50 年 外 交 通 商 部, 1999 외교통상부, 2002년도 외교백서 외교통상부, 2003 외교통상부, 2001년도 외교백서 외교통상부, 2002 외교통상부, 2000년도 외교백서 외교통상부, 2001 外 務 部, 韓 國 의 北 方 外 交 外 務 部, 1990 한국정치외교사학회편, 한국외교사Ⅱ 집문당, 1995 五 百 旗 頭 真 編, 戦 後 日 本 外 交 史 有 斐 閣 1999 李 鍾 元, 東 アジア 冷 戦 と 韓 米 日 関 係 東 京 大 学 出 版 会 1996 出 水 薫, 韓 国 の 統 一 政 策, 対 北 政 策 の 歴 史 的 な 展 開 木 村 朗 編 核 の 時 代 と 東 アジアの 平 和 法 律 文 化 社 2005 岡 部 達 味, 中 国 の 対 外 戦 略 東 京 大 学 出 版 会 2002 木 宮 正 史, 韓 国 ちくま 新 書 2003 小 島 朋 之, 相 互 補 完 の 日 中 関 係 国 分 良 成 編 中 国 政 治 と 東 アジア 慶 應 義 塾 大 学 出 版 会 2004 下 斗 米 伸 夫, アジア 冷 戦 史 中 公 新 書 2004 ジョン ルイス ギャディス 赤 木 齊 藤 訳 歴 史 としての 冷 戦 慶 應 義 塾 大 学 出 版 会 2004 徐 承 元, 中 国 朝 鮮 半 島 関 係 国 分 良 成 編 中 国 政 治 と 東 アジア 慶 應 義 塾 大 学 出 版 会 2004 17

한국사론 43:광복 60년;한국의 변화와 성장 그리고 희망 ドン オーバードーファー 菱 木 一 美 訳 二 つのコリア 特 別 最 新 版 共 同 通 信 社 2002 姫 田 阿 部 石 井 他, 中 国 20 世 紀 史 東 京 大 学 出 版 会 1993 毛 利 和 子, 新 版 現 代 中 国 政 治 名 古 屋 大 学 出 版 会 2004 18

한 일관계에서 중국의 존재 -동아시아 냉전구조의 지속과 변용을 생각하기 위해- 1) 이즈미 카오루( 出 水 薰 )* Ⅰ. 머 리 말 Ⅱ. 동아시아 냉전구조 형성기의 한 일과 중국 1. 동아시아 냉전구조의 형성 2. 동아시아 냉전구조 형성기의 한 중관계 3. 동아시아 냉전구조 형성기의 중 일관계 4. 동아시아 냉전 형성기의 한 일과 중국 Ⅲ. 동아시아 냉전구조 동요기의 한 일과 중국 1. 미 중 접근과 동아시아 냉전구조의 변화 2. 중 일관계의 재편 3. 동아시아 냉전구조 동요와 한국의 반응 4. 동아시아 냉전구조 동요기의 한 일과 중국 Ⅳ. 탈냉전과정에서의 한 일과 중국 1. 탈냉전과정의 진행 2. 한국의 북방외교와 한 중 국교정상화 3. 북한 위기의 구도 4. 북한을 둘러싼 한 중과 일본의 입장 차이 Ⅴ. 맺 음 말 Ⅰ. 머 리 말 한 일 국교정상화로부터 40년을 거쳐, 한 일관계는 성숙 해 가고 있다. 양자의 관계는 정부 간의 정치적 혹은 외교적인 관계에 머물지 않고, 경제, 사회, 문화 등 중층적인 영역에서 다양한 관계를 맺고 있다. * 큐슈대학 한국연구센터 교수. 3

한국사론 43:광복 60년;한국의 변화와 성장 그리고 희망 또한 상호교류의 주체도 중앙정부만이 아니라, 지역정부(자치체), 기업, 시민단체 등 다양해지고 있다. 그러나 그런 교류의 경로와 주체의 확대 는, 한 일교류와 상호의존의 양적인 확대와 질적인 심화를 초래하고 있다. 교과서 문제와 영토 문제 등 단속적으로 일한의 대립적인 쟁점이 부상하기는 하지만, 지금까지의 양자의 상호교류와 상호의존을 후퇴시 킬 사태는 더 이상 일어날 수 없을 것이다. 본 발표에서는 이상과 같은 오늘날의 한 일관계의 중층성과 다양성 을 인정하면서도, 극히 전통적인 국제관계의 틀에서 보고를 할 것이다. 왜냐하면, 한 일의 이국 간 관계를 떠나서 오늘날의 동아시아 지역의 현상을 생각할 경우, 북한의 핵개발을 둘러싼 문제처럼, 오히려 전통적 인 국제관계의 틀에서 검토해야할 과제가 부상하고 있기 때문이다. 이렇게 전통적인 국제관계의 틀이 여전히 유효한 상태인 동아시아의 오늘날의 국제관계를 생각하는 데는, 사전에 역사적인 회고가 필요할 것이다. 여기서 본 발표에서는 한 일의 냉전기 및 탈냉전기의 관계를 미리 정리해 본다. 단 이때 한 일 이국 간 관계만을 검토하는 것이 아 니라, 중국이란 제3의 요소를 첨가하기로 한다. 중국을 포함한 한 중 일의 삼각관계 를 검토대상으로 하는 목적은 두 가지이다. 먼저 첫 번째로, 한 일 이국 간 관계만을 검토할 때, 가 끔씩 반복되는 전형적인 대립도식의 확인 작업에 멈출 위험성이 있다. 둘째로, 한 일중의 삼각관계를 검토하는 편이, 동아시아 냉전구조 및 탈냉전 과정이 입체적 으로 파악될 수 있기 때문이다. 냉전구조는 세계 차원, 지역차원, 이국간관계의 차원이란 삼층 구조를 전부 주목하여 파 악해야 한다. 한 일만이 아니라 중국을 포함시키는 것은 복수 차원의 상호작용을 보기 쉽도록 하는 효과를 기대할 수 있다. 따라서, 이사의 여러 점을 고려한, 본 발표의 과제설정은 다음과 같 다. 즉 냉전기와 탈냉전기의 한 중 일의 삼각관계를 한 일관계를 축 4

한 일관계에서 중국의 존재 이즈미 카오루 으로 역사적으로 정리하고, 이를 통해 동아시아 냉전구조의 변화와 지 속을 생각하기 위한 재료를 제공하는 것이다. Ⅱ. 동아시아 냉전구조 형성기의 한 일과 중국 1. 동아시아 냉전구조의 형성 대일본제국 은 한반도를 식민지지배하고, 중화민국과 전쟁을 수행했 다. 따라서 대일본제국 이 1945년에 패배하고, 개헌을 거쳐, 일본국이 건국되어 독립을 회복해도, 연합국의 일원이었던 중화민국 및 해방된 한반도에서 수립될 신생정부와 잠재적인 긴장과 대립이 예상되었다. 그러나 동아시아 냉전구조가 형성되자, 그러한 일본과 한 중의 역사 적 배경에 근거한 대립은 동아시아 국제관계에서 주요한 대립축이 될 수 없었다. 물론 전혀 영향을 끼치지 않았던 것은 아니지만, 기본적으로 는 냉전대립이라는 주요한 대립축에 의해 일본과 한 중의 역사적 대립 은 부차적인 것이 되었던 것이다. 동아시아 냉전구조의 형성에 의해, 일본과 한국은 중국과 대립하는 위치를 부여받았다. 대한민국(한국)은 미국 점령 하에 건국되어, 서방진 영 에 소속하게 되었다. 한반도에서 남북 2개의 정부수립은, 세계규모에 서 냉전대립을 반영한 것이었다. 한국의 건국 시, 일본은 여전히 미국 중심의 연합군의 점령 하에 있었다. 한편, 한반도의 분단에 이어, 중화인민공화국(중국)이 건국됨으로써, 동아시아의 지역차원의 냉전구도는 명확해졌다. 건국 후 중국은 소련에 접근했다. 그리고 소련이 중국의 권위를 인정했기 때문에, 동아시아에서 5

한국사론 43:광복 60년;한국의 변화와 성장 그리고 희망 는 냉전대립이 미 중대립의 형태를 띠게 되었다. 1950년에 발발한 한국전쟁은 이 동아시아 지역차원에서 냉전대립의 구 도를 결정적으로 구조화했다. 일본은 한국전쟁 하에서 재군비를 개시하고, 미국과 동맹을 맺고 독립했다. 일본과 한국은 한국전쟁을 거침으로써 동 아시아 냉전구조에서 미국의 대중국포위 동맹망에 편입되어 갔던 것이다. 2. 동아시아 냉전구조 형성기의 한 중관계 한국전쟁이전부터 한국은 북한의 정통성을 부정했기 때문에, 북한과 외교관계를 가진 나라를 적대시하는 정책을 취하고 있었다. 따라서 한 국은 중국이 아니라 타이완과 관계를 가지고 있었다. 타이완은 중국과 적대관계에 있었고, 일찍부터 미국처럼 1949년 1월부터 한국을 국가승 인하고 있었다. 또 이승만 정권은, 타이완과 연계해야 한다는 1949년 3월에 반공태평양동맹 을 제기했다. 1950년に에 발발한 한국전쟁은, 소련 및 중국의 승인 을 얻어 북한이 개시한 것이었다. 또한 같은 해 10월 이후, 중국이 실질적으로 참전하 여, 한 중은 전쟁상태에 돌입했다. 1953년 10월의 한미상호방위조약은 북한의 위협을 상정한 군사동맹이었는데, 동시에 미국의 중국봉쇄망의 일환을 이루는 것이었다. 한국은 중국을 적성국가 로 규정하게 되었다. 이상과 같이 한국은 반공 이라는 관점에서 동아시아 냉전구조 속에서 대중국포위망을 적극적으로 수행하고 있었다. 3. 동아시아 냉전구조 형성기의 중 일관계 일본은 한국전쟁의 출격기지가 되었다. 더욱이 일본은 한국전쟁 중에 독립을 회복하고, 미 일동맹을 맺음으로써 중국과 대립관계에 위치했 6

한 일관계에서 중국의 존재 이즈미 카오루 다. 단 일본은 미국과의 관계를 중시하면서도, 경제적인 관점에서 중국 과의 관계를 희망했다. 미국은 중국포위망에 일본을 편입시키기 위해, 일본의 의향에 압력을 가했다. 일본은 1952년 독립회복과 동시에 타이 완과 관계를 맺지 않을 수 없었다. 그러나 일본은 국가목표를 개발과 성장에 두고 있었기 때문에, 자원 과 시장의 확보를 위해 중국과의 관계를 희망했다. 이 일본의 경제적인 이유에 의한 중국을 향한 접근희망은, 미국의 대중국포위망에 속한 일 원이라는 공식 입장과의 사이에 잠재적인 긴장을 초래했다. 이것은 미 국이, 일본에 대해 자국시장과 동남아시아시장을 개방하는 배경이 되었 다. 즉 미국은 대중국봉쇄망에 일본을 묶어두기 위해, 일본의 관심에 부 응할 대체물 을 제공했다고 할 수 있다. 그럼에도 불구하고 일본은 정경분리 를 표방하여 민간주도로 중국과의 통상경로를 열고자 하는 노력을 계속했다. 이것은 일본의 강한 중국접근 희망을 보여주고 있다. 4. 동아시아 냉전형성기의 한 일과 중국 동아시아 냉전구조가 형성되고, 그 구조가 1970년대의 미 중 접근에 의해 동요하기까지의 시기에는, 한 일관계에 중국의 영향이 직접적으 로 끼치는 것은 거의 없었다고 할 수 있다. 단 중국 및 타이완에 대한 한 일의 자세는 달랐는데, 이것은 양자의 동아시아 냉전구조에 서있는 위치가 다르다는 사실을 반영하고 있었다고 할 수 있을 것이다. 이미 지적한 바처럼, 개발과 성장을 국가목표로 한 일본은 경제적인 이해관심으로부터 중국에 대한 강한 접근의욕을 계속 가지고 있었다. 일본의 이러한 입장에서 볼 때, 동아시아 냉전구조는 경제적인 관점에 서 속박 ( 足 かせ)이란 측면을 가지고 있었다. 7

한국사론 43:광복 60년;한국의 변화와 성장 그리고 희망 이에 대해 한국은 정통성을 둘러싼 북한과의 경쟁이란 관점에서, 또 한 한국전쟁에서 실제로 교전했던 경험을 통해, 중국을 적대시하고 타 이완과의 관계를 중시했다. 반공 은 한국정부의 정통성 기반의 하나이 고, 미국주도의 대중국포위망의 일익을 담당하는 것과 정합적이었다. 또 한국은 일본처럼 개발과 성장이 중국을 향한 접근의욕이란 형태로 동아 시아 냉전구조와 대립하는 것이란 딜레마를 느끼지 않았다. 개발과 반 공을 결부시킨 박정희 정권이 1961년에 등장해도, 자금과 시장의 제공 등 경제적인 요구는 기본적으로 미국과 일본에서 충족되고 있었기 때 문이었다. 1965년 한 일국교정상화는 이런 관점에서 그 의의를 평가할 수 있다. 따라서 한국의 입장에서 볼 때, 동아시아의 냉전구조는 개발과 성장이라는 관점으로부터도 정합적이었다. Ⅲ. 동아시아 냉전구조 동요기의 한 일과 중국 1. 미 중 접근과 동아시아 냉전구조의 변화 1970년대에 들어가 세계규모의 냉전구조 및 동아시아의 냉전구조는 크게 동요한다. 미소관계는 긴장완화(데탕트) 시기에 들어가고, 미중은 접근했다. 동아시아 냉전구조의 동요에 결정적으로 중요했던 것은 말할 것도 없이 미 중 접근이다. 미 중 접근의 배경은 크게 두 가지이다. 하나는 중소대립이고, 또 하나는 베트남전쟁이다. 중 소대립은 미소의 긴장완화와 미 중 접근을 초래한 동방진영내의 역학을 낳았다. 1950년대의 스탈린 비판으로 현재화한 중소의 대립은, 1960년대 말부터 1970년대에 걸쳐 국경분쟁을 둘러싼 무력충돌이 발생 8

한 일관계에서 중국의 존재 이즈미 카오루 하고, 전면전쟁의 위기까지 도달해 있었다. 이 때문에 소련은 유럽 정면 ( 正 面 )에서 미국과의 긴장완화를 추구하고, 다른 한편으로 중국은 미국 과의 접근을 시도했던 것이다. 이에 대해, 베트남전쟁은 미국이 아시아전략을 변경하도록 압박했다. 1960년대에 본격화한 미국의 베트남 개입은, 미국의 경제와 재정의 부 담이 되었고, 개입의 정당성을 둘러싼 국내분열을 초래함과 함께, 미국 의 국제적 위신을 저하시키고 있었다. 따라서 베트남 개입을 종결시키 는 것이 피할 수 없는 과제로서 1960년대 말에 부상했던 것이다. 원래 미국의 입장에서 베트남 개입은 중국의 영향력이 동남아시아에 확대되는 것을 저지한다는 논리(도미노이론)에 의해 시작했던 것이다. 따라서 베트남 개입을 중지하기 위해서는 중국과의 관계 및 대중국포위 망의 조정과 재편이 필요했다. 그리고 이것은 1969년 7월, 닉슨 대통령 에 의한 괌 독트린의 발표에 따라 아시아주둔 미군의 삭감과 1971년 7 월의 키신저 보좌관의 방중과 다음해 닉슨 대통령의 방중이라는 형태 로 구체화되어 갔다. 2. 중 일관계의 재편 1971년에 표면화된 미 중 접근은, 일본과의 조정을 충분히 하지 않 은 채 급속도로 진전되었다. 이른바 아닌 밤에 홍두깨 를 맞은( 寢 耳 に 水 ) 일본은, 자신을 무시하고 이루어진 대국중심 외교에 충격을 받아 미 국에 대한 불신감이 생겼다. 그러나 미국이 중국과의 관계개선에 나선 것은, 지금까지 잠재적으로 계속되어 온 중국과의 경제적인 관계를 전면화하고자한 일본의 욕구를 일거에 구체화하는 계기가 되었다. 동아시아의 냉전구조가 동요하고, 대 중국포위망이 완화됨에 따라, 억제되어 있던 대중접근 요구가 공공연하 9

한국사론 43:광복 60년;한국의 변화와 성장 그리고 희망 게 충족되게 되었던 것이다. 국내에서의 조정 등이 필요하기는 했지만, 일본은 1972년 9월에 중 국과 국교를 정상화하고, 1978년 10월에는 평화우호조약을 체결했다. 일 본의 이 급속한 관계개선의 움직임은 억제되어 있던 대중국접근요구가 얼마나 강했던가를 보여주고 있다. 3. 동아시아 냉전구조의 동요와 한국의 반응 미 중 접근과 괌 독트린에서 드러난 아시아주둔 미군삭감방침은 한 국에게는 일본이상의 충격이었다. 한국은 미국에 대한 불신과 미국으로 부터 버림받을 위험성을 경계하게 되었다. 이처럼 불신과 경계를 반영 한 한국의 반응이 박정희 정권의 자주국방 강화노선이었고, 이에 따른 중화학공업화의 진전이었다. 또한 미중 양대국의 압력도 있어, 남북대화가 이루어졌다. 1972년 7 월에는 남북공동성명이 발표되었는데, 이것도 종래의 동아시아 냉전구 조를 동요시키는 요소가 되었다. 더욱이 미국에 대한 불신감을 가진 한 국은, 한국과 마찬가지로 버림받을 위험성에 직면한 타이완과의 협조를 중시했다. 이 때문에 동아시아 냉전구조의 동요가 한중관계의 변화를 불러일으키지는 못했다. 4. 동아시아 냉전구조 동요기의 한 일과 중국 이미 지적한대로, 동아시아 냉전구조의 동요는 한 미관계의 동요도 불 러 일으켰다. 미 중 접근이 한국을 무시한 채 이루어진 것과 주한미군 축소가 한국 측의 반발을 초래했다. 다른 한편, 박정희 정권이 유신체제로 이해하여 독재화하자 미국의 대한비판도 강해졌다. 10

한 일관계에서 중국의 존재 이즈미 카오루 이런 상황에서, 전술한 바와 같이 한국은 자주국방노선을 내걸고, 중 화학공업화를 추진했다. 일본은 한국의 중화학공업화를 자본과 기술의 공여를 통해 지지했다. 일본은 한미관계의 동요를 억제하기 위해 경제 면에서 한국과의 연계를 강화했던 것이다. 요컨대, 미 중 접근은 한미 관계의 동요를 초래하고, 이를 보강하기 위해 한 일관계가 진전했다고 할 수 있다. 또한 이 시기의 중 일관계와 한 중관계를 비교할 때, 중 일관계는 동아시아 냉전구조의 동요에 일정한 반응을 보여 조정이 이루어졌다고 할 수 있다. 이에 대해 한 중관계는 기본적으로 변화가 없었다. 이는 말할 것도 없이 한반도의 남북분단 상황이 냉전구조의 역학을 유지하는 방향으로 작용했기 때문이다. Ⅳ. 탈냉전과정의 한 일과 중국 1. 탈냉전과정의 진행 1979년 소련의 아프가니스탄 침공에 의한 미소의 신냉전 은, 1985년 소련의 고르바쵸프 정권의 등장으로 일거에 냉전의 종결을 향하게 되었 다. 또한 1989년에 연쇄적으로 동유럽의 자유화가 발생하고, 게다가 1991년에는 소련이 붕괴함으로서, 세계규모의 냉전대립은 종결을 고했 다. 동아시아에서도 중국이 개혁개방노선을 추진하는 등의 상황에 의해 탈냉전 과정은 계속되었다. 세계규모의 냉전대립 종결과 지역차원의 냉전구조 변용은, 그 때문에 오히려 한반도의 남북대립과 타이완 문제 등을 부상시켰다. 그중 한반 11

한국사론 43:광복 60년;한국의 변화와 성장 그리고 희망 도에서는 북한이 고립되고, 핵개발을 이용한 벼랑 끝 외교를 전개함으 로써, 냉전의 후유증 이라고도 부를 수 있는 지역의 불안정 요인이 되 었다. 2. 한국의 북방외교와 한 중 국교정상화 1980년대에 들어가, 한국은 자원확보와 수출시장 확대라는 실질적인 관점에서, 외교망 확충의 움직임을 보였다. 또한 1988년 서울 올림픽의 성공을 위해 한국은 대사회주의권외교(북방외교)도 적극적으로 전개했다. 한국의 북방외교는 탈냉전과정과 겹쳐 성공했다. 즉 서울 올림픽의 성공과 1989년 동유럽의 연쇄적 자유화는, 북방외교의 순풍 이 되었고, 지금까지 한국과 국교가 없었던 사회주의권과 일거에 국교를 수립했다. 더욱이 한국전쟁 이래 한반도를 둘러싼 국제구도를 근본으로부터 변화 시킬 1990년 한소 국교정상화와 1992년 한중 국교정상화는, 북방외교의 최대성과였다. 또한 중소 양국과의 정상화과정에서 1991년에 유엔에 가 맹한 것도 커다란 외교성과였다. 그중에서 한 중 국교정상화는 40여 년간 반공 이란 주장을 공유해온 타이완과의 단교와 함께, 한국으로서는 탈냉전과정을 상징하는 것이었 다고 할 수 있다. 또한 한국으로서는 성장하는 시장으로서의 중국에 접 근할 수 있게 되었다는 것은, 경제적으로 대단히 중요했다. 중국도 개혁 개방 노선을 궤도에 올리기 위해서는 한국의 자본과 기술에 커다란 기 대를 하고 있었던 것이다. 12

한 일관계에서 중국의 존재 이즈미 카오루 3. 북한 위기의 구도 탈냉전과정에서 급부상하고, 포스트냉전기의 탈냉전과정에서 급부상 하여, 포스트냉전기 동아시아 국제관계의 중심적인 문제의 하나가 된 것이 북한의 핵개발문제이다. 1980년대 후반부터 서울올림픽 및 한국의 북방외교 성공과 소련의 붕 괴 등에 의해, 북한은 외교적으로 고립되었고, 경제적으로도 어려움에 빠졌다. 이 어려움을 벗어나기 위해 북한은 미국 및 일본과의 관계개선 에 적극적으로 나서고자 했다. 그중에서 미국과의 관계는 한국전쟁부터 적대관계에 있었고, 게다가 1980년대 이후는 테러 지원 국가 라는 지정 을 받아, 군사적 및 경제적으로 북한의 부담이 되고 있었다. 그런데, 북 한에는 미국을 교섭의 장으로 이끌어낼 재료가 없었다. 그래서 북한은 핵병기개발을 교섭재료로 하는 벼랑 끝 외교를 전개하지 않을 수 없는 상황에 빠지게 되었던 것이다. 벼랑 끝 외교는 쌍방이 양보와 타협자세를 보이지 않는다면, 곧바로 전쟁 등 위기의 벼랑 끝으로 나아가게 된다. 실제로 1994년에는 북한에 대한 경제제재의 결정을 둘러싸고, 한반도는 전쟁의 위기에 직면하고 있었다. 이 위기이후 한편으로 북한에 의한 핵병기개발과 대량파괴병기 의 확산을 막으면서, 동시에 북한을 포함한 안정된 동아시아 국제질서 를 어떻게 구축할 것인가를 둘러싸고 주변관계국은 여러 가지 협조를 시도하게 되었다. 4. 북한을 둘러싼 한 중과 일본의 입장차이 1994년 위기 직후는 북한이 단기적으로 붕괴할 가능성이 고려되었다. 13

한국사론 43:광복 60년;한국의 변화와 성장 그리고 희망 이 때문에 주변제국의 대응도 우여곡절을 거치게 되었다. 그러나 1990 년대 말이 되자, 북한의 붕괴를 오히려 피하여, 북한에 의한 핵병기개발 과 대량파괴병기의 확산을 방지해가면서, 그러나 북한의 체제를 유지하 는 방향 모색이 이루어지게 되었다. 한국에서는 1998년에 김대중 정권이 등장하고, 햇볕정책 ( 包 容 政 策 ) 을 채용했다. 이것은 북한을 안정적인 국제질서 하에서, 중국형의 개혁 개방 노선으로 유도하고자 한 것이었다. 노무현 정권도, 기본적으로는 이 노선을 계승하고 있다고 말할 수 있을 것이다. 북한의 체제를 당면 유지하고자 하는 노선은, 1990년대 후반이래, 중 국도 보조를 맞추었다. 중국은 1990년대 중반 경에 타이완을 둘러싼 미 국과의 긴장관계 이후, 북한의 존재의의를 다시 한 번 확인한 것처럼 보인다. 미국과의 잠재적인 대립과 긴장을 전제로 발상하는 점에서는 중국은 냉전기와 겹치는 사고양식을 계속 가지고 있다고 할 수 있다. 그러나 북한에 의한 핵개발과 대량파괴병기의 확산을 막고자 하는 점에 서는 미국과도 이익을 공유하고 있다. 또한 북한의 급격한 체제붕괴는 바라지 않고, 자국과 마찬가지의 개혁개방형으로 변화할 것을 기대하고, 이 방향으로 유도하고자 하는 점에서는 한국과도 이해와 발상을 공유하 고 있다고 할 수 있다. 어느 쪽이든지, 중국의 북한을 둘러싼 대응은 중층적으로, 단순히 냉 전기 북중 관계의 연장선상에 있는 것은 아니다. 반복이 되지만, 중국은 많은 점에서 한국과 이해를 공유하고, 같은 발상을 가지고 있다. 한중은 사실상 북한을 포섭하기 위해 공동전선 을 펴는 측면이 있다고 할 수 있을 것이다. 이에 대해서 북한을 둘러싼 주변제국 사이에는 일본이 어떤 의미에서 는 강경파 로, 착란요인이 되고 있다. 일본은 미국과 보조를 맞추는 형 태로, 북한과의 접근을 단속적으로 시도하고는 있다. 그러나 국내적으로 14

한 일관계에서 중국의 존재 이즈미 카오루 는 납치와 공작선사건( 不 審 船 事 件 ), 미사일 발사 사건 등에 의해 1990년 대 후반 이래 대략적인 국내여론은 북한에 부정적인 태도를 취하고 있 으며, 일부 강경한 의견의 지지기반을 제공하과 있는 것이다. 이상과 같이 북한을 둘러싼 한 중 일의 대응은, 한 중과 일본이라 는 형태로 대립적인 성격을 띠고 있다고 할 수 있다. 게다가 최근에 들 어서는 이 도식에 과거의 식민지지배와 침략의 역사인식을 둘러싼 대립 등이 겹쳐지고 있는 경향이 보인다. Ⅴ. 맺 음 말 본 발표를 다시 한 번 아주 간단히 정리해 보겠다. 단적으로 말하자 면, 냉전기 한 중 일의 삼각관계는 대중국 포위망에 한 일이 편입되 면서 시작되었다. 동아시아 냉전구조의 형성과 함께 アメリカ을 축으로 하는 대중국 포위망이 형성되어 한 일은 함께 미국과의 이국 간 관계 를 통해 이 포위망의 구성원이 되었다. 단 한 일양국에서는 중국에 대 한 기본적이 태도에서 차이가 있었다. 일본은 자원과 시장 확보라는 관점에서 패전 전 이래 중국대륙과의 연결 관계를 중시하였고, 잠재적으로 접근의욕을 계속 가지고 있었다. 이런 점에서 보면, 일본의 입장에서 동아시아 냉전구조는 속박 이란 측 면도 있었다. 이에 대해 한국은, 한국전쟁에서 중국과 교전하고 있었고, 명확히 적 대관계에 있었다. 또한 원래 동아시아 냉전구조는 한국의 정통성 기반 을 지지하는 환경이기도 했던 것이어서, 동아시아 냉전구조=대중국 포 15

한국사론 43:광복 60년;한국의 변화와 성장 그리고 희망 위망에 모순을 느낄 요소는 적었다. 오히려 박정희 정권이후의 개발노 선 하에서는 동아시아 냉전구조는 개발과 경제성장의 기본적인 촉진조 건으로 이용되었던 것이다. 이런 의미에서는 중국으로의 접근 가능성이 동아시아 냉전구조 때문에 차단되어 있었던 것을 경제적인 관점에서 부 정적으로 인식하는 일본과는 대조적이었다. 동아시아 냉전구조 하의 한 중 일 삼각관계에 변화가 발생한 것은, 1970년대 미 중 접근이 초래한 동아시아 냉전구조의 동요와 대중국 포 위망의 조정에서였다. 일본은 중국 접근의 의욕을 일거에 현재화시켜, 중 일 국교정상화로 상징되는 적극자세를 보였다. 이에 대해 한국은 오히려 미 중을 대표로 하는 주변대국에 불신감을 가지게 되었다. 여 기서는 중 일의 접근이 미 중의 접근으로 촉발되어 급속하게 진전된 것에 대해, 한 중관계는 종래의 냉전구조를 유지하고 있었다. 한 중 일 삼각관계의 다음과 같은 변화는, 탈냉전 과정에서 일어났 다. 1980년대 이후 한국은 자원과 시장 확보라는 경제적 관점에서 외교 망의 확대에 적극적이 되었고, 또한 서울 올림픽 개최라는 조건 등도 있어서, 중국을 포함한 사회주의권에 대한 외교공세=북방외교를 전개 하게 되었다. 북방외교는 성공하였고, 한 중은 국교를 정상화했다. 그러나 이런 한국의 북방외교에 의해 촉진된 동아시아의 탈냉전과정 은 북한의 고립화와 경제위기를 초해하여, 북한을 벼랑 끝 외교로 몰아 넣었던 것이다. 탈냉전과정에서 북한의 핵개발과 대량파괴병기의 확산 을 어떻게 방지할 것인가가, 또 북한을 어떻게 안정적으로 국제관계에 포섭할 것인가가, 중요한 과제로서 오늘날 부상하고 있다. 북한에 대한 대응에 착목하여 한 중 일 삼각관계를 보면, 한 중과 일본 사이에 자세의 차이가 보인다. 즉 한 중이 북한에 비교적 협조적 16

한 일관계에서 중국의 존재 이즈미 카오루 인 자세를 보이고 있는 데 대해, 일본은 국내 강경론의 영향도 있어서, 그 자세에 상당한 동요가 보인다. 이러한 한 중과 일본이란 도식은 기 묘하게도 역사적인 대립도식과 중첩되는 논의도 불러일으킨다. 이점에 서는 동아시아 냉전구조의 변화가 잠재화하고 있었던 역사적인 대립축 을 표면화시키고 있는 것처럼 보이기도 한다. 어쨌든 한 중 일의 삼각관계를 대상으로 해도, 동아시아 냉전구조 는 명확히 변화했다는 것을 알 수 있다. 한반도에서의 남북 분단과 중 국과 타이완의 분열 이 냉전을 기원으로 한 것이라고 해도, 냉전구조가 지속 되고 있다는 평가는 어려울 것이다. 번역:송병권 17

出 水 薰 한 일관계에서 중국의 존재 -동아시아냉전구조의 지속과 변용을 생각하기 위해- 에 대한 토론 1) 김 동 명* 1. 연구의 의의 및 내용 본 연구는 동아시아에서 제2차 세계대전 종결 이후 현재에 이르는 긴 기간을, 냉전구조를 중심으로 형성기(1945~1960년대), 동요기(1970년대), 탈냉전기(1980년대 이후)의 3기로 나누고, 각 시기별로 한중일 3국간 관 계의 전개 과정을 분석하고 있다. 이는 한일 양국간 관계만을 고찰함으로써 대립도식을 확인하는 작업 에 그쳐온 기존 연구의 한계를 극복하고, 동아시아냉전구조 및 탈냉전 과정을 입체적으로 파악해서 복수 차원의 상호작용을 분석함으로써, 동 아시아냉전구조의 지속과 변화양상을 생각할 수 있게 한다는 점에서 연 구사적 의의를 높이 평가할 수 있다. 각 시기별로 냉전구조와 관련해서 전개된 한중일 관계의 양상을 간단 히 정리하면 다음과 같다. 형성기-미중대립, 한중대립, 일중대립(정치적)/접근(경제적), 한일접근 동요기-미중접근, 한중대립, 일중진전, 한일진전 * 국민대 정치외교학과 교수. 3

한국사론 43:광복 60년;한국의 변화와 성장 그리고 희망 탈냉전기-한중접근/진전, 북한에 대해, 한중(포섭)과 일본(강경)의 대립(역사문제) 이와 같은 한중일관계의 변화로부터 동아시아냉전구조의 변화를 확인 하고 남북분단과 중국과 대만의 분열 이 냉전에 기원을 두고 있지만 냉전구조가 지속되고 있다고 보기는 어렵다고 주장. 2. 문제 제기 1) 기존 연구 성과와의 소통 필요. 2) 한국에게 동아시아의 냉전구조는 개발과 성장이라는 관점으로부터 도 정합적이었다 (3페이지), 예) 1965년 한일국교정상화의 의의를 평 가하는 견해에 대해, 우선, 냉전구도 하에서의 군비부담 등은 오히려 한국의 개발과 성장 을 저해하지 않았을까. 다음에 한일구교정상화의 경우도 냉전구조 아래였기 때문에 오히려 한국이 식민지 지배에 대한 정당한 배상 및 보상을 요구하지 못했고, 북한과 일본은 아직도 미수교상태이며, 이후 현재까지 많은 한일간의 갈등의 근원이 되고 있는 것이 아닐까. 3) 냉전구조에서 소련이라는 축이 너무 무시되고 있음. 4) 냉전구조 이외의 요소에 대한 홀시, 예)냉전구도 이전의 동아시아의 국제관계 (화이질서나 제국주의와 식민지 반식민지관계), 역사를 둘러싼 갈등 5) 중층성과 다양성 에 기초한 동아시아의 미래에 대한 전망을 제시. 4